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<追記>この記事は、2009年10月1日付で公開したものです。なお、リンク先では、署名いただいた方のお名前・メッセージを随時追加しています。
ありがたいことに、有志の方々から標記の共同声明文をいただいたので、「資料庫」に掲載した。詳しくはリンク先を参照のこと。より多くの方々から署名をいただきたく思うので、是非ご署名願いたい。 「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-23.html <追記1>この記事は、2009年6月16日付で公開したものです。
本日2009年6月16日午前、司法記者クラブ事務局にFAXで、リンク先の通知文を送った。司法記者クラブ事務局によれば、同日、クラブ加盟各社に配信したとのことである。 「新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏への訴訟提起にあたって」 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-19.html 訴訟に至る経緯や、今回の訴訟が現在の出版・ジャーナリズム界に特に提起すると思われる問題について述べているので、ぜひご一読いただきたい。 <追記2>6月12日の提訴に至る、より詳しい経緯については、このブログの以下の記事をご覧ください。 「佐藤優氏への公開質問状」(2009年2月26日) 「佐藤優氏から、公開質問状への回答が来ない/『週刊新潮』編集部とのやりとり」(2009年3月17日) 「メモ7」(2009年3月27日) 「佐藤優氏、公開質問状の受け取りを拒絶」(2009年4月13日) 「『週刊新潮』編集部、質問状への回答を拒絶」(2009年4月16日) 少し前にKscykscy氏が、ブログ「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」において、下の文章を発表している。
「金明秀「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」批判」 http://kscykscy.exblog.jp/17567948/ また、zed氏も、ブログ「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」において、下の文章を発表している。 「金明秀という男について」 http://sgwse.dou-jin.com/Date/201201/1.html 両方とも、極めて的確な金明秀批判であり、私も示唆されるところが多かった。未読の方には是非一読を勧める。 ところで、前に書いた記事で私は、「池田信夫的なものに名前をつけるとしたら?」などという問いに罵倒表現を使って答えるなどという醜悪な遊びを、在日朝鮮人たちがやっていることを指摘し、当該ツイッターを削除すべきだと主張した。結局、私の指摘は聞かれなかったのだが、この遊びを始めた在日朝鮮人学者というのが金明秀だったのである。これに加担していたもう一人の在日朝鮮人が、前回記事で取り上げた、Radomyslsky こと韓西満である。 この件に関する金明秀の一部始終は、極めて不誠実なものであったため、私も再度批判を書こうと思ったが、途中まで書いてあまりの相手のレベルの低さに馬鹿馬鹿しくなって放置してしまった(この記事を書くことにしたのでまた後日書く)。私は韓西満のツイッターを検討した際に、そこで頻繁に肯定的に引用・言及されている金明秀の多くの発言を読み、突っ込みどころ満載でわざわざ取り上げることの徒労感を強く感じたので、まともに批判しているお二人には、敬意を表さざるを得ない。確かに、金明秀の言動とその周辺の日本人との関係性は、私がこのブログで取り上げている「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係.」という問題にも重要な示唆を与えるものが多いので、お二人のようにまとまった形でなくとも、折を見て取り上げて行きたい。 とりあえず今回は、金明秀と韓がツイッター上で肯定的に引用していた、以下の発言を取り上げる。 「黒人差別との闘いは白人との闘いではない、白人によって作られた構造に劣等感を感じ自らを抑圧する自分自身との闘いである、っていうことを理解出来ずに黒人解放運動を白人への憎悪扇動(日本でいうところの「反日」だね)としか認識出来ない白人様残念すぎる。」 https://twitter.com/#!/novluno/status/126371043173597185 これを書いているのは日本人左翼らしい。当り前であるが、白人による現実の黒人への差別(構造)は存在する。このように、問題を黒人の「劣等感」に還元する認識が、倫理上の問題もさることながら、現実性と現実感覚を著しく欠いた、馬鹿げたものであることは明らかである。 