by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2013年 09月 18日
1.
『世界』最新号(10月号。9月8日発売)を見て驚いた。シリア情勢を扱った記事・論文が一つもないのである。シリアという言葉すら、管見の範囲ではどこにもない。 月刊誌であるから発売日までに間に合わなかった、ということでは恐らくないのである。校了日が何日かは分からないが、情勢のさらなる緊迫化を促した化学兵器使用による虐殺は8月21日であったから、校了日前に、少なくとも、比較的小さいスペースで時事問題を扱う「世界の潮」欄で取り上げることくらいはできたはずである。実際、私の編集部在籍中でも、校了日前に重大な事件が生じたために大急ぎで「世界の潮」欄に書いてもらう、というのは普通に行なわれていた。 また、同号の編集長による編集後記には、「品川正治さんが8月29日朝、亡くなられた。」との記述がある。8月29日朝と言えば、米国によるシリアへの軍事介入の是非が世界的に問題になっている時期であるが、この編集後記でも、シリア問題に関する言及は何らない。 「朝鮮学校排除問題をほぼ黙殺する『世界』と『金曜日』」で書いたとおり、以前にも、岡本厚編集長の下で、重要と思われる緊急の問題が恐らく意図的に無視されることがあった。今回もそうであろう。しかし、これほどの重要な問題に関して沈黙するのならば、雑誌の存在意義などどこにあるのか、という疑問が生じざるを得ない。 今回の沈黙の背景には、編集部で、シリア情勢についてどのようなスタンスをとるべきか定まっていない、ということをうかがわせる。しかし、シリア情勢がいかに「複雑」であっても、現時点ではシリア政府が化学兵器を使用したとの明確な証拠もなく、また、今回の軍事介入のような、国際法違反の行為が定着すれば(「保護する責任」の名の下でのリビアへの侵略がまさにそれであるが)、米国をはじめとした先進国が介入したいと思った国には簡単に軍事介入できることになり、その結果生じる死傷者は膨大なものになることは言うまでもない。シリア軍事介入の是非への判断は、極めて簡単なものであって、これを「難しい」と言っている人間は今後、いかなる侵略・戦争に対しても意味のある反対を行なわないと見た方がよい。 ところで、今回の『世界』のシリア危機への沈黙の背景には、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科長の内藤正典の言動があるのではないかと思う。内藤は、今回のシリア危機に関して、アメリカやトルコ等によるシリアへの軍事介入をツイッター等で極めて積極的に擁護している。 内藤は、岩波書店から単行本を出している「岩波書店の著者」であり、『世界』の常連執筆者である。特に、清宮美稚子が編集長に就任した2012年5月以来、登場頻度が増えており、2012年11月号、2013年4月号、2013年6月号、2013年9月号に登場し、中東情勢について解説している(その前の登場は2011年6月号)。清宮は、トルコ贔屓の人間として社内では知られており、内藤は、「日本トルコ協会」の常任理事である 。今回のシリア危機で、『世界』編集部が、内藤の見解を聞いていないはずがない。 2. 私が内藤の一連の主張に疑問を持つのは、その軍事介入擁護論だけではなく、それを導き出す際の内藤の論拠およびその提示の仕方による。 例えば内藤は、化学兵器を政府と反体制派のどちらが使用したか、という論点について、8月23日のツイッターで、以下のように述べている(強調は引用者、以下同じ)。 「注意すべきは、過激派のヌスラ戦線(アル・カイダの一翼)は、このような化学兵器による攻撃はしないということ。彼らが過激な武装集団であることと、化学兵器による子どもと女性への無差別殺戮は別の話である。信仰心をもった勢力は、傍からみて「過激」でも、できることとできないことを峻別する」 https://twitter.com/masanorinaito/status/370827349664624641 「従って、誰があの暴虐をもたらしたか、といえば、およそ子どもや女性を無差別に殺戮することに躊躇しない「世俗的な」勢力であることは確か。