by kollwitz2000 カテゴリ
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2007年 11月 07日
『金曜日』の最新号(2007年11月2日号)に、小林節のインタビューが載っている(「福田も小沢も「憲法違反」――テロ特とISAFめぐり“改憲派”論客が一刀両断」。
別に大して啓発されることもない小林(改憲派)による改憲論・保守派批判というネタに、護憲派ジャーナリズムはよく飽きないものだと呆れるが、よく考えてみると、これはなかなか徴候的な現象なのではないか、と思う。なぜ水島朝穂ら護憲派の憲法学者ではなく、改憲派の小林なのか。 『金曜日』が言いたいことは既に分かっている。「改憲派である小林ですらテロ特措法やISAF参加は違憲と判断し、反対しているということを示した方が、護憲派の憲法学者が違憲と判断し、反対するよりも影響力があるではないか」と。ここ数年の護憲派ジャーナリズムが愛用している論理である。 小林が護憲派ジャーナリズムに使われ出した頃(3年前くらい?)は、使っている側も、本心からそう思っていたのかもしれない。護憲派という主体が、小林という改憲派を、右派への対抗のために道具として使う、という構図である。だが、この2007年秋においては、同じ建前を掲げていても、構図は変わっているように思われる。 すなわち、護憲派ジャーナリズム自体の支配的な「護憲論」自体が、小林の「護憲的改憲論」と、そう変わりがなくなっているのではないか、ということである。 小林の9条に関する改憲論自体は、 「防衛省移行の意義と今後の課題」(朝雲ニュース 2006年12月21日付)(※1) http://www.asagumo-news.com/news/200612/061221/06122104.html 「国民が主権者として目覚め、主体的な憲法改正議論を」(「商工会議所だより」2005年7月号) http://www.nagano-cci.or.jp/tayori/684/ts_684.html ↓の小林節の箇所(ページの一番下)(2001年3月7日、参議院憲法調査会) http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/ronten/text/anzen04.htm を読めば大体分かる。小林の論の骨格自体は別に変わっていない。集団的自衛権に関しては曖昧だが、自衛隊の合憲化、国連決議の下での軍事的「国際貢献」の肯定という大枠自体は全く揺れていない。また、小林は、国民投票法案制定論者でもあった。大雑把に言えば、民主党的な改憲論と言ってよい。 そもそも、「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)でも指摘したが(※2)、山口二郎らが提唱した「平和基本法」は、小林の論の大枠と同じことを言っているのである。山口は、2004年5月時点で、「10年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた(注・「創憲」!)。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」(『東京新聞』2004年5月2日朝刊)と述べているが、これなど、「護憲的改憲派」たる小林が、現段階の改憲に反対する口吻そのものではないか。 もちろん、これだけでは、小林が護憲派ジャーナリズムで使われ出した頃の構図と、現在の構図の違いを説明したことにはならない。この間に何が起こったか? 私には、この間に、護憲派ジャーナリズム内のヘゲモニーが、護憲派(水島朝穂ら)と解釈改憲派(山口二郎ら。彼ら・彼女らを正しくこう呼ぶべきである)の併存状態から、解釈改憲派単独に移行したように思われる。 護憲派ジャーナリズムのここ数年間は、「これまでの護憲派の主張では、もともとの護憲派以外には支持を得られない」なる認識の下で展開していたように思われるが、帰結したのは、改憲に反対する人々の増加というよりも、護憲派ジャーナリズムからの護憲派の影響力低下であったように思われる。 実際に、前号(2007年10月26日号)の、連載「解釈改憲論に勝ち抜くための論理」の最終回(第6回)では、山口、前田哲男、我部政明の座談会が載っているが、ここでは「戦後護憲勢力」は、「遺産」を築いたものとして扱われている。要するに、彼らの脳内では、最早死んだことになっているのだ。それは、護憲派ジャーナリズムにおける護憲派の影響力低下の反映でもある。解釈改憲論者たちがどうやって「解釈改憲論に勝ち抜く」のかは不明だが。 また、これも「<佐藤優現象>批判」で指摘したが、『金曜日』は、2005年2月に、国民投票法制定阻止の立場から移行している。ここから、手続法制定論者の今井一が誌面で活躍するようになったのである。 小林の「護憲的改憲論」は、今や護憲派ジャーナリズムの本音であって、もはや右派批判のための「道具」ではない。『金曜日』のインタビューで、小林と編集部員(インタビュアー)は、何と和気藹々としていることだろう。編集部員は小林を取り込んだつもりでいるようだが、自分が解釈改憲論に取り込まれていることには何ら気づいていないように思われる。 「護憲的改憲論」が本音の護憲派ジャーナリズムは、そのうち、民主党が改憲の姿勢を公然化させれば、山口二郎あたりを中心に、「自民党案より民主党案の方がはるかにマシである。民主党案を潰して、自民党案の改憲を実現させていいのか」と脅して、民主党の改憲案を呑むようキャンペーンを張るだろう。見え透いているではないか。その中では、護憲派にも、アリバイ的に、多少は席が与えられることになろうが、決して主流になることはない。民主党中心の「政権交代」に、何ら幻想を抱いてはなるまい。 (※1)小林はここで、「戦後60年にわたるわが国の「平和国家」としての実績」を強調している。無論これは、「戦後民主主義」の、日米安保の一翼を担って中朝に軍事的に対峙している過去と現在、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争等への加担、沖縄への軍事的負担の押し付けといった問題への無関心と正確に対応している。そもそも、韓国の政治学者、 権赫泰が強調するように、日本の「平和主義」は、韓国の徴兵制とワンセットである。これまでの「平和」の内実を問わない平和運動に展望はあるまい。 (※2)先日、テレビを見ていたら、小林が討論番組で、山本モナの「マニフェスト「10年以上住む外国人に地方選挙権をあげます」」に強硬に反対していた。<佐藤優現象>が在日朝鮮人の切捨てによって成り立っているのと同質の問題が、護憲派ジャーナリズムの小林の重用にはある。もちろん、佐藤とは悪質さのレベルが違うが。
by kollwitz2000
| 2007-11-07 19:34
| 日本社会
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