上のような認識が在日朝鮮人に適用されれば、それは容易に、在日朝鮮人の「差別との闘い」は日本社会・日本人による差別(構造)ではなく、主として在日朝鮮人自身の劣等感克服の問題である、ということになろう。そして、在日朝鮮人である金明秀と韓は、このような発言を公的に肯定的に引用することで、日本人の読者に対して、そのような認識を持たしめていると言える。 上のようなツイッター上の馬鹿げた発言は、それ自体としては確かに誤りと問題性の明らかなものだが、それでも現在のリベラル・左派の<気分>に親和的なものであると思う。私は「<佐藤優現象>批判」の注の「55」で、<佐藤優現象>を推進する編集者の一人である、岩波書店の馬場公彦の発言を取り上げ、以下のように書いている。 「馬場は言う。「戦後の日本・日本人に対する強烈な同化への欲望と、それに匹敵するほどの反発と不信が同居する彼らの様々な葛藤や矛盾は、「在日問題」として、日本政府・自治体に対する権利要求、人々の偏見に対するクリティカルな言論活動、自らのアイデンティティを掘り下げ表現した「在日文学」や「在日」による様々な芸術活動の中で展開されている」(前掲「戦後東アジア心象地図の中の日本」)。この叙述には、「在日問題」とは、在日朝鮮人の直面する社会的・法的差別や人権侵害のことではなく、「在日」の存在自体のことであるとする馬場の意識が露呈している。」 このように、馬場の認識においては、問題は日本人・日本社会よりもむしろ(または、日本人・日本社会ではなく)在日朝鮮人側にあるということになっている。上のツイッター発言や、それを支持する金明秀・韓との親和性は明らかであろう。ここに、「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係.」がはらむ問題性の、一つの事例が浮かび上がっている。需要者は日本人で、供給者は朝鮮人だ。まるで凹と凸のようなものである。 もちろん金明秀も韓も上の日本人左翼も、在日朝鮮人に関して馬場と同趣旨の主張を直接展開しているわけではない。ただし、方向性・論理・気分は明らかに同じものである。そして、そのような<気分>こそが、マスコミ界隈・論壇界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係によって(醸成され)助長されるものである。多分、馬場の発言も、それ以前の同種の在日朝鮮人との「共生」または共犯関係との体験により出てきていると思う。この共犯関係と、それがもたらす言説こそ徹底的に批判されなければならない。 余談だが、「民族的劣等感を抱く在日朝鮮人の葛藤」みたいな話を昔の文献で読んだりネット上でたまに見かけたりするけれども、私は民族学校に行ったことはないが「民族的劣等感」を持ったことは事実として一度もない。私の周りの在日朝鮮人にも、そのような劣等感を感じたことがあるという人物は一人もいないし、これまでそのような在日朝鮮人に会ったこともない。差別を受けると民族的劣等感を持つようになる、とよく言われるが、それは必ずしも結び付かないように思う。むしろ、被差別体験が民族的劣等感をもたらすという図式、あるいは、マイノリティが民族的劣等感を持っているという図式自体が、マジョリティ側に実は都合のよいものなのではないか、と私は考えている。そして、そのことを感づいているがゆえに「民族的劣等感」を自分は持っていたと「告白」する在日朝鮮人も中にはいるのではないか、と私は疑っている。もちろん、現実に「民族的劣等感」に悩む在日朝鮮人がいた場合、そのように感じること自体を批判しているのではない 韓西満(Radomyslsky)なる人物が、12月6日付のツイッターで、佐藤優とその「周囲で踊っている人々」に関して、批判的に言及している。
「そうそう。そう書こうとして忘れてました。機能としてはそう思います。司馬遼とか佐藤とか大昔から死ぬほど繰り返されてるアレ。周囲で踊ってる人々が偏差値高い順に極悪。RT @rom_emon: ある意味、針谷は佐藤優? ただし佐藤優は「普通の右翼」だけど。 @Radomyslsky」 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/144031772362022912 「醜悪と書きたいところを極悪と書きました。この種の人々は弾劾されるのは平気でも小馬鹿にされるのは死んでも嫌だという異常性癖を持っているので。RT @Radomyslsky: 偏差値高い順に極悪。RT @rom_emon: ある意味、針谷は佐藤優? ただし佐藤優は「普通の右翼」だけど」 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/144032830794641408 「「馬鹿」とか「醜悪」と言われたらムキになるけど「極悪」と言われるとちょっと悪い気はしなかったりする異常人格者たちです。