by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2010年 02月 06日
『金曜日』はもう影響力もほぼなくなったようなので放置していたのだが、読むと必ず私の心の琴線に触れるネタを提供してくれる。
今号(2010年2月5日号)の佐高信と中島岳志の対談「21世紀の石橋湛山」での、中島の発言より引用する(強調は引用者)。 「僕は保守陣営から『週刊金曜日』の編集委員になって、あいつはやっぱり左傾化したって言われてると思うんですが。しかし、重要なことは、左と自認する人たちとどこまで合意形成ができるか。お互いの思想をちゃんと分かち合いながら語り合うこと。他者との価値の葛藤に耐えながら合意形成をする。それしか僕、新自由主義の越え方ってないと思うんですよ。そしてこれが、保守の構えであると思います。湛山が大切にしたのは、そういうもののはずだ、というのが僕の考えているものです。」 私はこの一節を読んで唖然としてしまった。中島は、「僕は保守陣営から『週刊金曜日』の編集委員になって、あいつはやっぱり左傾化したって言われてると思う」などと言っているが、これは真逆ではないのか。「保守陣営」の一般的な中島評価は、もともと「サヨク」である中島が、「健全な保守」が朝日をはじめとしたリベラル・左派にウケがよいから、論壇政治上、「保守」の仮面をかぶっているだけ、というものである。そして、その評価に異論の余地はない。あまりにも見え透いているから、「保守陣営」の中でも、西部邁や佐藤優のような、「論壇政治」で動く人物とその子分しか相手にしていない。中島は、『金曜日』読者(私は違うが)を完全にナメている。 中島が、自分への「保守陣営」によるそのような評価を知らないはずがない。それでも中島があえてそのように発言しているのは、もちろん、新自由主義反対という名目での左右連携をプロパガンダしている、佐高をはじめとした論壇政治屋に対して、自分を高く売り込むためであろう。 中島が「保守」しようとしているのは、「伝統」でも「国のかたち」でもない。「論壇」や「マスコミ利権」や「アカデミズムとマスコミとの馴れ合い」である。この馴れ合いたがる人々においては、表向きの看板と違って左右対立などもともとなく、巨人対阪神、という程度の意識しかない。そのような「保守」であるからこそ、大して本も売れていないのに、中島は「保守」思想家としてマスコミで活躍できるわけである。
by kollwitz2000
| 2010-02-06 00:00
|
ファン申請 |
||