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1.
昔から思っていることであるが、アカデミズムやマスコミ、(ネット)論壇周辺の在日朝鮮人(亜)インテリ、特に日本社会に対して批判的(「反日」的)な在日朝鮮人は、個別の日本人に対しては驚くほど無防備である。彼ら・彼女らの話を聞いたり言動を見たりしていると、日本人は、「差別的な一般の悪い日本人」と、「差別意識を持っているはずのない良心的日本人」の二つに截然と分かれているようである。彼ら・彼女らには、そのような場とは無関係な、取り立てて「反日」的でない普通の在日朝鮮人が往々にして持っている「所詮日本人だから・・・」という感覚・認識がない。 90年代以降に在日朝鮮人(亜)インテリがアカデミズムや(ネット)論壇周辺で消費されてきたのはなぜかというと、上のような認識を持っている在日朝鮮人(亜)インテリと付き合うことによって、「良心的日本人」は日本国民としての政治的責任、という問題系を回避できるからだと思われる。上野千鶴子が典型であるが、彼ら・彼女らは、口先では国民としての政治的責任云々を認めるが、これは、こちらが言うことについて何でも「うんうん、わかるよ」と答えながら、その実何も考えが変わらない人間と同じである。彼ら・彼女らにおいては、「日本人」というよりも、自らはむしろ「市民」(地球市民)なのである。 彼ら・彼女らによる日本政府批判というのは、社会を変えるためというよりもむしろ、「自分はこのような醜悪な日本国家に代表されるところの日本国民ではない」ということをアピールする(誰にだ)ため、と見た方が実態に適合している。国民としての政治的責任という認識があれば、そもそもそのような逃げが成立すると考えるはずもないのであるが。典型的には朝鮮学校無償化排除問題であって、あれだけ数多くの署名が集まるにもかかわらず、大多数の行動には結び付かない。しかも、リベラル・左派が挙って支持した民主党政権であるのに。 もともと「戦後民主主義」やそれへの批判者である旧左翼や新左翼自体が、このような日本「市民」そのものであったと思うが、現代的なものとしてはそれほど古くなくて、基本的には90年代以降であると私は考えている。90年代初頭、日本政府が周辺諸国の民衆から戦後補償問題を突きたてられた際、一部では国民としての政治的責任、という議論も出たけれど、結局歴史認識問題は「ナショナリズム批判」といった下らない議論に収斂していった(最近の高橋哲哉も、この種の「ナショナリズム批判」に回帰してしまっている)。この頃以降に論壇で流行った、「思想・良心の自由」論にしても、「公共性」論にしても、「国民としての政治的責任」論に基づく政治的行動、という主張の否定として機能したと見ることができる。 戦後補償問題に直面した日本「市民」たちは、本来引き受けるべき歴史があまりにも重すぎることに気付いたから、「国民」として引き受けることをやめて、「市民」性を純化したのだと私は思う。原発危機後の日本の光景のようなものだ。現状の危機を強調する情報を信じると、自分たちが取り返しのつかない体験をしてしまったことになるから、大多数の日本人はそれらを気にとめないか、「危険厨」的に消費することにしたのである。かくして、パニックにも陥らず今日も日本社会は平和である。 当然であるが、私は政治的行動の主体としての「市民」という概念を承認しているし、日本には「論壇」に影響されないまともな「市民」がいることも知っている。だが、ここで論じるような類型の人々を論じるにあたって、彼ら・彼女らのよく使う「市民」という言葉以外になかなかよいものがないのである。ここでは、「市民」は、「国民」の(潜在的な)否定形としての「市民」という言葉を自己規定として使用している人々であり、かつ、アカデミズムやジャーナリズム、論壇で活躍する人々や、そこでの言論に影響を受けている人々を指している。 ただ、そのような意味での日本の「市民」の問題性は、日本でなぜ市民運動が韓国程度にも強くならないか、という点とも絡んでいると思う。少なくとも一部の例からすれば、日本の「市民」運動の一部には、リーダーが簡単にマスコミに取り込まれて、運動それ自体が消費されてしまい、恋愛問題などが絡んだ人間関係のトラブルで自滅する、という一つのパターンがあるように見受けられる。弾圧すらいらない。 2. 現在の日本「市民」の特徴を3点に要約すると、①日本政府批判、②ナショナリズム批判、③社交性、が挙げられる。 過去の日本政府の(対外的)行動の醜悪さが明白であるから、それへの防衛機制として日本「市民」は成立したと見ることができる。繰り返すが、その醜悪さを変えようするよりもむしろ、その醜悪さから自分たちは無関係だ、と主張するためのものとして「市民」概念は機能している。 これと②の「ナショナリズム批判」の関係については、現在の朝日新聞主筆である若宮啓文の発言が興味深い。その本を捨ててしまったので正確な引用ではないが、若宮は著書『闘う社説――朝日新聞論説委員室2000日の記録』(講談社、2008年10月の中で、「自分たち朝日新聞は、日本政府に対して一貫して批判的立場を堅持してきたから、中国・韓国に対しても批判する資格が他のメディアよりもある」というようなことを書いていた。もちろん批判は勝手にすればよいが、「日本政府に対して一貫して批判的立場を堅持してきたから」批判する資格が増すという思考法は絶対的におかしい。ここには、日本国家を批判する(といっても大したものではないが)ことによって、いかに日本「市民」が「国民」としての歴史的被拘束性から離脱でき、自由な「判定者」として振る舞えるようになる(と認識されている)かが端的に表れている。世界に冠たる日本「市民」は、日本「国民」としての責任を回避することで、第三者的立場から、世界の諸問題を消費する「資格」を得ることができる。 彼ら・彼女らにとって、ナショナリズムや民族主義というものは、宗教や病気のようなものであって、(教養ある)自分たち日本「市民」は決して感染しないもの、ということになっている。佐藤優がナショナリズムを宗教論の観点から説明しているのも、このような「市民」の好みに媚びたものであろう。だが、それは日本の圧倒的大多数が単一民族であるという、欧州極右の理想郷たるような国家であるがゆえに、民族問題について自己の問題として考える機会がないことの反映でしかない。90年代以降のナショナリズム批判の「論壇」での流行は、そのような日本の現状に規定されたものでしかないし、最近の萱野稔人らの「ナショナリズム」復興論も、この種の「市民」的な気分を継続させたまま、それを裏返したものでしかなく、前に私が批判した以上のことを改めて論じるまでもないだろう。 3. 在日朝鮮人が韓国国籍または朝鮮籍を維持していることに関しても、彼ら・彼女らからすれば、民族主義に洗脳されている可哀想な人か、日本政府が日本国籍取得の選択権を与えなかったためにそうせざるをえない人、ということになっているはずである。だから、彼ら・彼女らは、なんとかして在日朝鮮人に日本国籍を取得させて民族主義という洗脳から離脱させてあげたいとの善意の下、「権利としての日本国籍取得」を可能にするだのといった主張を行う。国民としての歴史的責任という認識が欠落しているから、在日朝鮮人が歴史的権利に基づいて、韓国国籍または朝鮮籍を未来永劫維持する、というのは民族主義に基づいた我儘な主張、ということになる。 日本「市民」を含めた日本国民全般においては、歴史認識問題と安全保障問題に関して、日本が周辺諸国から未来永劫にわたって制約を受けることはあってはならない、と考えているようである。だから、過去清算は基本的に終わったという認識を持っている日本「市民」からすれば、それ以上の日本批判は「反日ナショナリズム」だということになる。 だが、これは、日本「市民」においては、国民としての歴史的・政治的責任という概念が本質的に欠落していることを意味している。国民としての政治的責任という概念の一つの核心は、歴史認識問題と安全保障問題に関しては、未来永劫、日本国家が日本国家である限り、周辺諸国から制約を受ける、という点である。ドイツとイスラエルの関係のようなものだ。対中国に至っては、1000万人以上の中国人を殺しておいて賠償を免除してもらったのだから、制約を受けるのは当然という発想が全く出てこないのが日本「市民」を含めた日本国民のすごいところである(もちろん南北朝鮮に関してもそうである)。 日本「市民」は、「戦争の惨禍の結果として、私たちは日本国憲法を獲得しました」といった類の言説を好むが、前から書いているように、それは対外諸国への誓約という形に翻訳されてのみ意味がある。ところが、日本「市民」は、「憲法9条は第二次世界大戦への人類の反省に基づく、カントの平和理念の具現化」などといった与太話を延々とやっている。 4. ③の社交性というのは、結局、彼ら・彼女らの目的というのは社会変革ではなく社交であり、そのためのツールとして種々の社会問題が使われている、ということである。彼ら・彼女らはあらゆる制約から逃れているから、あらゆる話題を「自由」に論じることができる。18世紀ヨーロッパのコーヒーハウスが市民的公共性の起源という紋切り型をもじれば、コーヒーだけ飲んで駄弁っているような光景だ。冷戦崩壊後の世界規模の諸問題の浮上という歴史的時期に臨んだ、教養俗物層の知的態度として、このような「市民」的あり方は極めて適合的であったと言える。今日のアカデミズムや論壇、ジャーナリズムのそれぞれの相互乗り入れや馴れ合い、ツイッターのような場を見ても、この種の「市民」的あり方がいかに必要かは自明であろう。日本で多少でも本を読んで、世界の諸問題を消費したいという階層に属していれば、日本「市民」にならない方がおかしい。 こう考えると、彼ら・彼女らが依拠する立場というのは、何も無い、ということになる。だが、この無思想かつ無節操なこの日本「市民」の立場が、在日朝鮮人の(亜)インテリたち(なかには在日朝鮮人の「ナショナリズム」を批判するような馬鹿もいるが。そのような言説は端的に甘えに他ならない)と連動して、一つの大きな層のように、アカデミズム・ジャーナリズム・(ネット)論壇をおおっているのもこれまた事実である。その異常さを指摘するのは難しくないが、これは、(戦後)日本の歴史的風土に基づいたものであり、かつ90年代以降に強化されたものであるから、極めて強固なものである。まともな「市民」の言論を展開したいと考える人々は、こうした立場を「人民戦線」的に「仲間」として扱わず、徹底的に批判しなければならない。 少し前に書いたブログ記事「日の丸論議について(1)」に対して、読者から、「あなたは裁判上の「戦略」と反対論の論拠を取り違えている。日の丸・君が代強制に対して「思想・良心の自由」を論拠にして対抗するのは、あくまでも裁判上の「戦略」である。だから、あなたの批判は意味をなさない」という趣旨の批判をいただいた。
だが、事態はむしろ逆だと思う。私も対週刊新潮・佐藤優裁判で「思想・良心の自由」論を用いているように、訴訟上では「思想・良心の自由」論で闘うのは当然である。問題は、日の丸・君が代強制に対抗する上での、あくまでも訴訟上の論理として出されていたはずの「思想・良心の自由」論が、いつの間にか、訴訟とは基本的には無関係のはずの言論領域でも反対論の主要な論理になってしまった点にある。時期的には1990年代か2000年代あたりであろう。だから、今や、新聞・出版メディアはもちろん、ネット上でも「思想・良心の自由」論以外の反対論にはほとんど遭遇できない。 私には、戦後補償訴訟も結局似たような経路をたどってしまったように映っている。1990年代に多くの戦後補償訴訟が運動の方向性として提起された時は、もちろん裁判で勝訴することも重要な課題ではあったろうが、もともと勝ち目が低いことは前提で、訴訟自体は戦後補償問題、歴史認識問題への社会的な関心を高めることに重きが置かれていたはずである。ところが、月日が経つにつれて、大日本帝国(日本国)の国家責任、歴史認識問題といった議論はほとんど後景に行ってしまって、被害者個人の人道的補償はどうなされるべきか、といった方向に論点が収斂していってしまったような印象を持っている。だが、そうなると問題は、日本の侵略責任・加害責任を根底から問うというよりも、問題は大日本帝国の機構の一部の悪辣分子が犯した例外的な事象ということになる。戦後補償問題は、(半)植民地関係に由来する歴史的・構造的問題に規定される形での人道的問題であるが単なる人道的問題(というものが可能であるとしてだが)ということになってしまう。 かつて上野千鶴子が「慰安婦」問題に対して例によって(「流行」だったから)いっちょがみしようとした際に、大勢いるはずの日本人元「慰安婦」が表れないのは、韓国の運動団体がナショナリストで、それに同調する日本人も含めてあたかも非侵略国出身者でないと名乗り出られないという雰囲気を作っているからだ、といった趣旨の批判を展開していたが、本来そのような議論は出る余地すらなかったはずなのである。だが、こうした上野の主張は、リベラル・左派の「気分」をうまく捉えていると思う(本当にこの人物は佐藤優と似ている)。 