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天皇機関説問題や、2002年小泉訪朝後の北朝鮮報道等、日本社会が「世論」を急速に転換させるときは、特定個人のバッシングを介して行なわれるようである。産経新聞の転向や稲田朋美の転向などを笑っていられない。日本政府も日本人全般も、橋下の醜悪かつ愚劣な発言に憂慮を示し、嘲笑しながら、何らの葛藤もなく転向し、かねてからzed氏が指摘していたような日韓「2013年体制」の形成に進んでいっているわけである。
今後、政治家の靖国参拝や歴史教科書問題に関しては韓国側が黙認するか大幅に批判をトーンダウンさせ、「慰安婦」問題に関しては日韓「和解」のための(日韓基本条約や国民基金とは矛盾しない形での)何らかの方策をとる、という形になっていくのではないか。
小谷野敦と與那覇潤がツイッター上で論争しているのを知ったが、つくづく不思議なのは、與那覇はなぜkscykscy氏による批判に沈黙しているのか、ということである。私見によれば、kscykscy氏による與那覇批判は、ほぼ壊滅的なものである。
歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(1) http://kscykscy.exblog.jp/18241381 歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(2) http://kscykscy.exblog.jp/18245740 歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(3) http://kscykscy.exblog.jp/18256640 歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(4) http://kscykscy.exblog.jp/18276305/ 歴史系「論壇」における知的頽廃――與那覇潤『中国化する日本』について(5) http://kscykscy.exblog.jp/18280962 與那覇は、ツイッター上で、他人からのささいな疑問にも答えているようである。批判があからさまに無内容なものならば無視するのも分かるが、kscykscy氏による批判が、與那覇の本を読みこんだ上でのものであり、引用等に関する批判手続きの観点からも瑕疵が見られないものであることは明らかであり、與那覇が沈黙しているのは極めて奇妙である。與那覇本人だけではなく、與那覇や與那覇の本を称賛する人々も、私見の範囲ではkscykscy氏による批判について言及しているものはない。一体どうなっているのだろうか?これは、<佐藤優現象>を加担・推進してきたリベラル・左派が、それに関して説明責任を何ら果たそうとしてこなかったこと、およびリベラル・左派の人間がそうした不作為を黙認してきた現象と、非常に似ているように思われる。 ただ、私は與那覇が持て囃されること自体はそれなりに面白く見ている。<佐藤優現象>と異なり、ただちにそれは日本の政治・社会に関する(言論)状況に対して悪影響を及ぼすものではない一方、與那覇に引っ掛かることによって、その人物のメッキが剥がれていくからである。 歴史学者の桃木至朗が、 「今の日本(の惨状)を歴史的に理解したい方にオススメの怪作、与那覇潤「中国化する日本」(文藝春秋)。歴史学はこういうふうに使える。」 https://twitter.com/Momokidclang/status/216400296807645185 などと褒めていたのにも笑ったし、朝鮮史研究者の宮嶋博史が好意的らしいのにも、前から私は宮嶋は胡散臭く、宮嶋が朝鮮史のアカデミズムで「権威」と持ち上げられていること自体が壮大な茶番なんじゃないかと思っていたので、なかなか示唆的だった。 また、さらに奇妙なことに、在日朝鮮人の中でもこの『中国化する日本』を絶賛する人間を散見した。 例えば、金明秀は、『中国化する日本』を下のリンク先のように称賛している。 http://twilog.org/han_org/search?word=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC&ao=a また、講談社の編集者であるRadomyslskyこと韓西満(偽名)も、ツイッターで、 「與那覇潤『中国化する日本』面白い!。(読了間近でギックリ腰で文字なんかもう目に入らないけど) これは、タイトルでスルーすると損。(沖縄から見た日本史と考えれば当たり前といえば当たり前なのか?)」などと発言している。 http://yomiowatter.blogspot.jp/2012/01/2012-01-01-137-box.html 彼らをはじめ、與那覇の本や與那覇を褒めている在日朝鮮人は、kscykscy氏の批判の主な論点がまさしく朝鮮と植民地支配認識の問題に関わっている以上、どのように考えているか、公的に説明すべきであろう。 ツイッターをやっている人間は、與那覇に対して、kscykscy氏の批判に応答するよう働きかけてはどうだろうか。なにせ與那覇は、木村幹先生に「正に、スター誕生!、っていう感じ。」とまで持ち上げられている人物であるから、答えられないから逃げている、ということではまさかないはずだからである。
『世界』臨時増刊号を拾い読みしていたら、五野井郁夫という人の以下の発言に遭遇して驚いた。
「近年のデモの参加者は無理をせず、行ける時に参加しています。また、官邸前の弁護団がよい例ですが、「接見弁護があるから今日は行けません」とか「30分だけ行けます」とかいうのもあります。ここが気にくわないから出て行く、だけれども戻って来られるという、やわらかな共同体。 実際、いいことか悪いことかすぐに判断はできませんが、鬱憤晴らしで極右のデモにも行くけど、反貧困のデモにもコアメンバーとして参加するという人が出てきています。どちらも現代社会の犠牲者ではあるわけで、アイデンティティのクラスターが一つだけではなくなっていることは確かです。希望的観測ですが、そうなると世界の見方も複数性を持ってくるから変わるのかなと思います。」(西谷修・五野井郁夫「デモは政治を開けるか」『世界』臨時増刊、第841号、2013年2月) この発言は、この人物のいろいろな点を曝け出している。 ・日本の極右が特定の人々や歴史的事実を排撃していることへの無関心・容認 ・「現代の犠牲者」だと規定することで、その行為の責任性を問わない点に見られる、同情したふりをしながらの若者への蔑視感情 ・「反貧困」と「極右」を対立的にしか捉えられない無知。ファシズムや社会排外主義の問題性に関する認識の欠落 ・極右デモへの参加も「世界の見方も複数性を持ってくる」可能性の一つとして肯定的に捉える破廉恥さ。(運動の幅を広げるためには右翼の参加も許容しなければ、というよくある弁明ではなく(それ自体も問題であるが)、極右デモへの参加がポジティブなものとして捉えられているところに、この五野井の<新しさ>がある) ・主張それ自体としては極右デモへの参加を肯定しているにもかかわらず、「いいことか悪いことかすぐに判断はできませんが」「希望的観測ですが」などと自己弁明する小心さとセコさ(前回記事で書いた、川崎市長のようである) 私が指摘した<佐藤優現象>とは、「佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ」ものであるが(「<佐藤優現象>批判」)、五野井の発言は『世界』のそうした傾向が何ら変わっていないどころか、排外主義への加担を肯定する発言が掲載されているという点で、より進化していることを示していると言えよう。この臨時増刊号で、久しぶりに佐藤が書き手として『世界』に登場していることも示唆的である。
「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」
