私にも話させて


gskim2000@gmail.com   金光翔と申します。韓国国籍の在日朝鮮人三世です。個人のブログであり、勤務先の見解を示すものではありません。
by kollwitz2000

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在日朝鮮人言説の変容について(16)

20(承前)


単<いろいろな思いを胸にわたしは(注・韓国から)日本に帰った。そしてわたしは二つの新しいことを決心した。一つは、今まであまり関心のなかった大学内の韓国文化研究会(韓文研)の門を叩くこと。そしてもう一つは、日本名「永野鉄男」を捨てて、「姜尚中」で生きることだった。/何かが、韓国に行ったことでふっ切れたように思えた。自分の中で変化が生まれたのがわかる。韓文研は、在日韓国人二世の大学生を中心とするサークルだった。(後略)>(単行本版、78頁)

文<「さようなら、ソウル。またいつか来るよ」。そして心の中で「永野鉄雄」を捨て「姜尚中」で生きようと、自らに語りかけていた。/「変わろう。変わらなければ。そのために名前を変えてみるんだ。変えてどうする。自分は自分じゃないか。いや、変わろう。変わってみるんだ」/煩悶を繰り返しながら、わたしはやがて「姜尚中」に引きつけられていった。/日本に帰ると、東京にはソウルのような荒々しい混沌と猥雑さはどこにも見あたらなかった。TOKYOと呼ぶのがふさわしいほど、東京は洗練され、世界のメトロポリタンに変貌しつつあった。/ソウルから帰ってみると、そうしたTOKYOがわたしの身体に馴染まないほどよそよそしく感じられてならなかった。わたしは何かやるせない憤懣を抱えたまま、心当たりのあった韓国文化研究会(韓文研)という在日韓国人の学生団体を訪ねてみることにしたのである。/韓文研は、在日韓国人二世の大学生を中心とするサークルだった。(後略)>(文庫版、88~89頁)

この一節は、姜が大学時代に韓国を訪れた後、日本の大学生活に戻り、本名を名乗ること、在日韓国人学生サークルに入ることを決意した件に関する記述である。

単行本版では、韓国に行ったことによって「ふっ切れ」て、「自分の中で変化が生まれたのがわか」ったと明確に記されているが、文庫本にはそのような記述の代わりに、東京(TOKYO)への憤懣が記されている。

韓文研を訪ねたのは、単行本版の記述からは、韓国へ行ったことによって「自分の中で変化が生まれた」から、ということになるが、文庫本の記述からは、ソウルとまるで違う東京(TOKYO)が「わたしの身体に馴染まないほどよそよそしく感じられてなら」ず、「何かやるせない憤懣」を抱えるようになったことが、あたかも韓文研を訪れた理由の一つであるかのごとく記されている。

この変化は、以前このブログで引用したことのある、ちょうどこの単行本版刊行と文庫本版刊行の間の時期の、以下の変化を想起させる。「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 5」から引用しておく。


<そのことは、以下の石原慎太郎都知事の姜への「怪しげな外国人」発言(2006年8月30日)に関する、姜の記述の変化が、示唆している。

姜は、2006年9月から2007年4月までと推定される期間(注7参照)では、以下のように述べている。

「(注・石原発言で)はたと思ったことは、そうだったんだ、自分は外国人とみなされているんだ、ということです。意外でした。ショックでした。理屈とか深遠な思想などなくても、簡単な言葉でひっくり返すことができるんだなっていうことを知ったわけです。彼がそこまで戦略的に考えたとは思わないのですが、たった一言「外国人」という言葉で、門戸が閉じられたという気がしたんです。問題はいとも簡単な言葉だったということです。オリジンにかかわる言葉が、簡単で素朴で、だからこそ、釈然としないんだけれど、意外と、影響力を持ってしまうのかなと思った。」(『それぞれの韓国そして朝鮮』、173頁(磯崎新との対談より))

残念なことは、石原発言で、僕の周りでひいちゃった人たちもいるということです。僕を見る目は変わらないとは思うんだけれども、それまでは姜という人は自分たちと一緒にやってきた人だと思っていたけれど、やはり朝鮮人、韓国人なんだということになってしまい在日がとれてしまう。すると、何かこれまでより遠い存在になってしまうんでしょう。」(同書、151頁(リービ英雄との対談より))

ところがこの認識が、2007年8月には、以下のように変わっている。

「石原都知事とオリンピックの国内候補地選考でやりあったときに、なぜか体が震えたんです。それは「三国人発言」的なことを言われたからではなく、たとえば、「熊本魂」とか、そういうものに触れることなんです。「在日だから(僕が)そういうふうに言われるし、それに反発するんだ」と見る人が多かったけど、それは違う在日云々より、石原氏は何か、「熊本の郷里」、そういうパトリ的なものの対極にいるんです。だから「東京が何だ!」っていうような、すごい反発感。何かこう、震える感じがした。で、しゃべっているときに、なんとなく涙腺が緩んでしまって……。それは何なんだろう、と。結局、東京に収斂してしまう国家、そういうものに対する、すごい反発心があったんです。/もちろん、熊本とか九州を、その前から意識はしていた。でもあの選考の場で、改めて強くそれを感じましたね。」(『日本――根拠地からの問い』、41頁、対談時期は2007年8月12~13日)>

この「東京が何だ!」と、文庫本版における、東京(TOKYO)への憤懣に関する記述は、同じ機能を果たしている。つまり、韓国・朝鮮との結びつきから生じた(と一度は表明された)情動に関して、そのような結びつきの強さを否定する、または弱める機能である。文庫本版においても、「東京は何だ!」と同質の意志が働いていると見ることができる。

韓国へ行ったがゆえの自己変革、という認識を姜が文庫本で弱めたがっている(消したがっている)ことは、単行本版にある以下の一節が、文庫本では丸ごと消えていることからも確認することができる。ちなみに、文庫本版では、単行本版での韓文研時代の活動に関する記述が大幅に簡略化されている。

「(注・韓文研での活動を中心とした)そうした生活は、わたしにとっては新しい自分の発見を意味していた。そのきっかけとなったのは、やはり韓国に行ったことである。韓国に行ってすべてはそこからはじまった気がする。そして名前が姜尚中になったことで、さらに活動的になれたように思う。あの時代、わたしはつねにハイテンションだった。今まで味わってきた絶望的な感情を、仲間とみんなで乗り越えようとする思いが、わたしをかりたてていたのかもしれない。」(単行本版、88頁)

(つづく)

# by kollwitz2000 | 2014-04-03 00:00 | 在日朝鮮人

在日朝鮮人言説の変容について(15)

20(承前)


単<そうした問題(注・90年代以降の歴史認識問題)と向き合うことは、わたしにとって自分の歴史をどうとらえるかということにつながっていた。なぜわたしは「在日」として生まれてきたのか、一世たちは、どうしてこの日本にいるのか、彼らの一生はなんであったのか。それらについて思案するうちにわたしは、社会的な発言をしていかなければならないと自覚するようになったのである。/もっともそうした発言や活動は、代理行為に近い。発言をできない、また、発言したくても言葉を知らない一世であれば、彼らはどう考えるだろうと、いつも考えた。彼らの肉声を言葉にすることは至難の業である。言語化したとたん、肉声の魂は生命を失うような気がしないわけではない。それでも、歴史の忘却と言っていいような記憶の抹消が進んでいる社会に向けて絶えず発信し続けることが、一世たちとわたしとの絆を絶えず想起する意識的な行為のように思えたのである。/歴史論争の場で対立し、激しく論争しあうこともある。その原点には、一、二章で述べたような、幼少期からの一世との体験がある。それなしには、わたしがこのようにものを考え、発言すべきだというようには考えなかったと思う。/だから、歴史をめぐる問題にぶつかると、自分の原点である在日一世との記憶に引き戻されていくのである。それがわたしの十年の歩みであった。社会に共鳴板をみつけ出すことができたときはうれしかった。と同時に、わたし自身が無性にわたしの「在日」の記憶の糸をたぐっていきたいと思うようになったのである。>(181~182頁)

文<そうした問題と向き合うことは、わたしにとって自分の歴史をどうとらえるかということにつながっていた。/なぜわたしは「在日」として生まれてきたのか、一世たちは、どうしてこの日本にいるのか、彼らの一生はなんであったのか。学生の頃からの年来の「宿題」が、装いを新たに再び浮上してくるような感じだった。そう感じる度にわたしは「在日」一世たちとの記憶に引き戻されていく思いがしていた。>(197頁)