つまり、アサド政権(政府軍)、反体制派の自由シリア軍(ヌスラのような宗教勢力を除く呉越同舟の武装勢力)の双方とも可能性はある。」 https://twitter.com/masanorinaito/status/370827960367849472 また、8月30日には以下のように述べている。 「アサド政権が倒れて、ヌスラ戦線のようなイスラーム主義過激派が台頭したらどうするのだ?、とトルコの世俗派知識人は必ず言う。何度でも言うが、仁義も倫理もないシリア内線において、唯一、法の支配(イスラーム法)を受け入れているのはヌスラ戦線だけなのである。」 https://twitter.com/masanorinaito/status/373564284032143360 ヌスラ戦線が、内藤も認めているようにアルカイダの一翼であり、ヌスラ戦線がこれまでテロ活動を行なってきていることもさんざん報道されている。アメリカも、テロ組織リストにリストアップしている。内藤が、ヌスラ戦線はテロ組織ではないと主張するならば、ヌスラ戦線(そしてその上部組織らしいアルカイダ)が行なってきたとされるテロ活動に関して、それが無差別殺戮とは言えないことを、具体的に個別事例に基づき検証し、その検証結果を提示しなければならない。ところが内藤はそうしたことを一切行なわず、ヌスラ戦線が「信仰心」を持ち、「法の支配(イスラーム法)を受け入れている」からそのような無差別殺戮は行なうはずはない、したがって化学兵器を使用したはずもないと主張している。 また、これは内藤のwikipediaの項目で知ったのだが、内藤は、タリバンによるテロ行為に関する報道について、「タリバンが女子学生に硫酸をかけるだの、学校の井戸に毒を入れるのって、どう考えてもあり得ない。イスラームに真っ向から反するようなことはしない。いかにも、部族長どうしの陰湿な争い。こういう犯罪に手を出すのは、イスラームの道徳心があまりに欠落している。」と発言している。ここでも、報道に対して反証を提示するのではなく、「イスラームに真っ向から反するようなこと」をタリバンがするはずがないと、上のヌスラ戦線に関する弁明と同じ論拠を用いて主張している。 https://twitter.com/masanorinaito/status/362954173580447745 ここでの内藤の主張のあり方は、他人に対して証拠を提示して説得するというごく当たり前のものではなく、もちろん研究者としてのそれでもなく、宗教団体の信者を思わせるような類のものである。有力大学の責任ある地位の人間が、このような、信者以外の人間には到底理解不能な主張でアルカイダ系のヌスラ戦線やタリバンを擁護するというのは、欧米ならばスキャンダルになる話ではないか。 なお、ヌスラ戦線には、トルコが資金・武器提供しており、トルコ国内に教練基地を持っていると言われている。例えば、下のリンク先を参照のこと。 http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/src/read.php?ID=29388 これに関連して、内藤は、5月26日に、ツイッターで以下のように発言している。 「トルコ、世俗主義&ナショナリズムの野党CHPの党首、エルドアン首相を「シリアのテロリストの頭目」と非難。多分、ヌスラ戦線をトルコ政権が支援してるという意味だろうが、それではこの野党はアサド支持?世俗主義政党がとっくに終わってる証拠」 https://twitter.com/masanorinaito/status/338655224623407106 ここで内藤は、エルドアン首相を「シリアのテロリストの頭目」とする非難に対して、ヌスラ戦線はテロリストではない(正当な軍事活動を行なっている)と明確な論拠を挙げて反論するのではなく、非難者は「アサド支持」者だと攻撃して済ましている。これもまともな態度ではない。 また、シリアへの軍事介入が予期しない結果をもたらすのではないか、との国際的な懸念については、以下のように述べている。 「アサド政権が倒れても、報復合戦はしばらく続くが、シリア人は、元来、武力衝突を嫌うから、一定の方向に落ち着いていく。