http://mainichi.jp/select/news/m20130220k0000m040100000c.html 上の記事を読んで驚いたのだが、この阿部孝夫・川崎市長が、通学する子供に対して、拉致の責任がお前たちにはあるとレッテル貼りする行為をやっておきながら、「子供に責任はなく、川崎市民であるので教育の保障をしていくことは重要。教育そのものへの支援をやめるのは極端だ」などと白々しく弁明している点は、今回の行為がどれほど破廉恥なものであるか、市長自身が薄々気づいていることを示している。 しかし、川崎市長は氷山の一角であって、今回の措置を支える認識が日本社会には恐らく定着しているのではないか、と思わせられてしまう状況であることこそが恐ろしい。例えば、日本を代表する大手出版社である文藝春秋が、一般向けの「文春新書」の一冊として2003年11月に刊行した本である『常識「日本の安全保障」』の、「北朝鮮は日本で何をしたのか」という項目には、以下のような記述がある。 「(注・拉致)事件の背景として見逃せないのが、(注・19)59年から始まった「帰国事業」で北に永住帰国した在日朝鮮人約9万3000人の存在である。 潜入してきた工作員だけで狙いどおりの日本人を拉致することはむずかしい。そこで、北朝鮮は永住帰国者の一部を人質にとり、日本に残った彼らの家族や親族を、工作活動に取り込んできたのではないか、との指摘がある。協力しなければ北にいる身内に危害が及ぶことをほのめかし、服従を強要するのだ。こうして協力者・共犯者に仕立てられた在日朝鮮人は「土台人」と呼ばれ、拉致対象の選定から工作員の日本潜入の手引き、工作員へのアジトの提供までさまざまな任務に従わざるをえないという。目には見えないが、日本社会にはすでに北朝鮮工作員の活動を支えるネットワークが張り巡らされているのかもしれない。」(「日本の論点」編集部編『常識「日本の安全保障」』文春新書、2003年11月、47~48頁) つまり、<在日朝鮮人=拉致の(潜在的)協力者・共犯者(「土台人」)>ということである。しかもこの論理を発展させれば、「「帰国事業」で北に永住帰国した在日朝鮮人約9万3000人」の「家族や親族」、その子孫は、何も朝鮮籍に限ったわけではなく、韓国国籍・日本国籍の人間も多いのであるから、朝鮮人の血が混じっていれば<拉致の(潜在的)協力者・共犯者(「土台人」)>と見なされても仕方がない、ということになる。 この図式にとらわれれば、在日朝鮮人は、自分は「土台人」ではないとの<悪魔の証明>を行わなければならないが、「自分には北朝鮮に「帰国」した親族はいない」と事実を述べたとしても、「土台人がやりそうな偽装」だと解釈されうる。レイシストにはいかなる弁明も通用しないのである。上の引用は、人種差別の論理の表出だと思うのだが、これは繰り返して言うように、日本を代表する出版社の一般向けの本の一節であり、私の知る限り何ら問題になっていないし、こんな出版社から本を出す書き手の倫理性も何ら問われていない。 川崎市の今回の措置は、こうした広範に受容されたレイシズムを背景として打ち出されている。
安倍晋三の、岡崎久彦との対談本を読んでいたら、興味深い発言に遭遇した。以下は、総理大臣の靖国参拝に関する安倍の意見である。
「A級戦犯が合祀をされているから、参拝してはだめだ、けしからん人間だと国が判断するというのは、きわめておかしなことです。例えば賀屋興宣氏も重光葵氏も両氏ともA級戦犯です。しかし彼らは赦免されて、政界に復帰します。賀屋さんは池田内閣の法務大臣、重光さんは鳩山内閣の外務大臣になって、国連に日本が復帰したときの日本代表を務めました。そして重光さんは戦後、勲一等に叙せられています。批判する人たちは、そうした歴史をどうしようというのでしょうか。消すことはできません。 実際、戦後、国民の間から、1952年4月28日に発効した対日講和条約以降も服役しなければならない戦犯の早期釈放を求める声が高まり、日弁連が政府に提出した意見書が皮切りになって、全国から四千万人もの署名が集まります。(中略) A、B、C級のいずれを問わず、戦争裁判による死亡者を、一般戦没者と同様の戦争による公務死と認定しました。また戦争裁判受刑者本人に対する恩給も、従来、欠格者となってしまうところを、改正することで拘禁期間を在職期間に通算して支払われるようになりました。 一方、昭和28年8月3日、国会で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が決議されて、A級は56(昭和31)年3月31日、B、C級は58(昭和33)年をもってすべて釈放しています。つまり、名誉回復がなされて、罪がなかったということにしたわけです。」(安倍晋三・岡崎久彦『この国を守る決意』扶桑社、2004年1月、147~148頁) 「毎年、8月15日に、天皇皇后両陛下をお迎えして武道館で行なわれる戦没者慰霊式には、かつてのA級戦犯を含めて戦犯とされた皆さんのご遺族もお招きをしております。靖国神社を批判するならば、そちらも批判しなければなりませんが、批判する人たちは、そこまではしきらないわけです。」(同書、149頁) 安倍は恐ろしく正しいことを言っている。つまり、戦後日本社会を肯定するならば、歴史認識の観点からは、首相の靖国公式参拝を否定することはできないのである。(もちろん「戦後日本社会の肯定」でも同じである)。このブログでも何度も指摘してきているように、2005・6年以降のリベラル・左派の右傾化を支えてきたのは、「戦後日本」の肯定、という欲望だった。政府レベルではもちろん、民衆レベルでも、A級戦犯が指導層にいる体制は結局容認されたし、A級戦犯容疑者の岸信介は総理になった。A級戦犯ではないが、アヘン政策に関与していた大平正芳が「ハト派」の首相だったのが「戦後日本」である。A級戦犯と骨がらみである「戦後日本」の歴史は「消すことはでき」ない。だから、メディア上で、「平和国家日本」やら「脱格差」やら「三丁目の夕日」やら「(震災復興は)戦後復興のつもりで頑張る」(菅直人)やら、近年繰り返された「戦後日本」の全面肯定の後で、首相の靖国公式参拝容認の声が世論調査でも増大していることは、何ら不思議ではないどころか、論理的帰結ですらある。 zed氏が問題を指摘しているように、孫崎享の『戦後史の正体』のような、重光や岸信介をヒーロー扱いする本がリベラル・左派の間でブームになっていたということは、彼ら・彼女らが安倍の主張に対してまともに対抗できない、または対抗する気のないことを意味している。
岩波書店経営陣の呆れた主張――「時間外労働の過去清算」問題について
http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-43.html # by kollwitz2000 | 2012-10-11 00:00
前回および前々回に取り上げた金光敏の文章だが、末尾の以下の一節も興味深い(強調は引用者、以下同じ)。
「大統領の「独島」訪問を厳しく批判した私の発言に共感を示す韓国の人々は多い。案の定、李大統領の支持率回復にほとんど役立っていない。そこからわかるのは現政権の対日姿勢とは違い、もっと温和な日本観が韓国社会で根を下ろしている点だ。 連載100回の節目に、日韓政府は東北アジアのナショナリズムの抑制に協力しあうよう改めて求めたい。私は、領土問題に過剰反応して国境を越える「協働」の可能性をつぶすことをあってはならないと韓国社会に強く発している。 同様に日本国内にも領土問題を使ってナショナリズムを煽る政治言動が力を得ている点に大きな懸念を持ち、こんな時だからこそ日韓の市民レベルの知恵が必要だと訴える。 幸いなのはこの間も日韓の市民交流が各地で行われたことだ。国家の論理を超えてつながるそうした姿こそむしろ強調したい。」 つまり、今回のような状況に際しては、日韓の「ナショナリズム」を超えた市民相互の交流こそが重要、という主張である。同様の見解は、『世界』2012年10月号の清宮美稚子編集長の「編集後記」でも示されている。以下のようなものである。 「(前略)今年は韓国で大統領選挙、中国でも10年ぶりの指導者交代が行われる大事な年だ。さらに大局的には日本の政治的・経済的低迷、中国の大国化とともにアジアでのパワーバランスがシフトする中、よほど冷静に舵取りしないと、それぞれの国内で安易なナショナリズムに火がつくのは目に見えていたともいえる (馬立誠氏は、日中両国のパワーバランスの変化に適合するのに、日本は最低10年かかると指摘する。本号インタビュー参照)。 もともと日中、日韓の「領土問題」は、日本の植民地支配の歴史と切り離せない問題として中国・韓国の市民の心の中に刻まれていることも忘れてはならない。本号で劉建平氏は、日中国交は「正常化」したものの日中関係の「不正常」状態が続き、歴史問題が周期的に発生する事態を「日中和解の失敗」と捉えている。歴史問題を理解した上で、多様な交流による信頼関係 (本号莫邦富氏の表現では「耐震工事」) と外交的理性をもって、「領土」をいかに超え、安定した共存関係を築くかを真剣に考えなければならない。 (中略) いずれにしろ、領土問題は、「ゼロサムの争い」か、「棚上げ」か、「共同管理」のいずれかしかない。李鍾元早稲田大学教授の言葉を借りれば、領土を「所有から機能へ」転換すること (毎日新聞8月22日夕刊) が必要である。尖閣・竹島・北方四島の三つの問題で足をとられていることで、海洋国家日本のグランドデザインにおいて、そしてアジア・国際社会の一員として、どれだけのマイナスが生じているか。たとえば尖閣諸島周辺に石油・ガス田が眠っているかもしれないが、現状では、日中双方にとって「入手できないものは資源ではない」(本号座談会、猪間発言) のである。「領土問題」の棘を抜くことで、膠着化しているいろいろな問題(沖縄基地問題を含めて)が連動して解決に向かい得ると、中国やロシアの知識人は指摘する。逆に言えば、棘が刺さったままのほうが都合のよい勢力の存在もあるのだろう。 日中国交回復40年。この記念の年に、日中双方の市井の「井戸を掘った人々」の存在に思いを馳せ、これから共に井戸を掘るべきネット世代の若者たちが育っていることに希望をつなぎたい。」 ここでも日中韓の「安易なナショナリズム」に、(特に「若者たち」の)市民レベルの協働が肯定的なものとして対置されている。 だが、こうした主張は、歴史問題に関する日韓や日中の「市民レベル」の交流や協働に関して、私が抱いていた理解とは、完全に異質なものと言わざるをえない。「え?