by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2009年 06月 13日
上のように述べれば、では、お前は誰が日本の右傾化を進めており、支持していると考えるのか、と当然問われよう。それについて述べる前に、④の「日本においては、本音では「大東亜戦争」肯定史観を持ち、戦前の軍国主義勢力とも関わりの深いような右派勢力が非常に強大であり、安部政権崩壊後も、福田政権下でも、麻生政権下でも、こうした勢力が基本的に政治・社会を牛耳っている」という認識についてコメントしておこう。
簡単に言うと、この認識は、日本の右派勢力の評価を誤っているのではないか、と思う。右派勢力の中でも、復古的な人々の力を、ある点では過大評価しており、ある点では過小評価(この点は後述)しているのではないか。 過大評価というのは、以下の点である。④の認識によれば、日本の右派勢力は、日本の「戦後レジームからの脱却」を目指しており、戦前のような権威主義的統治体制を打ち立てようとしていると認識されている。だが、「<佐藤優現象>批判」でも指摘したが、そうした懸念の多くは取り越し苦労ではないか。侵略国家であるアメリカにしてもイスラエルにしても、日本よりもはるかに議会の論戦や市民運動は活発であり、「リベラル」な社会である。「監視国家」やらクーデターは必要ないのである。クーデターに関して言えば、日本の場合、そもそもアメリカがそれを許すはずはないことは自明であろう。 また、右派勢力の中でも、少なくとも今の大都市中流層~上層の人々の中で、小林のように、日本の対米自立と単独核武装、「大東亜戦争」の全面擁護といった思想を本気で信じている人間が、それほど多いとは思えない(ただし、アメリカがコントロールし得る形でならば、将来、日本の核武装は十分起こり得るだろう)。恐らく小林は自覚していると思われるが(注1)、そうした主張の実行は「国益」に合致しているとは必ずしも言えないからである。小林の思想自体は右翼思想としては正統的なものであろうが、正統的であるからこそ、小林は右派論壇(自体が消滅寸前だが)では、表向き敬意を表されつつも敬して遠ざけられているのである。 「国益」論的に言えば、東京裁判の判決を容認し、アメリカの「ポチ」とならざるを得ないと、大都市中流層~上層の保守派の大多数は考えているはずである。彼らは、そこまで「思想」や「理念」に興味を持っていないだろう。これは、別に日本の保守層が賢明だからということではなく、小林が苛立ちながら指摘するように、保守層が「ニヒリズム」にまみれているからである。要するに、右派勢力の中でも、大都市中流層~上層を中心として、戦後体制を基本的に支持する層がかなり強くなってきているのではないか、と思う。 小林は、日米安保を容認しながら「東京裁判史観」をも容認するメディアや人物を、漢字の「左翼」とは区別して、「サヨク」と呼んでいる。この「サヨク」は、東京裁判の判決は容認しつつも、日本の侵略と植民地支配の過去清算の方向には進もうとせず、安保体制は容認しつつも、日本国憲法の精神を称えている、矛盾だらけの存在である。ヌルい、悪しき意味での「戦後民主主義」的価値観そのものだ。 そして、小林からすれば、朝日や毎日はおろか、読売も産経も『文藝春秋』も「サヨク」である。日本の近代の栄光を誇ろうが中国や韓国に対して強硬論を唱えようが対テロ戦争への参戦を呼号しようが、「東京裁判史観」を容認して戦後体制を容認する連中は、結局は「戦後民主主義」の子供なのであるから、「サヨク」なのである。 要するに、右派勢力の中でも、近年では、戦後体制を基本的に容認した上での右派である「サヨク」が、大都市中流層~上層を中心に広がっているのではないか。佐藤優の右派の支持層もその辺だろう。したがって、④のような認識では、小林や田母神のような「大東亜戦争」肯定史観の右派に対抗するために、「サヨク」的な右派と連携する――もちろんこれこそが<佐藤優現象>である――ことになりがちである。 (注1)小林が「満州事変」以後の日本の侵略を擁護するのは、「国益」上やむを得なかった、ということではない。「国益」に反した行動を「アジア解放」の理念のためにわざわざとった当時の日本を擁護しているのである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-06-13 00:02
| 日本社会
|
ファン申請 |
||