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2006年 12月 05日
朝鮮史研究者・梶村秀樹の講演録に、「解放後の在日朝鮮人運動」がある(『梶村秀樹著作集 第6巻』に収録)。1979年に行なわれた講演で、1980年に手を加えて出版されたものだ。7、8年前に読んだはずなのだが、状況の進展(悪化)のせいか、梶村の問題設定の卓抜さと分析の鋭さに圧倒された。前回は一体何を読んでいたのか。
論点は非常に多岐に渡るので、機会があればまた述べてみたいが、この講演録で最も印象深いのは、梶村の、日本人左翼への苛立ちである。 戦後、在日朝鮮人は在日本朝鮮人連盟(朝連)を結成し(1945年10月)、活発に活動を展開した。朝連の幹部は、日本共産党員であり、共産党の運動にも朝連を動員させ、大きな役割を担っていた。 にもかかわらず、米軍や日本政府による朝鮮学校の破壊などの朝連、在日朝鮮人への攻撃や、朝連の解散の強行(1949年)といった事件に際し、共産党は、「知らん顔」をしていた。朝鮮戦争で、朝連の後継団体である在日朝鮮統一民主戦線(民戦)が、米軍が朝鮮で爆撃するのを阻止するために、米軍基地からの出撃や軍需物資の輸送を武装して妨害していたとき、軍需物資を輸送する国鉄などの鉄道労働者は立ち上がる気配もなかった。 梶村は、朝鮮学校の弾圧について、「全体の日本社会としては、知らん顔をしていた」「黙認してしまった日本社会の在り方の問題として、いかに大きな問題であったのかということを強調しておかなければならない」と述べる。1980年から26年経って、いや、戦後直後から60年経って、「日本社会の在り方の問題」は解決されたのか。何も変わっていないのではないか。 この講演録を読むと、戦後直後の進歩的知識人や共産党系知識人の諸活動、盛んだったという労働運動など、当時の広義の左翼全般に対して、根本的な疑念を感じざるを得ない。もちろん、これは現在進行形の問題である。 なお、梶村は、朝連の解散時に、朝連と死闘を繰り広げていた民団が、米軍に抗議声明をぶつけていたことも指摘している。「立場は違うにせよ、同じ民族団体であるという感覚」が、朝鮮戦争が始まる頃までもまだかなり残っていたのだろう、と。今回の総連弾圧で、民団やその他の在日団体が、何か抗議声明を出しただろうか。少なくとも私には聞こえてこない。
by kollwitz2000
| 2006-12-05 01:26
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