本当に悪いやつらです(馬鹿で醜悪でもあるが)。神も仏もあったもんじゃない。 @rom_emon」 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/144046808270774272 こうした発言のみ見ると、韓西満は私と同じく、<佐藤優現象>を批判しているように見えるが、実はその政治的意味は完全に異なっている。 例えば、韓西満は、ある「ネトウヨ」に対して、以下のように発言している。 「君は破廉恥漢だが、さほどの害悪ではない。本当に害悪なのはネトウヨを放置するリベラ~ル気取りの連中だ。それよりも害悪なのは気が向いたときにネトウヨをいじめて善い人間であるような気分になっている連中だ。」 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/143761638670086144 ここで韓西満は、私と同じように、リベラル批判をしているように見える。だが、「<佐藤優現象>批判」をはじめとして、これまで私が書いてきたことは、従来および現在の、特に2005・6年以降のリベラル・左派の問題設定・認識枠組(護憲論、脱格差社会論、ナショナリズム批判論、戦後補償論その他)それ自体が、在日朝鮮人の基本的人権・歴史的権利の尊重や日本の根底的な過去清算の課題等をあらかじめ排除したものになっている、ということである。そしてのその象徴として<佐藤優現象>を取り上げてきたのである。 だが、韓西満のように、ネトウヨを放置することこそがリベラルの問題だと規定するならば、リベラル・左派の問題設定・認識枠組自体が質的に問題なのではなく、在特会やネット右翼への攻撃・対抗をより強化する量的な問題こそ重要、ということになろう。リベラル・左派からすれば、自らの問題設定・認識枠組を問い直す必要もなく、私が批判してきているような問題もクリアできるのであるから、これほど楽なものはない。韓西満はツイッター上で、多くの日本人左派とつるんでいるが、ツイッターをやっている日本人左派の大多数は私が前に「「国民」の否定形としての「市民」」で描いた、否定的な意味での「市民」であって、そもそも知的・社会的話題を(デモに出る等の行動という形も含めて)消費することにしか関心がないのであるから、このような姿勢は当然歓迎される。以前私が記事「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(上)」で書いたように、ここでは、出版関係者である韓西満(およびその周辺の、似たような志向を持つ在日朝鮮人のツイッター)と日本人左派の「共生」または、共犯関係が成立している。 また、韓西満は2011年2月8日付のツイッターで、以下のように書いている。 「金光翔君は文章は正論だが筆致に陰険さが出ているから読んでて気分が暗くなるだろう」 ところで、この韓西満という名前は偽名であって、現在は講談社の社員である。大学時代から私はよく知っている人物であるが、もう何年もやりとりしていない。この韓西満なる人物が、私の知っている人物の偽名であることに気付いたとき、「まだ(また)こんなことやってるのか」とあっけにとられたものだ。それだけならば放っておいただろうが、ある時twilogで過去のツイッターを遡ったところ、上の発言を見て、放置すべきではないと考えるようになった。 自分は偽名でありながら、何の根拠も示さずに「筆致に陰険さが出ている」などと実名の人間に対して誹謗中傷を行なうことの方がはるかに「陰険」であろう。韓は、2011年07月31日付ツイッターで、ある人物に対して、「黙ってるほうがいいです。欺瞞的でも、悪事を犯すよりずっとマシ。仲間と陰口を叩くのはよくないことだけど、ヘイトを公に振り撒くよりずっとマシ。」などと説教を垂れている。単に「仲間と陰口を叩く」のではなく、私に対する中傷をまさに公に振り撒いておいて、よく言えるものである。 しかも韓が所属している講談社が、佐藤優を極めて熱心に使い続けてきていることは周知のことである。前から何度も書いているが、佐藤の主張こそが在日朝鮮人の基本的人権の端的な否定である。しかも、そのような発言を黙認しているリベラル・左派を含めたマスコミによる佐藤の積極的起用=<佐藤優現象>こそが、在日朝鮮人の人権は「煮て食おうと焼いて食おうと自由」(法務省)という認識の端的な表れであり、しかもその公認である(その枠組みの中であれば、在日朝鮮人の書き手が「差別反対」を主張することは恩恵として許容されるのである)。 また、講談社は、当時、日朝の平和的交渉路線をほぼ孤立無援で主張していた姜尚中を、無茶苦茶に攻撃する川人博の本も出している。川人は朝鮮学校無償化排除も極めて熱心に主張している。 しかも韓は、石丸次郎の「カダフィの死に方はリビアの将来の混沌を暗示しているような気がしてならない。もみくちやにされる最後のカダフイらしき映像からもシルト攻撃部隊が相当統制に欠ける一団だったことを想像させる。