要約すると、戦後補償問題に関する現在のリベラル・左派の「気分」は、「被害者個人への補償は当然なされてしかるべきだが、それを支持する周辺諸国(民)の主張はいきすぎたナショナリズムであるから賛成できない。むしろ批判されるべき対象」といったものである。ではどこからどこまでが「健全で」どこ以上であれば「いきすぎた」ナショナリズムであるかとか、被害者個人の要求自体が「ナショナリスト」としての自覚に基づいてなされていた場合それは悪いのかとか、そもそも「ナショナリズム」ではなぜ悪いのかとか、そうした疑問にはこの種のリベラル・左派は何も答えてくれない。線引きをする主導権は日本人リベラル・左派にある、というギャグ漫画のような構図になっている。これは「気分」であって「論理」ではない。 私見では、戦後補償運動に携わっている人のかなりの人間も多かれ少なかれこうした「気分」を共有しているのであって、結局その種の戦後補償運動は、今の朝日新聞や文芸春秋やらの「昔の左翼のように(そんなまともな左翼がどのくらいいたかは知らぬが)戦前の歴史を悪一色で描こうとするのはおかしい、ただし、一時期の逸脱と愚かまたは悪辣な軍人たちの犯した犯罪は問題なので、「国益」の観点からも適切に処理すべき」いった史観と共存可能、というよりもむしろ相互補完的なものである(その点でも「国民基金」に似てきている)。 要するに、主張や主張者(の主観的善意)は1990年代から大して変わっていないように見えながら(実は主張自体も微妙に変わっているのだが)、言説の機能は根本的に変容している。かつては、周辺諸国(民)の声に呼応し、大日本帝国の負の遺産を持つ日本の過去清算を実現すること、派兵国家化を阻止することが国民としての政治的責任である、という論理であったはずだが、既述のような変容の下では、もはや「国民としての政治的責任」は存在しないか、例外的な事例にのみ適用されるものとなる。派兵国家化云々などといった論点はもはや存在せず、「国民基金」のように、日本の「政治大国」化にあたっての不可欠なツールとして利用されることも普通に起こるだろう。少し前に話題になっていた「慰安婦」立法案などはその典型である。 裁判を契機にして、反君が代・日の丸の主張(教員の当人たちは別として)も、戦後補償の主張も、現存の日本国家を根底的に批判するという視座を失って、包摂される道を進んだように思われる。そもそも裁判とは、定義上、現存の日本国家を所与の前提として展開されるものであるから、反対論の主要な論拠が訴訟上のそれと同一化してしまえば、包摂されるのはごく自然である。そして、裁判を契機にして、リベラル・左派は、自分たちに都合のよい「立ち位置」を発見してしまったのだ、と私は思う。日本国内(の言論界)では、「良心派」として振る舞いつつ、絶対に傷つかないという絶妙の場所である。そして、日本国内ではネット右翼だの在特会だのといった連中が野放しにされているから、彼ら・彼女ら「良心派」はいつまでたっても「良心派」の立場を確保し、主観的にも「良心的」のつもりのままでいられる。 私は、何か特定の人物や団体がこのような「立ち位置」に誘導した、と言っているのではない。このような大規模な変容――転向現象は、日本のリベラル・左派の大多数の政治的な無意識という形でしか説明できないものである。 このところ、日の丸・君が代訴訟で教員側の敗訴が相次いでいるが、いくつかの論評を見てつくづく思ったのは、強制反対の論理が「思想・良心の自由」論の論理にほぼ席巻されてしまった、ということである。これは、リベラル・左派系のマスコミだけではなくて、ウェブ上でよく見られるような、「思想・良心の自由」論とは一線を画しているつもりであるように見える反対論もそうである。後者は、例えば、「沖縄や在日の人々の歴史を考慮しない日の丸強制はおかしい」とか、「日本には在日をはじめとした多くの外国人が住んでいる」とかそういったものであり、これらは確かに「思想・良心の自由」論に比べればマシではあるが、論理的には同型である。
私は5年以上前の「「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」というブログ記事で、「東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、2000年)参照)、大雑把に言って、大日本帝国との連続性の象徴として問題にされてきたのではなかったのか。90年代のどこかで、日の丸・君が代問題の「問題」としての認識が、大日本帝国との連続性という問題から、「思想・良心の自由」の問題に変容したように思われる。」と書いたが、私の指摘は全く顧みられなかったどころか、「思想・良心の自由」論に反対論は収斂してしまったかのように見える。 リベラル・左派系のマスコミで言えば、2008年10月に、『金曜日』が日の丸を肯定的にポスターで使ったことについてはこのブログで取り上げた。また、岩波書店が同時期の2008年11月に刊行した『食べかた上手だった日本人――よみがえる昭和モダン時代の知恵』なる書籍の表紙も、明らかに日の丸を(別段批判的意識もなく)模したものである。恐らく、2008年秋ごろに、リベラル・左派系マスコミにおいて、日の丸を肯定的に使ってもよい、という<空気>が成立していた、日の丸が解禁されていたのではないか、と思う。逆に言えば、それまでは、確かにタブーではあっても、あくまでも(マイノリティへの)「強制」がよくないのであって、リベラル・左派のマスコミ人個々人にとっても大した問題ではなかったということではないか。そのような前提の下で、リベラル・左派系のマスコミによる「思想・良心の自由」論は発せられているのである。彼ら・彼女らは、自分たちは日の丸強制には賛成しないことで、また、日の丸反対派を異端視する認識を共有することで、「良識派」という立ち位置を日本社会において確保できるのである。「立ち位置」の確保が目的なのであるから、有効な反対論になるはずもない。 ところで、こうした主張については、昔、金伊佐子と徐京植が既に批判している。徐による批判はウェブ上でも読めるので、日の丸・君が代問題について論じるならばせめてこのくらいは前提とされるべきだと思う(強調は引用者)。 「人のふんどし 「日の丸や君が代を『在日外国人もいる』ことを理由に反対されるのは困ったものだ。人をだしにせず、はっきりと自分がいやだから、強要される非民主性がいやだから、その歴史性や社会政治性を拒否するからと自分の立場で反対してほしい。(中略)日の丸や君が代は日本の、日本人の問題である。自分のふんどしで相撲をとってもらいたい。」 金伊佐子(キム・イサジャ)さんという在日朝鮮人女性の言葉である(「在日女性と解放運動」『リブとフェミニズム』岩波書店)。 私はこの言葉に、おおいに同感する。私自身、金さんが指摘している事態を、実感することが多い。一九八九年、昭和の天皇が死去したとき、恐怖とともにそのことを感じた。主要マスコミはまるで事前に相談したように足並みを揃えて、天皇の戦争責任を弁護し、また日本の戦後復興にとって象徴天皇制はよかったと異口同音に述べていた。天皇の戦争責任を追及する声は、韓国、中国、オランダ、イギリス……まるで日本の「外」にしか存在しないかのようだった。マスコミは、そして日本の識者たちは「人のふんどし」で相撲をとったのである。 「『在日』がいるから」と、日の丸・君が代に反対している人たちに問いたいが、もし日本に在日朝鮮人など在日外国人が一人もいなかったら、どうするのか。在日朝鮮人といってもその数は、日本の総人口のわずか〇・五パーセント程度である。もし在日朝鮮人の存在が日の丸・君が代反対の主要な根拠だということになれば、法制化推進派は在日朝鮮人を主要な標的とし、在日朝鮮人を黙らせ、ひいては排除することに力を注ぐだろう。そうした発想が極限に達したのが、ナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策だったではないか。万一そうした悪夢が現実になったとき、つまり「日本社会の和を乱しているのは一部の在日朝鮮人だ(だから、やつらを排除せよ)」という世論が形成され力をもったとき、現在ですら在日朝鮮人を口実に用いている日本人たちが危険を冒してまで朝鮮人を保護してくれるなどと期待できるだろうか。」 http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/essays/suh.htm 金や徐の言葉に付け足すところはほぼないが、こう考えると、「90年代のどこかで、日の丸・君が代問題の「問題」としての認識が、大日本帝国との連続性という問題から、「思想・良心の自由」の問題に変容した」と昔書いたが、この「変容」自体は実は非常にスムーズだったのではないかと思う。「日の丸は沖縄(や在日)の人々にとっては苦い記憶」といった主張から、「思想・良心の自由」論はほんの一歩であるからである。多分、昔の私には「大日本帝国との連続性」という問題を問うていたように見えていた立場も、煎じつめれば大多数は「日の丸は沖縄(や在日)の人々にとっては苦い記憶」といった程度の、金と徐の言葉を借りれば「人のふんどし」を借りたものでしかなかったのではないか。 靖国問題でもそうだが、日の丸・君が代問題は、大日本帝国との連続性の象徴として認識されない限り、議論としてはほぼ無意味である。そう捉えない限り、日本国民としての政治的責任、という議論は出てきようがない。私は何も新しいことを言っているつもりはなく、上で金が言うところの「その歴史性や社会政治性を拒否するからと自分の立場で反対してほしい」ということであり、また、各地で強制に反対している教員個々人の多くの方々の認識はそのようなものであるだろう。 「沖縄や在日の人々の歴史を考慮しない日の丸強制はおかしい」という主張の人々は一応おくとしても(自らの立場を再検討していただきたいのだが)、「思想・良心の自由」論で強制に違和感を表明しているリベラル・左派は、主観的には「連帯」している「良識派」でありながら、大多数の日本人と同じ「良識派」として、その教員たちが異端者であることを社会に確認させているようなものである。自分たちは絶対に傷つかない構図になっている。 (つづく) 厚生労働省が3月17日付で、放射能汚染された食品のウランやプルトニウム許容量を設定したことが一部で話題になっている。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1301113622/ http://tokumei10.blogspot.com/2011/03/blog-post_499.html 広く知られているように(ただしテレビで言及されているのは見たことがないのだが)、福島第一原発の3号機はプルトニウムとウランの混合燃料(MOX燃料)を使用している。多分既にプルトニウムは漏れているのだろう。 ところで、偶然、友人に勧められてルース・ベネディクトの『菊と刀』を10数年ぶりに再読していたところだったのだが、以下の一節に目が釘付けになってしまった(強調は引用者)。 「日本人が戦争中にあらゆる種類の事柄に関して述べた言葉が、比較文化研究者には日本人を知る好個の材料となった。・・・・・・どんな破局に臨んでも、それが都市爆撃であろうと、サイパンの敗北であろうと、フィリッピン防衛の失敗であろうと、日本人の国民に対するおきまりのせりふは、これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない、というのであった。明らかに、お前たちは依然として何もかもすっかりわかっている世界の中に住んでいるのだと告げることによって、日本国民に安心を与えることができると信じたからであろう。・・・・・・アメリカ人はその全生活を、たえず先方から挑みかかってくる世界に噛み合わせている――そしていつでもその挑戦を受けて立てるように準備している。ところが日本人はあらかじめ計画され進路の定まった生活様式の中でしか安心を得ることができず、予見されなかった事柄に最大の脅威を感じる。」(R・ベネディクト『定訳 菊と刀(全)』長谷川松治訳、現代教養文庫、1967年、34~36頁。原著は1946年刊) 日本政府は、今後、食品からプルトニウムが検出された場合、これは前からわかっていたことなんだから、少しも心配することはない、ただちに健康に影響するわけではない、と説得するために予防線を張っているようである。そうとでも考えなければ、このような抱腹絶倒の、恐らく中国政府が出せば少なくとも10年は日本人が嘲笑しそうな通達が出される理由が説明できないだろう。現在の原発をめぐる大本営報道は、かつての特徴をそのまま保持しているのである。
実質的に「和田春樹について(1)」の続きですが・・・。ご参考までに。