既に④で、単行本版では、姜自身が在日朝鮮人一世の歴史的経験・記憶を引き継ぎ、そのような立場から、日本社会に向けて発言を行なっていきたいとの趣旨の発言を行なっていることを取り上げた。ここで挙げた単行本版の抜粋では、その姿勢が非常に明確に打ち出されている。

ところが、これも④で指摘した傾向であるが、文庫版では、そのような姿勢が消えている。「在日一世との記憶」は、日本社会に向けた発言の根拠としてではなく、私的な次元でのみ扱われるものとなっている。

また、④⑤で、文庫版においては、姜は在日朝鮮人一世と自身との連続性を切り離そうとしていることを指摘したが、ここではその傾向がより明らかである。単行本版での「一世たちとわたしとの絆」を強調するさまざまな発言が消えている。



単<「おじさん」に会いたい。もう一度。あの悲しみの意味を受け止められなかったわたしは、岩本正雄は知っていても、李相寿は知らなかったのである。わたしは本当の「おじさん」に出会っていなかったのではないか、そんな思いに駆り立てられることがある。李相寿に出会いたい、もう一度。彼に出会うために、わたしは過去に向かって「前進」するしかないのでは・・・・・・。その思いは年齢とともに強くなっていくような気がする。社会的な発言者としてのわたしの行動を衝き動かしているのは、その思いの強さなのかもしれない。/「おじさん」が亡くなったとき、彼の周りにはほとんど何もなかった。>(59頁)

文<「おじさん」に会いたい。もう一度。あの悲しみの意味を受け止められなかったわたしは、岩本正雄は知っていても、李相寿は知らなかったのである。わたしは本当の「おじさん」に出会っていなかったのではないか、そんな思いに駆り立てられることがある。李相寿に出会いたい、その思いは年齢とともに強くなっていくような気がする。/「おじさん」が亡くなったとき、彼の周りにはほとんど何もなかった。>(67頁)


この箇所は、姜が幼少期からかわいがってもらっていた在日朝鮮人一世、「赤の他人だが、わたしにとっては「第二の父」とも言うべき「おじさん」」(単行本版51頁、文庫版59頁)の死に関連した記述である。姜は、「おじさん」(日本名は「岩本正雄」)の本名(「李相寿」)を、「おじさん」の死まで知らなかった、という。だから上のような記述になるのであるが、ここでも姜は文庫版において、在日朝鮮人一世の記憶の引き継ぎとその「代理行為」としての社会的発言、という姿勢を意味する記述を消している。

(つづく)


# by kollwitz2000 | 2014-03-26 00:00 | 在日朝鮮人

在日朝鮮人言説の変容について(14)

20(承前)


単<新幹線のトンネルの壁が剥落するような、そういう事態が社会のいろいろな分野でめずらしくもない現象となりはじめたのだ。もちろん、金融不安もあるし、大企業の倒産や失業の問題もある。/こうして社会の光景がこの十年あまり、かなり変わってしまったような印象を受ける。それはひと言で言うと、戦後日本の安定した豊かさを支えていると思われてきた社会の仕組みや人々の生活意識の変容である。企業や組合、地域や各種団体などを中核とする共同体意識がくずれ、同時に社会的なセーフティーネットが、いろいろなところでほころびはじめるようになったのである。/それは、誤解を招きやすいが、日本国民の「在日化」と言えるような現象である。/「在日」は、長い間、日本人ならば形式上は平等にその恩恵に浴することができた社会的なセーフティーネットの張られていない状況の下で生きてきた。わたしの父母や「おじさん」などの一世はそうした危険の多い状況を否応なしに受け入れざるをえなかったのである。それは、つねに「明日をも知れない我が身」の境遇だった。それと似通った境遇が大方の日本人によりかかろうとしているのである。/前に述べた七〇年代初期の疾風怒濤の時代、「在日」は日本から取り残された「落伍者」のような存在だった。/八〇年代のバブル経済の一時期、「在日」は、その富の均霑にあずかり、バブリーなにわか成金が輩出した。しかし多くの「在日」は社会的なセーフティーネットをさほどあてにはできなかった。/この十年あまりの間に、一般の国民が、こうした在日的な状況に向かいつつあるのではないか。その趨勢を極論すれば、日本国民の「在日化」と言えるかもしれない。「在日」が、セーフティーネットなき時代を生きながら、やがて日本社会の中に埋め込まれ、「市民」や「住民」として生きていけるような可能性がみえてきたとき、逆に日本の平均的な国民が、あたかも「在日」的な境遇に近づきつつあるのだ。/うがって言えば、そうだからこそ、「在日」と「日本人」の境界を新たに目にみえる形で作り直す力が働くようになったのかもしれない。それは、多分にナショナリズムの気分を代表しており、「北朝鮮問題」に触発された「在日」バッシングの動きもそれと関連していると思える。/そして九〇年代の十年、八〇年代とはかなり様相が異なり、国家というものがもろに人々の拠り所として急浮上してくるようになった。明らかに国家というタブーが解かれ、それへの求心力が高まるようになったのである。>(178~180頁)

文<新幹線のトンネルの壁が剥落するような、そういう事態が社会のいろいろな分野でめずらしくもない現象となりはじめたのだ。もちろん、金融不安もあるし、大企業の倒産や失業、格差や地域の疲弊など、数々の問題が社会に重苦しい空気をもたらしている。そして何よりも北朝鮮をめぐる問題が社会の気象を大きく変えることになった。/こうして戦後日本の安定した豊かさを支えていると思われてきた社会の仕組みや人々の生活意識が変容し、企業や組合、地域や各種団体などを中核とする共同体意識がくずれ、社会的なセーフティーネットが、いろいろなところでほころび出したのである。それは、日本国民のなかに「在日」と同じような境遇を強いられる人々が増えていくことを意味していた。/「在日」は、長い間、日本人ならば形式上は平等にその恩恵に浴することができた社会的なセーフティーネットのない状況の下で生きてきた。父や母、おじさんなどの一世はそうした剥き出しのリスクを強いられながら、明日をも知れない今を生きざるをえなかったのである。「明日をも知れない我が身」。それが彼らの境遇だった。/「テツオ、カネは天下の回りもんたい。今日生きられればそれでよかとよ。いろいろ心配ばしてもはじまらんけんね」/母の言い草には、日本国民の「欄外」に置かれ続けてきた一世たちの諦念と、同時にしたたかな生命力が溢れていた。/だが、学校の時間を生き、学歴を身に着け、人並に中流の生活がかなえられるようになった「在日」の二世のわたしには、一世たちの激しいばかりの生命力はなくなっていた。しかも、理屈を知ることができるようになったおかげで、将来を「計算」できるようになり、その分、「欄外」に置かれ続けることに堪えられなくなりつつあった。しかし、どこかでそっと諦念を忍ばせておかなければ、もっと失望してしまう。わたしはどこかで先回りした諦念の「作法」を身につけてしまっていたのかもしれない。/だが皮肉にもわたしは大学に「定職」を得、人並の中流の生活を構える「ゆとり」を持てるようになった。他方で周りを見渡すと、「落伍者」のような扱いを受けた「在日」の境遇が、大方の日本人にふりかかろうとしているのである。それは、大げさに言えば、日本国民の「在日化」と言えるかもしれない。/「在日」が、セーフティーネットなき時代を生きながら、やがて社会の中に埋め込まれ、中流のフツーの「住民」として生きていけるようになった時、逆に日本の平均的な国民が、あたかも「在日」的な境遇に近づきつつあるとは・・・・・・。そのすれ違い、ねじれは、新たな問題を作り出しつつあるように思えてならない。/なぜなら、そうだからこそ、「在日」と「日本人」の境界を新たに目にみえる形で作り直す力が働くようになったからだ。それは、多分にナショナリズムの気分を代表しており、「北朝鮮問題」に触発された「在日」バッシングの動きもそれと関連していると思える。/そして湾岸戦争以後、それ以前の時代とは異なり、国家というものがもろに人々の拠り所として急浮上してくるようになった。明らかに国家というタブーが解かれ、それへの求心力が高まるようになったのである。>(194~197頁)


この箇所は、以前、記事「プチ・李忠成ブームと姜尚中」でも取り上げた。そこでの叙述と一部重複するが、改めて見ておく。

まず指摘しておきたいのは、単行本版では一応遠慮がちに言及されていた「日本国民の「在日化」」なる表現について、文庫版ではそのような遠慮が大幅に薄れている点である。これは後述するが、姜が、在日朝鮮人の特殊性、という認識を弱めたがっていることを意味している。