「俺が撃った」という人物が得意げに名乗りでている。リビア人が自由を渇望していたことに疑いはないが。」などという、大して内容のないツイッターの発言を好意的にRTし、紹介している(2010年10月23日付)。石丸が、朝鮮関係でどれだけ悪質な発言をしてきているかは、ZED氏のブログが詳しく指摘してきているとおりである。韓は、講談社の書き手である石丸について、そして石丸を使う講談社について、何も問題を感じていない。 また、講談社が刊行する雑誌や書籍において、朝鮮関係に関して好戦的・排外的な記述・主張が多数存在することは周知の事実である。 私は韓のツイッターのうち、2010年12月以降の全ての発言を一応読んだが(啓発される、または読むに値する発言は何一つない)、その社会的批判は、<佐藤優現象>その他のリベラル・左派に対するそれは少なく、在特会やネット右翼への批判が大半を占める。社会的影響力からすれば、講談社と比べれば、在特会やネット右翼などカスのようなものであろうから、こんな欺瞞的な行為を続けられることにも感心させられるが、いずれにせよ、こんな講談社社員に誹謗中傷される筋合いはない。 また、韓は、2011年10月29日のツイッターで、岩波書店の中山永基の発言を紹介し、中山の担当した本を宣伝している。 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/129962479928352768 中山は、自ら公表しているように「在日外国人」であり、また、今年7月以降は、岩波書店労働組合書記長(委員長・副委員長の次の役職)の地位にある。中山は、一連の岩波労組の行為を追認していると見ることができるだろう。私は2005年頃に、直接中山から、韓やその他の岩波書店と一緒に酒を飲んだ話を聞いている。 韓は、2011年4月9日付のツイッターで、岩波書店が私に「解雇せざるをえない」通知を出してきたことにも言及している。すなわち、岩波書店および岩波書店労働組合との対立の件を認識した上で、中山が担当していた本を宣伝している。 また、韓がツイッター上で頻繁に交流している相手には、現在でも『週刊金曜日』に執筆している在日朝鮮人や、佐藤優が連載を持っている雑誌の編集者である在日朝鮮人がいる。 このように見てくると、韓のリベラル批判や佐藤優その他に関する批判的言及が、質的に私のそれと同じでありうるはずがなく、むしろ敵対的であることが浮かび上がってこよう。しかも韓は、後に見るように、私の主張を歪曲すらしている。 私は以前、記事「日本社会における朝鮮人の場合、単なる「外国人」(の血統)へのレイシズムだけではなく、(朝鮮半島の同胞であれ在日朝鮮人であれ)同じ朝鮮人を攻撃する、という忠誠表示が必ず必要とされる」と書いた。また、マスコミ界隈の在日朝鮮人が、リベラル・左派を含めた日本のマスコミの右傾化において、不可欠な装置になっていることも指摘した。 韓の諸発言は、まさにそのような性格を持ったものである。この連載では、主として韓の諸発言を検討し、マスコミ界隈の在日朝鮮人の現在の政治的性格、および、彼ら・彼女らとの日本人リベラル・左派(マスコミ)の「共生」または共犯関係の構造について考えていきたい。 (追記) この記事は、元々韓が比較的知られている編集者であるから公人と見なせること、韓が、会社の上司・同僚、会社関係の書き手らしき人物にも「韓西満」の名前でツイッターをやっていることを伝えているとの記述があったこと(例えば、2011年04月06日付「上司がツイッターのアカウントを教えてくれと正面切って言うので教えた。さて、どのタイミングで読むだろうか? 何か面白いそうなことを言わねばならぬと考えはじめて加速度的自己緊縛。」 http://twitter.com/#!/Radomyslsky/status/55645234306097153 ) 、私に対して根拠も提示せずに誹謗中傷を加えていることを理由に、当初は韓の実名を掲載していたが、韓本人からメールがあった。その中で、私が問題にした当該発言は「たしかに中傷してい」ることになるから「謝って削除」すること、また、「上司にあたる人間には、その後考えなおしアカウントを訊かれたこと自体を抗議して、ブロックしたあと、外に漏らさない約束」にした、と書かれていたので、実名およびその関連箇所は表現を改めた。それ以外の文章上の変更はない。(12月8日記) ![]() 圧倒的に面白かったのだが、紹介したいところが多すぎるので、とりあえず読んでください、と言うほかない。著者のブリクモンとその政治的立場については、後述のブログ「博愛手帖」の記事を参照されたい。 訳者の功績は多としたいが、訳者あとがきの内容が酷い。訳者はここで、今年のリビアの事態を、民衆革命とのみ捉えて、ブリクモンが取り上げているユーゴやイラクその他の事例とは区別している。だが、2011年後半時点で、リビアの事態以上に「人道的帝国主義」の問題が焦点になっている件はないだろう。