米軍、アジアにシフト=中国を強く意識-日米韓同盟の強化加速・ゲーツ長官歴訪(時事、1月15日付) http://www.jiji.com/jc/zc?k=201101/2011011500262 消費税上げ持論の財政通=経済財政相・少子化・社会保障・与謝野馨氏-内閣改造(時事、1月14日付) http://www.jiji.com/jc/zc?k=201101/2011011400616 前原外相:北朝鮮と直接対話、再開に意欲 「利用される」政府内に懸念(毎日、1月12日付) http://mainichi.jp/select/world/news/20110112ddm005010057000c.html 前原外相が日韓同盟提案か 北朝鮮に対処と韓国紙(時事、1月3日付。ただしその後外務省は否定) http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010201000391.html ----------------------------------------------------------------- <2005年 2月24日 中曽根 康弘 皆さん、こんにちは。与謝野(馨)さん(注・中曽根の元秘書)のご紹介で皆さんにお話をする機会をいただいて、大変光栄に思い、喜びにたえません。今のようなお話があったのでございますが、与謝野さんは最近は党を背負って、内閣との間で一番大事な郵政問題、その他の問題の解決に向かって全力を傾倒しておやりになっている。私はそれを横で見ておりまして、「よくやっているな。必ず彼は大成するぞ」と、あえて言えば出藍の誉れだと、そういうふうな感じもして、健闘を祈っているわけであります。(中略) 日本の総理大臣が戦後、韓国に公式に渡ったのは私が最初でありまして、金浦空港に日の丸の旗が捧げられ、国歌君が代が吹奏され、韓国の国歌と相共に並んで謹聴したものであります。そういうようなことも考えてみますと、やはり韓国語を勉強していたのは悪くなかったと思います。 それから、行った時には町を通って我々の車列が行っても、あまり大勢の人が顔を出しているわけでもないし、手を振る人もあまりいなかった。帰る時に空港へ行く段になったら、大勢の方々が道路へ出てきて、みんな手を振ってくれた。あれを見まして、政治というものは恐ろしいものだと自分でも痛感したものでございます。(中略) 対韓外交戦略 そこで、第一着手は何であるかというと、まず韓国の問題を片付けようということでした。当面の大きな目標はアメリカであります。対米政策を成功させるためには、まず悪くなっている韓国との関係を改善して、対米関係の懸案問題も解決して、それをお土産にして、そしてワシントンへ行ってレーガンに会って、それでスムーズに仕事を開始しようと、そういう戦略を実は持ったわけです。普通の人はみんな先にアメリカへ行っていました。私は瀬島龍三さんを呼びまして、というのは、全斗煥大統領に就任の挨拶で電話をした時に、「よろしくお願いいたします」と言ったら、「あなたがおいでになったのなら、こちらもよろしくお願いいたします」という返事があった。これは脈があると思ったからです。というのは、韓国との間はほとんど断絶状態にあった。金融・経済協力問題があって、前の日本の外務大臣が「もらうほうが金額をとやかく言うという手はあるまい」というようなことを言ったものだから、韓国はカンカンに怒ってしまって、途絶してしまった。それをいかに突破するかということを考えたわけです。 そこで瀬島龍三さんを呼んで、彼は士官学校や陸軍大学で当時の韓国の軍の中枢や政治の指導者と非常に面識がある。前に何回も韓国へ渡っている。私はそれを知っていたものだから、「すまないけれども、密使になって、やってくれ。そして、この問題を解決してくれ。私がアメリカへ行く前に解決するのだ」ということを言って、瀬島さんは承知してくれて、向こうの幹事長と会談した。ソウルでやると目につくものだから、大阪でやったり、金沢でやったり、釜山でやったりしたものです。そして、十二月二十八日に瀬島さんから電話があって、「まとまりました」ということでありました。四十億ドルの借款、三億ドルの無償、たしかそういうような内容で解決した。向こうは最初六十億ドルと言っていたものであります。それで一月十一日にソウルへ公式訪問しまして、先ほどのような光景に会ったわけであります。 しかし、韓国語でやったのを非常に喜んでいただいて、全斗煥大統領は「中曽根さん、一杯やろう。これだけではもったいない」と言って、大統領官邸の傍にあるカラオケのできる部屋へ一緒に行って、カラオケをやって歌を歌った。私は「ノラン・シャツ・イブン(黄色いシャツを着た男)」というのを歌いましたが、韓国大統領は日本の歌をまた歌ってくれたのです。それで抱き合った。それがやはりスタートであったと思います。> http://www.yatchan.com/seiji/tenchi/tenchi2005/0224.html <小林(注・勇一)氏は「国交正常化後」つまり一九六五年六月以降、初のソウル支店長ということになっているが、伊藤忠など日本の商社、企業が南朝鮮に進出しはじめるのは、それよりずっと前の六一年五月の軍事クーデター直後からである。そして、すでに六四年九月一〇日の南朝鮮「国会」では野党議員が日本商社の急速な浸透を憂慮、当局を追及するまでになっていた。 野党、新民党の金在光議員は、早くも七六の日本商社がソウルに支店、出張所を構え、南朝鮮経済にくいこんできている事実を指摘したが、そのなかで伊藤忠のソウル支店関係者として小林勇一氏と瀬島竜三を名ざししている。瀬島竜三氏は現在伊藤忠商事の副会長であるが、やはり旧日本軍出身である。元関東軍参謀、大本営参謀をへて伊藤忠に移ってからは「総合商社に情報収集の近代化をもたらした」とされている。その瀬島氏と南朝鮮とのかかわり合いは、その後いっそう緊密なものとなる。 一九七五年四月、朴政権は「総合商社育成方案」なるものをうち出す。そして同年五月、商工部は「韓国総合商社指定基準」を作成、適用するが、その内容は日本とそっくりのものであった。それもそのはず、この「総合商社育成案」はほかならぬ瀬島氏の手になるものであった。原案は日本をモデルにしてつくられ、「韓国における総合商社創設計画に関して」と題して朴「政権」に提出されたのである。これにもとづいて朴「政権」は七五年から七六年にかけて三星物産、大宇実業、双竜、国際商事、韓一合繊、暁星物産、半島商事、鮮京、三和、錦湖実業などを総合商社として指定するが、これらの商社はいずれも一方では朴「政権」と、他方では日本の企業とも密着し、日「韓」経済癒着を深化させていく中心的役割を果たしているものばかりである。 ところで、伊藤忠商事が小林氏や瀬島氏を朴「政権」に近づけたのは、同社の取締役・エネルギー本部長をしている高原友生氏だという。この高原氏は日本陸士で朴正煕と同じ五七期生であり、いわば「同期の桜」である。朴正煕の同期生および同じ日本軍出身の幹部トリオをソウルへ送りこむことにによって、伊藤忠は朴「政権」と密着し、南朝鮮での地位確保に大いに活用したのである。ちなみに伊藤忠は南朝鮮に進出している三百余の日本商社・企業のなかで、つねに売り上げでトップの座をしめている。> (朝鮮統一問題研究会『シリーズ日韓問題 1 腐敗する政治――機構と人脈』晩聲社、1980年6月、131~133頁) <瀬島龍三と全斗煥政権の結び付きは早かった。一九八〇年五月一七日の所謂「五・一七政変」によって確立された全斗煥体制に逸早くアプローチしたのは、五島昇・日本商工会議所副会頭(東急電鉄会長)と瀬島の“日商コンビ”である。ふたりは全斗煥・大統領が就任直後会見した最初の日本人財界人だが、瀬島は全大統領が国軍保安司令官時代からの知己だと自ら認めている。そして、瀬島は永野重雄・日本商工会議所会頭を通じ、旧制麻布中学校の後輩である朴泰俊・韓日経済協会会長(浦項製鉄会長)を知ったという。旧日本陸士四四期生の瀬島の後輩には、現在与党・民正党の有力な資金源のひとつと言われる正友開発会長の金貞烈・元陸軍参謀総長(五五期生)、丁一権・元首相(五五期生)、現在、国政諮問委員の李享根・元陸軍参謀総長(五六期生)、故朴正煕・大統領(五七期生)、丁夾赫・国会議長(五八期生)などそうそうたるメンバーがいる。 旧軍人脈をフルに活用する瀬島龍三は、伊藤忠の部下で陸士の後輩でもある高原友生・エネルギー本部長が李享根と同期生であることを知り、この高原=李ラインの強化に手を貸したという。そして、全斗煥は李享根を通じ朴泰俊から紹介されたという。韓国陸士十一期生の全斗煥が陸軍士官学校在学中の教官であった朴泰俊は、故朴正煕・大統領による「五・一六軍事クーデター」(一九六一年五月)の“革命主体勢力”のひとりであったが、朴時代は日・韓関係に限らずそれほど表舞台に登場しなかった。しかし、韓国軍部の系譜から言えば全斗煥と同じ尹必鏞人脈のひとりで、全斗煥の権力奪取に当っては在野から支援した。そうしたルートからの紹介があるうえ、旧日本軍の大本営参謀としての功績を高く評価する全斗煥に、瀬島龍三が喰い込むのはそう難しくなかったはずだ。 全斗煥が大統領に就任後、瀬島は五島昇、永野重雄を伴い、八〇年一一月と八一年二月、四か月の間に二回も訪韓し、全斗煥と会談している。かねてより持論の“環太平洋経済圏構想”を故大平正芳・首相の提唱した「総合安全保障」とリンケージさせ推進してきた五島昇は、太平洋経済委員会(PBEC)日本委員長として、韓国・済州島の観光開発やインドネシア産LNG(液化天然ガス)の導入プロジェクトに基づくLNG基地建設などに関心を寄せてきた。 八〇年九月訪韓した福田赳夫・元首相との会談で全斗煥は「NATO(北大西洋条約機構)型東北アジア軍事同盟を作るべきだ」と述べ、鈴木首相にその旨伝えるよう要請したという情報がある。全斗煥の考えによると、そのNATO型軍事同盟は①日・韓両軍の間で兵器、部品、弾薬等の互換性を実現②軍人の交流を活発にし、定期的な合同演習を実施③有事の際の相互支援、部隊派遣の取り決めを締結④将来はASEAN(東南アジア諸国連合)諸国を合めた“共同軍”を創設するというものであった。言うまでもなくこの全斗煥提言は、八〇年一月の米・韓首脳会談で語られた日・米・韓による“太平洋共同防衛体制”構想にオーバーラップする。 環太平洋経済圏構想がアメリカ主導による北東アジア・太平洋安保体制の確立を覆い隠す役割を持っているとしたら、全斗煥・大統領が五島=瀬島の“日商コンビ”を民間の対日窓口にしたとしてもおかしくない。八二年二月一五日、東京で開かれた日韓財界人会議出席のため朴泰俊、鄭周永・趙重勲・韓日協力委員会常任委員(大韓航空社長)、鄭寿昌・大韓商工会議所会長ら有力財界人が来日したが、朴泰俊は瀬島=五島ラインを通じ稲山嘉寛・・経団連会長に、鈴木政権に対し六〇億ドル円借款の実現のため働きかけるよう強く要請したという。 こうした背景を知れば、先述した暗礁に乗り上げた日・韓経済協力交渉打開のための「政府特使」として、瀬島龍三の名前が挙がったのも理解できる。在京の韓国筋によると、現在両国間の最大の焦点となっている安保を絡めた経済協力という発想を韓国側に教えたのが、他ならぬこの瀬島だという。> (五島隆夫(歳川隆雄)『コリア・ウォッチャー――日・米・韓地下水脈の構図』現代の理論社、1982年6月、17~19頁。記事の日付は1982年5月4日付) <日本の戦前、戦後の歴史にかつてないような、充実したシンクタンク・有識者・経済人のネットワークが、ここに初めて誕生した。「東アジア共同体」という21世紀への展望を控え、日本の各界の代表が、この課題に正面から取組むための大事な基礎工事が行われたのだ。我々はその責任を背負ってスタートしたのである。 私は政治家として、かねてより「東アジア経済協力機構」、あるいは「東アジア経済共同体」といった構想を提唱してきた。今日の国際関係を見渡すと、東アジア地域統合を目指す、各国の積極的な外交姿勢が顕著になってきている。ASEAN諸国、韓国はもとより、かつて多国間協調に消極的であった中国でさえ、近年急速に「東アジア新思考外交」とも呼ぶべき洗練された外交を展開している。ASEAN+3の下で形成された東アジア・シンクタンク・ネットワーク(NEAT)を設立する際にも、中国が先に手を上げてその取りまとめを引き受けるなど、非常に早いスピードで東アジア政策を展開している。 日本はこれまで、東アジアの地域統合問題にアンビバレントな対応をとってきた。それは、日本が先進国の一員であると同時に、日米関係を機軸とした太平洋国家であり、そして東アジア国家でもあるという複数のアイデンティティの上に成り立つ国家だからである。しかし、「東アジア共同体」はすでに不可逆的なうねりとして我々に迫ってきている。この展望を正面から捉え、我々日本がいかなる戦略を構築するかを、今こそ問わなければならない。このような問題意識から、我々は「東アジア共同体評議会」と銘打ったのである。 実際に「東アジア共同体」を実現していくための道のりは、容易ではない。安全保障の側面からいえば、東アジアには朝鮮半島問題や台湾海峡の問題があり、また社会・文化の側面では、EUとは異なり各国の違いは著しい。しかし、それにも関わらず、この構想に熱意を持って取組む意識が今ほど高まった時期はかつてない。韓国政府および中国政府も、東アジア共同体構想を真剣に推進しようとしている。 我々の近隣諸国に眼を向ければ、日本・中国・韓国の三カ国の首脳会談は定期的に開催されなければならない。