また、文庫版においては、「そして何よりも北朝鮮をめぐる問題が社会の気象を大きく変えることになった。」なる一文が付加されている。これは、姜が、文庫刊行時の2008年においては、単行本刊行時の2004年よりも、「北朝鮮をめぐる問題が社会の気象を大きく変えることになった」度合いが強まっていると感じていることを示している。

単行本版でも文庫版でも、「「北朝鮮問題」に触発された「在日」バッシングの動き」に言及しているから、上の事実は、姜が、2008年時点の方が、2004年時点よりも「「北朝鮮問題」に触発された「在日」バッシングの動き」はより強いと認識していることを示している。とすれば、日本社会で在日朝鮮人が置かれている状況に関する記述は、2008年刊行の文庫版の方がより厳しい認識になるはずであろう。

ところが、単行本版での「「在日」が、セーフティーネットなき時代を生きながら、やがて日本社会の中に埋め込まれ、「市民」や「住民」として生きていけるような可能性がみえてきたとき、逆に日本の平均的な国民が、あたかも「在日」的な境遇に近づきつつあるのだ。」という記述は、文庫版においては、以下のようになっている。

「「在日」が、セーフティーネットなき時代を生きながら、やがて社会の中に埋め込まれ、中流のフツーの「住民」として生きていけるようになった時、逆に日本の平均的な国民が、あたかも「在日」的な境遇に近づきつつあるとは・・・・・・。そのすれ違い、ねじれは、新たな問題を作り出しつつあるように思えてならない。」

単行本版では「「市民」や「住民」として生きていけるような可能性がみえてきたとき」と、可能性としてのみ記述されていたものが、文庫版では、「中流のフツーの「住民」として生きていけるようになった時」と既定の事実として記述されたものに変わっている。

これは文庫版で「そして何よりも北朝鮮をめぐる問題が社会の気象を大きく変えることになった。」なる一文が付け加わっている事実と矛盾しているように見える。確かに文言だけ見れば矛盾している。しかしこれは矛盾ではない。姜は、2008年の方が2004年に比べて、日本社会での在日朝鮮人をめぐる状況はより厳しくなったと認識しているからこそ、行為遂行的に、自分たち「在日」は日本社会が差別的だ、などと「反日」的なことはもはや考えてもいませんよ、「在日」は日本社会の「フツーの「住民」」として完全に適応していますよ、日本人化していますよ、とアピールしているのである。

また、文庫版では、「「在日」の二世のわたしには、一世たちの激しいばかりの生命力はなくなっていた」という記述が新たに加えられている。これは、④で指摘した、単行本版の「在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいている」という記述が文庫版では消えている事実と連動している。

また、単行本版と文庫版に共有されている、終わりの方の、「国家というものがもろに人々の拠り所として急浮上してくるようになった」との記述に関して、単行本版では「八〇年代とはかなり様相が異なり」とされていた箇所が、文庫版では「それ以前の時代とは異なり」となっている。これは、④で指摘した、単行本版「わたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していた」との記述から、文庫本版「わたしたちの前に現れた日本は、それまでわたしの知らない日本だった。まるで何か不気味なものが過去の世界からにょきにょきと手を伸ばしてわたしの足をつかんでしまいそうな錯覚に襲われるほどだった。」への記述の変更と同質の性格を持つものである。

単行本の記述ならば、1980年代より前の日本社会に関しては、「国家というものがもろに人々の拠り所」となっている状態であることは一応否定されていないのである。ところが文庫版においては、そのような状態は、戦後の日本社会では見られない、新しい現象であるとされている。ここでも、④で指摘した、文庫版刊行時の、姜の戦後日本社会の全面的肯定、という政治的姿勢が貫かれていることを確認できるのである。

(つづく)

# by kollwitz2000 | 2014-03-25 04:17 | 在日朝鮮人

在日朝鮮人言説の変容について(13)

20(承前)

以下、第5章「父の死と天皇の死と」の末尾に関して、単行本版・文庫版がどのようになっているかを見ることにする。なお、対応する箇所ごとに英字記号を付しているが、文章は中略なしで一続きになっている。

単<
(A)寡黙な生き様の裏に深い思いを募らせながら、それを表現する言葉を知らず、ただそれを抱きしめて別れを告げなければならない一世たちの悲しみ。それを思うとわたしは自分の胸が張り裂けそうだった。/なるほど、わたしは彼らを「代表」できるわけではない。しかし、彼らと出会うためには、一世たちの悲哀を解いてあげる必要があるのではないか。そう思うと、在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいていることがわかる。それをどうやったら表現できるのか。このことがわたしに託された課題のように思えてきたのである。/そのことを自覚するにつけ、昭和という時代の野辺送りに対してわたしは感慨を深くせざるをえなかった。/

(B)昭和天皇の病状がそっけない医学的なデータとしてメディアに垂れ流され、そして天皇の死とともに、日本全体が喪に服する巨大な哀悼の共同体に豹変したとき、それとほぼ同じく父も帰らぬ人となったのである。/このとき、再び壮大な歴史の忘却と捏造が国民的な行事として粛々と執り行われたような気がしてならなかった

(C)戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。世界はまるで「扶桑の天下」を言祝いでいるようではないか。日本に生まれてみんな幸せだ。その感謝の気持ちを大事に、昭和の野辺送りをしよう。そして新しい時代の到来を祝おう。あらましこんな歴史のストーリーがテレビや新聞を通じて何度となく反復されたのではないかと思う。/「鬼胎」となったわたしの叔父や在日一世たちはいったいどこに居場所をみつけられるのだろうか。そして「日本人」だけの哀悼の共同体から排除された「在日」は、いったいどこにいればいいのだろうか。沈黙し、まるでいないかのように振る舞わなければならないのか。いったい「在日」とはどんな存在なのだろう。「自粛」の総動員体制の息苦しさにへきえきしながら、わたしは自分が生まれ育った日本という社会をみつめ直す必要に迫られたのだ。/そして同時に戦後という時代について考え直してみなければならないと思うようになった。

(D)今でもわたしにはあのときの光景が忘れられない。新宿で在日一世と食事をすませて外に出ると、あたり一面のネオンがボーッと消えかかるように暗くなり、やがて周りのすべてが重く沈んでいく錯覚にとらわれた。/「姜さん、これがわたしたちの知っている日本なんだよ」。ぽつりとそう語る一世の眼差しは、まるで遠い時代の記憶を手繰り寄せているようだった。にわかにわたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していたのである。/

(E)戦後とはなんなんだろう。そして「在日」とは。その問いかけは今も続く。此処の者(インサイダー)であり、他処の者(アウトサイダー)でもある「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになったのである。/こうして、大学を「本拠地」とするわたしの社会的な言論活動がはじまることになる。昭和の終焉と平成のはじまりにみなぎっていた「扶桑の泰平」という楽観的な雰囲気が、不安感と虚脱感に変わっていくのにさはどの時間はかからなかった。世界はめまぐるしく変化し、そしてこれまでの常識では計り知ることのできない出来事が日本でも頻発するようになるのである。>(162~165頁)


文<
(a)寡黙な生き様の裏に深い思いを募らせながら、それを表現する言葉を知らず、ただそれを抱きしめて別れを告げなければならない一世たちの悲哀。それを思うとわたしは自分の胸が張り裂けそうだった。/いったい彼らの魂はどこに安らぎの場を見出すことになるのだろう。この愛すべき人々にとって昭和という日本の時代は何を意味していたのだろう。その時代が終わる時、彼らもまたその生涯を閉じた。異国の地で。だが、その異国の地に刻み込んだ彼らの歴史は、多くの人々に顧みられることもなく、ひっそりと埋もれてしまおうとしている。一世たちが異国の地で悲哀を抱きしめながら、彼らなりの「作法」で必死に生きたことをどこかに残さなければ・・・・・・。/わたしの中で彼らへの思いは募るばかりだった。/そのことを自覚するにつけ、昭和という時代の野辺送りに対してわたしは感慨を深くせざるをえなかった。/

(b)昭和天皇の病状がそっけない医学的なデータとしてメディアに垂れ流され、そして天皇の死とともに、日本全体が喪に服する巨大な哀悼の共同体に豹変したとき、愛すべき人々の記憶が片隅に追いやられていく気がしてならなかった。

(c)戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。世界はまるで「扶桑の天下」を言祝いでいる。日本に生まれてみんな幸せだ。その感謝の気持ちを大事に、昭和の野辺送りをしよう。そして新しい時代の到来を祝おう。あらましこんな歴史のストーリーがテレビや新聞を通じて何度となく反復されようとしていた。/「鬼胎」となったわたしの叔父や在日一世たちはいったいどこに居場所をみつけられるのだろうか。そして「日本人」だけの哀悼の共同体から排除された「在日」は、いったいどこにいればいいのだろうか。沈黙し、まるでいないかのように振る舞わなければならないのか。いったい「在日」とはどんな存在なのだろう。/「自粛」の総動員体制の息苦しさにへきえきしながら、わたしは自分が生まれ育った日本という社会をみつめ直す必要に迫られたのだ。/

