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2010年 06月 01日
1.
社民党の連立離脱で歓迎すべきは、ここ数日間の、基本的に報道価値など存在しない、社民党内部のゴタゴタのニュースの洪水が一段落してくれることであろう。もはや今国会で民主党が通したがっていた重要法案は、臨検特措法案も含めだいたい成立しており、郵政法案には社民党は協力する旨述べており、国会法改正は、社民党議員も法案の共同提案者であるから反対できるはずもなく、社民党の連立離脱云々に大した意味はない。連立離脱は、民主党内での鳩山おろしの動きとも連携しつつ行われているのであって、社民党が民主党の別働隊という性格は基本的に変わらないだろう。 最近、地方在住の知人が社民党の人から聞いた話によれば、その地方では今や、当選の見込みがないから市議選にすら候補者を擁立できなくなっているらしい。各種の世論調査を見ても、社民党の支持率は低い。福島瑞穂も、このままでは参議院選の一議席(福島)の確保すら危ないと見て、今回の「頑張り」に及んだのではないか。議員でなくなれば、福島個人の今後の政治活動は大幅に制約されてしまう。福島が「私を罷免することは、沖縄を切り捨てること、国民を裏切ること」などと、まるでフランス革命下の政治家のように芝居がかった発言をしているのも故なしとしない。 「連立よりほかに道はなかった」ということは決してない。「みんなの党(再版「日本新党」)と大連立」で書いたように、初めから連立など組まなければ、今「みんなの党」に流れている民主党への不満の声を社民党は一定吸収しえたはずであって、その存在感を下に「県外移設」反対を主張した方が、はるかに抑制力に成り得ていただろう(無論、社民党の「グアム・テニアン」案は全く容認できないが)。この場合は恐らく、民公連立政権になっていただろうが、ある右派サイトも指摘しているように、基地移設問題での公明党の論調は世論次第で日和見しているのであって、公明党の政治力は社民党とは雲泥の差であるから、民主党にとっては社民党などよりはるかに厄介であったはずである。無論、それならば絶対に「県内移設」は防げた、などとは言わないが、少なくとも、連立への参加以外にで選択肢がなかった、ということではない。以前に書いたように、基本的にこれは「日本国民」としての内部の問題なので、私自身は特に主張するわけではないが、民主党の胸先に依存する大博打であった、連立への参加を行っていなければ、仮に「県内移設」を民主党政権が決めたとしても、反対運動全体がより強く展開できたはずである。 民主党は、社民党との連立でリベラル・左派を味方につけつつ、公明党との連立という厄介かつ計算困難な道に進むことなく、トップの金権スキャンダルや政権の支持率低下を受けながらも、多くの重要法案の成立と「日米合意」にこぎつけたのである。鳩山が辞任しようがしまいが、これで、参院選で大敗したとしても、連立の組み替えで、民主党政権は比較的安泰であろう。皮肉抜きに、鳩山首相はなかなか強かな政治家だと思う。 2. 政局話はさておき、私がこのところ気持ち悪く思うのは、一部のメディアやウェブ上の左派の、福島瑞穂は頑張った、社民党は頑張った、という論調である。便宜上「頑張った」論、としておこう。 はじめに確認しておかなければならないが、そもそも国会法改正や臨検特措法案に賛成しているのであるから、事実の問題として、護憲政党としての社民党は終焉している。「頑張った」論は、この明白な点を黙殺することによってのみ成立するものである。 それでは、国会法改正や臨検特措法案に賛成しながら、「県内移設」に反対する心性および論理とは、いかなるものであるのか。格好の文章があるので、見ておこう。 佐藤優は、以下のように主張している(強調は引用者)。 「実は今、沖縄は勝っている。一昔前なら、昨年11月のオバマ米大統領訪日前に辺野古移設の決定を強行されて終わり。少なくとも年内には決まっていた。 国家間の国際約束には2種類ある。法的拘束力を持つ「条約」と、法的拘束力のない「合意」。海兵隊のグアム移転協定は国際法的には条約だ。対して普天間の辺野古移設は日米間の政治合意でしかなく、重みが違う。政治意志で変更することが可能だ。小沢発言を受けて、外務省国際法局はすでに辺野古を落とす(除外する)準備を始めていると聞いている。