「共同体」の実現は、北東アジア三カ国の定期協議からはじまると言っても過言ではない。現在のように、ASEANが開催する諸会合の場を借りて、三カ国が集うという状態に甘んじることなく、我々のイニシアティブでトップ会談を開催する必要がある。さらに拡大して、現在の北朝鮮をめぐる六カ国協議を、中長期的には北東アジアの地域枠組みとして育てていく。こうした日本にとって最も身近な、北東アジアにおける協力枠組みを、日本も積極的に構築していく努力を怠ってはならない。 「東アジア共同体」を考える際、安全保障の問題も重要である。地域安全保障の枠組みとしては、ASEAN地域フォーラムがあるが、その進展は遅々としたものである。しかし、FTAのネットワークを積み重ねることにより、結果的に政治的安定に寄与するかもしれない。域内の金融協力の進展が、各国の内政の安定に寄与し、良いガバナンスを実現するツールとなっていくかもしれない。こうした様々な仕組みを重層構造とすることによって、「東アジア共同体」の仕組みができていくのではないかと展望している。その時に安全保障問題もさらに前進して順次結実していくだろう。こうした課題は、本評議会の研究段階で検討されるだろう。 東アジア共同体評議会が、シンクタンク・有識者・経済人を繋ぐ大きなネットワークとして誕生したことは、日本にとって誠に喜ばしいことである。我々にとっての責任も重大である。本評議会の活動を密にすることにより、日本に一番不足している戦略情報体制を補うことを狙いとしたい。 本評議会議員の皆さんと一緒に努力して、よい成果をあげてゆきたいと思う。 2004年5月 東アジア共同体評議会会長 中曽根 康弘> http://www.ceac.jp/j/purpose.html ※おまけ※ <東アジア共同体評議会・有職者議員 高原明生(東京大学教授)> http://www.ceac.jp/j/const3-members.html <昨年、友人高原明生さん(立教大学法学部教授)から、父君の力作が届いた。高原友生著『悲しき帝国陸軍』(中央公論社、二〇〇〇年八月)は、著者友生の母方の祖父・石原廬いおりの「秘録」の紹介から日露戦争を説き起こし、ついに敗戦におよぶ個人史・家族史である。> http://www18.big.or.jp/~yabukis/chosaku/portsmou.pdf 「東アジア共同体評議会 2004年7月26日(月)「政策本会議」第2回会合 自由討論:東アジア共同体は本当に必要か、可能か?- 速 記 録 -」より <高原 明生 立教大学教授・東アジア共同体評議会有識者議員 中国を取り込まなければならない。そのためには、①日本が明快なるビジョンを持つこと、そして ②韓国、ASEANと緊密な連携をとることが必要不可欠である。 高原 明生 立教大学教授・東アジア共同体評議会有識者議員 東アジア共同体が含む範囲は、当面ASEAN+3までが適当であろう。いずれはモンゴル、そして日朝国交正常化が実現した暁には、北朝鮮を加えるのが自然だと思われる。東南のオーストラリア、ニュージーランド、西のインドなどについては、その先の課題となるだろう。ポイントは、次第に成熟してゆく東アジア・アイデンティティが共有されるか否かである。 高原 明生 立教大学教授・東アジア共同体評議会有識者議員 日米の安全保障協力関係は、核を保有しない日本にとって当分の間維持する必要がある。また、経済的には、日本にとって米国は長期に亘り最も重要なパートナーのひとつであり続ける。さらに、勃興する東アジアへの米国の関与とそこでの利益を保障する仕組みのひとつとして、APECを維持する。 高原 明生 立教大学教授・東アジア共同体評議会有識者議員 日中韓は、歴史認識の相違を克服しなければならない。日本人は自分自身のために、近代以降の日本とアジアとの関係を学び、国策を誤った原因を検討し、歴史を教訓としなければならない。中国人と韓国人は、第二次世界大戦以降の日本とアジアとの関係を学び、それを総合的かつ客観的に評価しなければならない。それでも歴史認識の相違は残るだろうが、その相違を克服し、東アジアの未来を共有するためには、以上の二つが必要不可欠である。 高原 明生 立教大学教授・東アジア共同体評議会有識者議員 東アジア共同体は日本の国益にかなう。それによって、日本人の平和と安定的発展が総じてよりよく保障されるようになり、世界における日本の発言力も高まるからである。また、次の事情も考える必要がある。グローバル化の歴史的潮流の中で、我々が好むと好まざるにかかわらず、アジアも統合を強化する方向へ動いていく。つまり、東アジア共同体の形成そのものが国益にかなうだけではない。その流れにあらがうことは孤立を意味し、国益を損なうことにならざるをえない。> http://www.ceac.jp/j/pdf/040915-1.pdf 2002年11月26日記事 <孤立恐れた中国 高原明生・立教大教授。 (前略)日韓は米中のはざまにあり、同じ船に乗るパートナーだ。日韓が軸になり東南アジア諸国連合(ASEAN)とも提携を進め、米中ともバランスを取りながら協調的な関係を図ることが重要だ。それには①アジア太平洋経済協力会議(APEC)②ASEANプラス3③日韓中、の三つの枠組みを問題によって使い分けていくことだ。> http://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu021126a.html 1.
新刊の和田春樹『これだけは知っておきたい 日本と朝鮮の100年史』(平凡社新書)を読んだ。突っ込みどころも多いが、なかなか勉強になった。ただ、この本のテーマが多岐にわたるので、通して読むと、和田による問題の捉え方の特徴がよく見えてくるように思った。和田については、以前書いた「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」の7~10 である程度触れたが、今回は別の角度から見ることにする。 和田は、批判的研究者(多くは朝鮮人)による司馬遼太郎や戦後日本の「平和主義」への批判について、その批判の正当性を認める。また、本書で和田が提示している、日清戦争や日露戦争を「朝鮮戦争」と捉える視点も、姜徳相ら朝鮮人の歴史研究者がそれらを「日本による朝鮮侵略戦争」と捉えているのに似ている。 和田は、そうした批判的研究に正面から反論するのではない。その正当性を認めた上で、ほとんど説得力のない理屈の提示(司馬遼太郎の場合)や、根拠すらまともに示さずに読者の俗情を利用する形(戦後日本の「平和主義」の場合)で、批判的研究の批判対象を救い出す。「たしかに~~といった批判はその通りです。しかし、だからといって全否定するのは行き過ぎだと私は思います。ただし、私たちは、~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」といった具合だ。このような姿勢は、大多数の研究者がそうした批判的研究を黙殺する日本の状況では、特に加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のような駄本がベストセラーになっているような現在では、一見、大変「良心的」に見える。 だが、和田の問題点はむしろそこにこそあると思う。和田が「~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」という形で取り込もうとする批判は、もともと、和田が救い出そうとしているものの全否定または根本的な再編成を企図して打ち出されたものである。ところが、和田は、批判にも留意するという姿勢を打ち出すことによって、批判と批判対象の理論的な接触(対決)を回避する。ありがちな人間類型として、こちらが言うことについて何でも「うんうん、わかるよ」と答えながら、その実何も考えが変わらない人間というのがある(左派系の知識人に多い)。和田は文章・行動レベルでこれをやっている。 こうした姿勢は、結果としては、批判の効果を無化すると同時に、批判対象の問題性を温存することになる。そのような批判は、従来の立場を根本的に否定もしくは再編成を迫るのではなく、ときどき思い出せば済む対象に格下げされる。それでも、取り上げてくれる人間自体が少ないのだから、批判者は、「あの学会・論壇の大御所である和田先生も取り上げてくれている」ということで、むしろ和田への協力者になる。 こう見てくると、和田の姿勢が、内田樹のような人物のそれと似てきてしまうのである。内田の姿勢については、以下の徐京植と中西新太郎のやりとりが適切に要約している。 「徐 多くの日本の人々はやはり必勝不敗です。その一番典型的なのは内田樹氏です。彼は、最初から自分は負けているのだと頭をかいているけれども絶対に負けないのです(笑)。これほど退嬰した言説がもてはやされる日本社会とは何なのかと思います。 中西 内田樹氏の名前が出ましたが、知的ニヒリズムの問題があると思います。ニヒリズムー般がいい悪いという話ではないと思うのですが、現代日本の知的ニヒリズムの問題というのは、自分から「負けています。すみません」と始めることによって、他者に対しては実は謝らなくて済むという問題です(笑)。 徐 まさにそのとおりです。」(徐京植『秤にかけてはならない』影書房、2003年6月、98頁。対談の初出は2002年。強調は引用者) もちろん内田のような(かつて蓮實重彦が加藤典洋や竹田青嗣らを嘲笑した言葉を使えば)「思考の破壊装置」と和田を同列に置くのは、和田に対して失礼であろう。だが、「良心的」に見える和田の姿勢が、結果としては批判の効果の無化と問題性の温存という性格を持っているがゆえに、一見対極にあるように見える和田と内田が似てきてしまうのである。上の中西の、「自分から「負けています。すみません」と始めることによって、他者に対しては実は謝らなくて済む」という記述は、和田が積極的に関与した「国民基金」の性格を評したものであるかのようにすら読める。 ところで、私は以前、以下のように書いた。 「1980年代後半頃から、日本の侵略と植民地支配の加害責任を追及する声が、日本の周辺諸国で強まり、「戦後民主主義」の一国主義的側面、被害体験ばかりを強調する性格の問題性が、問われることになった。こうした、加害責任、植民地支配責任を追及する声を、「90年代の問いかけ」とするならば、90年代以降、護憲運動・平和運動はほぼ全面的に、こうした「90年代の問いかけ」を避けて通ることができなかったと言える。 ところが、現在、リベラル・左派の論調において観察されるのは、こうした「90年代の問いかけ」が、なかったことになっているという現象であるように、私には思われる。」 最近の小熊英二(この人物は、上野千鶴子とつるみだしたあたりから、読むに値する文章を書かなく(書けなく)なっている)は、こうした「90年代の問いかけ」を全共闘や新左翼の下らない主張と似たようなものとして矮小化した上で(「1970年パラダイム」論)、低成長下の日本社会では思想的寿命を終えたものだ、と主張している。ここまでアホらしい詭弁を使ってまで「戦後民主主義」は基本的に間違っていなかったと言いたいのかと、唖然とさせられるが、このような小熊の主張や、その小熊の『1968年』が「論壇」で持て囃されたらしいことなどは、上で私が指摘した「現象」の典型例である。 小熊の裏返しの立場がスガ秀実の「1968年革命」論で、これは「90年代の問いかけ」は「1968年革命」によって既に提示されたはずのものだとするものであり、スガはこのような立場から、「90年代の問いかけ」にまともに応答しようとした高橋哲哉を、「68年の思想」の矮小な形で焼き直したに過ぎないとして罵倒していた。これがもちろんスガや同世代の新左翼による自己体験の神聖化に過ぎず、本来まともに取り上げるにすら値しない馬鹿馬鹿しいものであることは見やすいだろう。 小熊やスガの主張は、<外部>からの「90年代の問いかけ」を、<内部>に既にあったものとして、問いかけの意義を矮小化するものである。 私がこんなことを書くのは、「「90年代の問いかけ」が、なかったことになっているという現象」について考える上で、和田および和田のような立場が、実は大きな役割を果たしていたのではないか、と思うからである。 和田は韓国では、最も著名な日本人知識人であり、「日本の良心」ということになっている。和田が実際に「良心的」な人物であるかどうかはどうでもよい。韓国の言論界では恐らく、「国民基金」のような例外はあったが、「90年代の問いかけ」を日本で最も真摯に受け止めている人物、と映っているだろう。 「90年代の問いかけ」は、本来ならば、護憲運動・平和運動や進歩派の価値認識を根本的に再編成する性格のものであった。ところが、こうした問いかけは、和田や『世界』等のリベラル・左派メディアや言論人によって積極的に取り上げられたものの、まさしく上のような和田春樹的な受容をされたのであった。もちろんそれだけが原因ではなかろうが、そのような受容のされ方が、まさにその「問いかけ」の意義を無化させるものだったと私は考える。