これは、人道的介入への賛同者も反対者も問わず、そうであろう。しかも、ブリクモンは、ブログ「博愛手帖」が紹介してくれているように、リビアへの侵略戦争と左派の追随・黙認を徹底的に批判している。 http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-entry-45.html http://hakuainotebook.blog38.fc2.com/blog-entry-55.html ブリクモンのリビアの事態に関する発言は、本来ならば訳者あとがきあたりで紹介されても良さそうなものだが、全く言及がない。私は、本文を読み終えた後にこのあとがきを読んで、茫然とせざるを得なかった。参考として薦められている本も、本多勝一や広井良典、最上敏樹といった人々であって、ピントがずれているように思った。そもそも、現在の日本で「人道的帝国主義」の問題を考えるに当たっては、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)およびそれをめぐる言説の問題が避けられないと思うのだが、それへの言及も全然なく、日本はアメリカへの従属という観点からのみ問題とされている。訳者がブリクモンの問題意識や問題設定を理解しているかは大いに疑問である。 また、意味の通らない訳文もいくつか散見された。ただし、ブリクモンの中心的な主張が分からないほどではない(と思う)。 というわけで、価格があまり安くないことからも(税込3360円)、新刊で買って出版社を買い支えるべきとまでは言いにくい本だが、広く読まれるべき本であることは疑いない。是非一読を勧めたい。 たまたま三井貴也という人のツイッターを見ていたら、以下のような発言があった(上から時系列順)。発言は、1~2日の間に行なわれている。
「「死ぬぞ」と脅す専門家と、子どもの甲状腺ガンさえ起きないだろうと予測する専門家がいる。互いに議論してすりあわせてもらわなければ、こうまで正反対な情報に接していると、リテラシーなんて発揮しようがない。」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/141575860678443010 「白血病死、吉田所長吐血、身体からウラン検出女性等々、真っ当と思われる人を選んでフォローしてても飛び交うデマデマデマ。真性デマゴギー、無自覚なデマメッセンジャーたちが水面下で増殖している予感。」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/142239060537249793 「青プリンかあ。面白い。」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/142239410119909376 「青プリン氏、確かにもはや読むに耐えない領域だ。」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/142240177392324609 「“「被曝発病」デマがネットで拡散 「原発周辺で釣った魚食べ死亡」 「福島にいたから急性白血病に」+(1/3ページ) - MSN産経ニュース” http://htn.to/zySXoC」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/142776444999843843 真ん中の3つは、連続的に書きこまれているものである。ここでの「「死ぬぞ」と脅す専門家」および「青プリン」は、一般読者の普通の見方によれば、地質学者の早川由紀夫氏を指していると解される。 http://twitter.com/HayakawaYukio 「死ぬぞ」というのは早川の著名な決まり文句であり、また、「青プリン」は、早川のツイッターのアイコンに由来するネット上での早川へのあだ名(蔑称?)である。 普通に考えて、早川氏は恐らく三井氏のツイッターを読んでいないだろう。また、早川氏のツイッターの読者であれば周知のことであろうが、早川氏は自分へのツイッター上での批判に対しては比較的まめに応答している。恐らく自分の名前で検索しているのだと思われる。三井氏は、早川氏のツイッターを「読むに耐えない領域」などとまで批判しているのであるから、早川氏の実名を出して批判すべきであろう。これでは、早川氏からの反論を回避するために名前を出していないのではないか、という疑いすら読者に抱かせる。 しかも、三井氏のツイッターを過去に遡ったところ、三井氏は、少し前には早川氏の主張について、(単純化した上でであるが)以下のように賛同している。三井氏のツイッターの継続的な読者からすれば、そのような三井氏から現在の早川氏がデマゴーグだと認定されれば、より容易にそうした評価が受け入れられてしまうだろう。 「生活のすべてと人生の思い出が詰まっているだろうからとても言えなかったが、福島の米を「毒米」といい、福島ナンバーの車を排撃する早川由起夫氏の発言は正しいのではないか。