(d)わたしにはあのときの光景が忘れられない。新宿で在日一世と食事をすませて外に出ると、あたり一面のネオンがボーっと消えかかるように暗くなり、やがて局りのすべてが重く沈んでいく錯覚にとらわれた。/「姜さん、これがわたしたちの知っている日本なんだよ」。ぽつりとそう語る一世の眼差しは、まるで遠い時代の記憶を手繰り寄せているようだった。にわかにわたしたちの前に現れた日本は、それまでわたしの知らない日本だった。まるで何か不気味なものが過去の世界からにょきにょきと手を伸ばしてわたしの足をつかんでしまいそうな錯覚に襲われるほどだった。不惑に手が届く歳になりながら、わたしはただ当惑し、慣れ親しんだ世界が遠くに去っていくような気がしてならなかった。/

(e)いったい自分はこれまで何を学んできたんだろう。肝心なものを学ばずに、いたずらに周辺的なものの周りをぐるぐると回っていただけではないのか。徒労感とともに虚脱感がこみ上げ、わたしは自らを恥じた。/もう一度、日本とは、日本人とは、そして「在日」とは何なのか、そのことを問い直してみよう。おじさんと父が逝き、昭和が終わるなか、わたしは何か大きな時代の終わりのはじまりを感じ取っていた。やがてそれは、それまでの常識では計りがたい出来事となって「扶桑の泰平」に酔いしれている日本を襲うことになるのである。>(176~179頁)


まず、単行本版(A)では、「在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいている」と、在日朝鮮人一世の「悲しみ」「悲哀」の記憶は、在日朝鮮人二世である自らの中にも受けつがれており、それを社会的に表現していくことが今後の「わたしに託された課題」であると考えるようになったことが記されている。単行本版(E)の「此処の者(インサイダー)であり、他処の者(アウトサイダー)でもある「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになったのである。/こうして、大学を「本拠地」とするわたしの社会的な言論活動がはじまることになる。」とのとの記述と合わせて考えれば、これは、姜自身が在日朝鮮人一世の歴史的経験・記憶を引き継ぎ、そのような立場から、日本社会に向けて発言を行なっていきたい、という趣旨であると解される。

ところが、文庫本版においては、(A)での「在日二世を生きるわたしの中に彼らの身体化されたような記憶が息づいている」との記述が、また、(E)での「「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。/そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになった」という記述が消えている。その結果、在日朝鮮人一世の「悲哀」「悲しみ」は、在日朝鮮人二世である姜による社会的発言とは切り離されたものとなっている。

また、文庫本版(b)においては、単行本版(B)にあった「このとき、再び壮大な歴史の忘却と捏造が国民的な行事として粛々と執り行われたような気がしてならなかった。」との一節が消えている。これは、単行本版(D)の「わたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していた」との記述が、文庫本版(d)では「わたしたちの前に現れた日本は、それまでわたしの知らない日本だった。まるで何か不気味なものが過去の世界からにょきにょきと手を伸ばしてわたしの足をつかんでしまいそうな錯覚に襲われるほどだった。」との記述に変わっていることと対応している。

以前、連載「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」の「4-5.「平和国家」としての戦後日本の積極的肯定」で指摘した通り、姜は、この単行本版(2004年3月刊)と文庫本版(2008年1月刊)の間の2005年夏頃~2006年夏頃の時期に、戦後日本を「平和国家」または成功した国家として描き、それを積極的に肯定する姿勢を打ち出す方向へと転向している。そのような立場からすれば、単行本版のように、戦後日本社会そのものがこれまで行なってきた、戦争責任・植民地支配責任の忘却と歴史の捏造を「再び」行なったという認識、帝国主義的な、右翼的な社会意識は戦後社会においても消滅しておらず、「隔世遺伝」のように復活した、という認識は都合が悪いのである。したがって、「再び」の「壮大な歴史の忘却と捏造」という記述は消され、戦前的なものの復活という認識は、「それまでわたしの知らない日本」との記述に示されているように、大幅に弱められることとなる。

単行本版(C)の「そして同時に戦後という時代について考え直してみなければならないと思うようになった。」との記述、および単行本版(E)の「戦後とはなんなんだろう。」との記述が、それぞれ文庫版では消されていることも同じ理由であると思われる。単行本版刊行時の姜からすれば、そのような戦後日本社会への疑問は都合が悪いのである。姜こそが、「戦前の昭和には暗い面があったが、戦後の昭和は、その天皇のもと、廃墟の中から立ち直り、空前の豊かさを実現してハッピーな「ジャパン」になった。」という主張を展開するようになっていたのである。

(つづく)

# by kollwitz2000 | 2014-03-24 00:00 | 在日朝鮮人

在日朝鮮人言説の変容について(12)

19.

この連載も大幅に間隔が空いてしまったが(前回記事はhttp://watashinim.exblog.jp/16203019/)、今回は、直近での「在日朝鮮人言説の変容」について述べる必要があるので、叙述を先回りすることにした。後日、前回との間の時期に関しても記述を行なう。

さて、私はこれまで、姜尚中を何度も批判してきたが、現在の在日朝鮮人の直面している状況に関しては、「ヘイトスピーチ反対」やら「朝鮮学校無償化」やらを唱えながらも<佐藤優現象>をはじめとしたリベラル・左派の朝鮮問題・人権問題に関する悪質な行為を黙認している朝鮮人に比べれば、はるかに姜と近い認識を持っていると考えている。他の朝鮮人が、日本人・日本社会から割り与えられた枠組みの下で「在特会反対」その他を唱えるという形で転向しているのに対して、姜は問題の所在を認識しつつ自覚的に転向しているように思われる。

私は以前書いた連載記事「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」で、2006年夏頃に姜が従来の立場を大幅に変えている(転向している)ことを指摘した。管見の範囲では、この転向後、姜は在日朝鮮人の今後の方向性についてまとまった形では論じていない。しかし、転向後の姜がこの問題をどのように考えているか、また、この転向自体が在日朝鮮人の今後に関する考察を契機としてなされたものではないか、と推察させてくれる資料を残してくれている。

それが、2008年1月に集英社文庫として刊行された『在日』である。これは、2004年3月に講談社から刊行された単行本『在日』を「文庫化にあたり、大幅に加筆したもの」(文庫版、255頁)である。だが、これは単なる「加筆」ではなく、姜が「在日」についてどのように日本社会に提示していくべきか、極めて周到に考えてた上で修正したことが窺われるものとなっている。以下、単行本版(単)と文庫版(文)を比較しつつ、見て行こう(以下、強調は引用者)。

20.


単<子供の頃の思い出をたどるとき、単に懐かしいという以上にメランコリックになってしまう。それは、大人になってからもずっと引きずってきた。どうして、メランコリックになってしまうのか。その答えはやはり、分断に象徴される「在日」の境遇なしには考えられない。/「在日」には複雑な感情がある。「在日」のある若い世代は、「世界中でいちばん好きな国、日本。世界中でいちばん嫌いなのが朝鮮半島。同時に、世界中でいちばん好きな国、朝鮮半島。世界中でいちばん嫌いな国、日本」その両方が自分の中にあるという。それは極端に矛盾した言い方であるが、わたしにもそれと似たような感情がある。つまり、日本というのはいちばん好きな国、愛すべき国であると同時にいちばん嫌いな国でもある。朝鮮半島もいちばん嫌いな国だけれど、ある意味で愛すべき国である。そういう状態がなぜこんなにも続くのか。/わたしのメランコリーの根源には、つねにこの分裂の感覚があるように思う。/・・・・・・「在日」と日本、「在日」と南北、南北と日本の間にある分裂の「和解」が少しでも成し遂げられるとき、そのときこそ、わたしはおじさんたちにやっと出会えるような気がしている。>(64~65頁)

