by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2018年 02月 07日
「慰安婦」問題をめぐる議論で最も奇妙なのは、安倍政権の下での「解決」が可能、という前提である。安倍晋三やその周辺が歴史修正主義者であり、NHKの「慰安婦」番組に介入したことは周知の事実である。ならばそのような首相の下でなぜ「解決」が可能なのか。もしくは、そこで可能となる「解決」はそもそも「解決」と言えるものでありうるのか。 普通に考えればそうだと思うのだが、現在のマスコミ・社会運動圏・アカデミズム内の主流の思考法は逆で、むしろ、安倍政権下であるからこそ「解決」は可能、という認識なのだと思う。彼ら・彼女らの中では、保守派のニクソンだからこそ訪中して米中和解ができた、という実例が金科玉条になっている。保守派が政権を握っているがゆえに、左派の主張を実施しても、右からの反発を抑えることができる、という定式だ。あとは、政権の要人や世論に影響力のある人物に裏で説得(もしくは利益の提供)をかければよいわけである。安倍政権が北方領土問題をゼロ島返還で解決した結果、この方式への信奉はますます強まっているように思われる。ひとまずこの方式を、「宮廷革命」方式と呼ぼう。 この宮廷革命方式の蔓延は、<佐藤優現象>と機を一にしたものだと思う。私が2009年に『週刊金曜日』について書いた文章から引用しよう。 <「<佐藤優現象>批判」でその認識の問題点を指摘したが、9・11(2005年)の衆議院選挙の選挙結果について、リベラル・左派は、大衆が愚かにもプロパガンダに惑わされて、自らの利害に反する小泉自民党に大量投票した、と認識したのである。リベラル・左派は、大衆が「理性」または「良識」を持ち合わせていることを前提とした言論活動を展開することに絶望したのだ。だからこそ、「護憲派のポピュリズム化」、<佐藤優現象>、『金曜日』の9・11陰謀論への加担、といった現象が起こっていると私は思う。 こうした絶望状態の下に、佐藤は降臨したわけである。佐藤は、政界をはじめ、幅広い人脈を持ち、積極的に『金曜日』とつながりを持とうとするのだ。さて、『金曜日』はどう考えただろうか。 私は、『金曜日』は、市民運動・社会運動によって社会を変えるよりも、佐藤とのつながりによって、佐藤の社会的上層部とのつながりを通じて、社会に影響力を行使する側に回ることを選択(というほど自覚的なものではないと思うが)したのだと思う。自己弁明としては、佐藤へ『金曜日』が働きかけて、佐藤が政治家ら要人や保守派(読者)に対して『金曜日』の主張を代弁することによって、『金曜日』の主張が社会的に広がる、という論理である。または、佐藤が媒介者となって、政治家ら要人と『金曜日』関係者が会合し、『金曜日』が直接影響を与える、ということもあるかもしれない。もちろん、佐藤と関わることによる、人脈の拡大(マスコミ人は大好きである)等の個人的な利益もあろう。 市民運動、社会運動の力によって下から社会を変えることは無理であるから、佐藤優(の諸活動や人脈)を通じて上の中で、上から社会を指導する、あるいは、社会をいじくりまわすことを志向した、と言い換えてもよい。体制側(の一部派閥)に自分を売り込むことによって政治的影響力を行使(あるいは、行使したつもりになる)する道を選ぶ志向になりつつあるのではないか。ここでは『金曜日』は「市民の週刊誌」というよりも、胡散臭い政治集団のようなものになっている。 この論理であれば、佐藤がどんな右翼政治家と結託していようが、胡散臭い団体と関わっていようが、全く問題ないことになる。むしろ、それは却って望ましいとすら言える。『金曜日』は、佐藤を通じて、そうした人々にすら影響を与えられる(ように見える)からだ。かくして、絶望し、無力感に浸っていた『金曜日』は、佐藤という魔法使いによって、瞬時に強大な社会的影響力を行使できるようになった!・・・と考えた(考えている)のではないかと思われる。> 今日では、上の佐藤にあてはまる役割を果たしうる(より小物の)人物を、いくらでも挙げることができよう。この方式の蔓延により、特に朝鮮関係など、以前に比べて社会問題・運動に対するマスコミ内の「シンパ」は増えたようにみえるが(しばき隊のリンチ事件がほとんど報道されないのも、その結果であろう)、それの裏面として、日本社会の右傾化に歯止めがかからなくなった。 リベラル・左派知識人が失言したり馬鹿げた行動をとったりしてネットで炎上する、というのはパターン化しているが、それも、上で挙げたような構図と関わっている。「なぜこんな人を使い続けるの?」という疑問を誰もが持つだろうが、彼ら・彼女らの主張よりも、(社会運動や政治家、各種要人、業界内部の)媒介者としての役割が期待されてマスコミに出続けているのである。 「宮廷革命」方式をとれば必然的に主張の訴求力は弱くなり、ぬるいものになるから、言論はますますつまらなくなり、八百長プロレスのようなものになる。「宮廷革命」を目指した結果、実際には宮廷の茶坊主になった、というところだろう。一般大衆はそのことに気づいている。名護市長選挙の結果もその観点から考察する必要があるだろう。
by kollwitz2000
| 2018-02-07 00:00
| 佐藤優・<佐藤優現象>
|
ファン申請 |
||