閉じこめておかなければ全土が被曝する。福島を廃県にし、避難した人々の生活を皆で支える以外に実は手がないのではないか。」 http://twitter.com/#!/takammmmm/status/128876884837670914 三井氏は、「「死ぬぞ」と脅す専門家」などと書いているが、早川氏は、「私は放射能の専門家ではありません。火山の地質学者です。」と断っている。そして、その立場から発言していることは、早川氏のツイッターの読者には周知のことである。放射能の専門家が「互いに議論してすりあわ」せるならば話は分かるが、分野の異なる「専門家」が議論を「すりあわ」しようがない。 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/75852255173156864 また、「白血病死、吉田所長吐血、身体からウラン検出女性等々、真っ当と思われる人を選んでフォローしてても飛び交うデマデマデマ。真性デマゴギー、無自覚なデマメッセンジャーたちが水面下で増殖している予感。」との発言は、早川氏がこのところ扱っていた件と関連していると思われる。三井氏は、産経新聞の記事を好意的に紹介しているが、産経はここで、「原発周辺で野宿し、釣った魚を食べていた男性が急性白血病で死去」なる情報を「デマ」だと断定している。 だが、これに関しては、早川の産経の記事への反論を引用すると、現時点でのネット上での情報からすれば、 「より正確に言うと、「福島県内で釣った魚を食べた」の記述はない。しかし、野宿して釣った魚を食べることを好む若者であったと記事は書く。そして、5月と7月に福島県檜原湖に(仲間と)釣りに行った事実がある。3月11日以降、(ひとりで)福島に行って釣った魚を食ったことは十分考えられる。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/142743222035296256 「この蓋然性を否定したいとほっするひとは、3月11日以降の彼の行動履歴を調べて、行ってない食ってないことを証明する立証責任を負う。現時点では、「放射能汚染された魚を釣って食った疑いがある」と表現するのが妥当だ。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/142743222035296256 「もしかしたら、親族や友人が病床の本人に尋ねたかもしれない。もしそういうことがあったなら、それは証言になる。しかしそういう証言はひとつも出てない。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/142744370091786240 と主張するのは妥当である。今後仮に本人の証言等が出てきたとしても、現時点での推測としては上の主張は当然である。三井氏は、早川氏がこの件に関して「デマ」を流したと主張する(と、読者は解するだろう)のならば、早川氏のどの発言がデマに相当するのか、具体的に指摘すべきである。 また、早川氏のツイッターのどこが「もはや読むに耐えない領域」なのかも具体的に指摘すべきであろう。 三井氏は、「反原発」または「脱原発」の人であるらしい。私が憂慮するのは、早川氏を「トンデモ」の類にしようとすることによって、早川氏が提起している諸問題――「反原発」または「脱原発」派が公的にはほぼ黙殺している、福島の農産物の市場への流通問題等が、黙殺される状態が続きかねないことである。もちろん根拠が妥当であれば三井氏の批判も当然であるが、もし妥当性がなければ、極めて危険な言説であると思う。 早川氏は、一貫して追及している、福島の農産物の市場への流通問題等を恐らく念頭に置いて、以下のように主張している。 「原発の再稼働を阻止とかそういう問題より優先する火急の課題がいま目の前にある。それを見ずに、あるいは見ようとせず、その問題を放置して、反原発・脱原発を声高に叫んでもただむなしいだけだ。わたしはそう感じる。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/115732662483820545 「脱原発・反原発と、この放射能汚染対策はまったく別個の問題だ。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/117087923744145408 「反原発・脱原発・原発推進。そんなこと言ってるやつは能天気。明治公園に集まってデモしたやつらは、つくづく暇人。これが私の一貫した立場だ。3月から一切変わってない。そんなことにかかわってる時間は1秒もない。」 http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/142923695495708672 早川氏の、福島の農産物の市場流通(および生産)等に関する疑問は、ごく当たり前に多くの人間が抱くものであろうし、また、上のような「反原発」または「脱原発」派への批判も、ごく自然なものである。