そういうことだったの?」という感じだ。 私は、歴史認識問題に関する90年代以降の日本と周辺アジア諸国の市民の連帯とは、日本政府および日本社会の歴史認識を変えるためになされているものだと理解していたのである。今はどうか知らないが、少し前まではそうした認識が建前だったはずである。 ところが、上記の2つの文章においては、市民連帯は、日本政府・社会の歴史認識の問題とは全く切り離された形で志向されている。仮に韓国や中国の主張が歴史認識問題とは無関係な、明確な非合理なものとして認識されているならば、今回の件に関する、そうした認識も理解できるのであるが、清宮は上記の文章で「もともと日中、日韓の「領土問題」は、日本の植民地支配の歴史と切り離せない問題として中国・韓国の市民の心の中に刻まれていることも忘れてはならない。」と、「中国・韓国の市民」がそのように主張すること自体は、一概に否定し去らずに植民地支配の歴史から鑑みて、理解しなければならないとしている。恐らくその立場は金光敏も共有しているものである。なぜならば金光敏は、「領土問題への見解はともかく」などと書いているから、韓国側の独島領有の主張の正当性は否定しておらず、また、金光敏が自説の根拠として依拠している「大統領の「独島」訪問を厳しく批判した私の発言に共感を示す韓国の人々」も、圧倒的大多数は独島が韓国に帰属するという主張の正当性それ自体は否定しておらず、李明博の「未来志向」からのズレを批判したと思われるからである。 このように見てくると、上記の2つの文章は、歴史認識問題に関して中韓の主張に少なくとも一定の理があり、日本政府・日本社会が少なくとも配慮しなければならないという認識は持っているにもかかわらず、市民レベルの相互の交流・協働行為に際しては、日本政府・社会の認識の是正よりも、むしろ、争いを超えた交流関係を作ることそれ自体が企図されている、ということになる。 私は、今回の事態に際してのこうした認識・主張は、この2つの文章だけではなく、「国境を越えた」市民団体系の個人・団体にありがちなものだと思う。 もしこうした認識が前提となっているとすれば、「国境を越えた」市民の連帯は、日本政府および日本社会の歴史認識を変えることを建前としているとしても、それが団体であれ、個人のかたちであれ、かつてのそれとは性格を異にしており、変質したものとなっていると言える。 異民族同士のカップルで、「自分たちが付き合っていること自体が、反目と対立を越えられることの証明」みたいなことを言う人々が実在するかはしらないが、この手の交流は、それと同じことを言っていると思うのである。カップルだったら無害だが、政治・社会団体が本気でそれを信じているのは奇妙である。 ただ、こうした認識は、むしろ、日本政府および日本社会の歴史認識を変えることを建前としていた人々の中にも、昔から存在していたと見た方がよいかもしれない。これまでは漠然と、意識されることもなく存在していたものが、危機に応じて明確化することになった、ということかもしれない。 「国境を越えた」連帯が有意義なのは、それが日本政府・社会の認識を変えるのに有効・有意義であるからであって、それ自体にそれ以上の価値はないと思うのだが、むしろ交流それ自体に意義がある、と認識されていたのではないか。私は昔、私の主張に大体賛同してくれているという、市民運動にも関わる年配の日本人研究者から、「ブログでいろいろ批判するよりも韓国の市民と日本の市民の草の根の交流の関係を作っていくことの方が重要だから、あなたもブログなどよりもそうした活動をやるべき」と言われたことがある。当時はそうかなあと、思いつつ、何か奇妙な感じを抱いたので結局従わなかったのだが、その人の現状などを見ていると、やはり「市民交流」を第一に置くというのは、誰からも否定されない、「逃げ」でしかないのではないか、という感想を持っている。 原理的な話をすれば、日本国民の国民としての責任、という立場で歴史認識問題に関わるとすれば、「国境を越えた」連帯は、政治的・社会的に有効・有意義であるから行われる、ということになり、それ自体で価値があるといったことではない、ということになる。もちろん、実際に相互に交流する場合は、文化交流的な側面が多いであろうし、それはそれで各人にとって有意義な、良いことだろう。だが、その過程で、そうした「国民としての責任」という立場を消去し、考えなくてもよいものにするものとして、「国境を越えた」連帯のそれ自体としての価値という観念(感覚)が浮上し、追求されていた(いる)のではないか。または、初めからそのようなものだったのではないか。今回の事態に関する言説を見て、そのような感慨を抱くのである。
前回挙げた金光敏の文章だが、検索すると2ちゃんねるで引用され、肴にされていた。
金光敏がせっかく必死に「在日朝鮮人も日本人と同じく李明博大統領に対して怒っている」とアピールしているにもかかわらず、そこでの書き込みは、「祖国に帰れ」といった類の罵倒の山である。その中で、以下の書き込みは痛いところを衝いている。 「独島?竹島だろ?」 「そもそも憤ってるんなら韓国の大統領に抗議文や声明でも出せばいいんじゃね? 」 「早く国際司法裁判所へ出るように韓国政府に言えよ在日韓国人! 」 「侮日は「われわれだって被害者ニダ!」路線に切り替えたのか」 その通りで、金光敏が本当に李明博の「反日」言動・行動に怒りを覚えているならば、同じく怒っているという「在日コリアン」たちで共同で、韓国で声明文でも出せばよいのである。出すこと自体は簡単だろうに。ところがそんなことはしないわけであろう。要するに、金光敏の「怒りの表明」自体が、本気度が低く、自分(たち)の「立ち位置」を確保するためだけのものであることを見透かされているのである。 こうした書き込みが日本の大衆の見解をどれだけ反映しているかは不明だが、日本社会に住んでいる人間にとってはこうした書き込みはリアルに感じられる。つまり、単に朝鮮人を攻撃するだけでは許されず、それが偽装でないこと、その攻撃の本気度の度合いが量られるのである。金光敏が、韓国の「反日」批判のアピール戦略を、朝日・毎日的な狭い空間を越えて、大衆的なレベルで成功させたければ、最低限、「竹島」の日本政府の領有権主張が正当であることを明言し、韓国政府および韓国社会に公的に抗議していかなければならないだろう。要するに、こうした「立ち位置」確保のアピール戦略は、醜悪なだけでなく認識が甘いのである。安倍晋三が次期首相候補であるような社会では、そのような中途半端な立場は、身ぐるみ剥がされるほかないだろう。
特定非営利活動法人・コリアNGOセンター事務局長である金光敏の文章を読んだ。
まあ読んでやってほしい。 「8月10日の李明博(イミョンバク)大統領による「独島」訪問で、日本国内の対韓国世論が急激に悪化している。連載100回を前に、このような状況を迎えたことは残念でならない。 率直に言って在日コリアンの多くが李明博大統領の行動に憤っている。領土問題への見解はともかく、日本国内のナショナリズムを煽(あお)る言動が大統領によって行われたことへの反発だ。」 「この間私は、2回韓国を訪問しその世論を肌で感じ、また、来日する多くの韓国人との懇談、一部国会議員とも、この件で話した。 そこで私は何度も李大統領の「独島」訪問を批判した。今回の訪問は政権末期の求心力回復を目的とする「領土」問題の政治利用であり、現政権は日本国内の政治状況を読み間違えていると指摘した。同時に対韓国世論の悪化で最も苦しい立場におかれるのは、私たち在日コリアンであるとその切実さを説いた。 李大統領は就任以来、日韓関係を「未来志向」の姿勢で臨むと強調してきた。「独島」問題は歴史問題だとする韓国側の理解に立てば、李大統領の行動はそれに逆行していると映らざるを得ない。そもそも「未来志向」が植民地支配の歴史を度外視する意味ならば反対との立場が韓国では強く、それでもなお「未来志向」を強調したのが李大統領自身だった。 大統領の「独島」訪問を厳しく批判した私の発言に共感を示す韓国の人々は多い。案の定、李大統領の支持率回復にほとんど役立っていない。そこからわかるのは現政権の対日姿勢とは違い、もっと温和な日本観が韓国社会で根を下ろしている点だ。 連載100回の節目に、日韓政府は東北アジアのナショナリズムの抑制に協力しあうよう改めて求めたい。私は、領土問題に過剰反応して国境を越える「協働」の可能性をつぶすことをあってはならないと韓国社会に強く発している。 同様に日本国内にも領土問題を使ってナショナリズムを煽る政治言動が力を得ている点に大きな懸念を持ち、こんな時だからこそ日韓の市民レベルの知恵が必要だと訴える。 幸いなのはこの間も日韓の市民交流が各地で行われたことだ。国家の論理を超えてつながるそうした姿こそむしろ強調したい。」 http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120907ddlk27070424000c.html http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120907ddlk27070424000c2.html http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120907ddlk27070424000c3.html これは、在日朝鮮人の歴史にとって、ある意味で記念碑的な文章である。