物事は動いている。私は外務省にいたから官僚の動きがよく見える。 県外・国外移設は沖縄の「地域エゴ」との指摘もあるが、そもそも国家は地域エゴのぶつかり合いで成り立っている。しかも沖縄には「平和」「戦争を起こさない」という大義名分がある。堂々と主張すべきだ。民主主義は数の論理だから、国民の1%にすぎない沖縄県民が何も言わないのは圧倒的に不利だ。 一方、日本が沖縄に関して米国に譲ってもらうと、それに対する見返りをしないといけない。そこで集団的自衛権の行使が出てくる可能性はある。より機動的に自衛隊を海外へ派兵する形を整え、総合的に日米同盟を強化する目的だ。 実は護憲、とくに憲法9条を守る意味もある。集団的自衛権は憲法上、国家として持っているが、内閣法制局の解釈として行使できないとなってきた。憲法を変えずに解釈の変更で済ませば、9条の文言を変える必要が無く、結果的に憲法を守れる。この議論も、最終的には国民の判断を尊重すべきだろう。」(聞き手 政経部・吉田央)(沖縄タイムス1/9掲載) http://michisan.ti-da.net/e2929901.html 「外務省国際法局はすでに辺野古を落とす(除外する)準備を始めていると聞いている。物事は動いている。私は外務省にいたから官僚の動きがよく見える。」など、佐藤の「インテリジェンス」の水準とハッタリ具合がよく現れている、なかなか興味深い文章だが、重要な点は強調箇所(下線・太字)である。この点に関しては、佐藤はおかしいことは言っていないのであって、現水準での「日米同盟」の緊密性を維持するならば、「県外移設」が実現したとしても、論理的帰結は上のようなものになるだろう。佐藤の指摘を待つまでもなく、自明なことである。 佐藤を批判する右派のブログ「狼魔人日記」は、上の佐藤の発言を紹介しつつ、以下のように述べている。 「沖縄の論壇に登場する佐藤氏は「米軍基地撤去」「護憲」といった左翼を扇動するような発言で人気を博していたが、上記記事を見たら裏切られたと思う佐藤ファンも多いだろう。 つまり、沖縄の「民意」を煽って「辺野古反対」を叫べば米軍基地が撤去されると単純に考えていた左翼の佐藤ファンは、自分等の反対行動が、結果的に「集団自衛権の行使、容易な自衛隊の海外派兵、日米同盟の)強化」に繋がっていくと知ったら裏切られた思うだろう。 沖縄で佐藤氏の講演会に集まるファンは「反戦平和」つまり「軍事力に寄らない話し合いによる平和」を信奉する人々がほとんどであり、これは沖縄タイムスの論調でもある。 このように沖縄タイムス紙上で、自分の立ち位置が、「軍事力による抑止力の平和を信奉する」とカミングアウトしてしまった佐藤氏は、今年は沖縄での講演会もやりにくいだろう。」 http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e82590e6e37302f031dd2f7112c8b456 だが、佐藤は相変わらず「沖縄での講演会」を続けており、沖縄メディアへの登場が減ったわけでもない。念のために言うが、狼魔人氏はおかしいことは言っていないのである。仮に佐藤を持ち上げる沖縄の護憲派が、狼魔人氏が言うように、「反戦平和」の人々であれば、確かに佐藤は沖縄で活躍できなくなったであろう。だが、そうはならなかったのである。 私見では、この佐藤の発言や、こうした発言を行う佐藤に相変わらず沖縄問題を語らせるリベラル・左派(沖縄のそれをも含む)の姿勢から、彼らが、暗黙のうちに考えている前提が現れているように思う(佐藤は公然と語っているわけだが)。 この、「見返り」としての「集団的自衛権の行使」容認という路線は、仮に民主党政権下で「県外移設」が実現した場合の落としどころとして、暗黙のうちに、一部(?)の護憲派や左派の間に認識されていた(いる)のではないか、と私は思う。もちろん当人たちは、建前としては容認しないであろうが、こうした論理を肯定的に語る佐藤に関して、沖縄タイムスその他の「護憲派」は、拒絶の姿勢を全く示さないどころか、むしろ迎合している。現に、佐藤の発言の掲載元である上のブロガーも、護憲派かつ基地反対派でありながら、佐藤の発言については「最後の集団的自衛権のところは???ですが、他のところはなかなか示唆に富んだ提言だと思いますので紹介します。」と、大して違和感を持っていないように見える。 