管見の範囲では、「反原発」または「脱原発」派から、早川の上のような当然の疑問に対して、まともに応じているものを見たことがない。むしろこの種の疑問は、私的な知人同士の会話ではさんざん語られながらも、公的にはタブーになっているようにすら映る。<佐藤優現象>下のリベラル・左派と同じで、誰でも思う疑問をタブー視する運動に可能性などあるはずもないだろう。 早川氏は確かにしばしば過激な表現を用いるが、早川氏は上のような問題を実名で提起している、数少ない(唯一の?)人物であり、むしろそうした状況が早川氏をして注意を喚起するためにそのような表現を用いさせている、と見ることもできよう。表現(や態度)の善し悪しだけで問題提起まで無視してよいということにしてしまうのは、マジョリティがマイノリティに対してよくやることである。 前述のように、証拠を挙げることなく早川氏をデマゴーグ呼ばわりすることも問題であるが、それによって早川の提起している件が公的に黙殺されている状況が、これからも続いてしまうことを憂うる。 ブログを10日間ほど閉鎖していたが、これは緊急の個人的事情によるもので、会社等からの要求・脅し等があったとかブログを継続する気がなくなったとか、そういった理由では全くない。共同声明への署名者にお詫びするともに、多くの方々にご心配をおかけしたことも申し訳なく思う。このたび全面復旧させた。以前の記事に関しても、特に修正を加えてはいない。
# by kollwitz2000 | 2011-11-28 00:00
ツイッターをいくつか見ていたら、「池田信夫的なものに名前をつけるとしたら?」などという問いに罵倒表現を使って答える、という遊びを何人かでやって盛り上がっていた。幼稚かつ醜悪なことをするなあ、と思ったら、この遊びを始めたのが、在日朝鮮人の学者だったので呆れ返った。この遊びには他の在日朝鮮人も参加している。
池田は無茶苦茶な主張を展開していることも多いが、その左派批判はしばしば正しい。池田は、マスコミやリベラル・左派があえて「空気」を読んで沈黙しているか、何らかの「空気」を作ろうとしている点を、身も蓋もないやり方でぽーんと衝くことがある(<佐藤優現象>の件や、岩波書店による私への弾圧の件も取り上げていた)。だからこそ、私のように池田の主張の大半には同意しない人間も、たまに池田のブログやツイッターを見るのであり、恐らくウェブ上の池田の読者はある程度はそうである。池田の方が、大多数のリベラル・左派系の書き手よりも、面白さや快・不快さの感覚からすれば、一般人の感覚に近いものを持っている。 池田はリベラル・左派系の研究者やネット住民から標的にされている。この種の人々は、異論のある言論に対して言論で異議を唱えることと、街頭デモのような形態で圧力を加える(暗黙のうちに、嫌気がさしてネット上から撤退することを望んでいる)ことを意識的にか無意識的にか混同しているのであって、昔よくあった、個人ブログのコメント欄に否定的なコメントを集団で書いて閉鎖に追い込む(古い言い方だが)ネットイナゴと変わらない。リベラル・左派系が(特に「ゼロ年代」の)同調圧力の結果、自浄作用というものを完全に消失してしまったがゆえに、リベラル・左派系の奇妙な現象というものは、名の知れた書き手からは池田や小谷野敦のような、左派でもなんでもない人間からしか指摘されないものになっている。<佐藤優現象>も同様であるが、リベラル・左派界隈での、中島岳志のような輩の横行や、「一般読者からは既に見放されていた」(小谷野敦)柄谷行人がより陳腐化して論壇で「復活」して醜悪な発言を垂れ流しているような状況にも、左派界隈は公的には誰も何も言わない。多少本を読んでいれば中学生くらいでもそのおかしさを指摘できるであろうのに。仮に池田やその種の人々が、(ないとは思うが)こうした同調圧力そのものに屈してネットから撤退すれば、(ネット)言論はますますつまらないものになるだろう。 「池田信夫的なものに名前をつけるとしたら?」などといった遊びをやっているのが日本人左派ならば、「民主党政権全面支持の過去やら<佐藤優現象>やらその他もろもろの都合の悪いことを忘れるために、またこいつらは(「原発推進派」の池田を叩いて)「反原発」でごまかそうとしているのか」くらいの感想しかなかったと思うが、これを主導・展開しているのが在日朝鮮人(たち)ということに驚いた。これはむしろ感覚的なものだが、この人たちは、日本の左派の馬鹿馬鹿しい同調圧力的なものに醜悪さと嫌悪感を感じていないらしいのである。普通にマイノリティとして日本社会で生きていれば、こういうものに気持ち悪さを感じると思うのだが。逆に彼らは、自分らが日本人左翼の一員であるかのように振舞っている。 ミルトン・フリードマンが『資本主義と自由』で、ユダヤ人等のマイノリティが社会主義・左翼団体の政治活動に熱心に参加する傾向があることを皮肉っていた。