by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2010年 03月 13日
在特会の桜井誠へのインタビュー(しかも桜井に批判的ですらない)掲載など、もうまともに取り上げる気すら起こさせない『金曜日』だが(15年前くらいの、終刊間際の『新雑誌21』に誌面の雰囲気が似てきている)、最近の特徴として一点指摘しておくと、朝鮮学校排除問題をほとんど取り上げていないことが挙げられる。前々号(2月26日売)では皆無、前号(3月5日売)では編集後記で編集部員の一人が若干触れたのみ、今号でようやく取り上げられたが、「金曜アンテナ」の欄でごく短く触れるのみで、それも、「彼ら彼女らの声(注・朝鮮学校生徒)を政府関係者は聞くべきだ。「もっと朝鮮高校のことを知ってほしい。大歓迎します」と笑顔を見せるのだから。 」という末尾からもわかるような、微温的なものである。「人権」の擁護を謳う雑誌が、この問題を取り上げないで一体何を取り上げるというのだろうか。
これは、『金曜日』に限らない、『世界』の最新号(4月号。3月8日売)も同じである。『世界』に至っては、言及すらされていない。月刊誌だから問題が表面化した時点では校了日を迎えていた、と思われるかもしれないが、大田昌秀・佐藤優対談「沖縄は未来をどう生きるか」では、2月24日の沖縄県議会による普天間基地の県外・国外移設を求める意見書可決について、2人でやりとりを行なっている(この意見書可決については、松本剛「沖縄産業復興に尽くしたアメリカ人」(197頁)も言及している)。中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校の排除を文科省に要請したことの第一報は2月21日朝であり、それ以降次々と、政権内部で排除論が有力になりつつあることが報じられていた。したがって、もし『世界』がこれを重要な問題だと見なしていれば、例えば「世界の潮」欄(時事ニュースを扱う欄)で取り上げるなど、何らかの措置は可能だったはずである。また、24日以降に書かれたはずの、同号の岡本厚『世界』編集長による「編集後記」にも、朝鮮学校排除問題は言及されていない。要するに、『世界』はこの問題を重要だとは見なしていないから、あえて取り上げるようなことはしなかった、ということである。 私は、2月24日にアップした記事「朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象>」で、以下のように書いた。 「「就学支援金」支給対象から朝鮮学校を外そうという動きが、差別的であることは明らかだが、これは、<佐藤優現象>と同質のものであり、またその帰結でもある。そして、リベラル・左派メディアに、仮に朝鮮学校排除に対してそれなりに真っ当な批判が掲載されるとしても、当該メディア全体の枠組みとしては、レイシスト的な、排外主義的なものにならざるを得ないだろう。リベラル・左派メディアのそのようなものへの変質は、既に終わっている。 これは在特会問題とも通じるが、朝鮮学校排除案の成立阻止が最優先であることはもちろんであるが、それとともに、朝鮮学校排除案を成り立たせているような土壌――その象徴が<佐藤優現象>である――自体が問われなければならないだろう。今回の排除案こそが、佐藤が主張していたことの現実化であり、<佐藤優現象>の政治的可視化なのであって、そのような姿勢で今後の展開を見ていく必要があると思う。 」 だが、結局、『世界』や『金曜日』は、「それなりに真っ当な批判」すら(『世界』に至っては、単なる批判すら)掲載しなかったのである。「今回の排除案こそが、佐藤が主張していたことの現実化であり、<佐藤優現象>の政治的可視化」という私の主張を裏書きしてくれているようなものだが、この両誌の実質的沈黙は、この問題が2月21日以来、政治的焦点になっており、朝日・毎日・読売ですら排除に一応は反対している現在、極めて異様に映る。 では、これはなぜなのか。多分それは、この両誌が、日刊ゲンダイと並び、左右を問わず現在のメディアの中で突出して民主党政権を擁護していることと関係があると思う。 まず考えられるのは、民主党政権への風当たりを少しでも弱めるために、実質的な沈黙を選んだ、ということであろう。また、仮にこの問題で排除反対の論陣を張れば、民主党政権が朝鮮学校排除でいくと決まった場合、今後、政権を擁護していくことがやりにくくなってしまうという点もあると思う。 上の推測とも関連するが、もう一つ考えられるのは、小沢一郎ら民主党幹部への遠慮である。今回の排除の背景に、参議院選への効果を狙った小沢の意志が働いていると見るのはそう荒唐無稽でもないだろう。 ところで、今号の『金曜日』で佐藤優は、国民新党の下地幹郎衆議院議員を批判している。また、3月6日発売の『創』4・5月号の連載では、創価学会への擦り寄りぶりをエスカレートさせて、以下のような発言まで行なっている。 「公明党は、宗教政党であるという批判を恐れるべきでない。池田氏が強調する「国家主義というのは、一種の宗教である。誤れる宗教である」という基本線に立って、公明党が一日も早く、民主党連立政権に加わり、権力の内側から民主党のファッショ化を阻止する砦になることが、日本国家の暴走を防ぐ現実的処方箋であると筆者は考える。(2010年2月22日脱稿)」 佐藤の「ファッショ化を阻止」云々は口実だからどうでもよいが、こうした佐藤の発言は、民公連立を念頭に置いているものだと思われる。以下はそれこそ「陰謀論」めくが、これは多分、民主党内あるいは小沢の政治的意志として民公連立の声がかなり強くなりつつあることを佐藤が知っていて、民公連立政権においても存在感を維持するために先んじて自己宣伝をやっている、ということではないかと思う。佐藤が知っているということは、当然、岡本編集長や佐高らも知っているということであろう。 社民党が切られれば、リベラル・左派ジャーナリズムの政権への影響力(といってもしれているが)は大幅に低下するから、リベラル・左派ジャーナリズムは是が非でも民公連立を避けたいだろう。せっかく政権上層部と人脈を築き上げたにもかかわらず、自分たちがここで騒げば、小沢や民主党幹部たちに自分たち左派は切られてしまう、という思いがあるのではないか。したがって、そのためには、小沢ら民主党幹部を窮地に追い込み、不興を買うような真似は絶対にしてはいけない、ということになる。そこから今回の両誌による、朝鮮学校排除問題への実質的な沈黙という事態が生まれたのではないか、と私は推測している。 政府は、4月当初段階では、朝鮮学校を支給対象から排除する方針を固めたと報じられている。右と「左」の争いで、右が勝利したわけだ。私の上述の推測が正しければ、これで、小沢や民主党幹部が社民党との連立解消を企てる危険は遠のいた、と両誌の編集者たちは内心安堵しているのかもしれない。それどころか、排除の方針が確定しさえすれば、「朝鮮学校の排除に憂慮する」などと、「良心派」らしく振る舞えるわけだ。よかったですね!
by kollwitz2000
| 2010-03-13 00:00
| 在日朝鮮人
|
ファン申請 |
||