その後の<佐藤優現象>から考えれば、和田や『世界』その他のリベラル・左派は、90年代にそのような装置として機能したと見ることすらできるように思う。 また、90年代の姜尚中の言論は、「問いかけ」を「日本ナショナリズム批判」として、ナショナリズム一般の問題に還元することで、日本こそが問われている問題にもかかわらず、問題を一般的なものに解消してしまった。姜は例えば、在日朝鮮人も引き受けるべき課題としての「(朝鮮)ナショナリズム批判」という主張を同時に行なうのである。90年代の姜の言論も、<外部>からの声を、意義を消去した上で日本人に受け入れやすいものにする、一つの翻訳装置として機能していたと思う。これは当時の姜だけではなく、ポストコロニアル系の論者全般に当てはまる。 要するに、リベラル・左派において、2005・6年以後に急速に、「90年代の問いかけ」が矮小化または無視され、「戦後社会」が再浮上したのは、もともとの90年代における、和田を典型とした、外部からの問いかけの受容のあり方自体に問題があったのではないか、というのが私の考えである。そして、「90年代の問いかけ」はやり過ごされ、時々思い出せばよいか、全く考えなくてもよいものになってしまった。90年代にはこの問題で最も良質な議論を展開していた高橋哲哉が、2006年あたりから理論的に後退の一途を辿っているのも、こうした現象の典型である。 2. 和田ほどいろいろな人物から批判を受けてきた言論人も珍しいだろう。右派や一部の左派(日本版ネオコン)からは「金正日の手先」、左派からは「国民基金の中心人物」「天皇訪韓の推進者」という批判を浴びている。私も、平和基本法の中心的提唱者、リベラル・左派論壇での佐藤優現象を推し進めた人物(和田自身は、自分は対露関係で佐藤と協力しているだけ、などと弁明している。だが、和田は佐藤と頻繁に雑誌で対談しており、私は『世界』の岡本厚編集長からも佐藤を使う理由の一つは「和田さんも付き合っているから」だと言われたことがある)として、批判してきた。 だが、「金正日の手先」といった下らない批判だけではなく、和田へのまっとうな(必要な)批判も、その前提となっている和田理解がおおむね間違っているのではないか、というのが私の考えである。 和田の行動は、言行不一致に見える。だからこそ、左派からは、「裏切り」として批判される。または、「和田さんは素晴らしい人だけれど、国民基金を推進したり、佐藤優と組んだり、ときどき変なことをする。困ったものだ」という感想になる。だが、上で指摘したように、「良心的」と見える和田の姿勢自体が、「保守的」な性格を有するものである。それは、和田の主観とは無関係である。 私は、90年代以降の和田の行動は基本的に一貫していると考えている。要するに、現在の東アジア情勢の中で、日本が「普通の国」として政治大国・軍事大国化(これは和田の悲願である「東アジア共同体」構築の大前提である)するためには、本来ならば少なくとも和田程度の「和解」案を日本が周辺アジア諸国に提示し、和田が打ち出しているような水準での歴史認識を日本は政府レベルで持たなければならないのであり、和田はほぼ間違いなくそう考えているであろう、ということである。現在の日本の言論では、「普通の国」路線への異論はほぼ存在しないが、その中で最も現実的なのが和田なのである。 左右を問わず、日本の言論人やマスコミ人は、歴史的根拠に基づく周辺諸国の民衆の反発を全く理解しておらず、過剰な「ナショナリズム」ということにして分かったつもりになって切り捨てるだけであるから、和田のような認識(和田自身も基本的には「ナショナリズム」批判の立場ではあるが、それを理解しなければならない、という立場でもある)を持てない。和田の路線は、大雑把に言えば、戦後ドイツの路線であって、「国益」的に見れば「巧妙」ではあっても、本来賞賛されるべきものではない。 和田は、日本の論壇では「理想主義者」ということになっており、和田に協力する編集者や学者らも、和田のことを理解しておらず、「現実性はないけれども、和田さんのような主張を時には聞くことも大事」というくらいにしか捉えられていない。だが、そうではなくて、日本の政治大国化・軍事大国化の上では、和田の主張こそが相対的に最も現実的なのであって、その他の「現実主義」的な主張こそが、日本国内の言論環境に自閉した妄想なのである。国連の常任理事国入りの件一つとっても、20年近く言われているにもかかわらず、一向に実現しない。 和田は、現在の日本の言論人の中では、政治的主張のレベルでは、相対的に最もまともな主張を行なう人物であり、その点、前にも書いたが、例えば太田昌国のような読む価値のない人物による和田への批判に惑わされてはならない。だが、和田が相対的に最もまともなのは、和田が別に「良心的」だからとかそういったことではない。他が酷すぎるから和田が相対的に最もまともということになってしまうだけである。上で述べたように、和田の姿勢は、「良心的」であるように見えて実は「保守的」な性格を持つものである。 和田以外の大多数の言論人が救いようがないほど酷く、和田以外にほとんど発言しないから、例えば朝鮮総連への政治弾圧や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への好戦的政策など、場合に応じて私は和田と勝手に連帯するだろう(以前に既にそうした)。だが、それと同時に、和田の主張・構想の「現実性」をも見据えておかなければならない。仮に日本の政治家や言論人の多くが、和田の提言を取り入れるほど賢明(狡猾)であれば、今頃日本は国連常任理事国入りして、憲法9条はそのままで、(和田の提唱する)「平和基本法」の下、米国・中国とともに国際的「対テロ戦争」に派兵して、戦死した自衛隊員の「英霊」は(和田の提唱する)国立追悼施設で鎮魂されていたかもしれない。 私は和田が悪人だとか、「帝国主義者」としての意図を隠しているとか言って批判しているのではなく、和田が「東北アジア」の緊張緩和と平和体制の樹立のために目指しているとする「東アジア共同体」(「東北アジア共同の家」)こそが、これまで何度も述べてきているように、アメリカの軍事負担を肩代わりする、「対テロ戦争」を円滑に遂行する軍事同盟(これは1980~90年代においては、「安保のNATO化」として批判されていたものである)であり、アメリカの諸負担は格段に減るから、かえって一層、先進国による中東やアフリカ等への軍事介入は増えるのである。しかも仮に成立したとしても、「対北朝鮮戦争」や「対中戦争」の勃発の可能性を消去するわけでもない。むしろ、形式的・政治的な「和解」を優先することで、却って諸国民間の相互の憎悪と反発は強まり、戦争の可能性を高めるだろう。 したがって、和田が「国民基金」を推進したり佐藤優と公然と提携したりするのは、奇妙には見えるが、和田の構想からすれば実はそれほどおかしいものではない、ということになる。 和田は韓国では右派からも左派からも賞賛される知識人であるが、それは、和田の言論・行動が上のような性格を持っているからである。右派からすれば、対北朝鮮の韓日の軍事的連携(同盟)を進める上では、日本の右派的傾向を抑制させて「和解」に導かなければならないのであるから、和田ほどありがたい人物はいない。また、他に北朝鮮問題その他の朝鮮問題でまともに発言を行う知識人がろくにいない以上、左派が賞賛するのは当然である。 和田については、以上のような位置づけを行うことで、初めて和田の構想や発言・行動を正確に理解し、また、問題性を明確化できると思う。日本では、和田の構想の「現実性」について、恐らく和田自身くらいしか確信を持っていないと思う。「東アジア共同体」論自体は頭打ちになりつつあるが、その骨組みや論理のかなりの部分は今後も生き続ける。私は和田の構想の「現実性」の度合いを、(恐らく和田のリベラル・左派の支持者たちよりも)高く見ているがゆえに、その構想の危険性を検討し、批判しておく必要があると考えている。 2.
ここで、言論界における「小沢派」の政治的性格を見ておこう。その重要な一面が、沖縄県知事選での小沢派の諸行動によく現れていると思う。 目取真俊氏は、『週刊金曜日』2010年11月12日号について、以下のように指摘している。 「『週刊金曜日』2010年11月12日号で佐藤優責任編集による「沖縄と差別」という特集が組まれている。その中に佐藤氏と糸数慶子参院議員、佐高信『週刊金曜日』編集委員による座談会がある。冒頭で佐藤氏は10月15日付朝日新聞朝刊が〈仲井眞氏が当選後に再び県内移設容認に軸足を移すことを菅政権は期待している〉と書いたことを取り上げ、〈これは沖縄に対する差別です〉と批判している。そして、佐高氏との間で次のような会話を交わしている。 佐藤 「仲井眞は裏切るかもしれない」という"消耗戦"に巻き込まれてはいけません。それは、沖縄の民主主義を内側から壊すことになります。 佐高 最初から変節を疑うのは良くないということですね。 佐藤 そうです。…… 続けて佐藤氏は菅政権の批判を行っているのだが、引用した会話を一読して呆れてしまった。『週刊金曜日』2010年10月22日号は表紙に〈|11・28 沖縄県知事選|再燃する普天間/仲井眞氏は信じられるか〉と掲げ、ジャーナリストの横田一氏による同題名の評論を掲載している。内容は、仲井眞氏の過去の変節や辺野古の埋め立て利権を追求してきた国場組、東開発との関係の深さなどを挙げ、〈選挙直前に県外移設を表明しても、本音と捉える県民は決して多くはないのではないか〉(17ページ)とした上で、〈二枚舌を駆使しながら公約違反をする〉(同)仲井眞氏を批判している。表紙に掲げるくらいだから同号の中心となる評論だと思うが、佐藤氏と佐高氏の会話はこれを真っ向から否定するものだ。 11月12日号には、自民党沖縄県一区選挙区支部長・國場幸之助氏の「沖縄保守の県外移設論」という文章も載っている。普天間基地の辺野古崎「移設」という〈現行案の実行が如何に非現実的かという点と、沖縄県の保守陣営が、普天間基地の県外移設を主張するに至った理由〉(19ページ)について、①県民の民意、②政治環境、③抑止力への懸念、④安全保障論議の不在、⑤経済(保守)VS.基地(革新)という構図の崩壊、⑥沖縄に対する同胞意識の欠落、差別感、という六つの角度から説明したものである。 國場氏は名前を見て分かるとおり、沖縄の基地利権の中心となってきた國場組の身内だが、昨年の衆議院選挙では一区で立候補し、大米建設の身内である下地幹郎氏に敗れた。次の衆議院選挙でも國場氏と下地氏の対決が行われる可能性が高い。佐藤氏は同号で自ら執筆した評論や先の座談会において、下地氏のことを実名は出さずに繰り返し批判している。國場氏に執筆を依頼したのは、國場氏と下地氏が同一選挙区で競合関係にあることを踏まえてのものだろう。 國場氏からすれば、佐藤氏が指名しなければ『週刊金曜日』に執筆する機会は滅多にないはずだし、加えて、県知事選挙が告示されて選挙運動が行われているただ中で販売される号に、「沖縄保守の県外移設」について書く機会が与えられたのは、とても有り難かったはずだ。 今回の沖縄県知事選挙は、選挙前になって仲井眞氏が「県外移設」を主張したことで、普天間基地問題に対する争点ぼかしが行われている。言うまでもなく、仲井眞氏はこれまで「県外がベスト」と言いつつも、辺野古V字型滑走路計画の沖合移動という「微修正」を日本政府に求め、普天間基地の「県内移設」を推進してきた。昨年の衆議院選挙で政権交代が行われ、鳩山政権に対して「国外・県外移設」という公約の履行を求めて沖縄県民の世論が盛り上がる中でも、「辺野古移設は難しくなった」と状況認識を口にするだけで、自らの意思を明確に表すことはなかった。そういう仲井眞氏だからこそ、横田氏が指摘したとおり、ホンネとタテマエを使い分けているのではないか、と疑う県民は多い。 今回の選挙で、それは仲井眞氏にとって最大の弱点となっている。対立候補の伊波氏は、これまで一貫して普天間基地の「県内移設」に反対してきた。それに対し仲井眞氏は、「県外移設」は主張するようになったが、「県内移設」反対を明確にすることはしないまま選挙に入った。「県外移設」という主張への不信感を払拭できず、自らの意思を曖昧にする優柔不断さ、県民を引っ張るリーダとしての資質の問題に有権者の関心が集まれば集まるほど、仲井真氏は窮地に陥る。結果として、仲井眞氏では普天間基地問題の現状を打開できない、と有権者に見限られることを、仲井眞陣営はもっとも恐れているはずだ。普天間基地問題の争点ぼかしを行う一方で、仲井眞氏の「県外移設」という主張に信頼性を与えることが、仲井眞陣営にとって重要な課題となっている。 國場氏の文章は、「沖縄保守の県外移設」の理由を説明することで、仲井眞氏の「県外移設」という主張への信頼を作り出そうとするものだ。それは國場氏を起用した佐藤氏の狙いでもあるだろう。自ら書いている評論や座談会で佐藤氏は、仲井眞氏の〈変節〉を狙う菅政権を批判する一方で、仲井眞氏の「県外移設」という主張を検証することはしない。むしろその検証を封じ込めようとする。冒頭に引用した座談会での佐高氏との会話はそれを露骨に示したものだが、評論では菅政権や朝日新聞の「沖縄差別」批判という形で巧みにそれを行っている。 