つまり、一応は左派系に含まれる在日朝鮮人の民族団体の幹部が、韓国政府の「反日」性を公の場で批判するという、従来では考えられなかった光景なのである。単純化すれば、この人物が見解を撤回していない現時点では、この団体は韓国大使館や民団よりも「親日」的ということになる。 3年前に私は、以下のように書いた。 「姜(注・姜尚中)だけではなく、在日朝鮮人の「左派」の言論人(ネット右翼や右派論壇からは「反日」だと往々にして称される人々)の、従来では考えられない発言が目立っているのである。私はそれを、「在日朝鮮人の集団転向現象」であって、<佐藤優現象>に象徴される、日本のリベラル・左派の国益中心主義への転向に即応したものだと考えている。」 「この「在日朝鮮人の集団転向現象」というのは、一言で言えば、「自分たちも沖縄の人たちと同じように、日本人の「同胞」だ」「外国人もしくは旧植民地出身者と見るのではなく、自分たちも日本人の「同胞」に加えて欲しい」という主張を、在日朝鮮人の「左派」の言論人がほぼ一斉に発言し出している、ということである。「私たちが日本社会に厳しいことを言ったとしても、それは「反日」ではなく、沖縄の人々による発言の場合のように、「同胞」の言葉として受け止めてほしい」と。」 「私が強く問題だと思うのは、こうした発言が支配的になれば、在日朝鮮人の諸活動は、<佐藤優現象>を推進する沖縄の左派のように、あたかも単なる「利権運動」「同権運動」であるかのように社会的に表象されるようになり、在日朝鮮人の言葉から(例えば、抑圧されるものの連帯といった)「普遍性」が奪われることである。 「左派」在日朝鮮人の転向は、政治的にも(彼らの主観的な願望に反して)結局は悲惨な結果をもたらすと思うが、それこそ自らの歴史への冒涜であり、在日朝鮮人が本来持つべき(だと私はあえて主張しよう)普遍的な連帯への志向を踏みにじるものである。 今回、姜を取り上げるのも、以下で指摘する姜の転向を、在日朝鮮人の集団転向現象の象徴と私が捉えており、この在日朝鮮人の集団転向現象は、<佐藤優現象>と相互に絡み合いながら、日本の公的言説の右傾化を促進する(している)と考えるからである。」 http://watashinim.exblog.jp/10055764/ 「日本社会における朝鮮人の場合、単なる「外国人」(の血統)へのレイシズムだけではなく、(朝鮮半島の同胞であれ在日朝鮮人であれ)同じ朝鮮人を攻撃する、という忠誠表示が必ず必要とされる。「コリア系日本人」が、仮に明示的に、日本社会で歓迎される形で成立する場合、同時にそれは朝鮮半島の民衆や在日朝鮮人の「ナショナリズム」に対する批判その他の役割を引き受けているだろう。現実に、現在、「権利としての日本国籍取得」を主張している在日朝鮮人たちは、ほぼそのような人々しかいない。 現在の姜の醜悪な姿は、日本社会に歓迎される形で成立する場合の「コリア系日本人」の姿を暗示している。そのような在日朝鮮人は、今の姜やマスコミ界隈の在日朝鮮人の多くがそうであるように、日本人にとって、海外派兵の常態化の容認(それ自体への賛同ではなく、そのような政治的流れを容認する自分たちを肯定してくれる存在として)、外国人労働者の本格的流入と排外主義的規制・差別の並存状態の容認という機能を果たしてくれる、不可欠な装置である。そうした視角から問題を考えない限り、李忠成をめぐる報道にせよ、日本国籍取得論にせよ、排外主義(ネット右翼)対同化主義(朝日新聞系)という下らない図式を再生産するだけに終わるだろう。」 http://watashinim.exblog.jp/13086429/ ほぼ付け加える言葉もない。何という分かりやすい奴だ、という思いすらある。李明博の一連の言動・行動が、それ自体は大して評価するに値しないものであることは、zed氏や、kscykscy氏が指摘するとおりであるが、まさか李明博の言動・行動が「日本国内のナショナリズムを煽る」がゆえに批判する、などという発想は思いつきもしなかった。 金光敏が在日朝鮮人であるがゆえに、日本社会の李の言動・行動に対する反発はより容易に正当化され、社会の右傾化はより促進されるのである。「対韓国世論の悪化で最も苦しい立場におかれるのは、私たち在日コリアン」であることはある程度真実であろう。しかしそれを避けるために、日本社会の一員であるための忠誠表示をすることによって、朝鮮半島および世界に対しては在日朝鮮人は加害者になるのである。せめて黙ってろ、と言いたくなるが、私が以前書いたように、そのような沈黙はできない、ということなのだろう。 興味深いことに、金光敏は「在日コリアンの多くが李明博大統領の行動に憤っている」と書いている。金光敏が日本社会への忠誠表示のために誇張している色合いもあろうが(少なくとも私の周辺にはそのような醜悪な在日朝鮮人はいない)、これは事実であろうとも思うのである。この人物や、このような発言を撤回させない周辺の人物による、「人権」や「反差別」など一片の聞く価値もないと言わざるを得ない。 日本社会の右傾化に関する在日朝鮮人の役割は非常に大きい。平和に生きたい日本人にとってもそのような在日朝鮮人は、差別的な意味ではなく、本来ならば唾棄されるべき対象であると思うが、良心的な(これは皮肉ではない)日本人は遠慮して在日朝鮮人をあまり批判しない。だからこそ、在日朝鮮人こそが、このような現在の親日派としての在日朝鮮人を徹底的に公的に批判していかなければならない。
朴慶植『在日朝鮮人・強制連行・民族問題――古稀を記念して』(三一書房、1992年12月刊)の「はしがき」(日付は「一九九二年九月二〇日」)にある以下の一節は含蓄深い。
「現在、在日朝鮮人・韓国人約六八万人のうち約六〇万人は永住権をもつ定住外国人として生きている。今後この在日同胞がどのように子子孫孫に至るまで民族的主体性をもって生きていくのかがわれわれに与えられた最大の課題ではないかと思う。この頃民族ということに余りこだわる必要はないという意見もあるようであるが、現実日本政府の単一民族国家意識は強固で、民族差別、同化政策は依然として変っていない。日本が他民族と共存、共生する民主主義的市民社会になっていくためにもわれわれは民族的主体性を堅持していかなければならない。私も今後そのために微力を尽したいと思う。」(3頁) 一般に「共生」論というと、日本社会の排外主義批判と同時に、在日朝鮮人自身の「脱ナショナリズム」が積極的に提唱されるケースが多いが、ここでは全く逆の「共生」論が主張されている。つまり、「共生」社会の実現のためには、より強く意識的に「民族的主体性」(ナショナリズム)を堅持しなければならない、というのである。つまり、在日朝鮮人を「定住外国人」として認めさせるためには、「脱ナショナリズム」など論外で、より強固に民族主義を堅持しなければならない、そうでなければ日本政府(日本社会)の「単一民族国家意識」に飲み込まれてしまう、ということである。 こうした主張は、遅くとも1990年代前半までの在日朝鮮人による言説においては珍しくなく、「在日朝鮮人言説の変容について」で書いているように、1991年頃までの姜もほぼ同じ立場である。既に書いたように、姜は、1992年4・5月以降、「脱ナショナリズム」「反ナショナリズム」の方向へと突然転向していく。朴慶植が、上の引用で「この頃民族ということに余りこだわる必要はないという意見もあるようであるが」と書いている点も、姜をはじめとした当時の在日朝鮮人知識人の発言が背景にあると思われる。 「脱ナショナリズム」的「共生」論の前提には、姜がそうであったように、日本社会が「民主化」「市民社会化」されており(またはその可能性が開かれており)、アイデンティティの「多様性」が認められるほどに社会が「成熟」している(またはその可能性が開かれている)、といった類のバラ色の日本社会像がある。90年代にさんざん強調された社会像だ。そして、この種の社会像は、2000年代以降(特に2002年の小泉訪朝以降)の展開を見れば、破綻しているはずである。ところが、いまだにこの種のバラ色の日本社会像が前提でないと理解不能な、「脱ナショナリズム」的「共生」論が氾濫している。 今さら言うまでもないが、朴や1991年頃までの姜が強調していたように、日本国家・社会の「単一民族意識」は極めて強固なものであって、それは在特会やらネット右翼といった矮小な存在の問題ではない。和田春樹が典型なのだが、日本社会の「民主化」(の可能性)を喧伝しているリベラル・左派は、日本国家を「平和国家」だとして描いて周辺諸国の人々の認識を誤らせることと同じことを、在日朝鮮人に対して行なっている(行なってきた)と言える。信じ込もうとする在日朝鮮人も悪いのであるが。
最近読んで、全くその通り、と思ったチョムスキーの発言を引用しておこう。『チョムスキーとの対話 政治・思想・言語』(ミツ・ロナ編、三宅・今井・矢野訳、大修館書店、1980年。原著は1977年刊)からのものである。
