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2008年 10月 11日
発売されたばかりのの『金曜日』2008年10月10日号を読んでいたら、北村肇編集長の「『週刊金曜日』もよくネットで攻撃されます。時間のムダなので見ないけど」という発言が載っていた(「編集長連続インタビュー 第1回」)。呆れたので叩こうかと思ったのだが、何気なく背表紙の広告を見て、仰天し、書く気を失ってしまった。
上の方の写真が、背表紙下部の写真。その下の写真は、その一部の拡大図。 この集会ポスター(ちらし?)の日の丸、これ、アイロニーとかで使われてるわけではないな。「打ってでよう」というスローガンの旗印として、使われている。一番上の写真の集会告知のデザインも、日の丸の図柄が参照されているように思う。 愛国主義的左翼というわけですか。前回の記事の「(注)」で、山口二郎と萱野稔人(2人とも、『金曜日』の常連執筆者である)の発言を紹介したが、それらの主張そのまんまである。もちろんここでの「自由の女神」は、山口が言うところの「能動的市民」の隠喩であろう。かつて、日の丸・君が代問題が、リベラル・左派内部において、大日本帝国との連続性の象徴としては問題にされなくなっていることを指摘した(「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」)が、今から考えると、それも当たり前といえば当たり前だったわけだ。 それにしても、ここまでストレートに『金曜日』が日の丸を掲げてくるとは予想していなかった。前書いた記事で、「護憲派ジャーナリズムにとって現在は(注・「国益」中心主義的なリベラルへの変質の)過渡期なのであって、護憲派ジャーナリズムが佐藤を使うにあたっての言い訳や論理は、恐らく、この過渡期にのみ観察できるものである」と書いたが、誤りだったようだ。『金曜日』の「国益」中心主義への変質は、完了していたわけである。これならば、佐藤優が登場してもおかしくもなんともないだろう。『金曜日』の変質をこれほどわかりやすく示してくれたという意味では、わざわざ変質を指摘する労を省いてくれてありがたいとは言える。 最近の『金曜日』は、一昔前ならば載るのが考えられなかった記事が多いが、この「日の丸」はその総仕上げだろう。9・11陰謀論にまでのめりこみつつある(この点は、msq氏のサイトや、南雲和夫氏のブログで論じられている)が、何か歯止めがなくなってしまっている(カルト化?)ようである。 このポスターは、『金曜日』が創刊15周年という「大集会」で新しいスタートを切るにあたって、まさにうってつけのものだ。「日の丸」を積極的に掲げる大国主義的な「護憲派」。もう、『金曜日』に影響を受ける「左派」や「市民」など、心配する方が間違っているのかもしれない。そうした読者がいれば、最早それは共犯関係であり、「騙されたがっている」ということだろう。 『金曜日』のこの15年間は、いったい何だったのだろうか。15年前、創刊時の関係者や読者は、15年後に「日の丸」を『金曜日』が掲げていることを予期していただろうか。 なお、『金曜日』同号で、山口泉は、『週刊朝日』による、宮崎あおいへの「“メディア・テロ”の典型」の記事を捉えて、以下のように述べている(「きんようぶんか テレビ」)。 「私は一瞬、別の週刊誌ではないかと疑ったほどですが、今や新聞・雑誌ごとの旗幟の違いなどなきに等しく、つい、この間まで“進歩派”“革新”の看板を掲げていたはずのオピニオン・ジャーナリズムが雪崩を打って新保守主義の別働隊と化している以上、こんなことはいちいち驚くに当たらないのでしょう。」 山口さん、それ、『金曜日』のことですか。 それにしても、『金曜日』社員が、この「大集会」のポスターだかチラシだかの配布や貼り付けの会社指示を、「良心の自由」をたてに拒否した場合、それは認められるのだろうか。佐高信社長や北村編集長に聞いてみたい。
by kollwitz2000
| 2008-10-11 00:00
| 日本社会
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