つまり、佐藤氏が責任編集した『週刊金曜日』11月12日号の「特集 沖縄差別」は、仲井眞氏の最大の弱点である普天間基地問題について、仲井眞氏の「県外移設」という主張の信頼性を高め、なおかつそれが有権者に検証されて〈変節〉の可能性が論じられることを封じ込める=争点ぼかしすることを主たる目的として編まれたように、私には見える。それは仲井眞氏を側面から支援するものだ。 佐藤氏は〈筆者は権力闘争からあえて距離を置いている〉(17ページ)と強調しているが、白々しい限りだ。県知事選挙という〈権力闘争〉のただ中で同号を発行しながら〈距離を置いている〉と主張するのは、佐藤氏ならびに『週刊金曜日』編集部のまやかしであり、自らの言論活動の責任を逃れようとするものでしかない。」 http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/36ca9de1f3dd36002cf9a15889182e97 佐藤が沖縄のマスコミで活躍し得ていること、また、沖縄において佐藤の発言が奇妙なものとして排斥されていないらしいことの大きな理由として、岩波書店、特に『世界』が、佐藤を強力に擁護していることが挙げられよう。佐藤もそのことをよく理解しているがゆえに、岩波書店で執筆することに固執していると思われる。恐らくそのために、佐藤は雑誌等さまざまな機会に、岩波書店の刊行物を賞賛している(最近では特に柄谷行人『世界史への構造』である)。 まさに、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」が指摘するように、佐藤をリベラル・左派、とりわけ沖縄戦集団自決訴訟で被告となった岩波書店が起用することが、「佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らか」なのであって、今回の知事選の「基地問題外し」という仲井真側の戦略に、<佐藤優現象>は大きな効果を与えたと思われる。 ところで、ここで目取真氏が挙げている横田一は、以前に指摘したように、佐藤優を持ち上げ、小沢への提灯記事を書く、典型的な小沢派左派である。このように、伊波支持を公言する人物や、伊波支持の論調をとっているメディア(『世界』『金曜日』等)が、同時に、仲井真への応援であることは明らかな活動を行なっている佐藤を擁護している事例は多い。伊波支持の社民党の福島瑞穂党首が、11月24日に佐藤と対談しているのもその一つである。もちろん社民党が、佐藤の知事選に関する一連の発言を知らないはずはない。 こうした事例は、もちろん、<佐藤優現象>に加担するリベラル・左派が、在日朝鮮人の人権やパレスチナ問題について実は大して深刻に考えていなかったことを露呈したのと同じく、リベラル・左派が、沖縄の諸問題について結局のところ大して関心がないことを示している。どのように抗弁しようと、そうである。 私は以前、沖縄の問題に関心があるように振舞っているリベラル・左派のある女性編集者が、沖縄人の書き手による連載記事について、「第1回目は歴史問題で、まず、沖縄のうらみつらみを吐き出させて、第2回目以降に現在について書いてもらうつもりなんですよー」と第三者に電話で話しているのを聞き、仰天したことがある。本当に「うらみつらみを吐き出させて」と発言していたのである。これが本土の日本人の「良心派」の意識なんだ、朝鮮人のさまざまな主張も「うらみつらみ」程度にしか認識されていないんだな、と大きな教訓となった。 そのような倫理的・道徳的な問題も重要であるが、ここで考えたいのはむしろ、その政治的性格である。いかなる理屈で伊波支持と佐藤擁護が結びつくのか、そしてその政治的意味とは何か。 これも、言論界において「小沢派」が成立したという観点から説明できると思う。これらは、矛盾ではないのであり、「小沢派右派」(佐藤)と「小沢派左派」がなれあっているだけの話である。私は以前、以下のように書いた。 「ただ、これは地元の人には自明のことであろうから何かを提言するつもりはないが、共産党系候補に象徴されるような「安保廃棄」の立場はとりあえず引っ込めて、「県外移設」という民主党系の候補の主張に統一し、保守層にも支持を増やしていこう、というあり方が、選挙戦術のみならず、選挙以外の運動レベルにまで貫徹されてしまうと、民主党系候補は、当選しようが、何らかの形で妥協するだろう。民主党系候補が「県外移設」を言い続けるのは、「安保廃棄」といった、「非現実的」に見える声が力を持っているからである。この力が弱体化すれば、割と簡単に妥協すると思う。 候補者一本化が成立していなかった時期に、『金曜日』が、民主党系候補の支持の立場から、共産党系候補を攻撃するデマ記事を垂れ流したことが話題になっていたが、これもこの文脈で考えた方がいいように思う。『金曜日』や『世界』は、今や、実質的には民主党の機関誌のようなものだから、民主党がコントロールできる形で、民主党系候補を勝利させたいのであって、その立場からすれば、「安保廃棄」の声が一つの力として顕在化していることは邪魔なのだろう。あの記事は、単に『金曜日』編集部や記者のミスという一過性のものというよりも、構造的なものとして捉えた方がいいと思う。 そして、現在のリベラル・左派は、「安保容認・県外移設」と「安保廃棄」のどちらかと言えば、ほぼ全てが前者の立場である。共産党は、沖縄問題については比較的原則的であるようだが、どこまでもつかは疑問である。以前にも指摘したように、共産党系の衆議院選候補者の半数近くは朝鮮民主主義人民共和国に「より圧力を」かけることを要求しているのであるが、「より圧力を」かけることが安保なしには不可能であることは明らかである。 したがって、沖縄の基地問題に関しても、その是正のためには、「国民主義」批判ではなく、大江のような「日本国民としての責任」論の立場からの沖縄問題への取り組みが不可欠だと思う。そうした立場に立ってはじめて、集団自決の強制性の件だけではなく、「慰安婦」制度等の東アジアでの日本の加害の問題の教科書への記述の要求への動きも生じてくるだろうし、日本の右傾化に対して、日本国民と(在日朝鮮人を含む)周辺諸国の人間が連帯して対抗する、ということも可能になるだろう。」 「小沢派左派」における伊波支持と佐藤擁護の共存という現象も、上の指摘の延長上で解けると思う。 「小沢派左派」は、口先上での発言は知らないが、総じて「安保容認・県外移設」の立場であると見なしてよい。この立場からすれば、「日米同盟」の基盤を揺るがしかねないような形での「県内移設反対」論は、決して容認しえないものである。もっと有体に言えば、勿論当人たちは絶対に認めないだろうが、そのような反対論に比べれば、県内移設論の方がまだまし、ということである。 そして、全体の観点から見れば、「小沢派左派」がやろうとしていることは、「県内移設反対」運動に介入することで、「県内移設反対」論の中で、「安保容認」派がヘゲモニーを握ることである。代替基地など提案しなくてよいという下からの反対の声を、日米安保容認の枠組みに回収する、ということである。 こんなことを言われれば、小沢派左派の人々は、「下からの運動の声を回収するなど、そんなことは考えたことすらない」などと抗議するか一笑に付すかするだろう。だが、私が問題にしているのは、個々人の主観や「思い」ではなく、構造的なものである。個々の人間が、どれほど善意を持っていようとも、現行の日米同盟の水準を容認した上で「日米合意」の見直しを追求するには、菅政権を打倒した上での、より強権的な政治家による「政治主導」が必要となる。そうすると、「小沢革命」に期待するという道にならざるを得ない。佐藤優や伊勢崎賢治が示唆しているように、「小沢派左派」も含めた「小沢派」の政治的主張は、米軍基地の縮小と引き換えに、政府の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認して海外派兵を常態化し、沖縄県内での自衛隊を増強して中国の「脅威」に備える、ということになろう(それすら単なるブラフで、本音では「県内移設」容認、というのも大いにありうるが)。かくして、「安保反対」「反戦」の下からの県内移設反対の声は、封じ込まれるだけでなく、その180度逆の物に政治的に活用されることになるのである。 こう考えると、伊波支持と佐藤擁護の共存の意味も理解できよう。これまで何度も指摘しているように、<佐藤優現象>は、リベラル・左派が、市民運動などの「下から」社会を変えることに絶望した結果、佐藤を媒介として、政界・有力者との結びつきを作り、言論メディア相互の連携を深める(馴れ合う)ことで、「上から」社会を変える(という幻想を持つ)という道を進んでいる(それは彼ら・彼女らの元々のプチブル的な心性・上昇志向とも本来合致している)ために成立している。この沖縄の基地問題でもそれが当てはまる。 現在のリベラル・左派(小沢派左派)は、自分たちの考えを聞いてくれるようなジェスチャーを示してくれる権力者との結びつきを不可欠的に必要とするようになっている。したがって、佐藤が仲井真側の宣伝役の役割を果たしてくれることは、仲井真やその周辺の沖縄の有力者と、リベラル・左派(小沢派左派)のパイプ役を佐藤が果たしうることを意味するのであって、実際に今後、佐藤はそのように振舞うだろう。 小沢派左派は、仲井真らとのつながりを担保として、沖縄における自らの影響力を保持しつつ、本土では、仲井真らの主張を「オール沖縄の声」として紹介する。いずれ仲井真が「裏切り」を行なったとしても、「私たち本土の人間が沖縄の人々を追い詰めた」といった論陣を張りつつ、責任は実際には日本の「対米従属派」にのみ負わせる、ということになるのではないか。多分その辺まで織り込み済みなのではないかと思う。 3. 上の例で見たように、言論界における「小沢派」の政治的性格は、その言論活動によって、「下から」の大衆の不満の爆発、緊張状態を緩和し、体制内に回収し、可能ならばそのエネルギーを反転させて体制側の支配ツールとして逆用する点にある。これは近年の「格差社会」論でもさんざん用いられたものであって、結局のところそれは中産階級没落危機論に回収されてしまった。 戦後補償関係もそのようになるだろう。金富子が少し前に、『金曜日』に登場してロングインタビューを受けていたように、最近のVAWW-NET(この人たちは、<佐藤優現象>の問題性を認識しつつ、このようなことをやっている。彼女たちには、岡真理の件と同じく、個人的に大変不愉快な思いをさせられているので、後日改めて書く)は『金曜日』と積極的に提携関係を結びつつあるのがその徴候である。彼女たちが実現しようとしている「慰安婦」特別立法は、「国民基金」の明白な焼き直しである。彼女らは、韓国の挺身隊問題対策協議会を説いて法案への事前の賛成を取り付けるための工作のようなことまでやっている。仮に法案が成立したとしても(そもそもその可能性自体が低いが)、日本の国家責任は否定したままで(法案の性格が「国民基金」と同じくそのようなものであるから)、日韓「和解」が実現した、とのキャンペーンが展開されるだろう。これは、朝鮮半島情勢が緊迫する中で、日韓の軍事的連携を志向する人々にとっては、大きな贈り物となるはずである。広義の「小沢派左派」の活動によって、日本国家の国家責任を追及する立場を封じ込めた上で、近隣国との懸案事項を「解決」し、安全保障に活用するという道である。管見の範囲では、8月15日の「菅談話」に対して、戦後補償運動団体は概ね好意的であったから、他の戦後補償運動も似たようなものだろう。 かくして、言論界における「小沢派」は、体制の不安定な領域において、体制統合を円滑ならしめる機能を果たすことになる。これは「小沢派右派」だけでも「小沢派左派」だけでもできない。両派の協調・一体化によってはじめて可能なのである。そして、そのような装置を持っていることが、政治家小沢の強みであり、こんな装置に頼らざるを得ない点が弱みでもある。 最近「大連立」論議が盛んであるが、「反小沢派」と「小沢派」と自民党という保守3派の中で、恐らく小沢派が最も「大連立」に肯定的である。これは、「小沢派」が最も急進的に「官僚支配の打破」を唱えており、したがって、強い政権を志向するからであるが、もう一つは、小沢が裁判を無罪で勝ち抜かない限り、小沢の政治的復権の前提すら成立しえないからである。そのための時間稼ぎとして、「大連立」政権は小沢派にとって歓迎されるはずである。その体制の下で、支配層内部で得点稼ぎをすることを小沢および「小沢派」は志向するだろう。 私は論文「<佐藤優現象>批判」の最後で、<佐藤優現象>を近衛文麿の「新体制運動」と同じようなものだとした。言論界における「小沢派」の成立もそうである。小沢の政治的定見のなさは、近衛の空虚さに対応している。その小沢やその支持集団に対して、行き詰って展望を失ったリベラル・左派が、「バスに乗り遅れるな」と群がっている構図だ。私は今後も、「左派」や「リベラル・左派」という呼称を使うと思うが、それはもはや実質的には「小沢派左派」と呼ぶべきものに発展していることを、改めて強調しておく。 1.