「実は護憲、とくに憲法9条を守る意味もある。集団的自衛権は憲法上、国家として持っているが、内閣法制局の解釈として行使できないとなってきた。憲法を変えずに解釈の変更で済ませば、9条の文言を変える必要が無く、結果的に憲法を守れる。」などという主張は、まるで「マガジン9条」の本音を代弁しているかのようである。小沢一郎が進めようとしているアフガン派兵が実質的な集団的自衛権の行使であることは言うまでもないが、その際には恐らく、「国連決議の下での集団安全保障」の名目の下、「マガジン9条」周辺で、アフガンへの積極的介入を主張する論者たちの、「憲法9条」(伊勢崎賢治)や「平和構築」(東大作)といった美辞麗句が存分に利用されるはずである。現実に、「マガジン9条」は、内閣法制局長官の答弁禁止は問題ない、という主張をたびたび掲載している。 まさに「9条の文言を変える必要が無く、結果的に憲法を守れる」のである。そして、遺憾ながら何度でも強調しておかなければならないが、このようにして守られる「憲法9条」が、「護憲派」以外の全ての世界の人民にとって、「平和国家」なる噴飯物の大義名分または使命感によって軍事介入する口実を与えるという点で、明文改憲よりも災厄であることは言うまでもない。 3. 「頑張った」論が不愉快なもう一つの理由は、それが、「政権交代」に拍手喝采し、民主党政権を擁護し続けた、メディアや論者たちの防御線として打ち出されていると思われる点である。 テレビを見ていると、社民党の政治家たちは福島が罷免されたことを強調し、被害者面している。だが、言うまでもないが、社民党は、このような詐欺政権の片棒を担いだ政治責任を有する。ところが、それが追求されると、今度は、民主党との連立を煽ったリベラル・左派メディアや論者たちの責任も問われかねないだろう。 以前、私は以下のように書いた。 「ちょうど、現在の事態は、「現実的に言えば、野党第一党だから言うんだが、社会党をまずぶっ壊さなきゃならない。それには小選挙区制という制度を、ほかにいい知恵があればほかでもいいんだけど、やらなきゃならんと。」(朝日新聞政治部『小沢一郎探検』朝日新聞社、1991年9月、200頁)と小沢一郎が公言しているにもかかわらず、社会党が、小選挙区制を飲み込んだのと同じである。このときも、山口二郎や『世界』(当時の編集長は山口昭男・現岩波書店社長。岡本厚・現編集長も編集部員)など、社会党に近い学者やジャーナリズムが「政権交代」の大義を喧伝したから、社会党は降り(られ)なかったわけだ。完全に当時を反復している。」http://watashinim.exblog.jp/10540210/ したがって、「頑張った」論の下で、「福島や社民党は被害者」という表象が一般化すれば、「政権交代」だの「大転換」だのと大騒ぎしたリベラル・左派の責任も問われなくてすむわけである。護憲派や左派のジャーナリズムや論者たちは、少し前まで「民主党は自民党と同じ」と(正しく)主張していたのに、いつの間にか「政権交代」の大義や社民党の政権参加を自明視するようになり、民主党政権を礼賛し、またいつの間にか民主党政権から距離を置くようになっている。みんな共犯者である。だからこそ、福島や社民党は、まるで筋を通したかのように論じられるのである。以前指摘したように、社民党自体は解釈改憲政党と見なすべきであって、もはや後戻りはない。リベラル・左派のジャーナリズムや論者たちは、自分たちの責任逃れのためにも、社民党を相変わらず持ち上げることだろう。日本のジャーナリズムで一貫しているのは、もはや、日刊ゲンダイくらいのようだ。そして、「頑張った」論を展開するメディアや論者たちは、日刊ゲンダイのグロテスクさと五十歩百歩である。 繰り返しになるが、社民党は国会法改正への賛成によってあっさり(実質的に)認めてしまったが、憲法問題の(とりあえずの)焦点は、集団的自衛権の行使の容認の是非であって、明文で9条を変えるかどうかではない。、この焦点からすれば、社民党が存続するか解党するかなどといった問題など瑣末なことであって、「頑張った」論は、こうした現実をまさに隠蔽する、悪質な働きを行う言説である。
by kollwitz2000
| 2010-06-01 00:00
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