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2011年 01月 26日
1.
少し前の話だが、『世界』の2011年1月号(12月8日発売。特集「原子力復興と言う危険な夢」)が、延坪島砲撃事件その他の朝鮮半島情勢をほとんど取り上げていないことについて、某ブログが批判していた。こうした批判については、何を今更、という感想を持たざるを得なかったが、『世界』の2011年2月号(1月8日発売。特集「家族崩壊という現実――児童虐待が問うもの」)には、さすがに私も驚いた。 朝鮮半島情勢をめぐる記事は、連載の「ドキュメント激動の南北朝鮮」(今号は「連載第163回」)を除けば、金万福「紛争の海・西海を平和の海へ」のみで、これも11頁のみのそれほど長くないものである。しかも、今号の「ドキュメント激動の南北朝鮮」は、事実関係を淡々と記すことにほぼ終始したものであり(この連載はもう何年も読んでいなかったので最近の傾向は知らないのだが、長らくこういう感じなのだろうか)、実質的に、日本人によるこの件に関する論考はほぼ皆無と言わざるを得ないだろう。 岡本厚編集長も、今号の編集後記では、「韓国の「天安艦沈没事件」であれ、「尖閣“衝突”事件」であれ、「TPP問題」であれ、このところ、日本では一方的な報道ばかりがなされている印象が強い。情報を、政府など発信元に頼りすぎているのだ。権力監視や多面的な情報収集という原則が忘却されたとき、国家と一体化した「愛国報道」まであと一歩である。」などと、1箇所だけ、ついでのように言及しているだけである。 ところで、高崎宗司は、『検証 日朝関係60年史』(和田春樹との共著、明石書店、2005年12月)の「第4章 『世界』は北朝鮮をどう論じたか」において、「関心が浅かった創刊直後」という節見出しの下で、以下のように書いている(強調は引用者、以下同じ)。 「『世界』創刊号(一九四六年一月号)が出たのは、敗戦の年の一二月である。「『世界』の創刊に際して」で、社長の岩波茂雄は編集を「同志安倍能成に一任する」と書いている。しかし、実際の編集長は名高い吉野源三郎であった。 最初に掲載された朝鮮関係の論文は、四六年五月号に発表された鈴木武雄の「朝鮮統治への反省」である。鈴木は日本統治下の京城帝国大学で安部の同僚であった。こうしたテーマで原稿を依頼した編集者の意図は良いものであったが、京城帝国大学教授時代に大陸兵站基地論を展開した鈴木の反省は、警察政治、同化政策の「行き過ぎ」についての反省にすぎなかった。 その娩、四九年までに掲載された朝鮮関係の論文は、四六年一二月号の匿名「朝鮮の政情」と四八年一二月号の匿名「朝鮮問題」という短いものだけである。朝鮮に対する関心は浅いものであった。 五〇年六月に勃発した朝鮮戦争については判断を回避した。九月号に匿名「北鮮(原文のまま)の 石油補給問題」が、一〇月号に匿名「北鮮に対する戦略爆撃」「朝鮮戦乱とアメリカの態度」が、そして同号に資料として国連ブレティン「朝鮮に於ける平和維持」が掲載されただけである。一二月号には、『世界』の名を大いに高めた平和問題談話会の報告「三たび平和について」が発表されたが、この平和的共存・中立・永久平和主義の主張は、朝鮮戦争の現実と触れ合わないことによってなされたものであった。 「朝鮮問題解決のために」という小特集がようやく組まれたのは五二年の七月号である。マクマホン・ボール「中国と講和せよ」、オーエン・ラティモア「民主主義を擁護せよ」、金竜中「事変解決の一案」からなっている。日本人の書き手がいないことが特徴的である。」(82~83頁) こう見ると、『世界』にとってこの60年間は一体なんだったのか、という問いも生じるが、むしろこの連続性または反復性が示唆してくれるのは、「平和問題談話会」に象徴されるような60年前の進歩派の問題である。上の引用箇所において、高崎は、当時の進歩派の「朝鮮に対する関心は浅」かったがゆえに、朝鮮戦争に関する実質的な沈黙があったと見ているようであるが、これは逆のように思われる。要するに、朝鮮半島情勢が極めて重要であることが明らかであるゆえに、今日と全く同じく、当時の進歩派はその問題を「現実と触れ合わない」ように、スルーしたのではないか。ダワーの『敗北を抱きしめて』の翻訳出版あたりから、ある種神話化されている「戦後民主革命」期の進歩派や日本人の「平和への意志」など、所詮はその程度だったということなのではないか。 2. 問題が『世界』だけならば、もう大して影響力もなさそうだから放っておいてもよいかもしれないが、わざわざ取り上げたのは、佐藤優が同時期、極めて注目すべき発言を行なっているからである。佐藤は『週刊金曜日』2010年11月12日号の「沖縄と差別」なる一文において、以下のように述べている。 「知事選をめぐって、「仲井真・伊彼戦争」が展開されている状況だからこそ、筆者にはあえて強調したいことがある。それは、「保守」対「革新」という疑似争点に踊らされていると、現下の沖縄にとっての真実の対立構造が見えなくなってしまうということだ。筆者が見るところ、真実の対立図式は、「沖縄」対「東京の政治エリート」だ。 