文<子供の頃の思い出をたどるとき、単に懐かしいという以上にメランコリックになってしまい、それは、大人になってからもずっと引きずってきた。どうして、メランコリックになってしまうのか。その答えはやはり、分断に象徴される「在日」の境遇なしには考えられない。/わたしのメランコリーの根源には、つねにこの分裂の感覚があるように思う。その分裂がわたしの不安の根源をなしていた。不安を解消するのではなく、そこから逃れるために、わたしはどれほど滑稽で無様な「作為」を弄してきたことか。涙ぐましいとしか呼べない、しかし傍目には愚行としか見えない逃避の試みの数々。/しかし、不安はつきまとう。そこから逃れられないのだ。半ば諦めかけて、逃れようとするものに片目でもしっかりと向き合おうと思ったとき、わたしは徐々に、不安の根源にあるものに近づくことになった。おずおずとした、たどたどしい歩みだったが、わたしは父や母、おじさんたちの生まれた国、そして「郷土」に目を向けるようになり、そして彼らの生きた軌跡について考えるようになったのである。>(72~73頁)

文庫版では、単行本版にあった、日本への嫌悪感、日本との葛藤という感情の表出が避けられている。


単<一九六〇年からほぼ三十年が過ぎ、韓国は事実上民主化を達成した。権威主義や保守的な心性が残存しているとはいえ、もはや野蛮な独裁に復帰することは二度とないはずだ。その意味で今でもわたしは韓文研の一員であったことにひそかな矜持を持っている。たとえわたしの活動など微々たるものであったとしてもわたしの「在日」の核は、この時代の体験を抜きには語りえない。そして何よりもわたしにとって生涯の友との邂逅がかなえられたのだ。>(80頁)

文<一九六〇年からほぼ三十年が過ぎ、韓国は事実上民主化を達成した。権威主義や保守的な心性が残存しているとはいえ、もはや野蛮な独裁に復帰することは二度とないはずだ。その意味で今でもわたしは韓文研の一員であったことにひそかな矜持を持っている。わたしの活動などは、芥子粒のような微々たるものだった。それでも、わたしについて言えば、この時代の体験を抜きには語りえない。そして何よりもわたしにとって生涯の友との邂逅がかなえられたのだ。>(90頁)

文庫版では、民族運動団体である韓文研への関与の度合いの表現が弱められており、また、「「在日」の核」との関連で「体験」を語ることをやめ、あたかも普通のサークルの「体験」による自己の成長であるかのごとく語られている。


単<ところでじつは、わたしは吃音だった。話はさかのぼるが、中学生のある日、突然吃音になってしまったのだ。それが、大学に入っても残っていて、人前で話すのが苦手だった。今はもう治っているから、昔を知らない人は信じないのだが、当時は結構つらかった。/韓文研の活動で、声明を読み上げなくてはいけないときや、演説をぶつときなど、とても困った。しかし、どうしてもやらなくてはいけなかったから、仕方なく回数を重ねるうちに、徐々に慣れていったようだ。その後ドイツに行って帰ってきたときには、完全に吃音はなくなっていた。/わたしが「在日」であることと吃音であったことはたんなる偶然の一致ではないように思えて仕方がない。/・・・・・・言いたいのに言えないことで、わたしの内面に、どんどんもどかしさがたまっていくようだった。/そのことを今振り返ると、わたしが「在日」であったことと無縁とは思えない。吃音は、自分のいる社会からつねに、「在日」という理由で受け入れてもらえないのではないかという不安と、どこかで共振していたように思えるのだ。自分は社会を求めているのに、社会はわたしを拒絶している。そんな違和感がわたしを苦しめていた。/その不調が言語行為にあらわれ、吃音になったのではないか。>(92~94頁)

文<そしてわたしもまた、それまで宿痾のようにまとわり続けてきた吃音から解放されていくことになったのである。/思春期からはじまった吃音と、わたしが「在日」であることを過剰に意識し、この世界からはじき出されるのではないかと怯えていたこととの間にどんな関係があるのか、定かではない。ただ、愛すべき一世たちが疎まれているこの世界にもぐり込むために愛すべき人々との間にミゾを作らざるをえないジレンマが、わたしをずっと苦しめ続けてきたことは間違いない吃音は、そんな無理強いされたわだかまりの歪んだ表れだったのかもしれない。/だが、同じ在日の仲間たちと起居を共にし、時には夜を徹して痛飲し、語り合い、鬱積したものをはき出すうちに、わたしは吃音から知らぬ間に解放されていたのだ。不安を消し去ることはできないにしても、それを抱きしめて生きていくことができるようになったのである。>(97頁)

単行本版では、自らのかつての吃音の原因が、「在日」に対する日本社会の拒絶(されているという不安)から来たものであるとの推測が提示されているが、文庫版では「どんな関係があるのか、定かではない」と否定された上で、身近な人々との関係性の問題に原因が求められている。また、吃音が治った原因については、単行本版では韓文研での政治活動の過程で治っていったとされているのに対して、文庫版では、②と同じく、普通のサークル活動での「仲間たち」との語らいを通して治っていったとされている。韓文研での政治活動という記述が消されている。

(つづく)

# by kollwitz2000 | 2014-03-21 00:00 | 在日朝鮮人

「第二の韓日協定」(2)

「第二の韓日協定」(1)
http://watashinim.exblog.jp/20123862/

以下、強調は引用者による。

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西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編『「慰安婦」バッシングを越えて――「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年6月

西野瑠美子「被害者不在の「和解論」を批判する」

<「慰安婦問題は、河野談話によって均衡が取れている。談話を取り消すほど危険なことはない」という東郷和彦氏は、「慰安婦は既に大きな国際問題になっている」「このままでは、日本は女性を大切にする気持ちがない野蛮な国家とみられ、日米同盟にも亀裂が入りかねない」と述べる(注16)。前でもふれたが、謝罪について東郷氏は、「謝罪したとして、『許す』と言えるのは本人だけ。子孫はどんな謝罪をされても、足りないというしかない。全員が亡くなれば解決は不可能。永遠の問題になる前に、解決を急がなければならない」と指摘しているが、これは「和解を探ろう」という「和解先にありき」の考えではない。「和解先にありき」で和解の道を探ろうとすると、「喧嘩両成敗」的な議論が歓迎されるが、「慰安婦」制度は人間の尊厳に対する重大な侵害行為であり、拘束下で女性に性の相手を強いた性奴隷にほかならず、性奴隷の実態は強かんにほかならない。この責任を問うとき、「被害国だって悪いところがあった」ではすまないのだ。そのような歪められた「和解論」は、むしろ解決の脅威となる。

(注16)東郷和彦「二国間問題でない従軍慰安婦」『東京新聞』2012年9月11日付。>


金富子「「国民基金」の失敗――日本政府の法的責任と植民地主義」

<(注9)和田春樹「日韓関係危機のなかの慰安婦問題」『世界』2012年12月号

つまり、西野は後述の東郷の『世界』2012年12月号の論文を知った上で東郷を持ちあげている、ということ。
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吉見義明「日本軍「慰安婦」問題再考――橋下発言をどうみるか」『世界』2013年8月号

<最近、日本のメディアの中で、アメリカでのこのような認識があらためて紹介されているがそれに触れながら、世界で何が問われているかを考えてみよう。

元外交官の東郷和彦氏は、2007年にアメリカで開催された歴史問題シンポジウムで聞いたあるアメリカ人の意見をつぎのように紹介している。

「日本人の中で、「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとっ て、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心を持っていない。……慰安婦の話を問いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。

ましてや、慰安婦が「甘言をもって」つまり騙されてきたという事例があっただけで、完全にアウトである。「強制連行」と「甘言でだまされて」気がついた時には逃げられないのと、どこが違うのか。……もしもそういう制度を「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、女性の権利の「否定者」(denier)となり、同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国ということになる。」(『世界』2012年12月号

まったくその通りで、問題の本質のひとつはここにあると思う。そして、一言つけ加えれば、当時においても、日本・朝鮮・台湾から騙しや甘言により人を国外に移送することは、刑法上の重大な犯罪だったのだ。>

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東郷和彦「私たちはどのような日韓関係を残したいのか――「普遍的人権」問題としての慰安婦制度」『世界』2012年12月号


<ARF会合に出席するため韓国を訪れたヒラリー・クリントン国務長官から、驚くべき発言があったとの報道が現れた。

東海岸発でアジア情報について高い信憑性があると言われているウェブ・リポートに、(注・2012年)7月9日付で、ソウルに到着したクリントン長官が内輪の席で「(慰安婦問題)は『性奴隷』の話であり、自分が非常な関心をもっている女性の権利と国際的に承認された『人道に対する罪』の文脈で発言したと報ぜられた。(中略)

この問題について何度も議論をしてきた私のアメリカ人の友人たちは、一連の動きについて、「勘弁してくれよ」との絶望感を隠さない。(中略)