山口二郎が、『週刊東洋経済』2010年12月4日号で、「私も、十数年間ひたすら民主党による政権交代を叫んできたので、リフォーム詐欺の片棒をかついだようで、身の置き所がない。」などと発言している。「またか」と思う人間は私だけではないだろう。有名な話であるが、山口は90年代後半、当時、失敗であることが誰の目にも明白になりつつあった「政治改革」をかつて自身が煽りまくっていたことについて、読者に「謝罪」したことがある。当時、大学の学部生だった私は、あれだけ「政治改革」を煽りまくった山口が、一片の「謝罪」で禊を済ませたつもりになり、何事もなかったかのように再び日本政治論をマスコミで語っていること、そしてそのことをマスコミや言論人たちが誰も公的には問題にしていないらしいことに驚いたものだ。10年以上たって、また同じことをやろうとしているように見える。 だが、山口はメディアやウェブのリベラル・左派「論壇」の<空気>を読み損なっているように思う。これは、それらの「論壇」が山口を許容しないだろう、ということでは勿論全くなく、一応は「民主党革命」が失敗であったことを認めようとしているらしい山口よりももっと先に行ってしまっているように思われるからである。 「民主党革命」を支持したリベラル・左派の多くは、それが失敗であったことを認めるよりも、むしろ、小沢一郎の権力の再奪取により真の「民主党革命」(「小沢革命」)を実現する、ということに期待している。後者の人々にとっては、現状は確かにどうしようもないが、「民主党革命」はまだまだ終わっていないのである。 山口の発言は、参議院選直後あたりならば、リベラル・左派「論壇」でもそれなりの支持を得られたかもしれない。だが、民主党党首選や、その後の菅政権の迷走により、リベラル・左派「論壇」の<空気>は上記の、「小沢革命」待望論の方に向かっていっているように思う。 決定的な要因は、尖閣諸島(釣魚島)問題である。これにより、リベラル・左派の大多数がもはや歴史認識でも安全保障論でも、「国益」論への躊躇が完全に消え、民主党的な価値観と完全に同化してしまったように思われる。1年ほど前の「政権交代」時では、左派内部では、現実性はもちろん皆無だったが「政権交代を利用し、社会運動の圏内に反新自由主義的な議員をはじめとして民主党を取り込もう」といった主張をする人が多かったように思うが、もはやそうした建前すら存在しなくなったのである。 2010年秋の民主党党首選(「リベラル・左派の小沢支持について」参照)や尖閣問題を経て、言論界におけるリベラル・左派がほぼそのまま「小沢派左派」とでも呼ぶべき立場に移行したのだと思う。『金曜日』2010年11月12日号は、佐藤優責任編集で、表紙にまで佐藤の似顔絵が掲載されているほど佐藤一色の号だが、『金曜日』がここまで佐藤と同化してしまうに至ったのもこのリベラル・左派の「小沢派」化の一つの現われである。佐藤が、言論界で「小沢革命」の最も熱心な宣伝者の一人であることは周知の事実である。岡本厚『世界』編集長が、2010年11月号の『世界』で民主党党首選について、「普天間問題に関して言えば、小沢氏の方が筋が通っていたように思います」(90頁)とまで発言するに至っているのも、その一つの現われであろう。「知恵を出し合えばよい」「具体案はない」といった無内容jな小沢の主張のどこに「筋」があるのか。 佐藤や『月刊日本』周辺の人物あたりが「小沢派右派」である。岡本編集長や『金曜日』その他が「小沢派左派」で、必ずしも小沢を明示的に支持していなくても、その政治的主張の論理的帰結が小沢への期待ということになっていたり、人脈が「小沢派」と骨がらみになったりしていれば、広義の「小沢派」と見なすことができよう。その意味で、社民党は典型的な「小沢派左派」であり、『金曜日』の執筆陣なども「小沢派左派」と見なして差し支えないと思う。共産党系の一部の学者や、渡辺治なども広義の「小沢派左派」と見なさざるを得ない地点に来ている。 私が以前から指摘していた、リベラル・左派ジャーナリズムの変質による「陰謀論的ジャーナリズムの形成」という事態が、行き着くところまでいって、このような言論界における「小沢派」の成立に至った、と見ることができる。 私がここで言っている、言論界の「小沢派」というのは、「民主党内の「小沢派」議員たち」といった形で使われる「小沢派」よりも広い概念である。単なる派閥ではなく、「ドゴール派」のような、一つの政治流派として考えている。私には、「ドゴール派」のような一個人の名前を冠した政治流派というものは、今ひとつイメージしにくかったのだが、今の言論界における「小沢派」を見ているとよく分かるように思う。 「小沢派右派」「小沢派左派」という呼称も、「ドゴール派右派」「ドゴール派左派」という呼称にちなんだものである。また、フランス共産党がドゴールの(相対的)対米自立路線を一定評価していたことも知られている。 メディア上では、「小沢派」と「反小沢派」の対立激化により民主党は分裂する、といったことがよく言われる。特に、小沢の翼賛誌と化しつつある週刊誌の類では、小沢および小沢派が未だに強力であることが強調され、いつでも小沢が党を割ったり「政界再編」を仕掛けたりすることは可能だと言う。だが、衆議院で300議席以上あるのだから、私は分裂も解散もないのではないかと思う。「小沢派」にせよ「反小沢派」にせよ、恐らく核心的な議員はごく一部であって、大多数の民主党議員は日和見で、勝ちそうな方につくということではないか。フランス革命で、ジャコバン派とジロンド派よりも平原派(日和見派)の方が圧倒的に多かったようなものである。仮に小沢が政治的に復権して、小沢か小沢派の誰かが民主党内の主導権を握ったとしても、大々的な離党は起こらないのではないか。 民主党の主要な支持団体の動きを見ていると、「小沢派」と「反小沢派」の双方に両天秤をかけているように見える。ただ、傾向として、より保護主義的な施策を必要としていると思われる団体・業界は、小沢派よりのように見える。マスコミなどその最たるものであって(注)、これだけ金権スキャンダルが次から次へと出てきているにもかかわらず、いまだに小沢擁護論はマスコミ界で強く存在する。言論界の「小沢派」が言うような、「マスコミが小沢を潰そうとしている」などという主張は転倒している。そして、小沢がマスコミ操作に長けており、極めて意識的にマスコミや「論客」たちを使っていることは周知の事実である。 特に小沢は、リベラル・左派メディアをかなり意識的に活用している(小沢が『日本改造計画』(講談社、1993年5月)で提唱した「平和安全保障基本法」が、そのすぐ前に発表された山口二郎・和田春樹らの「平和基本法」(『世界』1993年4月号)への応答であり、その取り込みを図ったものであることは、渡辺治が夙に指摘していることである(『政治改革と憲法改正』)。これは、1993年8月の細川政権成立に際しての、小沢への社会党の協力という事態に一役買ったと思う。) 前から言っているように、議員レベルでの「小沢派」と「反小沢派」の政策上の本質的な争点などほとんど存在しない。同じ政党なのだから当たり前と言えば当たり前である。現在、民主党内で「小沢派」と「反小沢派」が争っている(ように見える)が、これは内ゲバであって、何か政治的な争点に基づいたものではない。 「小沢派」の主張は、「反小沢派」の主張をより急進化させたものと見ることができる。米国からの(相対的)自立、「国策捜査」論による三権分立の実質的否定、「政治主導」、「東アジア共同体」(これは最早難しいだろうが)、解釈改憲の下での海外派兵路線など、主要な点でそうである。 リベラル・左派は、小沢派のこのような「急進性」を真に受けて(または利用して)「小沢派左派」に移行したと見ることができる。ただし、リベラル・左派が「小沢派左派」に移行したとしても、「小沢派右派」(佐藤ら)が右翼的な主張を展開するのであるから、「小沢派」全体が一般社会に与える印象の総和は、「反小沢派」よりも大きく「左」ということにはならない。実質としてもそうであり、「右」と「左」が相殺されるのである。もちろん、<佐藤優現象>の社会的悪影響を見ようとしない「小沢派左派」たちには、「小沢派」は「反小沢派」よりも格段に「左」、ということになるだろう。 リベラル・左派は、今や「国益」志向型に完全に再編されており、今さら「民主党革命」支持は間違っていた、とも言えない(言う勇気がない)。とすると、小沢への期待・親和性をますます強めて、「剛腕」小沢の下で、「民主党革命」をやり直し、自分たちの主張を実現する、という形にならざるを得ない。小沢も、自らの政治的復権のために、マスコミを徹底的に利用しようとしている。そのためには言論界におけるリベラル・左派はまだそれなりの利用価値があるのである。 言論界における「小沢派」と議員派閥としての「小沢派」、そして小沢個人は全て異なる。小沢が仮に裁判を勝ち抜いた上で、なおかつ政治的に十分な形で復権した場合、言論界における「小沢派左派」が小沢に期待した政策は全て無視される可能性が高い。したがって、この言論界における「小沢派」は、さしあたっては小沢が政治的に十分な形で復権するまでのものである。 だが、仮に小沢から捨てられるか、小沢が政治的に没落するかしたとしても、言論界における「小沢派」は雇い主または信奉の対象を変えるだけだろう。別の、リベラル・左派を利用しようとする野心的な政治家と癒着するだけである。そうした構造が成立してしまったのが2010年秋であると私は見ている。 (注)あくまでも推測ではあるが、小沢や有力政治家たちは、新聞や出版業界のエライ人たちに、自分が権力を握れば税金の公的投与で業界を救済する、といった口約束を与えているのではないかと思うことがある。もちろん、このような推測を裏付ける確たる事実はない。ただ、私の知る範囲でしかないが、読書人向けの本を出す出版界隈では、税金の公的投与による何らかの形での救済措置でもなければ将来性は皆無、という<空気>が存在することも事実である。また、これは機会があれば取り上げるが、新聞・出版事業の公共性を強調し、政府による公的補助(救済)の必要性を訴える言説も、メディア上で最近、いくつか出始めている。昨年の衆議院選直前に、毎日新聞紙上で原寿雄(「岩波書店の著者」でもある)が、新聞業界救済のために年500億円の公的資金を投入せよと主張して、ウェブ上で袋叩きにあったことがあるが、あのような主張はこの<空気>の一つの現われに過ぎない。 もちろん、今のマスコミに税金で救済措置をとるなど、JAL救済措置以上に不当・不合理極まりないので、普通にやれば「世論」の猛反発で失敗するだろう。そのような救済措置は、強力な政権の下でのみ可能である。もちろんこれはあくまでも推測に過ぎないが、落としどころは大連立、という主張を展開している佐藤優(佐藤は実際にしばしば、大連立を提唱している)や、最近の姜尚中のような人物をマスコミが猛プッシュする背景にも、一つにはそれがあるように思う。
3.「戦後社会」の正当化とレイシズム
だが、今回の一連の言説に関して、公正性の消失を指摘するだけでは十分とは言えない。矛盾した話ではあるが、他方で、「正義は我にあり」として、普遍的な次元において自分たちの正しさは担保されているのである。そのような姿勢を可能にしているものが、私が論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘した、「戦後社会」の擁護と「平和国家」日本という認識である。 「戦後社会」の擁護とは、戦後日本が過去清算を概ねまともに行なっていた、という認識と表裏一体である。さすがにこのような主張を大真面目に語る人間は少ないが、以下のような薬師寺克行・朝日新聞論説委員(元『論座』編集長)の主張がその一例である。 「戦争によって完全に崩壊したアジア諸国との外交関係を回復するため、戦後、日本政府は腰を低くして自らの行いの非を認めて謝罪するとともに、各国の経済発展に最大限の貢献をする外交を展開してきた。その結果、なんとかアジア諸国との友好関係を再構築するとともに、安定的な外交環境を自らの国の発展につなげてきた。/ところが、最近の首相や主要閣僚らの発言をみると、少なからぬ政治指導者がこうした戦後日本外交の積み上げを否定的にとらえているようである。」(薬師寺克行「序――いまこそ論壇の「構造改革」を」(『論座』編集部編『リベラルからの反撃――アジア・靖国・9条』朝日新聞社、2006年4月、3頁。強調は引用者、以下同じ))。 「(注・1986年の教科書問題からの)15年ほどの間のこの変化を「右傾化」といっていいだろう。かつては多くの国民も、植民地支配や侵略の歴史を踏まえて、中国や韓国の要求を冷静に受け止めていた。ところがいまは、首相の靖国神社参拝や歴史教科書検定問題について、隣国から文句が出ると、それに謙虚に耳を貸すのではなく、頭から「余計なお世話である」「他国にいわれる筋合いではない」と拒否する狭量な反応が増えた。」(同書、12頁) 薬師寺においては、「最近の首相や主要閣僚ら」や最近の「多くの国民」との対比によって、戦後日本があたかも歴史認識・過去清算問題についてまともな認識を持っていたかのように描かれている。だが、これこそ言葉の正しい意味での歴史修正主義と呼ばれるべきものである。近年の日本の「右傾化」は、まさに薬師寺的な、「戦後日本はちゃんと謝罪も賠償も済ませてきた」なる認識または<気分>が、日本国民(特にメディア上の人間)にいつの間にか確立してしまったがゆえに、中国や韓国の「反日」的な主張を、単なる非理性的なナショナリズムの現われとして斥ける回路が成立したがゆえに生じている。論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘したように、戦後日本国家が「平和国家」という顔と、過去清算抜きの大日本帝国の継承者たる顔という二つの矛盾した顔を持っているがゆえに、このような回路が成立しているのである。 私が何度も指摘してきているように、2005・6年以後に日本のリベラル・左派内部で、「戦後社会」を肯定・擁護する声が圧倒的になるのとほぼ並行して、韓国や中国の「ナショナリズム」の過剰を批判・問題視する論調が支配的になっている。「戦後社会」の容認とは、そのまま、形式的な謝罪(細川・村山談話、日中共同声明)と、ほぼ皆無の戦後補償といった日本政府の施策を、そのまま追認することだからである。 このことを考える上では、『マンガ嫌韓流』シリーズが好例となろう。今回の日本のメディア・「世論」の反応は、まさしく『マンガ嫌韓流』そのものである。『マンガ嫌韓流』の表紙には、「韓国にはもう謝罪も補償も必要ないんだ!!」という言葉が絵入りで記されているが、この認識自体は、薬師寺ら、朝日新聞社やリベラル・左派の大多数にも共有されているものである。今の日本の朝鮮・中国(「特定アジア」)に対するメディア・「世論」の主張・心性を正確に代弁していると言ってよいだろう。