by kollwitz2000 カテゴリ
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2010年 02月 03日
既に述べたように、佐藤は被告準備書面(2)で、論文「<佐藤優現象>批判」(以下、論文と略)内の9箇所について、佐藤の発言を「曲解している」などと主張している。
これから、この9箇所について、佐藤側の主張と私の反論を、紹介していこう。 論文でも指摘したが、佐藤は右派メディアと左派メディアで主張の使い分けを行なっているわけである。だがこのやりとりにおいては、佐藤は弁明のために、自らの立場を一方に(今回は「左」に)固定せざるを得なくなっている。これは、佐藤の読者には周知のように、佐藤にとっては極めて珍しいことである。以下のやりとりは、そのような面からも鑑賞していただきたい。 佐藤は、自身の『週刊新潮』での発言「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません。」の根拠の一つとして、佐藤は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への武力行使の必要性を主張していないことを挙げている。だが、以下で示すように、佐藤は北朝鮮への武力行使の必要性を主張しており、これによって、『週刊新潮』での発言が正当化されるはずもない。 まずは、佐藤側の主張、被告準備書面(2)の該当箇所を紹介しよう(下線強調は原文、太字強調は引用者)。 「(1)「論文」127頁上段21行目~下段1行目 《以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。》との記述がある。 しかしながら、被告佐藤が武力行使の必要性を精力的に主張している事実はない。 たとえば、フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年6月6日「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)において、「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる。これは良いとか悪いとかいう問題でなく、国際政治の構造が転換したことによるものだ。」として、戦争を問題解決の選択肢の一つとしてあげているにとどまる。 また、週刊金曜日「佐藤優の飛耳長目」2007年1月19日「六者協議と山崎氏訪朝をどう評価するか」31頁(乙3号証)においても、「北朝鮮情勢についてはもはや解決不能であるとあきらめてしまってはならない。現行の国際法では、戦争は違法化の傾向にあるものの、完全に禁止されているわけではない。北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい。金正目政権にもその覚悟はできているはずである、戦争になり、北朝鮮が寧辺のチェルノブイリ型原子力発電所を自爆するだけでも北朝鮮のみならずロシア、中国は確実に放射能で汚染され、さらに死の灰は韓国や日本にも降ってくる。この一点だけをとってみても問題を平和的に解決する算段を最後の最後まで考えることが日本の国益に貢献する。」「北朝鮮との対話をあらゆる経路を使って継続的に行うことが重要だ。」として、北朝鮮に対するカードとして最後には戦争もありうることを明らかにしつつも、対話による平和的解決が日本の国益にとって重要であることを明確にしているのである。」 この箇所については、佐藤側の主張はこれで全部である。以下は、私の反論(原告準備書面(2))である(下線強調は原文、太字強調は引用者)。 「(1)「論文」127頁上段21行目~下段1行目 《以下の叙述でも指摘するが,佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)武力行使,在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。》との記述について。 被告は,「被告佐藤が武力行使の必要性を精力的に主張している事実はない。」と主張しており,その論拠として,二つの事例を挙げている。 まず,被告は,「フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年6月6日「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)において,「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる。これは良いとか悪いとかいう問題でなく,国際政治の構造が転換したことによるものだ。」として,戦争を問題解決の選択肢の一つとしてあげているにとどまる。」などと主張している。 だが,「論文」でも指摘したことであるが,乙2号証においては,「このような状況に「ケシカラン」と反発しても事態は改善しない」としながらも,他方で,「1938年のミュンヘン会談でイギリス,フランスから妥協を取り付けチェコスロバキアからズデーテン地方を獲得したナチス・ドイツと同じような「成果」を現在,北朝鮮が獲得している。」というように,北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。」と発言している。 また,被告佐藤は,2006年6月に生じた,ハマスのテロヘの対策を名目としたイスラエルのパレスチナ攻撃に関して,同年6月30日に目本の外務省が発表した,イスラエルとパレスチナの双方に「最大限の自制」を呼びかける声明に対して,以下のように発言している(甲39号証,「彼我の拉致問題」『地球を斬る』角川学芸出版刊,2007年6月10日発行,116~117頁。初出はインターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」「彼我の拉致問題」2006年7月6日付) 「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは,人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については,軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える。」 「そもそも「最近のパレスチナ武装勢力による暴力やイスラエル軍による軍事行動により,事態が悪化していることを深く憂慮する」というイスラエルとパレスチナを対等に扱う(注・外務省の声明の)基本姿勢が間違っている。 本件については,パレスチナ自治政府の「国家犯罪」とイスラエルの対応における行き過ぎを同一視すべきではない。