――「人道に対する罪」は、ナチスのユダヤ人虐殺をさばくニュルンベルク裁判で扱われた中心的な罪である。したがって日本人がギョッとするのかもしれないが、集団的な強制されたセックスが「人道に対する罪」であることは今や国際法の常識になっている。ヒラリーが「人道に対する罪」を持ち出すのはむしろ当然であり、なんら驚くに値しない。(中略)

どうしたら、日本は、この問題について、日本の名誉を保った形で収束できるのだろうか。

(1)韓国政府がこれまでとってきた政策について私は、アジア女性基金に基づく償いを受け入れようとした一部慰安婦を非国民扱いした点に強い批判をもっている。

けれども、遺憾ながら未解決のままに残ったこの問題において、いまだに「恨(ハン)」を残している方々がおられることは受け入れざるをえない。この「恨」を解くことができるのは、本人以外にはいない。いま行動しなければ、この問題は解決不能な問題として日韓間に残ることになる。

それが、私たちが子孫に残したい日韓関係なのか。

もとより、解決には筋道がいる。しかし、今なら、明確な道筋が一つある。

「アジア女性基金」の延長上に新しい制度をつくる。日本政府は道義的観点から謝罪と償いを行う。2007年の最高裁判決で日本の法廷では慰安婦問題を有罪にしないという判例がでている。日本政府は、今度は、政府の予算を使って償い金を払うことができるはずである。

韓国側は、日本の戦後の法的秩序自体を全壊させかねない「法的責任の追及」だけは遠慮していただく。

これをもって、日韓間の政治的和解の基礎はできる。

政治的和解の後も、日本はこの問題に関する謙虚さを維持し続けなければならない。韓国人自身が、韓国社会全体の問題としての慰安婦問題を見直す時が必ずくるにちがいない。

(2)国際的には、ユダヤ・ロビーとの連携を強める。ニュルンベルク裁判の対象として、「人道に対する罪」そのものを産み出したホロコーストと、性・戦争・貧困という複雑極まりない要素の中から徐々に表れてきた「女性の人権」の遡及的な適用としての慰安婦問題に、同一には扱えない側面があることは、他ならぬホロコーストの対象にあったユダヤ・ロビー自体が最もよく理解することであるにちがいない。そのユダヤ・ロビー説得の唯一の途が、河野談話を基礎とする被害者に対する日本人の謙虚な姿勢にあるのである。

(3)結局のところ、同盟国米国との本質的信頼関係を高め、隣国韓国との問題を誠意を持って解決し、日本が国際社会の一員として尊敬をもたれることが、中国の台頭をはじめとする困難な状況を生き抜く日本にとっての戦略的道程なのではないだろうか。>

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金富子「「国民基金」の失敗――日本政府の法的責任と植民地主義」(『「慰安婦」バッシングを越えて――「河野談話」と日本の責任』)

<2011年8月には、韓国憲法裁判所が韓国政府に「慰安婦」問題での外交交渉を日本政府に迫る「決定」を出した。これを受け李明博大統領が外交交渉に乗り出し、同年12月の日韓首脳会談で優先的解決を求めたが、野田首相は消極的だった。

しかし驚くべきことに、その後、日韓「双方が誠意ある対話」を重ね、2012年前半に「日本の首相の心からの謝罪」「国のお金で償い」の線で「合意寸前だった」ことが明らかになった(注23)。これが事実なら、日本政府が「法的解決済み」論を乗り越えようとしたと解釈できなくもない

国家間の関係として日韓協定第2条に「完全かつ最終的に解決」されたと文言があるのは確かだが、国連報告が指摘したように、日韓協定で論議されなかった「慰安婦」被害者が求める個人の賠償請求権まで解決されたとは言えない。2012年に日韓両政府が「国家賠償を伴う謝罪」に関して「合意寸前」まで行った意味は大きい。その可能性をたぐりよせるためにも、そしてこれ以上の歴史認識の「再植民地化」を阻む歯止めとしても、現状では「河野談話」の継承は不可欠である。

(注23)金泰孝「李明博外交の5年間」『朝日新聞』2013年2月22日付。>

# by kollwitz2000 | 2014-03-20 00:00 | 日本社会

メモ39

日本という国がつくづく恐ろしいと感じるのは、これまで北朝鮮バッシングをあれだけ煽り続けたマスコミが、何事もなかったかのように「日朝国交正常化」歓迎のムードに変わっていることである。しかしこれを、単なるマスコミの無定見または政権上層部への追従であると片付けない方がよいように思う。

渡辺利夫は20年以上前に、豆満江開発計画等の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の対外開放政策について、以下のように述べている。


「はっきりしているのは、これら計画が本格的に展開しうるには、日本の技術と資本の投入が不可欠であることである。・・・・・・部分的な開放とはいえ、圧倒的な経済力格差のある日本の技術と資本が流れ始めるならば、日本なくして北朝鮮の経済が成りたたなくなる状態が現出することは、そう遠くないに違いない。あの広大な中国広東省ですら、香港なくしてその経済が成立しえない状態になるまで、わずか数年を要したのみである。

北朝鮮における日本のプレゼンスの拡大は、北朝鮮の開放と融和的外交政策を「後退不能」なものとするのに寄与するはずであり、かくして日本人妻や李恩恵の問題、核査察問題といった懸案事項を、日本の外交的優位のもとに解決しうる、という方向性が見えてくるであろうと私は考える。」
(渡辺利夫「日朝交渉への柔軟な対応を求める」『世界』臨時増刊(第567号)「日朝関係--その歴史と現在」1992年4月、強調は引用者)


渡辺は触れていないが、もちろん歴史認識問題・戦後補償問題も「日本の外交的優位のもとに解決しうる」ことになるであろう。平壌宣言はその予兆である。日朝平壌宣言の下での「日朝国交正常化」の結果、北朝鮮がなし崩し的に日本の勢力下に置かれることになる可能性は高いと見た方が良いのではないか。

このような認識が、マスコミ(上層部)、日本社会にかなりの程度、共有されつつあるように思われる。つまり、北朝鮮バッシングを経由した上での国交正常化志向、である。北朝鮮バッシングに対立する形での日朝国交正常化の主張、という図式ではなくて、帝国主義的進出の契機として国交正常化を捉える心性・志向である。

「「国益」のために日朝国交正常化を」と主張する(胡散臭い)保守派・右派を、リベラル・左派および一部の在日朝鮮人は利用してきたが、状況は今や主客転倒しているのではないか。だからこそ、マスコミの「日朝国交正常化」歓迎ムードが表れ出している、と見るべきではないかと思う。

# by kollwitz2000 | 2014-03-19 00:00 | メモ・読書

メモ38

読者が呉れたメールによれば、来日した韓国人が「安倍は特定秘密保護法案をトンネルにして核廃棄物を北朝鮮に運ぶのではないか」と言っていたとのこと。

読者は、以前書いた私の記事「特定秘密保護法案と拉致問題」を思い出し、それも合わせれば、構図が<拉致+核廃棄物=カネ>となって、それならば国交「正常化」は、日本にとって確かに「いい買い物」なのではないか、という「妄想」に至ったそうである。

日本の原発の核廃棄物の最終処分場をモンゴルに作る、という話があることはよく知られていることであり、舛添はシベリアに作るべき、と言っているとのことである。北朝鮮に作る、という話があっても何らおかしくない。日本国内または別の国の最終処分場ではごく一部のみ負担し、大部分は「特定秘密」で北朝鮮に送る、という手もある。

これはもちろん読者の「妄想」であるが、いずれにせよ、日本政府が「国益」の観点から積極的に推進し、朝鮮民主主義人民共和国政府(および朝鮮総連)も積極的に迎合する「日朝国交正常化」など、恐らく朝鮮人(および世界人民)にとって一つも良いことはないと見ておいた方がよいのではないか。

# by kollwitz2000 | 2014-03-18 00:00 | メモ・読書

メモ37

<1870年代のオデッサに、ユダヤ人の間に啓蒙主義を広めるための協会があった。その主な仕事は青年世代にロシア語と世俗的な科目を教えることであった。1881年夏のこと、この団体のある会合で、最も年長かつ最も尊敬されていた会員のひとりが、ひどく激昂して次のように宣言した。私はこの会をただちに辞そうとしている。ユダヤ民族全体が攻撃に晒されている時にあって、今必要とされているのは、むしろ民族を救出するための指導力と主導の方であり、一部の個人が自らを向上させるための機会ではない、そうした時にあって、どのふさわしい生徒に奨学金が与えられるべきかなどを議論するのは無意味である。この公開決着を仕掛けたレオ・ピンスケル(Leo Pinsker)は当時60歳の医者であり、それまで文化的同化の代表的な同感者のひとりだった。著名なヘブライ学者の息子である彼は、モスクワ大学を卒業していた。またクリミア戦争への従軍により、政府から褒章を与えられていた。1871年のオデッサ暴動は、ロシアのユダヤ人の将来の見通しに関して、彼の心に初めて疑念の種を蒔いた。そして1881年の攻撃(注・ポグロムのこと)は、生涯の仕事である文化的同化の宣伝が、まったく無用であったことを、彼に最終的に確信させた。