「イデオロギーの分析の場合、視野の広さと知力とがいささかあり、それに健全なシニシズムがあればたくさんだ。たとえば、ぼくたちの社会と同じような社会におけるインテリの役割といった問題をとってみよう。この社会階級は、大学教授、歴史家、ジャーナリスト、政治評論家などをふくむもので、社会の現実を分析し、提示することを任務としている。かれらは、その分析と解釈とによって、社会的な諸事象と大衆とのあいだの仲介者の役目を果たす。すなわちかれらがつくりだすのは、社会生活のイデオロギー的な正当化だ。(中略)イデオロギーの宣伝機構から自分を引き離すだけの用意さえあれば、問題にされている諸現象が透けて見えることやインテリがでっちあげた典型的なねじまげかたに気のつかない者はないだろう。こうしたことはだれにでもわかることだ。なのにこれがおおかたうまく行っていないとすれば、そのわけは一般に、イデオロギーを対象とする考察が行なわれても、それはある階級の利益を擁護するためであって、出来事を説明するためではないからだ。/こういうわけだからこそ、専門の訓練を積んだ知識人だけが分析的な仕事をできるといった印象を与えてはいけないわけだ。それがまさしく、インテリが信じ込ませようとしていることなのだから。インテリは、門外漢にはわからない、ふつうの人のうかがい知ることもできない企てに自分が参加していると称する。これはまったくのナンセンスだ。社会科学一般、とりわけ現代の事件の分析は、これに十分関心をもとうとする者ならだれにでも完全に手が届く。こうした問題の「深奥」とか「抽象性」とかいったことは、イデオロギーの取締り機構が撒き散らす幻想に属するもので、そのねらいは、こうしたテーマから人々を遠ざけることにある。人々に、自分たち自身の問題を組織したり、後見人の仲介なしに社会の現実を理解したりする力がない、と思いこませることによって、だ。(中略)イデオロギーの分析の場合には諸事象をしっかりと見つめ、議論を深めていく意志があれば十分だ。デカルトの良識、「もっとも公平に配分されているこの世のもの」、これだけが必要なのだ…。デカルトの科学的なアプローチとはこのことだ――つまり開かれた精神でもって事実をみつめ、仮説を検証し、そして結論に到達するまで議論を深めていく意志のことだ。これ以上には、門外漢にわからないような特殊な知など、これっぽっちも必要ではない。たとえ「深奥」を究めるためでもだ。だいいちそんなものは存在しないのだし。」(42~44頁) 「社会情勢とかアメリカの対外政策――ヴェトナムや中近東など――とかについての政治討論では、きまってこんな反対を受ける。一体あなたはどんな資格があって、こうした事柄に口を出すのか、と。政治学の博士たちにすれば、ぼくのような連中など、専門家の観点からはアウトサイダーであり、こういうことを語る資格がない、というわけだ。数学と政治学とをくらべてみたまえ、ビックリするほどだ。数学や物理学で注目されるのは、語られる内容であって資格ではない。他方、社会の現実について話すためには資格が必要だ。語られる内容は留意されない。もちろんこのわけは、数学や物理学は知的に見て内容に意義がある学問であるのに対して、政治学の場合はそうではないからだ。イデオロギーの学問では、その内容や機能について強調するのは危険だ。というのも、学問は主にあるがままの諸事実を取扱うものではなく、むしろ、なんらかのイデオロギー上の要請に応じるようなやりかたで、諸事実を提出し解釈することに専念するものだからだ。」(46頁) こうした認識(特に前者)は、漠然とは多くの人に前提とされているものだと思うのだが、なかなか言語化されない。ネット上で(主に匿名で)発言する人間には自分に確信のないタイプの人が多いから、ネット上では逆に、大学教員や弁護士などの「専門家」を無批判に崇めるケースがよく見られる。「論壇」好きの(左派を含めた)教養俗物層の「専門家」崇拝については今さら語るまでもない。上のチョムスキーの発言くらいは、最低限の共通の前提として、各人が持つべきものだと考える。
チョムスキーは、イスラエルのリクードと労働党の違いに関して、以下のように説明している。
「このやり方の相違は、この二つの政治集団を支持する階層の違いにその原因をもとめることができるようだ。労働党は高学歴の専門職や西洋化されたエリートの党であり、西側のスタンダードに合わせる能力が高く、スポンサーたちには彼らがしていることを「見ない」で済むような言いわけを与えてやらねばならないということを理解している。基本的に同じ結果を得るためにリクードが取る恥知らずで粗暴なやり方は、西側の人道主義者たちを当惑させ、ときには対立やいらだちを引き起こす。」(ノーム・チョムスキー『中東 虚構の和平』中野真紀子訳、2004年8月刊、講談社、86頁。原著は2003年刊) この指摘は日本の右派と左派の違いに関して考える上で有益である。支持層の「階層の違い」がどの程度あるかはさておき、日本の左派は、東アジア共同体やら韓米日三国同盟やらその他の軍事的枠組み作りに関して、欧米や中韓などの支配層や上層に対して、現実の日本国家(の過去)を「見ない」で済むような言いわけを与えてやらねばならないということを理解している。右派はそのことを理解していない。客観的に見れば、それだけの違いである。
面白い記事と反応を見つけたので、紹介しておく。韓国の保守紙ソウル新聞の記事とそれへのネット上での反応である。
「オバマ大統領へ~韓・米・日3国同盟結びたいならまず日本に過去を認めさせよ」 http://newtou.info/entry/7230/ 前からこのブログで書いていることではあるが、近年の、和田春樹をはじめとした日本のリベラル・左派や在日朝鮮人による日本右派批判や韓日友好に向けた取り組みは、この韓国の保守紙が望んでいる「韓・米・日三国同盟」樹立という枠組みに綺麗に収斂されるようなものでしかないのである。以前、「訴訟論理を通じた転向」でも書いたように、戦後補償運動やそれ関連の言説の大部分もこの枠組みに収斂してしまった。 上で紹介した記事および反応で興味深いのは、この記者が指摘するとおり、「韓・米・日三国同盟」の樹立には日本が韓国に「過去の歴史について明らかな姿勢を見せる」(もちろん明確な過去清算ではなく、あくまでも「姿勢」である。和田春樹の主張と全く同じだ)必要があるのだが、そのような認識がこの記事へのコメントにおいて全く見られないことである。彼ら・彼女らは一斉に、この記事および韓国の「反日」性に反発している。 日本における「韓・米・日三国同盟」樹立の最大の障害は、この種の排外的な書き込みに象徴されるような日本の排外的感情にある。逆に言えば、現在の日本で最大の平和勢力は日本の排外主義である。これは皮肉で言っているのでもなんでもなく、この種の草の根の排外主義(のお陰で、「韓・米・日三国同盟」の樹立――それこそが東アジアの大規模な軍事紛争を招来するだろう――はなかなか進まないし、韓日情報協定が成立しなかったように、日本国民の世論を周辺諸国は正しく認識できるのである。日本のリベラル・左派は、こうした排外主義に無理矢理蓋をして、日本は「平和国家」であると世界の人民を騙すことに加担しているに過ぎない。今日の日本では、平和は戦争であり、戦争は平和である。 過去清算をろくに行なわず、また、当面は行なう見込みのない日本が、「普通の国」として軍事活動を行なうことに関して、日本のリベラル・左派はまともに反対しておらず、むしろ護憲派の一部は「平和憲法」の下でのそうした「平和活動」への参加を積極的に推進している。リベラル・左派を含めた「普通の国」化に沈黙したままで、日本の排外主義への批判を行い続けることは、政治的には完全に無意味であり、有害であるとすら言えよう。 このように、構造は極めてシンプルなのであって、こうした構造を踏まえないで論じられる韓国・朝鮮関係や日本の排外主義に関する言説も、これまた無意味である。論壇やネット論壇では、相変わらず韓国・朝鮮・在日朝鮮人・排外主義(在特会)に関する言説が散見されるが、この種の無駄話には生産性など何もないのであって、上記の構造へのまともな認識に立脚した言論が不可欠である。
取り急ぎ、ZED氏の下記のブログ記事を紹介しておく。
「【翻訳記事】プレシアン、岩波の社長にインタビューする」 http://sgwse.dou-jin.com/Entry/424/ 論点は多岐にわたるが、まず指摘しておきたいのは、このインタビュアー(の一人)と思われるアンウンビョルなる記者(2010年時点で25歳とのことであるから若い記者である)が、少し前に、佐藤優を韓国のリベラル・左派に売り込むかのような記事を書いている点である。 http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=50120203125638 以前の記事で、岡本厚・『世界』編集長(当時)が、佐藤を韓国の有力な政治家・学者らに売り込もうとしているかのごとき行為を行っていたことを指摘したが、今回のインタビューもそうした一連の流れを背景に置いて考える必要があるように思われる。 近年の韓国の左派メディアの右傾化に関してはZED氏が再三指摘してくれている。韓・日のリベラル・左派メディアの共犯関係が、批判・暴露されていかなければならない。特に、日本の「進歩派」への信仰がいまだに根強い韓国の人々に対して、そうした行為を通して現状を明らかにしていくことが不可欠だろう。今後、そうした取り組みを行っていきたいと考えている。
18.