北朝鮮による日本人拉致問題の解決を国際社会に訴える必要がある日本としては「いかなる国家による拉致も認めない」という姿勢を明確にすることが国益にかなうと筆者は考える。国際社会においてイスラエルが持つ重みを正確に踏まえた上で,現在,中東で生じている事態を北朝鮮による日本人拉致問題解決に向けてどう使うかについてインテリジェンス(知恵)を活用するのだ。 2006年7月2日未明,イスラエルはパレスチナ自治政府首相府をミサイル攻撃し 建物の一部を破壊した。自治政府のハニヤ首相は「パレスチナ人民の象徴への攻撃だ。イスラエルにこの正気とは思えない政策をやめさせるよう,国際社会とアラブ連盟に介入を求める」(7月3目付『朝日新聞』朝刊)と国際社会の同情を得るべく腐心しているが,国家に準じる国際法の主体と言えるパレスチナ自治政府が「国家」として拉致を行ったことに日本政府は目をふさいではならない。 国家による拉致やテロを認めないという大原則に立って,日本政府は対パレスチナ政策を見直すべきだと思う。(2006・7・6) <検証>日本外務省がイランに対して甘いこととメダルの表裏の関係にあるのだが,日本の対イスラエル外交はあまりに冷淡だ。イスラエルは中東地域において,自由,民主主義,市場経済という共通の価値観を共有できる数少ない国家である。自国民が拉致された場合,武力を行使してでも奪還を図るイスラエルの姿勢から日本が学ぶべきことは多い。北朝鮮による日本人拉致問題の解決のためにイスラエルと共闘していくことが重要だ。」 また,一方で被告佐藤は, 「拉致問題が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国家による日本人の人権に対する侵害であることは論を俟たない。それと同時に,北朝鮮の国家意思に基づいて工作員が主権国家である日本の領域に不法侵入し,日本国民を拉致したという日本国家の主権に対する侵害でもある。日本国家の国権と日本人の人権が侵害された複合的な事案であり,拉致問題の完全解決は日本として譲ることのできない国家としての原理原則問題だ。拉致問題を疎かにするようでは日本国家が内側から崩壊する。逆に現在,日本外務省が北朝鮮に対して毅然たる対応をとらず,戦略的外交を展開して北朝鮮を追い込めていないのは,日本の国家体制が内側から弱体化していることの現れなのかもしれない。」(甲40号証,『別冊正論』Extra.02,2006年7月29日発行,産経新聞社刊,27~28頁) などと主張しているのであるから,そのような認識の下での被告佐藤の, 「軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しい。」 「武力を行使してでも奪還を図るイスラエルの姿勢から日本が学ぶべきことは多い。北朝鮮による日本人拉致問題の解決のためにイスラエルと共闘していくことが重要だ」 といった発言について,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張している,と解釈することが正当であることは明らかである。 したがって,被告が問題にしている乙2号証の文章においても,上記のように,被告佐藤が同じ連載「フジサンケイビジネスアイ 地球を斬る」の別の回で対北朝鮮武力行使を精力的に主張している以上,北朝鮮をナチス・ドイツに準えた上で,「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる。」とする発言も,同様に,対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているものであることは明らかである。 また,被告は, 「週刊金曜日「佐藤優の飛耳長目」2007年1月19日「六者協議と山崎氏訪朝をどう評価するか」31頁(乙3号証)においても,「北朝鮮情勢についてはもはや解決不能であるとあきらめてしまってはならない。現行の国際法では,戦争は違法化の傾向にあるものの,完全に禁止されているわけではない。北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい。金正日政権にもその覚悟はできているはずである,戦争になり,北朝鮮が寧辺のチェルノブイリ型原子力発電所を自爆するだけでも北朝鮮のみならずロシア,中国は確実に放射能で汚染され,さらに死の灰は韓国や日本にも降ってくる。この一点だけをとってみても問題を平和的に解決する算段を最後の最後まで考えることが日本の国益に貢献する。」「北朝鮮との対話をあらゆる経路を使って継続的に行うことが重要だ。」として,北朝鮮に対するカードとして最後には戦争もありうることを明らかにしつつも,対話による平和的解決が日本の国益にとって重要であることを明確にしているのである。」 と主張している。 だが,原告は「論文」において,乙3号証の文章については,「『金曜日』での連載においても,オブラートに包んだ形ではあるが,「北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている」と記述しているに過ぎないのであって,上記の引用にもあるように,その記述自体は正当である。 また,被告は,乙3号証のような,『金曜日』というリベラル・左派雑誌での被告佐藤の主張を挙げることが,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているとする原告の解釈への反証となると認識しているようだが,『金曜日』での主張が,「フジサンケイビジネスアイ 地球を斬る」での主張を相殺するはずもない。そうした被告佐藤の「左」「右」メディアにおける主張の使い分けこそ,「論文」で取り上げたテーマの一つである。 しかも,乙3号証での「現行の国際法では,戦争は違法化の傾向にあるものの,完全に禁止されているわけではない。北朝鮮に対するカードとして,最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい。金正日政権にもその覚悟はできているはずである」といった主張が,日本国憲法第9条の掲げる平和主義に背反していることは明らかであって,そのような一節を含む乙3号証の文章が,被告の言うような「対話による平和的解決」を訴えたものとは到底言えないことは明らかであり,したがって,乙3号証は,被告佐藤が対北朝鮮武力行使を精力的に主張しているとする原告の解釈への反証に全くなっていない。被告の主張は失当である。」
by kollwitz2000
| 2010-02-03 00:00
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