ピンスケルの『自力解放(Autoemanzipation)』の基本をなす思想のいくつかは、まったく目新しいものでもなかった。しかし、これほどの明晰さと論理で体系立てて展開されたのは、以前には一度もなかった。またユダヤ人は、自らを助けないかぎりだれも助けてはくれないであろうと、これほど情熱にあふれた確信で語られたことも以前には、けっしてなかったのである。ピンスケルより前には反セム主義を、単にその国の後進性と、住民の邪悪な性格の結果とだけ説明するのが、欧の東西を問わずユダヤ人の常であった。ユダヤ人の存在の特異さを考慮した冷徹な分析は、ヘス(注:モーゼス・ヘス)の忘れ去られた著作を唯一の例外として、これまで試みられてこなかったのである。ピンスケルに、同時代人の非常に多くより不愉快な真実に向きあうのを容易にしたのは、おそらくその医者としての訓練であったろう。彼は反セム主義を、単に嫉妬心とか、あるいは蒙昧主義とかの観点から捉えることに満足しなかった。彼もまた、ユダヤ人恐怖症を精神の異常と見倣したが、彼の見解では遺伝的性質を有していた。それは二千年にもわたり病気として遺伝され、少なくともその原因が取り除かれない限り、治癒できなかった。この憎悪に論争という方法で闘いを挑むことは、時間と労力の浪費である、と彼は見倣した。「迷信に対しては、神が闘っても無駄である。」偏見、意識下の概念は、たとえどんなに力強く明快であったとしても、論証によっては除去できないと。

これは革命的な命題であった。ヨーロッパ中のユダヤ人同化主義者の代弁者たちは、数世代にわたり、まさに正反対のことを主張してきたのである。忍耐強い論証や議論を通じて、ユダヤ人は儀式殺人を犯さないことや、市民としての責任を進んで引き受ける用意があり、その国の経済的、社会的、文化的生活に積極的な貢献を果たしうる、と繰り返し説明することによって、反セム主義を鎮め、あるいはまったく根絶するのさえ可能である、と論じていたのである。これは、19世紀最後の四半期に出現した反セム主義と闘うさまざまな連盟、協会の基本的信念であった。それはまた、幾分修正されたものの、ほとんどのユダヤ人社会主義者に共有された。熱心な社会主義者で、ドレフュスの名誉を回復させる運動の中心人物のひとり、のちシオニストになるベルナール・ラザールも、1890年代に反セム主義について書き、人類は自民族中心主義から、四海同胞という精神に移行しつつある、と依然主張していた。>

(ウォルター・ラカー『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史 新版』高坂誠訳、第三書館、1994年、104~106頁。原著は1972年刊。強調は引用者。)

# by kollwitz2000 | 2014-03-04 00:00 | メモ・読書

朝鮮語(韓国語)に翻訳して下さる方を募集します

近々、朝鮮語(韓国語)のブログを知人たちと共同で立ち上げる予定ですが、私は訳すのが苦手で、また、人手が足りないので、朝鮮語に翻訳して下さる方を募集します。継続的にではなく、こちらがお願いする記事1回分のみ、その3分の1のみなどの形でのご協力でも大変ありがたいです。なるべく多くの方々にご協力いただけると、大変助かります。申し訳ないことにお金は払えませんが、何らかの形で御礼したく思っています。内容次第ではやってやってもよい、という方がいらっしゃいましたら、下記のメールアドレスにメールを下さい。よろしくお願いいたします。
gskim2000@gmail.com


# by kollwitz2000 | 2014-03-03 23:59

メモ36

「朴大統領は日本政府の歴史認識問題を追及するなど、険悪化している韓日情勢を国民のガスぬきに使いながら何とか乗り切ってきました。」
https://www.iwanami.co.jp/keyword/index_korea.html

「ガスぬき」なのだそうだ。「日本政府の歴史認識問題を追及」といった動き、そうした対日批判を終わらせ、そのような対日批判の存在しないような「新しい日韓関係を模索する」べく岡本厚・岩波書店社長や和田春樹らが奔走したのが、「ガスぬき」としての日韓知識人共同声明の署名運動、という理解をしてもよいのだろうか。それならば主張が韓国の(日本の)右派とほとんど同じになってしまうのだが。私は、この「韓国朴槿恵政権1年」を書いた人間を非難したいのではなく、むしろ、「ああ、そう理解すべきなのか」と教えられた思いがしているのである。

# by kollwitz2000 | 2014-02-28 00:00 | メモ・読書

メモ35

「NHK会長:経営委で陳謝 「失言したのか」発言」
http://mainichi.jp/select/news/20140226k0000m040095000c.html

本当につまらない。皮肉でも逆説でもなく、籾井には発言を撤回せずに開き直って欲しかったのである。ちゃんと日本人・日本社会の本音を国際的に表明し続けてくれていれば、諸外国も日本国家への正しい警戒心を持つことができただろう。現在の日本の左派は、客観的には、そうした「国益」に反する事態への火消しにまわり、日本人・日本社会の実像を隠蔽しようとしている。もちろん本来発言を撤回すべきなのは自明であるが、現在の日本では右傾化を抑止するような政治勢力は皆無なのだから、安倍・籾井・百田・衛藤でいいのである。民主党政権が有能であれば、今頃シリアに米軍とともに軍事介入していたかもしれないのである。しかし安倍は、この調子だと靖国問題でも折れるだろう。

結局、安倍にせよ誰にせよ、政権にいる限り、「第二次世界大戦における枢軸国は巨悪であり、特にドイツと日本は弁明の余地がない犯罪行為を犯した」という国際基準から逃れられないのである。少なくとも政権(とそれに関連する公的立場)にいる限り、これに反する発言を行なえば撤回を余儀なくされる。したがって、右翼を構成要因とする<佐藤優現象>以降の日本の左派よりも、日本政府は政府である限りにおいて「左」なのである。安倍政権は、現在の日本の言論地図においては「極左」であるとすら言える。

中国の「反日」的な主張に関して言えば、海外の批判的論評では、中国の覇権主義的傾向への批判はあっても、日本の(左派を含めた)共通認識のように、「日本は中国に対してこれまで十分に謝罪してきたから「反日」の声は異常だ」などという主張は私は見たことがない。「第二次世界大戦における枢軸国は巨悪であり、特にドイツと日本は弁明の余地がない犯罪行為を犯した」という明確な国際基準があるからである。

都知事選の結果をめぐって、「左」「革新」の分裂が自民の勝利を助けた、などとして宇都宮陣営を非難する声が散見されるが、意味不明であるとしか言いようがなく、民主党政権以降、もはや「左」「革新」などという概念自体が意味を失っている。有権者はそのことをよく分かっている。

少し前の記事で、辛淑玉の宇都宮への演説を批判したが、辛の卑屈な、差別扇動の姿勢もさることながら、現在の時点において、朝鮮人が「左」の一員であるかのごとく、政治的に期待し、参与しようとしていること自体がおかしいのである。それならば、民団や総連のように、自民や公明なども対象としてロビー団体化した方がまだしもすっきりする。

共産党も、今後より右傾化して、今の「週刊金曜日」周辺(細川陣営)と同じようなものになることは目に見えているだろう。「週刊金曜日」などのその種の「国益」第一主義の「左」は、海外派兵については本気では反対せず、「福祉国家」の実現を求める。それならば、「福祉国家」の財政的基盤を支えるためには、多国籍企業のより円滑な海外展開が必要となるから、必然的に海外派兵は常態化するだろう。「国益」の維持・擁護を前提とする限り、必然的にそうなる。

「国益」第一主義の場合、「左」の方が「新自由主義政権」より世界人民からすればはるかに有害である。戦前の社会大衆党など、まさにそのようなものだった。歴史認識における上記の国際基準を内面化し、海外派兵を容認しない「護憲」でない限り、「左」は「右」よりも悪であり、現実問題として、政府よりも今や「右」である。こうした認識が、あらゆる政治的議論の前提となるべきであろう。