ここで、対立図式を「沖縄」対「本土」とすることは誤りだ。「本土」の圧倒的大多数の日本国民は、普天間問題に関して無関心だ。このこと自体は決して悪いことではないと筆者は考える。外交や国防・安全保障については、高度の専門知識が必要とされる。また、判断をするために不可欠の情報が、国家機密とされている。したがって、完全情報と専門知識をもっていない普通の国民が、外交や国防・安全保障について考え、判断しなくてもよい環境を作るのが政府の責務だ。仏教用語を用いるのならば、普天間問題に関して、本土の圧倒的大多数の人々は、「無記」(善でも悪でもない中立の立場)をとっている。「無記」で、色が付いていないのだから、マスメディアが流す絵の具の色に染まりやすい。マスメディアの情報は、外務官僚、防衛官僚、さらにこれらの官僚と認識を共有する政治家からの情報によって作られる。 筆者自身、外務省に勤務していたので、外務官僚の能力や論理については皮膚感覚でわかる。普天真問題を担当する北米局やワシントンの日本大使館に勤務する外務官僚はきわめて優秀だ。首相から米海兵隊普天間飛行場について「国外に移設せよ」という命令を受ければ、それを忠実に遂行することができる。米国を説得する理屈としては「沖縄県民の感情を考慮すれば、県内移設を強行することはできません。強行した結果、県民感情が爆発し、沖縄にあるすべての米軍基地が住民の敵意に囲まれるようになり、安全保樟機能が著しく低下することが予測されます」と伝えるだけで十分だ。そうすれば、米国も交渉に応じざるを得なくなる。この与件で、抑止力を確保する方法を考えるだけのことだ。」 「きわめて優秀」な外務官僚が「米国」に上の理屈で説得するだけで十分、といった一節は、佐藤(と『金曜日』編集部)が、どれほど『金曜日』読者を馬鹿にしきっているかを示す好例であるが(こんな雑誌をいまだに買っているのだから馬鹿にされても仕方ないが)、むしろ重要なのはその上の私による強調箇所である。 言うまでもないが、市民が「外交や国防・安全保障」に関して、自己の良識・正義感覚に基づいて是非を「判断」しうるとするのが近代市民社会の常識であり、事実、普天間問題の県外移設が「善」であると「判断」することに、佐藤が言うようないかなる「高度の専門知識」「国家機密」も必要としない。佐藤の主張は絶対王政期の役人のそれだ。佐藤が本気でこのような主張をしているとすれば単なる馬鹿であるが、重要なのは、佐藤が『世界』の朝鮮半島問題スルーの姿勢に現れているような、今のリベラル・左派が抱いている心性を正確に捉えているがゆえに、このような発言を行なっているのではないか、という点である。 以前「イデオロギーの終焉(上)」で引用したが、佐藤と似た発言は、佐藤の盟友である東郷和彦も述べている。 「日本外交は安保・歴史問題についての戦後60年の国内対立を乗り越えて、国民的コンセンサスを定着させる時期にきていると言わねばならない。」(東郷和彦『歴史と外交』講談社現代新書、2008年12月、18頁。強調は引用者、以下同じ) 「戦後、60年の漂流を続けてきた日本の歴史問題について、いまだに私たちをとらえている猛烈な左右対立を、「もうそろそろ終わりにしなくてはいけない」。 意見の違いは、最後まである。それは、徹底的に議論しなければいけないと思う。しかし、そういう意見の違いを乗り越えて、お互いを尊重し、同じ日本人として、オール・ジャパンとしての大きな方向性を、そろそろ見出さなければいけないのではないか。」(同書、20頁) 昨年の2月に書いた「イデオロギーの終焉(上)」では、東郷の上記の主張がその時点で実現した、と述べたが、今回の佐藤の発言は、東郷が言うところの「安保・歴史問題」に関する「同じ日本人として」の「国民的コンセンサス」が、左右を超えて成立したことを前提とした上で、その主張を進めたものと言える。佐藤は、日本の言論に対して、「安保・歴史問題」「外交や国防・安全保障」は議論の範囲外とし(それは、佐藤や東郷のような「高度の専門知識」「国家機密」を知っている(ことになっている)人間が行なうから)、内政・生活問題(例えば社会保障、労働問題、死刑問題といった領域)を主要な対象とすべきだ、と提言しているのだと思われる。 これは、今のリベラル・左派界隈のマスコミ人の心性・欲望をかなり的確に捉えていると私は考える。『世界』のこのたびのスルー現象も、こうした心性・欲望を前提として理解することができる。もちろん、リベラル・左派の自己認識としては、いまだに自分たちは「リベラル」または「左派」であろう。だが、対抗の線引きの場所が、従来とは異なっているのである。「安保・歴史問題」での線引きを前提とすることに伴う諸負担を避け、内政・生活問題での線引きを軸として「リベラル」または「左派」と自己規定するのである。かくして、自称「リベラル・左派」と「オール・ジャパン」現象が同時に存在するようになっているのである。 3. 佐藤は上の一文で、もう一つ、重要な発言を行なっている。 「 東京の政治エリートが普天間飛行場の沖縄県外移設を毅然たる意思を持って決定すれば、それが沖縄県外の日本国内であれ、グアム、テニアンあるいは米本土であれ、マスメディアはそれを追認する。