それまで、国際社会が武力によらない介入と支援を続けるしかない。シリアという国は、ダーテイ・ビジネスを得意とするが、自分の国を戦場にしたいわけではない。」 https://twitter.com/masanorinaito/status/373926557087068161 ここでは、そうした懸念が杞憂である論拠は「シリア人は、元来、武力衝突を嫌うから」だとされている。これで納得する人間がいるのだろうか?それならば、なぜ2年半も「内戦」または「戦争状態」が続いているのか?「報復合戦」はどれくらい続くのか?それによる死傷者はどれほどの規模に上るのか? また、内藤は、8月29日に、ツイッターで「北朝鮮空軍が、シリアを格好の実戦訓練場にしていないという確証はあるか?」と述べている。しかし、「していないという確証」を求めるというのは、「悪魔の証明」というやつで、こんなことを言い出せばどんな主張でも「していないという確証はあるか?」として主張できる。 https://twitter.com/masanorinaito/status/373109808699686913 内藤は、9月17日のツイッターで、以下のような発言すら行なっている。 「北朝鮮は、緻密な計算をしているはずですよ。シリアが化学兵器を使用しても、国際社会は動かなかった。それなら、うちが使っても大丈夫なんだ、とね。北朝鮮は、どこを相手に使いますか?どさくさに紛れて、どこで・・・」 https://twitter.com/masanorinaito/status/379656496499286016 内藤の主張を信じる大多数の読者は、これを読み、「北朝鮮は、日本人を相手に、日本で化学兵器を使おうとしている」と思うであろう(答えが「韓国」であれば、こんな思わせぶりな書き方はしないだろう)。実際に内藤は、ツイッター上で、 「北朝鮮が核問題で世界を相手にプレイしている、あのやり方と、シリア政府の化学兵器での世界相手のプレイが、両者の緊密な連携の上に成り立っていることに注目すべきだろう。もし、北朝鮮が日本や韓国に化学兵器を使っても、国際社会は武力介入しないことになる。」 https://twitter.com/masanorinaito/status/379223771581644800 「日本の隣国である北朝鮮、中国、ロシアの三国が、これだけ残忍で非道な政権であるアサド政権のバックについているということについて、日本では議論しないのか?」 https://twitter.com/masanorinaito/status/373104492872359936 「化学兵器について、北朝鮮の関与は中東でもしばしば議論に上っている。日本では北朝鮮の武器供与や技術支援、直接的軍事支援について、どういう議論がなされているのか?聞いたこともない。」 https://twitter.com/masanorinaito/status/373104859571949569 など、シリアと深い関係を持っている北朝鮮の脅威を繰り返し主張している。北朝鮮を敵国であるとする日本の世論を、シリアへの軍事介入擁護論に動員しようとし、煽っている。 以前の記事でも書いたように、現在の日本においては、文藝春秋のような大手メディアですら、在日朝鮮人全体を、潜在的な北朝鮮のエージェント、拉致の(潜在的)協力者・共犯者であるかのごとく描くことが公然と行なわれており、特に朝鮮総連系の団体・人物に対するそのような視線が一般化していることは改めて指摘するまでもない。また、村上龍のベストセラー小説『半島を出よ』に象徴されるような、北朝鮮工作員の恐怖を煽るような出版物も溢れかえっている。内藤は、そのような日本人の恐怖感(在日朝鮮人こそが恐怖を感じるべきなのだが)に便乗し、朝鮮人たちが北朝鮮の指示の下で化学兵器を使うなどと恐怖を煽ることで、シリアへの軍事介入を扇動していると見なされても仕方がないのではないか。もちろんこの扇動によって、「北朝鮮の手先」である在日朝鮮人に対する偏見と恐怖もまた昂じることであろう。朝鮮人が井戸に毒を入れた、として大虐殺を行なった関東大震災の過去を彷彿とさせるが、この内藤が、自分の研究では「多文化共生」を謳っているという点に、底知れない日本の闇の深さを感じさせられる。 