# by kollwitz2000 | 2014-02-26 00:00 | メモ・読書

メモ34

<1933年3月27日

日本の国際連盟正式脱退は今日天皇並びに枢密院によって可決され、ジュネヴァヘ打電される一方、勅語と斎藤の声明とが東京で発表された。この二つやそれに類似する文書類は、日本の行為が平和維持を目的とするものであることを大いに説いているが、厄介なことに日本のこの字句の解釈は、米国および連盟の解釈と正反対なのである。平和維持ということによって、日本はその支配に挑戦する分子を掃討し、日本の支配下に平和が招来されるべく、武力によって満州を掃除することを意味する。

私の記憶に誤りがなければ、日本は連合国側に立って世界大戦に参加することを宣告する文書の中で、東洋における平和を維持する目的で参戦するといい、そしてまったく正当にドイツを中国から掃討した。しかし「平和維持」なる字句は現在におけると同様、その時も全然不適切であった。しかも私は百人中たった一人の日本人ですら、日本が事実上ケロッグ条約や九国条約や連盟規約を破ったことを、本当に信じているかどうか疑わしく思う。比較的少数の思考する人々だけが率直に事実を認めることが出来、一人の日本人は私にこういった――「そうです、日本はこれらの条約をことごとく破りました。日本は公然たる戦争をやりました。満州の自衛とか自己決定とかいう議論はでたらめです。しかし日本は満州を必要とし、話は要するにそれにつきるのです。」しかしこのような人は少数派に属する。日本人の大多数は、本当に彼ら自身をだますことについて、驚くべき能力を持っている。彼らは心から彼らのやってきたことが正当であり、リットン委員団は中国の宣伝によって迷わされたものであり、諸外国と国際連盟とは同様、事実の全面的誤解に迷いこまされたものと信じている。

このような心的状態は、如何に図々しくとも自分が不当であることを知っているのよりも、よほど扱い難い。日本人の大多数は――私は知性的な人々をこれに含める――自分達が不当であったことを知らない。そしてそのために、外国の干渉に敵対しようという彼らの決心は、二倍三倍決断的で強固である。

(ジョセフ・C・グル―『滞日十年』石川欣一訳、ちくま学芸文庫版、上巻147~149頁。原書は1944年刊。強調は引用者)





# by kollwitz2000 | 2014-02-24 00:00 | メモ・読書

メモ33

「阪田雅裕元内閣法制局長官は20日、参院議員会館で講演し、集団的自衛権行使を可能にするため、安倍晋三首相が憲法解釈の変更を目指していることについて「憲法だけなぜ解釈(変更)でやってもいいことになるのだろうか。そんなことで許されるなら立法府なんて要らない」と批判した。
 阪田氏は、憲法改正には国民投票が必要なことに触れ、「政府が解釈でやったら国民の出番もない」と指摘した。改憲、護憲の立場を超えて解釈変更反対で共闘すべきだとも訴えた。
 阪田氏は野党議員の会合に招かれた。 (2014/02/20-19:19)」
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014022000876

上の記事に関して、kibikibi20氏はツイッターで、

「いっけん“解釈改憲に反対”しているように受取られるが、“解釈改憲の主導権は国会にあるべきだ”というのが、本当の趣旨であろう。「改憲、護憲の立場を超えて解釈変更反対で共闘すべき」と言っている真意は、そこにあると思う。」

「実際には「安倍政権の解釈改憲に対抗するために国会主導の解釈改憲を」にしかならないであろう。「改憲、護憲の立場を超えて解釈変更反対で共闘すべき」となると、必然的にそうなる。」

「与党と「野党」の間で解釈改憲を競いあう結果になるだけであろう。改憲をしなくても、憲法の規範性じたいが「棚上げ」されることになろう。」

と的確に指摘している。
https://twitter.com/kibikibi20/status/436539458465181698
https://twitter.com/kibikibi20/status/436598171100143616
https://twitter.com/kibikibi20/status/436601248385495040

こうした言説は、結局、集団的自衛権行使のための一般法・恒久法の制定、という方向に行くと思う。昔引用した、森本敏の文章を再び引いておこう。

「集団的自衛権を政治的にどう実現していくかは、依然として、安全保障・防衛政策の重要部分ですが、これを解決する方法は三つしかないのです。
 一つは、いわゆる“解釈改憲”で、従来の解釈が間違っていましたとして解釈を変えることです。これは総理が国会で答弁するだけではなく、内閣法制局としての統一見解が必要でしょう。ですから法制局としてはどう対応すればよいか判断を迫られます。このように憲法の条文は変えないが、従来の解釈を変えるという“解釈改憲”といった方法です。
 しかし、この方法はあまり感心しません。政権が替わるたびに解釈を変えますと、野党が政権をとると、また引っ繰り返されるという事態を生みかねません。憲法は変わらないのに、解釈の変更によって政策がコロコロ変わるのは、むしろ諸外国の信頼を失うことになります。ですから、これは議院内閣制の王道としては本来とってはならない方法だと思います。
 そこで第二の方法として考えられるのは、具体的な法律の成立をもって実現可能にするという形です。これは、日本の領域外に自衛隊を出す場合の一般的な基準に間する法律、すなわち“一般法・恒久法”です。正式名称で言えば、“国際平和協力基本法”という法律を2009年の通常国会で通して、それによってこれまでできなかったことを法律上可能にするという方法です。こちらのほうが議院内閣制の下では合法的な感じがします。
 しかし、この場合に問題なのは「その法律自体が憲法違反ではないか」として、違憲立法審査権を行使される場合であり、それに対する対応を検討しておく必要があります。
 第三の道は、憲法改正しか残されていません。しかし、これには時間がかかります。
 従って、現実の問題としては、一と二を併用した形が良いのではないかと思います。すなわち、従来の解釈と違う説明を政府が行うことによって、具体的な法律の形でこれを実現し、さらに憲法改正時に正しいあり方を憲法条文の中に書き込むという手順にして実現するという方法しかないと思います。」(森本敏『日本防衛再考論』海竜社、2008年5月、191~193頁。強調は引用者)
http://watashinim.exblog.jp/10362841/

阪田はこのところ、リベラル・左派メディアに頻繁に登場しているが、下のような団体の「評議員」も務めている。
http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2014/02/post-3a7b.html

この種のリベラル・左派の解釈改憲反対言説も、結局は上からの何らかの世論誘導に帰結するのではないか。そもそも、民主党政権時代の国会法改正による内閣法制局答弁禁止に、護憲派は碌に反対しなかったのであるから、解釈改憲にまともに反対できるはずがないのである。
http://watashinim.exblog.jp/10535494/

それにしても、「立憲主義」や歴史問題関係などが典型だが、左派系も含めたメディアや「論壇」の言説で、上からの世論誘導に帰結しない言説というのはあるのだろうか。




# by kollwitz2000 | 2014-02-23 00:00 | メモ・読書

言論弾圧反対の署名

姜尚中が「エートス」なる運動の関係者が関わっているシンポジウムに登場するとのことである。その事実だけで、この運動の胡散臭さが伝わってくる。
https://twitter.com/datugennohi/status/436157819457646592
http://3tarou.tumblr.com/image/77176547231

その絡みで知ったのだが、竹野内真理という人が、その運動の代表者に「侮辱罪」で刑事告訴されているとのことである。
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2014/02/ethos-leader-accused-takenouchi-of.html

私はこの竹野内さんという人をよく知らないのだが、問題とされている発言は、公共の場で言論によって真実性を争われるべき性格のものであり、これで警察が動くというのが驚きである。そもそも上のリンク先にあるように、竹野内氏は「世紀の罪人というセリフの表現がきつすぎたことについては、安東氏と中曽根氏に謝罪したい」と述べている(「侮辱罪」に該当することを認めているわけではないと思われる)のであるから、内容の公共性・公益性に鑑みて、告訴者は告訴を取り下げるべきであり、その上で内容に関して言論で反論すべきだろう。

ご本人のツイッターによれば、「来月書類送検予定」で、「弁護士曰く、本件政治色強く、検察への署名などを通して拡散する以外に起訴を阻止する手段はないそうです」とのことである。
https://twitter.com/mariscontact/status/436836141870747648

公共性・公益性を明白に有する社会批判が、これほど安易に立件されることになっては、社会批判は困難となり、言論が萎縮することは明らかである。私も先ほど署名したが、この記事を読んだ方々にも署名を呼び掛ける次第である。
https://secure.avaaz.org/en/petition/Fu_Dao_Xian_Jian_Cha_Ting_Dian_ziyanarisutonoZhu_Ye_Nei_Zhen_Li_Shi_Save_Kids_JapanwoQi_Su_sinaidekudasai/?aksIXgb

# by kollwitz2000 | 2014-02-21 22:28 | 日本社会
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