そうした左翼団体が権力を握れば、真っ先に抑圧されるのは当のマイノリティだからである。これは真理である。欧米ですら左派というのはそのような存在であり、まして日本の場合は、その傾向に、日本的な強固な同調圧力が加わって、左派というものはどうしようもないものになってしまっている。 冒頭で挙げたような類の池田バッシングは、そもそも池田個人に対して失礼であるし、かなり多くの人間には醜悪としか映らないと思う。池田がある程度の権力を持っている人間であれば分かるが、明らかにそのようには見えない。昔、芸達者な左派批判をたまにやる「HALTANの日記」というブログに、「はてなサヨク」と称されるネット上の左派系の人々が、ささいな発言に便乗して集団で(明らかにブログを閉鎖に追い込むことを目的として)罵倒・中傷を繰り返していたことがあった。それがまた児戯に類するレベルにまで達していたのである。私は後でこのことを知って、それまではたまに見ていたこれらの人々の文章を読む気が起こらなくなった。内輪同士では盛り上がっているけれども物言わぬ大多数には醜悪にしか映っていない、というのは往々にしてある現象であろうが、ネットというのはそのような現象を容易に作りやすく、ましてやツイッターはその最たるものであろう。日本の(リベラル・左派の)現状では、池田のような言論が普通に存在する言論空間よりも、左派系一色の言論空間のほうがはるかに人々に対して抑圧的である。 この記事は、最初は実名を挙げていたが、あまり恥を書かせるのもどうかと思ったので今回はやめた。当該の人々(およびその周辺の人々)は、私のブログをそれなりに見ているらしいので、反省したら当該ツイッターを削除すべきである。
岩波書店の公式ツイッターを見て驚いた。
http://twitter.com/#!/Iwanamishoten/status/115258775400755200 「1931年9月18日,柳条湖の鉄道爆破をきっかけに勃発した満州事変.国際連盟脱退,2.26事件などへ連なり,日本は中国との長期持久戦体制へと突入していきます.満蒙開拓団など中国に渡った人々が味わった数々の辛苦も忘れてはなりません.」 侵略の片棒を担いだ満蒙開拓団(その他の大多数の「中国に渡った人々」もそうである)の「辛苦」を「忘れてはなりません」とする一方、侵略を受けた中国の民衆の被った惨害には一片の言及もない。驚愕である。また、「勃発」や「長期持久戦体制へと突入」など、まるで他人事のような言葉遣いをしている。侵略戦争・加害責任といった認識がもう根本的になくなっているのだろう。もちろんあれが侵略戦争かと聞かれれば「侵略戦争」と答えるだろうが(これも怪しいかもしれない)、上のような記述を当然の前提とする人間が用いる「侵略戦争」という言葉は、当事者性を欠如した、恐ろしく軽いものにしかなりようがない。前に「「国民」の否定形としての「市民」」で書いた事態そのものである。 また、そもそも「満州事変」という用語自体、侵略者の用語を無批判に用いているという観点から戦後歴史学でも見直しの動きがあったはずであるが、もちろんそんな認識は欠片もない。 それでいて、「忘れてはなりません」などと啓蒙・指導意識だけは健在な点には感嘆させられる。 岩波書店は15年戦争関連本を多く出しているが、会社としての歴史認識はこの記述のようなもの、ということになる。これは皮肉を言っているのではなく、このように「他人事」のように語る人々しか会社では見たことがないので、これは岩波書店をなかなかよく代表しえている記述であると思うのである。 こうした問題をめぐる話題の際に私が昔から感じていたのは、彼ら・彼女らの、恥らうのでもなく、強い怒りを表明するのでもなく、もちろん歴史修正主義者のように強く否認するのでもなく、ただひたすら「客観的に」語ろうとする姿勢である。あれはなんだったのだろう、としばしば思い出すのであるが、この記述は、私が奇妙に感じていたあの雰囲気をよく伝えてくれている。 加害問題についてはひたすら「客観的に」、第三者的に語ることに努めながら、日本人の被害体験については情緒的な訴えも多用しながら強調するというのは、実は戦後日本の大多数の平和運動のあり方そのものである。これが、90年代に周辺諸国からの加害責任の突き上げをやり過ごしていく、または同化・吸収していく過程で、より洗練された形態に変容していった結果が、この記述に見られるような現在のリベラル・左派の「歴史認識」だと見ることができる。もともとこのようなあり方自体が防衛機制でしかないのであるから、佐藤優のような極右的な言辞を専らにする人間の起用に反発を持たないのも当然と言えば当然である。
対佐藤優・週刊新潮の訴訟だが、最高裁に上告した。一審、二審ともこちらの訴えをまともに検討した形跡が何ら見られない判決だったが、今度こそ公正な判決が下されることを祈る。
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