「在日朝鮮人は「日本と朝鮮半島の「あいだ」に生きる存在であり、そうであるがゆえに独自の可能性を持つ」といった言説は、今日あまりにもありふれている。90年代以降においては、姜こそがこうした言説の代表的な提唱者であった。 それでは、姜において、こうした言説はいかにして形成されていったのであろうか。ここでは、姜が在日朝鮮人を規定するに際して、「あいだ」という概念をどのように用いてきたかを見ていくことで、その点を検討したい。 姜が在日朝鮮人に関して「あいだ」という概念を用いて規定したのは、管見の範囲では、「「在日」に未来はあるか」(『季刊三千里』50号、1987年5月。①)が最初である。この連載の第3回でも引用したが、改めて引用しておく。 「「定住外国人」としての「在日朝鮮人」というとき、それはどのような軛のもとで生きているのであろうか。ひとことで言えば、それは、南北に分断された祖国から 物理的に疎隔される一方、居住地日本において差別のスティグマを強要され、不断に自己解体の危機に瀕している海外定住同胞の現状の総体を指し示している。 このことは、「在日朝鮮人」が南北朝鮮・日本・「在日」という重層的な諸条件のもとに置かれた「間」(あいだ)に生きる、両義的あるいは多義的な存在として、南北朝鮮と日本の磁場から発せられる強力な磁力に引き裂かれかねないマージナル・グループであることを意味している。こ の相克から脱却する方途として、これまでは祖国への憧憬をともなった帰依があり、またその対極には日本への同化、帰化があったように思われる。」 「これまで民族=国家を中軸とする国家至上主義的な体質からすれば、国境との間にいわば鸚的に存在する「在日朝鮮人」は、得体のしれない存在として常に治安取締りの対象であった。」 前掲時に記したことを再び述べておくと、この①において、在日朝鮮人は「祖国」を持ち、その政治的・社会的営為も「あるべき祖国との有機的な関連の環」からその意義が評価されるべきとしていた立場を放棄して「定住外国人」規定に移行すると同時に、在日朝鮮人は「あいだ」に生きる存在だ、との言説が浮上しているのである。 次に、「「最底辺」で思うこと」(『ウリ生活』1号、1987年11月。②)を見てみよう。これは、『最底辺――トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ――』(G・ヴァルラフ著、マサコ・シェーンエック訳、岩波書店、1987年6月)という本の感想をもとにした短いエッセイである。同書の刊行月から見て、これが、①の後に書かれたものであることは明らかである。 ここで注目されるのは、①で出てきた「あいだ」という概念について、姜がより詳しい説明をしている点である。姜は、以下のように述べている。 「今日、日本経済の「国際化」、「多国籍化」の圧力のもと、アジアからの数多くの「ジャパゆきさん」「ジャパゆきくん」達が日本社会の隠された「最底辺」を形成しつつあることは周知のとおりである。彼らの置かれた人権無視の境遇、劣悪な労働条件、差別と蔑みの数々が、かつて玄界灘を越えて渡航してきた一世たちの境遇を思い起こさせることは、私だけの感想ではあるまい。その彼らが、今度は「定住外国人」としての在日朝鮮人よりもより劣位の「在日外国人」として苛酷な条件を強いられているのである。喩えて言えば、ちょうど現在の韓国が、NICS(新興工業国家群)の雄として、先進国と「低開発国」との中間にあるように、われわれ在日朝鮮人も日本人と新たな「在日外国人」の間に立たされた「宙ぶらりん」な存在と化しつつあるのである。それが、日本を頂点としてNICS、ASEANなどの開発途上国、さらにその底辺に位置づけられる「最貧国」といった、アジア世界の序列意識とどこかで通底していることは疑いえない。こうした意味で、「在日」はまさしく多重的に「間(あいだ)」に生きる周辺領域を形づくっていると言えよう。/そこから私達にはふたつの選択肢が残されている。そのひとつは、NICSから先進国へと昇りつめようとする「先進祖国創造」の道と同じように、限りなく日本人の地位へと近づこうとする立場である。その上限に帰化、同化が位置づけられることは言うまでもないだろう。またそれとは質的に異なっているとしても、市民権や生活権――それらの諸権利の獲得が緊要な課題であるとしても――の擁護だけに傾いた「在日」の運動が、そうした立場と連続しかねないことは度々指摘されている通りである。第二の選択としてあげられるのは、「在日」を国際的な資本と国家によって半ば植民地化されつつある第三世界の「在日外国人」に連なる存在として見定め、そこから資本と国家によってもたらされた民衆・民族世界の荒廃に抗う拠点を創造する道である。」 このように、この時期における姜の「あいだ」概念は、単に「朝鮮半島と日本の「あいだ」」といった、単純化・政治概念化されたものではなく、在日朝鮮人が日本人と新しく来日する外国人との「あいだ」に生きるという性格を持っていることを示し、在日朝鮮人が「限りなく日本人の地位へと近づこうとする立場」に陥ることを戒め、第三世界との連帯を志向するための概念として用いられている。 また、姜はこの文章の中で、①で展開された「民族文化」論の注釈とも言える主張を行っている。 「弱小の零細な第二次産業人口の多くを占める在日朝鮮人が、今後その経済的なチャンスをめぐって「在日外国人労働者」と競合しかねないことは当然予想される事態である。その時、「定住外国人」としての「在日」と「在日外国人」との間に数々の亀裂や反目が生じかねないことは単なる杞憂ではあるまい。「在日」の民族・民衆文化の真価が問われるのは、まさにその時であろう。民族運動が、荒廃にさらされた第三世界の民衆文化へと開かれていくとき、「在日」の文化はその独自の存在理由を獲得することになるであろう。そのためには、「在日」の個々の微視的な利害と文化運動との緊張を解消しうる民族・民衆の文化世界が切り開かれなければならない。」 このように、この時期の姜においては、自身の権益と地位向上のみを目指すマイノリティ集団ではなく、第三世界および第三世界出身の「在日外国人」との連帯への志向が企図されていたと言える。 こうした志向性は、「「異郷と故郷」で思うこと」(『ウリ生活』2号、1988年5月。③)でも見ることができる。これは、『異郷と故郷――ドイツ帝国主義とルール・ポーランド人』(伊藤定良、東京大学出版会、1987年)の感想をもとにしたエッセイだが、ここで姜は、「異郷と故郷の間で生きた「ルール・ポーランド人」こそ、われわれ「在日韓国・朝鮮人」の「さきがけ」」だとした上で、以下のように述べている。 「この日本にも荒廃した「故郷」から中枢の「異郷」へと移動していかざるをえない「外国人労働者」の数は増加の一途をたどって行くだろう。極論すれば、第三世界の民衆の多くが、「ルール・ポーランド人」あるいは「在日韓国・朝鮮人」と同じような歴史を歩むことになるのである。われわれが、マズール人やユダヤ人を排斥した、あのポーランド民族運動の「負の遺産」に盲目であるとしたら、それは、われわれ自身が一九世紀的ナショナリズムの「自閉症」に陥っていることの証左であろう。/それぞれの民族的なアイデンティティに根差しつつ、民衆世界の荒廃という共通の時代史的体験を分かち合いながら、同時にその歴史に独自の民族・民衆運動を創り出すのはどうしたらいいいのか、「在日韓国・朝鮮人」もこの課題のまえに立たされているのではなかろうか。」 ここでも姜は、「外国人労働者」を「在日韓国・朝鮮人」と同列視した上で、在日朝鮮人が「一九世紀的ナショナリズムの「自閉症」」(後年の姜のように、ナショナリズム一般ではない)に陥って「外国人労働者」を否定的にみることを戒めている。ただ気になるのは、ここでの論理が、②の論理とは異なっている点である。②では、「限りなく日本人の地位へと近づこうとする立場」に立とうとするがゆえに外国人労働者との連帯を拒否する、という論理だったが、それが「一九世紀的ナショナリズムの「自閉症」」のせい、ということになっている。