筆者が外務官僚として、これまで見てきた経験から、政治エリートが強力な意思をもった外交(国防・安全保障を含む)事案で、その政策がマスメディアによって覆されたことはない。これは、マスメディアが権力の手先となっているからではない。政治エリートから提供される大量の専門的情報を受け、報道していく過程で、当初は政府の政策に批判的であったマスメディアでも必ず同質化していくのである。一見、政府の政策がマスメディアの批判によって覆されたように見える場合でも(北方領土の段階的解決論、日朝国交正常化交渉)、東京の政治エリート内部の亀裂と、権力闘争が反映されたものにすぎない。従来の政策を覆すようなマスメディアの論調を形成する情報も、東京の政治エリートによって流布されるのである。」 ここで頻出している「東京の政治エリート」が具体的に何を指しているのか分かりにくいが、同誌同号に掲載されている、糸数慶子・佐高信との鼎談において、佐藤は、「東京の政治エリートである国会議員や官僚」という発言を行なっているから、主として「国会議員や官僚」を指していると見てよいだろう。 佐藤が(『金曜日』や『世界』のような)マスコミをどれほど馬鹿にしているか、こんな発言を掲載している『金曜日』がどれほど自己崩壊しているかをよく示している発言であるが、この発言の言わんとするところは、リベラル・左派メディアを含めたマスコミが、「政治エリート」(国会議員や官僚)に系列化されている、ということである。これは、リベラル・左派メディアへの公然たる侮辱ではあるが、むしろこれはリベラル・左派には琴線をくすぐる発言ととられるのではないか。佐藤は、佐藤を掲載するメディアや佐藤と提携する人物を、「東京の政治エリート」の下部構成員として位置づけてくれているからである。そして、そのように位置づけて欲しい、「東京の政治エリート」に結びつきたいという欲望こそ、これまで私が一貫して主張してきているように、<佐藤優現象>を駆動させている一つの推進力である。 4. 私は、「2010年秋の情勢について(2):言論界における「小沢派」の成立」で、2010年秋頃、尖閣諸島(釣魚島)問題を決定的な契機に、リベラル・左派の大多数がもはや歴史認識でも安全保障論でも、「国益」論への躊躇が完全に消え、民主党的な価値観と完全に同化してしまったこと、特定の政治家・権力層と癒着する構造が成立してしまったことを指摘し、大多数のリベラル・左派が「小沢派左派」とでも言うべきものに移行したと述べた。佐藤(小沢派右派)は、ある意味では私と同じことを主張しているわけである。管見の範囲では、この移行に明示的な形で気づいているのは、私と佐藤のみである。 私が憂慮するのは、リベラル・左派が小沢派左派に移行したことではない。それは勝手にやればよい。困るのは、本来そうした移行に批判的であるはずの人々も、この<空気>にそのまま適応しているように見える点にある。 例えば、「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書」の呼びかけ人の人々が、最近も(11月29日、1月24日)要請書を提出している。こうした試みには敬意を表するが、それにしても、なぜ在日朝鮮人の歴史的経緯(植民地主義)については一言も触れないのだろうか。改めて言っておくが、強調されるべきは、外国人としての民族教育権だけでなく、植民地支配の結果として宗主国に定住せざるを得なくなった民族が、宗主国の国民と同等の社会的・文化的権利、生活権を享受する権利を有する、という権利である。その理由は、「在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題」でも書いたので繰り返さない。 それらの人々が意識的にやっているのか無意識的なのかは分からないが、それは歴史認識問題(植民地主義)の問題を、外国人一般の「内政」問題に「内部」化させるものである。だが、前にも書いたように、無償化排除は「安保・歴史問題」として打ち出された無償化排除という政策および日本社会の攻撃なのだから、「内部」化では対抗できるはずがない(この論点については、このブログでも繰り返し扱っているので、参照されたい)。無意識的にやっているのかもしれないが、こうした論理は、2010年秋以降のリベラル・左派の移行の局面においては、また別種の意味を持ってきてしまうのであって、(あえて)植民地主義の問題に触れないという「内部化」の言説は、たとえ善意であれ、在日朝鮮人社会形成の歴史的経緯、植民地主義の問題を前面に押し出そうとする(「反日」と表象される)主張を周縁化するものになるだろう。 在日朝鮮人の場合、仮に「内部化」によってどれほど(馴れ合い的な)リベラル・左派の支持者・賛同者が増えたとしても、それは政治的・社会的には無力であり、「内部化」によって却って一般の人々への説得力を失ってしまう。在日朝鮮人に限らないが、どのような言論・活動を展開するとしても、2010年秋以後のリベラル・左派の移行という現実を踏まえた上で、行なう必要があると思う。
by kollwitz2000
| 2011-01-26 00:00
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