また、9月5日に内藤はNHKに登場し、「視点・論点「緊迫するシリア情勢」」と題してシリア情勢について解説している。 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/166764.html ここで内藤は、化学兵器の使用の件に関して、「反体制派の拠点となっているグータを反体制派が自分で攻撃する理由はありません。」として理由を述べた上で、政府側が使用したとのトルコの報道を紹介し、政府側が化学兵器を使用したとの印象を視聴者・読者が持つような発言を行なっている。 しかし、化学兵器を反体制派が「自分で攻撃する理由」は存在するだろう。以前の記事でも紹介したが、公益財団法人中東調査会が発行する「中東かわら版」第173号(2013年8月29日発行)に掲載されている、高岡豊研究員による「シリア:化学兵器使用問題と軍事攻撃の可能性」から再度引用しておく。 「シリアの反体制派は、2011 年 3 月にいわゆる「アラブの春」の反政府抗議行動での扇動・動員の手法を模倣する形で反体制活動を開始して以来、一貫してアサド政権による「弾圧・虐殺」を大々的に宣伝し、それによって国際的な介入を招き寄せることによって政権打倒を図る戦術を採用してきたと思われる。・・・実際、国際的な注目を惹起したり、調査や軍事行動を促したりする材料として虐殺や報道関係者への襲撃事件が大きく取り上げられた事例は、2012 年だけで少なくとも 4 件確認できる。また、2012 年 7 月 19 日には、『産経新聞』が自由シリア軍幹部の話として、化学兵器が使用された場合は欧米諸国が軍事介入し、アサド政権打倒につながるとの見通しを報じている。また、シリア国内での化学兵器についても、2012 年末からイスラーム過激派への流出の可能性や実際の使用の可能性についての報道が増加している。」 「また、戦闘状況など、シリア危機の現場での推移を観察すると、アサド政権がこのタイミングで化学兵器を使用する合理性がまったくといっていいほど存在しない事実も指摘せざるを得ない。シリアでの戦況は、2013 年 6 月ごろからアサド政権の優位が確定的となり、米国のオバマ大統領が「状況悪化」に懸念を表明するほどになっていた。・・・また、今般の化学兵器使用について報道・発表がされるのとほぼ同時期に、シリアでの化学兵器使用の有無を調査する国連の調査団がダマスカスに到着している。つまり、軍事的にも、政治的にも、アサド政権側に化学兵器を使用する利点がほとんどなく、化学兵器使用の真偽について落ち着いて検証すべき局面であるにもかかわらず、反体制派による宣伝や、一般には入手も検証も困難な根拠に基づきシリアへの軍事攻撃が既定路線と化してしまったのである。」 内藤は、こうした、化学兵器使用の動機だけで言えば政府よりもむしろ反体制派の方が持っているのではないかという疑問――これは高岡だけではなく、世界的に広く指摘されていることである――に対して沈黙している。こうした疑問を無視したままで、「反体制派の拠点となっているグータを反体制派が自分で攻撃する理由はありません。」などと発言し、政府側が化学兵器を使用したとの印象を視聴者・読者が持つような誘導を、影響力の強いテレビという媒体で行なっている。 内藤は解説の結論部分で、 「 私は、軍事介入による紛争解決には反対です。軍事介入をすれば、アサド政権側は、市民の中に戦闘員を紛れ込ませますから、市民の犠牲も増えます。 しかし、ことここに至っては、強力な軍事介入によってアサド政権側の軍事拠点を無力化する以外に方策はありません。」 と発言している。もはや論理の態をなしていないのであるが、以下のように述べて、この解説を締めくくっている。 「アメリカは、ようやく重い腰を上げ、議会承認を得て攻撃に踏み切る姿勢をみせています。ただし、欧米諸国が一方的に攻撃するのではなく、トルコなど近隣のムスリム諸国の声を聴きながら、虐殺の抑止に何が必要かを見極める必要があります。そうでないと、報復の連鎖は、シリア国内だけでなく近隣国を巻き込んで果てしなくつづき、中東全域に紛争が拡大する恐れがあります。」 