これは後退であり、後の転向を予告するものであるとも言える。 次に、「ポスト91年」と在日の将来」(『民権協連続講座 90年代と在日』(在日韓国民主人権協議会、1991年11月)所収の講演録。目次に、1991年5月23日の講演との記載あり。⑦)を見てみよう。 ここで姜は以下のように述べている。 「私は在日朝鮮人を住民としての在日と、そして国境をまたぎその間に生きる存在としての在日朝鮮人という二重性においてとらえていかなければならないと思います。一方においては住民として生きていると同時に、同時に私たちはやはり国をまたいで生きているという、日本社会の中では極めて特殊な存在なのです。」 これは、在日朝鮮人を国と国との「あいだ」に生きる存在として規定するものであるが、在日朝鮮人は日本と朝鮮半島との「あいだ」の架け橋になるべき、というような主張はここでは見られない。この一節のあと語られているのは、「民族的なアイデンティティーを保障できるような学校教育」を作っていくために、より多くの在日朝鮮人が日本の学校の義務教育・高等教育の教員となるべきであり、そのために地方自治体の国籍条項を一つ一つ撤廃していく必要があること、「北と南とを問わず、民族学校をもう少し開いて、そして在日朝鮮人という共通性の中でなんらかの形で共に学べるような場を創りつつ、民族学校を1条校ぶ引き上げていくこと」、民族学校と地域の日本学校との交流関係を深めるためにも、地域住民運動に在日朝鮮人が積極的にコミットすること、地方自治体の選挙権および被選挙権を獲得すること、自治体の地方公務員への就職の機会を増やすこと、全国レベルでの在日朝鮮人の就職に関するオンライン上での情報交換の場を創ること、在日朝鮮人の経済的基盤創出のために南北を問わない「在日の金融機関の合併」を今後10年間で進めること、「在日同胞が密集している6大都市に、文化センターをこの10年間で作っていくこと」、「在日同胞と海外同胞との交流を文化センターをキーステーションとして作ってい」くこと、といったものである。最後に挙げた点については、より詳しく、以下のように述べている。 「世界中に海外同胞は約500万もいます。延辺自治区に約200万、ソ連国内に40~50万、それから、ドイツにも相当数がいる。東南アジアにも相当いる。在日同胞も含めて約500万いることになります。その国際的なネットワーキングを作りながら、日本に対する国際的な圧力を、例えば国連の場や人権委員会の場を通じて広げていくことが必要になってきます。これは少しずつ可能性が出てきました。そういう組織作り、あるいはネットワーキング作りというものを進めていくべきではないでしょうか。」 また、この連載の第9回でも引用したように、この⑦において、姜は以下のように述べている。 「今のような現状が続く限り、在日同胞の帰化を食い止め、朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちつつ、そして統一された祖国との関係を持ちながら、そして南北朝鮮をまたぐ、ユニークな存在として生きることのできる可能性を開いていくのは、個別としては可能かもしれませんが、マジョリティ―としてはなかなか難しいだろうと思います。そのための具体的なことを考えなければならない。そういう時期に来てると思います。そういうことを今まであまりにも考えてこなかったということですね。」 このように見てくると、⑦における「国境をまたぎその間に生きる存在」との規定は、朝鮮半島と日本の架け橋になるべきといった主張というよりも、むしろ、「朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちつつ、そして統一された祖国との関係を持ちながら」、在日朝鮮人が日本社会で「定住外国人」として生きていくためには、朝鮮半島だけでなく日本の社会への進出が必要であること、また、国境を越えた朝鮮人ネットワークによる日本への国際的圧力も活用できるということを主張するために、利用されるべき条件として置かれていると解釈するのが妥当であると思われる。 また、この⑦においては、在日朝鮮人の特殊性は、上述のような「あいだ」の観点よりも、以下のような日本社会の本質的閉鎖性との関連で強調されている。 「私たち在日の問題を国際人権やあるいは国際的なレベルまで引き上げて考えていこうとすれば、日本の社会を根本的に作りあげている核心部分の修正を迫られます。なぜ在日朝鮮人をこれほどまでに日本国家が敵視してきたのか、それは私たちの存在自体が日本という国の近代国家の成り立ちの核心部分に触れるような存在だからです。そういうふうに考えざるを得ないんじゃないかと私は考えています。」 以上のように、この1991年の時点では「あいだ」論は単純化・政治概念化していない。それがほぼ確立した形で見られるのは、管見の範囲では「「在日」の新たな基軸を求めて――抵抗と参加のはざまで」(『季刊青丘』13号、1992年8月。⑧)が最初である。以下、引用しよう。 「「在日」の定住化が不可逆的な傾向であるとしても、「在日」は依然として朝鮮半島と日本、あるいは三つの国家の「あいだ」に生きる存在であることは否めない。」 「冷戦の氷解とともに国家の論理ではなく、民族の立場から和解と統一への模索がはじまり、国家主導のナショナリズムではなく、民族主導のナショナリズムが現実の力を獲得するようになれば、在日にとってもそれは大きな転機となるはずである。「在日」が日本と朝鮮半島の「あいだ」に生きる特異な存在として、独自の意味と役割を果たしうる可能性は完全に摘み取られているわけではない。」 前述のように、かつての「あいだ」論は、在日朝鮮人の生の条件を規定する概念であり、また「日本人と新たな「在日外国人」の間」のような形の用法で用いられていたものであったが、ここでは、日本と朝鮮半島の「あいだ」の存在として、限定的に用いられた上で、そこにこそ在日朝鮮人の「特異」性と「独自の意味と役割」があると規定されている。 在日朝鮮人の特異性と独自の意味と役割が、「あいだ」にあるとする規定は、以下のような形でも同時期に展開されている。 「複合的なアイデンティティというものが、実は人間にとって実体に則した、ノーマルな生き方なんだということ、そういう生き方ってないのだろうかと考えてみると、在日の人が、民族的なエスニシティをもちつつ、しかもこれが本国にあるような、自分たちの祖国なら祖国と呼ばれているようなそこに何かアイデンティファイすることによってじゃなく、在日は在日という一つの中で、いわば三つの国家の狭間の中で生きていて、国家というものを対象化できるような存在として生きられないかと考えるわけです。そう考えていくと、在日のおかれている立場というのは、在日として自覚を持って生きようとすると好むと好まざるとにかかわらず、ある国家の臨界点にいかざるを得ない。なぜかというと、国家が仕切ろうとしているものとは無理があるところにおかれていおるわけ。」 (姜尚中・斎藤純一(司会・田崎英明)「複合アイデンティティの実験――アムネジアを越えて」『インパクション』79号、1993年3月刊、対談の日付は1993年1月18日) ここでは「三つの国家の狭間」=「あいだ」にあることにこそ、「国家の臨界点にいかざるを得ない」、「「在日」の人」の独自性があるとされている。同時期の以下の主張も、国家の「あいだ」にあることにこそ、在日朝鮮人の意義と独自性があるとする主張である。 「キム弁護士(注・金敬得)ともよく話すことですが、歴史的な過去を背負っているため、日本人が朝鮮半島の批判をしても受け付けられない。しかし在日が祖国にある問題点を指摘すれば、日本人が言う以上に聞いてくれるかもしれない。あるいは、日本の社会の持っているさまざま良い点を本国に伝えることも、在日を通じてならできるかもしれない。このような、言葉の真の意味でのブリッジの役割を在日は果たせると思います。/そのためには、一億二千万と比べて、たかだか六十数万の在日を同化する、一億二千万の色に合わせてしまうのではなく、在日としてのアイデンティティを積極的にサポートする、そして在日はそれに応えていく。