by kollwitz2000 カテゴリ
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2010年 07月 08日
1.
それにしても、喧伝されている、あの「小沢派」対「反小沢派」などという図式は一体なんなのだろうか。民主党は小沢一郎の国会への証人喚問すらしていないのに、いつの間にか小沢をめぐる「政治とカネ」の話はなかったことになっている。証人喚問をしようとすらしない「反小沢派」、そして「小沢派」対「反小沢派」とは一体何なのだろうか。 ところで、私が雑誌編集者というものに接するようになって驚いたのは、この人たちが、とにかくニュースの「真相」を語るのが好きだ、ということである。××新聞の××さんから聞いたけれど、首相を動かしているのは実は××で・・・、小泉は実は××で・・・、××は実はピョンヤンに行こうとしていて・・・、とか、昔の『噂の真相』の一行情報みたいな話ばかりしている。こういう人々は、新聞記者やジャーナリストらとしょっちゅうつるんでいるから、そこで「噂」をいろいろ拾ってくるわけだ。佐藤優がリベラル・左派ジャーナリズムで重宝されているのも、佐藤がもたらしてくれるらしい「情報」が大きく関係していると思う。 昔から思うのだが、そうした政界関係で流れている「噂」や「情報」などは、どこかで政治的な操作が施されているものと見るべきであって、それが「真相」であると信じるのは根本的におかしいのである。われわれ一般市民は、基本的に政治の「真相」など知りようがなく、また大して知る必要もないのであって、「噂」や「情報」や「真相」に渇望する人間は、簡単に情報操作に引っかかる。政治については、別に「情報」など大してなくとも、原則的に考えれば、中長期的に見ればそれほど外れないと私は思う。実際に、日本政治については、日本のメディアよりも、海外メディアの方がおおむね的確に論評している。 いまの「小沢派」対「反小沢派」という図式の報道には、マスコミ界隈の噂話が生の形でそのまま、大衆の政治選択の指標とされているような気持ち悪さを感じる。 2. 別に小沢と菅や枝野との政策の違いなど大してない(同じ党なのだから当たり前であるが)。例えば、菅は松下圭一(あえて言うが、山口二郎と似たような政治学者)の「国会内閣制」という概念を援用して、「政治主導」を主張しているが、これは飯尾潤が言う「権力集中型の議院内閣制」と同じことである。菅の言う「国会内閣制」というのは要するに、「下から」(「市民」)という擬制によって、「上から」の強力な「リーダーシップ」を実現する政治体制なのであって、小沢の目指しているものと別に変わらない。 そもそも、これは前から不思議に思っているのだが、例えば、小沢の金権問題が争点化した後に民主党の「脱小沢」の必要性を主張していた山口二郎や、小沢批判を繰り返している森田実は「反小沢」なのだろうか。よく知られているように、彼らは小沢から多額の講演料を貰っている。この金額の多寡よりも、この小沢との関係性は何なのだろう。 あと、小沢と「新自由主義者」たる「反小沢派」の違いを強調する議論も散見するが、小沢は自由党時代に、以下のように、明確に自分の構想を述べている。 <盧大統領(注・ノムヒョン)は演説で「日韓両国が共に『二十一世紀の北東アジア時代』を開いていくことを提案します」と切り出し、単一通貨まで実現したヨーロッパの例を挙げながら、「両国が意志を共にすれば、北東アジアでもこうした協力の未来を切りひらくことは、いくらでも可能です」と語ったのです。 北東アジアは各国の政治や経済の現状が違いすぎるうえ、北朝鮮などの存在もあって「最も不安定な地域」と見られていますが、私はこれから「最も将来性と可能性が高い地域」だと考えています。 この地域の国々を未来志向で結びつけていくには、最も早く近代化に成功した日本と、経済危機を構造改革で乗り切った韓国が、ほんとうの信頼関係を築いて主導権を取っていくことが肝心です。民主主義と自由経済という価値観を共有する両国が、過去を直視して、未来に向けて絆を深めていかなくてはなりません。 私の夢は、戦前の大東亜共栄圈のような独善的考え方ではなく、北東アジアから東南アジア、最終的には全世界まで広げたフリートレード(自由貿易)を実現することです。その第一歩として、日本が主体的に自由貿易に取り組むことを主張していますが、農林水産省をはじめとして自己の立場を守ることのみに汲々としている連中が反対しています。 もちろん、国策として一定の農業生産者は確保して、市場価格と生産価格の差は保障すべきだし、自由党はその新しい仕組みについて、すでに「食糧生産確保基本法案」を国会に提出しています。食糧自給のために国民が負担するコストは、自由貿易に踏みきった場合に日本にもたらされるメリットを考えれば、ほんとうに微々たるものです。まさに、このような思いきった政策を断行することこそ「構造改革」といえるでしょう。 盧大統領は先の演説で「日本の青少年が東京で列車に乗り、釜山とソウルを経て北京まで修学旅行に行くのは、けっして、連い未来の夢ではないはずです」とも述べていました。私も、これほど楽しい夢はないと思います。>(小沢一郎・菅直人『政権交代のシナリオ――「新しい日本」をつくるために』PHP研究所、2003年11月、60~61頁。強調は引用者、以下同じ) ちなみに、菅も、同書で以下のように述べている。 <アジアの安定を図るためには、経済と安全保障の両面からのアプローチが不可欠です。中国も台湾も世界貿易機関(WTO)に加盟したいま、韓国、中国、台湾などと日本のあいだで自由貿易協定(FTA)の締結を検討すべきでしょう。 そのためにも、私はアジア諸国と日本のあいだにいまだ刺さったままの「歴史問題のトゲ」をわれわれの責任で取り除かなければならないと思います。>(同書、63ページ) 「北東アジア」に自由貿易地帯(「東アジア共同体」の一側面である)を構築するという大構想に関して、「小沢派」も「反小沢派」も違いはない。その構想に関しては、恐らく民主党と自民党にも違いはない。時々、私は、私たち愚民を誘導するために、政治家たちが壮大な八百長プロレスを(半ば無意識で)展開しているように思うことがある。
by kollwitz2000
| 2010-07-08 00:00
| 日本社会
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