「シリア人は、元来、武力衝突を嫌うから、一定の方向に落ち着いていく。」ではなかったのか? 佐藤優を彷彿とさせる主張の使い分けである。ツイッターでの発言のように、軍事介入を積極的に主張するよりも、あたかも軍事介入には慎重という姿勢を装った方が、この解説でのその他の箇所の視聴者・読者に対する説得力は増すであろう。内藤はそこまで計算して、二枚舌と言われることもいとわず、こうした主張の使い分けを行なっているのではないか。 上で見てきたように、内藤は、自己の主張に関して何らの典拠も示さないのであるから、読者が内藤の発言の妥当性を信じるしかない、という構図になっている(この点も、佐藤優と似ている)。 われわれ一般市民は、専門知識がないのであるから、専門家による主張の是非を判断する際に、その論証の妥当性を吟味するしかない。各自の教育と社会経験により培われた判断力により、そうした吟味は可能、というのが民主政治の前提であり、実際、それでほぼ間に合う。そうした判断においては、違和感を言語化できなくとも、「なんとなくうさん臭い」という感想だけで十分なのである。内藤の主張は、専門家としての自分を信じろ、とのメッセージでしかなく、説得力を全く欠いており、極めてうさん臭いものである。 内藤は、自身が研究科長を務める同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科で、アフガニスタンのカルザイ政権とタリバンの仲介役のような役割も果たしているようである。何らかの政治的な動きを感じさせるものである。一連の扇動は、内藤は何のために、誰のためにこのようなことを行なっているのか、という疑問を生じさせる。 3. 内藤の主張がおかしいことは、ツイッターを少し丁寧に見れば分かるのである。むしろ私が問題だと思うのは、内藤の主張が中東研究者の発言として尊重され、シリアへの軍事介入の是非に関する議論が、両論併記的なものになることである。 内藤の一連の諸発言と行動には、<佐藤優現象>と多くの類似点を見ることができる。岩波書店と同志社が絡んでいることもそうなのであるが、佐藤のイスラエル擁護の発言が、恐らく言論の「両論併記」化を狙っていると思われる点も似ていると思う。 佐藤も、自分の極端なイスラエル擁護論がそのまま支持されるとは思っていないであろう。しかし、それにより、イスラエル・パレスチナ問題に関する言説において、「イスラエルの言い分にもある程度は理があるのではないか」という認識が広がり、「両論併記」化が進む。内藤も同じで、内藤が説得力を欠きながらも軍事介入の必要性について、何かに取り憑かれているかのごとく熱心に主張し続け、そのような人物が研究者として尊重されることにより、本来当然のごとく反対されるべき軍事介入にもあたかも何らかの理があるかのごとく表象されてしまうのである。『世界』に見られるような、この問題への沈黙は、この「両論併記」の変奏と見ることができる。 さすがに内藤の発言への批判も、ツイッターやブログ等でよく見かけるが、研究者やジャーナリスト、マスコミの人間で内藤の発言を明確に批判しているものはほとんどない。それどころか、内藤の発言を好意的に紹介(RT)している例すら見かける。この、「論壇」周辺の沈黙および加担、という点も<佐藤優現象>と似ている。内藤の諸言動を好意的に紹介している人々は、上で挙げたような内藤の諸発言についてどのような見解を持っているのかを、読者に対して公的に説明すべきであろう。 なお、内藤が、岩波書店、特に『世界』で頻繁に執筆を行なってきており、そのことが社会に対して影響を与えていると思われる以上、『世界』は内藤の一連の発言についてどのような認識を持っているか、誌面で明らかにすべきだと考える。 日本がシリアへの軍事介入に対して何らかの形で協力することになった場合、それは必ず、世論醸成のレベルでは、北朝鮮とシリアとの関係、化学兵器を持つ北朝鮮の脅威という観点から正当化されるだろう。既にそうなりつつある。内藤の一連の主張は、その過程が、日本社会のより一層の排外主義化をもたらすことを、照らし出しているのである。
by kollwitz2000
| 2013-09-18 00:00
| 日本社会
|
ファン申請 |
||