こういう関係がなければならないと思います。/同じことが本国に対しても言えます。北も南も在日に積極的に手を差し伸べ、在日として積極的に生きていける状況をつくる必要があります。これまでは、海外同胞ということで、同胞としての一体感もあったでしょうが、本国に住んでいる人よりも事実上一ランク下と見做され、また本国からの現実的な差別もありました。/在日の果たす役割は、その役割を育てる環境があれば、非常に大きい。同時に、その環境を作るように在日が働きかけなければならない。働きかけることによって、在日は、日本・朝鮮半島・中国の将来のゆるやかな結びつきを作る重要な先駆者となり得る。日本での数は少なくとも、そういう存在になり得ると思います。/皆さん御存じのように、ヨーロッパ資本主義にとり、ユダヤ資本が果たした役割は非常に大きいものでした。しかし、彼らが国境を越えて動いたことが、その大きな役割に繋がっていきました。在日の役割もそこにあるのではないかと思います。在日がハザマに生きていること、日本と朝鮮半島の間、住民と民族との間など、つねにそのハザマに生きていることに、在日の持っているポジィティブな役割があると思います。」 (金敬得・姜尚中・鈴木二郎『国家・民族・人権――在日の立場から』「朝鮮問題」懇話会、1994年4月刊、54~55頁。「まえがき」によれば、同書は「1993年11月20日に明治大学大学院棟でおこなわれた公開講座における金敬得、姜尚中両氏の報告に加筆したもの」) ここでは在日朝鮮人が国家の「あいだ」にあることの意義と独自性が、「日本・朝鮮半島・中国の将来のゆるやかな結びつきを作る重要な先駆者となり得る」という観点から強調されている。 以上のように、92年頃を境目に、在日朝鮮人が日本人と、新たに来日する外国人との「あいだ」の性格を持つものという認識は消え、また、「朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちつつ、そして統一された祖国との関係を持ちながら」在日朝鮮人が日本社会で「定住外国人」として生きていくために利用されるべき社会的条件として「あいだ」を規定する解釈も消える。在日朝鮮人を「あいだ」の観点から規定する主張は、日本と朝鮮半島との「あいだ」に在日朝鮮人が存在するがゆえに「日本・朝鮮半島・中国の将来のゆるやかな結びつき」を作るために「重要な先駆者」となり得るという政治的主張、また、在日朝鮮人が「国家」「民族」にアイデンティファイされないことを示すものとして展開されることになる。こうした主張は、論文「内的国境とラディカル・デモクラシー――「在日」の視点から」(『思想』1996年9月号)にまで発展することになる。 「在日韓国・朝鮮人に即して言うと、自己否定や自己憎悪の反動が、民族的本質の発見、発掘とその分節化へと極限化され、日本におけるサバルタン的な地位からの脱却が対抗的な「国籍文化」への同一化となってあらわれてきた。それはおそらく、黒人におけるネグリチュードの発見とその復活と平仄を同じくしていると言えよう。」 この一節については後でも詳しく触れるが、ここで注目されるべきは、姜が、「黒人におけるネグリチュードの発見とその復活」をも「自己否定や自己憎悪の反動」だと捉えて否定し去っている点である。つまり、国家や民族にアイデンティファイすることを否定的に捉える92年頃以降の「あいだ」論は、かつて主張していた、第三世界への連帯の否定も含意していたのである。 なお、私はこの連載の第9回で、1992年頃の姜の転向が、1991年に最初に表明されたと思われる東アジア共同体論の構想の結果として生じている可能性を指摘したが、この「あいだ」論の性格の変容に関しても同様の点が指摘できる。上で挙げた、「日本・朝鮮半島・中国の将来のゆるやかな結びつきを作る重要な先駆者となり得る」との発言はそれを端的に示している。後年の、姜の自伝『在日』(講談社、2004年)の「エピローグ」には、こうした言説の発展型が述べられている。同書より引用しよう。 「彼ら(注・在日朝鮮人の若い世代)にネガティブだと考えられている条件が、じつは必ずしもそうではなく、逆にポジティブなものに変化できるのだと、言ってあげたいのだ。/それは、「在日」の役割が今ほど大きい時代はないということ、そして、自分たちの生きる場を東北アジアに広げられれば、「在日」こそ、その先端的な役割を果たせるのだということである。/学生たちにはそう何度も話した。個人史的に見ても、自分の示そうとしている方向は誤っていないと思う。わたしは、次の世代がそこに活路を見出すことを願っている。」(217~219頁) 「自分が「在日」で生まれ、「在日」という未完のプロジェクトを生きて、今どこに向かおうとしているかを考えると、この五年、あるいは十年、わたしはずっと東北アジアに目を注いできた。/その東北アジアを拓いていく重要なネットワークのひとつが、「在日」である。これまで「在日」は、日本の境界の中でしか生きられないという閉塞した状況にあった。「在日」であって、「東北アジアに生きる」ということは、決して断絶ではない。国や地域を超えて、輪のようにつながっている、そういう生き方ができるのではないか。残された人生を、この東北アジアにつながって生きるということのために、それを阻んでいる要因をひとつひとつ克服していく作業に費やしていきたいと願っている。」(225頁) 以上のように、在日朝鮮人を諸国家の「あいだ」に生きるとする規定は、「定住外国人」規定と連動して生じているもの(①)である。また、そのような規定は、必ずしも「脱国家」や「反(脱)ナショナリズム」や「複合的アイデンティティ」といった概念を導くものではなく、そこにその種の概念の条件を見ようとする視線は、別種のイデオロギーの産物であり、恐らくそれは東アジア共同体構想のような政治的構想と連動している。そして、「あいだ」に関する規定の変容により、日本人と新しく来日する外国人との「あいだ」にあるとの指摘・自己認識が消え、在日朝鮮人が「限りなく日本人の地位へと近づこうとする立場」への戒め、第三世界との連帯への志向も基本的に消滅することになる。 92年以降の姜の主張は、「共生」社会の実現、という主張を展開する在日朝鮮人(表向きは「共生」批判をしながらも、実質的には同じような「反(脱)ナショナリズム」といった主張を行なっている人物も多い)によく見られるものであるが、上の姜の軌跡は、「共生」論者たちの主張に関して重要な示唆を与えてくれる。つまり、在日朝鮮人を「反(脱)ナショナリズム」の存在で「東アジア共同体」づくりの架け橋となり得るなどとの規定は、在日朝鮮人の日本人と新来外国人との「あいだ」という性格から来る「限りなく日本人の地位へと近づこうとする」傾向を隠蔽し、第三世界との連帯への志向、という当為を捨象する、ということである。そうすると、「外国人労働者問題」は、先進国と第三世界という構造的な性格は捨象された上で、単に日本国内の「人権」一般の問題ということになる。本来、在日朝鮮人が新来外国人について言及する場合、80年代後半の姜のように、自身がどちらにつくかを選択しなければならない。ところが、「反(脱)ナショナリズム」の立場ならば、先進国と第三世界という構造的な観点からではなく、日本社会の構成員としての、外国人への適切な処遇を求める、という主張になる。これは「国益」論とも整合しうる主張である。 日本社会の構成員(住民)である外国人一般の処遇改善を求めるという主張は、在日朝鮮人がどちらにつくか、という問いを隠蔽している。そのような主張をすればするほど、先進国による歴史的・構造的開発・搾取の結果としての外国人労働者問題という性格は捨象され、在日朝鮮人も立場を問われずに済み、在日朝鮮人が「限りなく日本人の地位へと近づこうとする」ことによる問題性も隠蔽されることになる。
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