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2010年 07月 09日
鳩山政権末期あたりから、佐藤優の官僚陰謀論がエスカレートしている。官僚が「集合的無意識」により小沢や民主党政権を潰そうとしている、また、菅直人首相は外務官僚に包囲されている、といった主張だ。副島隆彦との共著の新刊『小沢革命政権で日本を救え』でも同趣旨のことを述べている。
ここまで来ると、上の「眼光紙背」の記事の読者コメントにもあったが、ほとんど植草の「悪徳ペンタゴン」論と変わらないと言える。もう佐藤信者しかついてこれないんじゃないか、大丈夫なのか、と心配(?)したものだ。ただ、同時に、こういう荒唐無稽な主張を展開するからには、何らかの狙いがあるのではないか、だとすればその狙いは何か、といったことも考えていた。 そんなわけで気になっていたのだが、『世界』最新号(8月号。7月8日発売)の岡本厚編集長執筆と思われる特集冒頭頁の文章を読んで、佐藤の狙い(の一つ)がようやく分かった。以下の文章である。 「 鳩山前政権は、出発当初「コンクリートから人へ」「脱官僚依存」「事業仕分け]「東アジア共同体」「新しい公共」など、清新なスローガン、政策を次々と打ち上げ、それまでの政治の在り方を大きく転換させるのではないかという期待を高めた。中でも米海兵隊普天間基地「県外移設」の主張は、対米関係をより対等なものとし、過大な負担を強いられている沖縄の状況を変える施策として、歓迎された。 しかし、それぞれの政策は現実の壁に当たる。財政の壁、米国の壁、官僚の壁、権益を得ていた勢力の壁……。壁に当たるごとに、鳩山政権は妥協と漂流を強いられ、期待はたちまち萎み、転げるように支持率は低下した。 公共事業の削減と社会保障費の増額、対米密約の開示など、政権交代しなければ決して実現しなかった多くの成果がある。世論も圧倒的に政権交代の意義を評価している。 では、何か欠けていたのか。政策の未熟さなのか。政治的力量の不足なのか。 リーダーシッブの欠如なのか。鳩山政権を総括し、菅政権の今後を展望する。」 鳩山政権の「思い」は悪くなかったのだ。強力な「壁」に「強いられ」て、「妥協と漂流」をせざるを得なかったのだ。ここにおいては、鳩山政権や民主党の政治家たちが自民党の政治家たちと似たり寄ったりであるというごく当たり前の認識は、その可能性すら考慮されておらず、彼ら・彼女らが政権政党の利権にありつくことに何ら躊躇しないなどという認識など思いもよらず、民主党の政治家たちはあたかも市民運動や左派言論人の「仲間」であるかのように表象されている。問題は「未熟さ」や「力量不足」や「リーダーシップの欠如」であって、民主党の政治家たちが、折込済みで公約を反故にした可能性など、全く考慮されていない。 そして、佐藤のエスカレートされた官僚陰謀論が、このような「民主党の「思い」(内面)は悪くない」といった世界観(と言った方がよいだろう)に、極めて適合的であることは言うまでもないだろう。悪いのは官僚だ。民主党の「思い」は悪くないのだ。菅政権も官僚の攻勢に妥協を迫られているだけだ。鳩山政権も悪くなかったのだ。もちろん、鳩山政権を翼賛した『世界』その他のリベラル・左派も悪くなかったのだ。 「民主党革命」やら「大転換」を寿ぎ、政権の支持を煽ったメディア(とりわけ『現代思想』のはしゃぎ様は噴飯物で、常連執筆人や編集者が何もモノを考えていなかったことを露呈したと言える)や書き手は、鳩山政権の顛末について公的に自己批判すべきだと思うのだが(「結果責任」の観点から考えてもそうである)、誰も当たり前のように行なっていない。何事もなかったかのように鳩山政権の「裏切り」を批判し、政治についておしゃべりを繰り返している。 要するに、佐藤の官僚陰謀論は、「民主党革命」やら「大転換」やらを煽ったリベラル・左派のメディア(マスコミ全体と言っていいかもしれない)や言論人への救命板のようなものであって、佐藤のような見方が広がれば、リベラル・左派の人々は責任を追及されずに、いや責任すら意識せずに、これまでどおり言論活動を続けられるのである。リベラル・左派の言論人たちが、自己批判をするという最低限の勇気を持ち合わせておらず、何事もなかったかのように振舞おうとするがゆえに、佐藤の荒唐無稽な官僚陰謀論は公然とまたは暗黙のうちに支持され、流通するという次第だ。(過去の)行動は意識を規定する。 以前私は、リベラル・左派ジャーナリズムの陰謀論化を指摘したが、そうした陰謀論は、リベラル・左派自身によって受容される言説構造になっているのである。 岡本編集長(と思われる人物)は、上の文章で、鳩山政権の失敗を述べた後で、いささか唐突に「公共事業の削減と社会保障費の増額、対米密約の開示など、政権交代しなければ決して実現しなかった多くの成果がある。世論も圧倒的に政権交代の意義を評価している。」などと、「政権交代の意義」について語っているが、自民党政権があのようなものだったのだから一般大衆が「政権交代」自体を歓迎するのは当然であって、「平和」や「人権」を擁護するのならば別の尺度で考えるべきではないのか。「政権交代」前は、もともと自民党と変わらない民主党が、ある程度は「反対」勢力であったがゆえに、一定の規制力になり得ていたのである。「政権交代」がなければ、例えば、臨検特措法案の成立や、 辺野古移設案を民主党が呑む事態や、消費税増税を民主党が公約に掲げる事態や、社民党が国会法改正を支持する事態や、朝鮮学校への公然たる差別措置は存在したのだろうか。 佐藤の官僚陰謀論の荒唐無稽さは、民主党政権によって生じたもろもろの災厄の途方もなさと対応している。リベラル・左派が無視しなければならない「政権交代」のもたらした災厄が大規模であるがゆえに、いかに荒唐無稽なものでも支持されるのである。さすがは佐藤、「政権交代」に浮かれていたリベラル・左派やマスコミ界隈の人間の無意識を、よく認識していると言わねばなるまい。
by kollwitz2000
| 2010-07-09 00:00
| 佐藤優・<佐藤優現象>
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