日本側はそのような認識であるからこそ、いまだに過去の歴史や日本の責任について批判的に語る朝鮮人や中国人は、「反日ナショナリズム」に感染した、頭のおかしい人間、ということになるのである。「もう謝罪も補償も必要ないんだ!!」という認識と、レイシズム表現は一体化されているものであって、分離することはできない。「主張は正しいけれども差別表現はちょっと・・・・・・」という立場はあり得ない。「それならば、現在の日本政府の立場を肯定している限り、差別意識を持たざるを得ないとでも言うのか」と反論されるかもしれないが、その通りである。 要するに、日本の海外派兵の禁止、脱軍事化や、民族教育の保障、戦後補償の実現、歴史認識の是正など(これらも「補償」および「謝罪」である)が必要であるという認識か、本来日本が賠償すべきだったにもかかわらず中国政府が賠償放棄してくれた事実に感謝し、本来、日本政府や日本国民が、侵略の歴史を誠実に反省する義務を負っている(中国の民衆の認識は、これである)という認識に立たない限り、一個人だけではなく民族の多くが「反日」的に見えているのであるから、レイシズムを身につけざるを得ないだろう。現に、薬師寺も、上掲書では、「中国や韓国」の要求に対し、「包容力や寛容さ」(同書、11頁)を持って、「冷静」に対処するのが必要だといっている。「大人」(日本)が、聞きわけのない「子供」(中国・韓国)をあやすような視線だ。 また、レイシズムを単なる民族的・人種的偏見とのみ解釈すると、単なるプチブル風の「マナー」の問題になりかねないのであって、ハンナ・アレントが言うところの、マイノリティの「諸権利(を持つ)権利」の問題、マイノリティの主体性を否定する行為として解釈されるべきである。だからこそ朝鮮学校の無償化排除の問題はレイシズムなのである。2005・6年以降に蔓延した<佐藤優現象>もまさにそうであって、「<佐藤優現象>批判」でも指摘したように、2005年の中国の「反日」運動に対するリベラル・左派の衝撃と困惑がなければ、この現象は拡大しなかったと思われる。<佐藤優現象>とは、在日朝鮮人の権利性の端的な否定である。事実、これ以後の、在日朝鮮人の研究者、ライター、編集者の多くは、憐れみを乞う困窮者のように(こいつらもどうしようもないのだが)、「民族主義」や「北朝鮮」を批判する芸をリベラル・左派の日本人たちに見せ付けるようになっている。 現在のこのレイシズムの垂れ流された状態こそが、まさに「戦後社会」や、それを肯定・擁護する立場の帰結であり、そのようなものとして認識しなければならない。 4.軍事的「平和国家」路線の挙国一致状態 今回の尖閣問題においては、左派の多くが自発的に中国批判を展開していることを指摘したが、これと並んで重要な点は、この時期に、日本の政府レベルでも、「平和国家」という理念を謳った上での安全保障論が打ち出されていることである。まさしく、挙国一致での「東アジア唯一の平和国家」という自己認識が確立されたと言える。 2010年8月27日に首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が、「防衛計画の大綱」改定に関して答申した報告書は、「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想――『平和創造国家』を目指して」と題されており、そこでは、「基盤的防衛力」概念(専守防衛、必要最小限の防衛力)の撤回、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の変更(弾道ミサイル迎撃など)、非核三原則の見直し、武器輸出の一部緩和、PKO参加5原則の見直し、他国部隊の後方支援等を提唱している。 菅直人も、9月の党首選の公約で、「(6)「平和創造国家」を標榜する外交」を掲げており、上の報告書の理念・提言を基本的に認めていると思われる。 この報告書では、以下のように謳われている。 「本報告書において、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」は、日本がその平和と安全を守り、繁栄を維持するという基本目標を実現しつつ、地域と世界の平和と安全に貢献する国であることを目指すべきであること、別言すれば、日本が受動的な平和国家から能動的な「平和創造国家」へと成長することを提唱する。」 「こうした安全保障環境下、日本の地理的特性、その経済力・防衛力の特性および歴史的制約要因の特性を考えれば、外交・安全保障の領域において日本がめざすべき国の「かたち」あるいはアイデンティティは「平和創造国家」と言える。これは、世界の平和と安定に貢献することが日本の安全を達成する道であるとの考えを基礎とし、国際平和協力、非伝統的安全保障、人間の安全保障といった分野で積極的に活動することを基本姿勢とする。」 「日本は、第二次世界大戦における敗戦の経験から、戦後一貫して、抑制的防衛政策をとってきた。日本は平和憲法に基づき、他国の脅威にならない専守防衛政策をとり、国民もこれを基本的に支持してきた。また、日米安保体制の下、主として自衛隊が対外的な拒否的抑止力の機能を担い、懲罰的な抑止力については基本的に米軍に依存するという役割分担を維持してきた。さらに日本は、他の先進国には例を見ない事実上の武器禁輸政策を維持し、憲法解釈上、集団的自衛権は行使できないものとして、その安全保障政策、防衛政策を立案、実施してきた。ただし、こうした政策は、日本自身の選択によって変えることができる。」 このように、報告書においては、戦後日本の「平和国家」路線を基本的に肯定した上で、その上で、能動的な「平和創造国家」への「成長」が目指されている。この報告書に対して、日経・読売・産経は肯定的で、毎日はやや批判的な立場に留まるが、朝日新聞やその他の地方紙、前田哲男(『世界』2010年11月号)などは批判している。だが、報告書の主張は、前田がかねてから提唱している「平和基本法」や朝日新聞の主張と、方向性を同じくしているものであり、基本的な対立点はない。朝日新聞社説の「提言 日本の新戦略―地球貢献国家を目指そう」(2007年5月3日)の一節を挙げてこう。 「在日米軍や基地施設は、中東までにらんだ米国のアジア太平洋戦略にとって要石の重要性を持つ。地理的な条件や社会の安定度などを考えれば、日本以外の国でこれだけ貢献できるところはない。米国のメリットは計り知れないものがある。/日本経済には米国市場へのアクセスは欠かせない。さらに、世界第1位と2位の経済大国が連携していることで、経済だけでなく、政治や外交面でも世界の安定感を高めているのは間違いない。/・・・・・・政治、外交の面で日米協力が持つ意味は極めて大きい。アジアの平和と安定のため、あるいは核不拡散やテロ対策などで米国の政策と共同歩調をとることは、国際社会を望ましい方向に導くことになるし、日本の影響力を高めもする。/国際公益を高めるような米国の政策には、積極的に応じるべきだし、日本側から協力を求めることももっとあっていい。そうした意味で日米戦略対話は現在より緊密にしていきたい。」 「「平和構築」には行政官やNGOの人たちを含む文民の活動がふさわしい仕事が多い。だが中には、武器を持った実力部隊でないと危険な時期や場所もある。そこに自衛隊の出番がある。/自衛隊の派遣は、日本にふさわしいものでなくてはならない。現地で歓迎され、実際に「平和構築」に役に立つ。あくまで憲法前文のような普遍的な理念に基づく派遣であって、「米国とのおつき合い」だけで海外に自衛隊を送るべきではない。」 このように、朝日新聞の掲げる「地球貢献国家」は、「平和創造国家」と本質的には全く同じである。 ちなみに、報告書の第5回(2010年4月8日)議事要旨には、「平和創造国家」の同義語として「平和構築国家」という言葉が用いられており、ここからも、「平和構築」を謳っている朝日新聞との共通性が読み取れる。そもそも戦後日本を「平和国家」として位置づけるという前提自体が虚偽なのであるから、その発展形として適用されたものが報告書のようなものになることは何ら不思議ではない。朝日新聞が、個別の論点に限ってどれほど反対しようが、海外から見れば同じであって、本質的な対立点は何もない。これは、前田が掲げている「平和基本法」の場合も同じである(「平和基本法」については「<佐藤優現象>批判」参照)。この路線をまとめて、軍事的「平和国家」路線と呼ぶことができよう。 このように、「戦後社会」を擁護した上での「平和国家」日本の自己肯定という自己意識が、2010年秋の時点で、政府レベルから保守派、左派まで取り込んだ「挙国一致」状態で確立していたのであって、その前提の下で、一連の尖閣問題が発生し、この自己意識をますます強固なものにしている、と言える。 この傾向は、「中国脅威論」でもより強化されている。もちろん中国政府にも国権主義的拡張の意志は強くあろうが、軍事力のバランスからして、中国の軍事力よりも日本と米国を合わせた軍事力の方があらゆる点で上であることは周知の事実である。台湾有事という可能性が厳に存在している以上、浅井氏が紹介しているように、「中国の軍事力はまだ日本に対抗するのに不十分であり、特に海軍力の配置からいって、日本の軍事力は大陸及び台湾より強いこと、しかも、日米同盟によって米軍が手出しする可能性も考えれば、状況は中国にとってきわめて不利だと判断」するという見解が、中国国民に支持されるのは当然である。私が全く理解不能なのは、このような構造があるにもかかわらず、「平和国家」日本が脅かされているとばかりに、中国の軍事大国化の脅威を主張する人々(特に最近は左派に多い)である。日米安保の下で、しかも米国基地が沖縄に集中して存在し、しかも日本では今回の尖閣問題の件に見られるように、中国への侵略に対する贖罪感のようなものも全く存在しないのだから、中国側が警戒するのは当然であって、そのような状態を不問に付したままでの「中国脅威論」は、国際的には全く説得力を欠くであろう。ちょうど、米国の核の傘の下にある日本が、「唯一の被爆国」として、他国の核政策を批判することに説得力がないことと同じである。 5.若干の展望 2010年秋において、論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘したように、挙国一致での「平和国家」日本と周辺諸国の「反日」の主張との対立という構図が、極めて明確な形で成立したと言える。上の論文への反省点があるとすれば、それは、その構図の成立に基づいて、レイシズムが全面化することを明確に予期していなかったこと(福田和也や山口二郎の「ウヨク」または「サヨク」のレイシズムの問題としては取り上げているが)と、このような構図がこれほど早い段階で来ることを予想していなかったことである。 その大きな要因として、論文後に生じた、日本のリベラル・左派の民主党政権への支持という状況によって、左派や市民運動が実質的に崩壊したことが挙げられる。予想外に早く崩壊してしまったため、「平和国家」という理念を基軸に置いた形での軍事国家化、という路線への言論レベルでの歯止めが存在しなくなったのである。 ただ、幸いなことに、リベラル・左派の驚くべき脆弱さのお陰で、「東アジア共同体」路線という欺瞞もどうやら終了しつつあるようである(これについては後日述べる)。そもそも、中国だけを例にとっても、億単位で戦争被害者遺族が存在するのであるから、「東アジア共同体」路線が打ち出しているような「和解」論が成立するはずもなかろう。そのためには中国政府による民衆の「反日」の主張への徹底的な弾圧が前提となるが、そのようなことが大々的に生じない段階で「東アジア共同体」路線が崩壊しそうなのは、大変慶賀すべきことではある。 日本においては、軍事的「平和国家」路線でもはや国論は統一されており、それを急進的にやるか漸進的にやるか、といった程度の違いでしかない。しかも、往々にして、「憲法9条を輸出せよ」などといった主張をする「護憲派」が前者だったりするわけである。だが、そうした路線の前提となる「国際貢献」というのは、基本的には欧米帝国主義国や中国のような強大国のプロパガンダなのであって、日本が行なうべき「国際貢献」とは、例えば米国に追従して国連での発展途上国の票を買い叩くことをやめるとか、日本軍(自衛隊)の軍縮と在日米軍基地の縮小により東アジアの軍事的緊張を弱めるとか、戦前との連続性を有する社会意識・歴史認識の是正に取り組み、政府レベルで過去清算にまともに取り組めるような状態にするとか、要するに、現在の日本政府が行なっているさまざまな行為を縮小またはやめさせることである。そのためには、前から言っているように、中国や韓国の「反日」の声との連帯が必要である。 これは、大多数の日本国民自身のためでもある。例えば、安倍首相以降、首相の靖国神社公式参拝が止まったのは、明らかに中国の「反日」運動の影響である。リベラル・左派による、政教分離の観点からの反対など、大衆にはほとんど影響力を持たないのであって、安倍らが対東アジア外交への影響への懸念からのみ公式参拝を止めているのは明らかである。仮に、首相の公的な靖国参拝がある種の制度として確立してしまえば、それは海外派兵の際に兵員が安んじて戦死するための追悼施設が確立することを意味し、近現代日本の侵略と植民地支配の歴史が公的に容認されることを意味するから、日本社会の全面的軍事化はより早期に起こっていただろう。派兵国家化に不可欠なこの追悼施設の問題は、現在、膠着状態に陥っている。この一例だけをとってみても、これは逆説でもなんでもなく、平和に生きることを願う日本の民衆の大多数は、中国の「反日」運動に感謝すべきなのである。 そもそも、近代以降の日本の民衆運動・左翼運動は、支配層の徹底的な弾圧と運動指導層の簡単な転向によって、大した成果を挙げずに崩壊するのが一般的なパターンである。少なくとも現在のリベラル・左派の現状では、これまでの傾向を乗り越える可能性はない。現在の日本は、全面的転向直前の姜尚中が、あたかも遺言のごとく述べたように、「今の構図で言えば、中国や韓国が日本における最大の野党になっているわけです、外部からのね。そして、日本はそれを「内政干渉」だと切り捨てる。日本の中にちゃんとした野党がなくなってしまったがゆえの構図だと思うんです。」(『みんなの9条』122頁、2005年7月13・20日付インタビュー)、「(注・改憲問題は)残念なことだけれど99%がデファクトとして勝負がついているんですよ。ところが残りの1%で逆転できる可能性があるわけです。それなのに、逆転しようとするエネルギーが内発的ではなくて、外側の中韓がオポジションになっている。中韓が過去の歴史問題をめぐる相克という形で押さえつけている状況でしょ。」(姜尚中・丸川哲史「改憲阻止の新たな戦術――政教分離の原理原則論に立つ」『季刊軍縮地球市民』2005年冬号、2005年12月1日発行)という状況なのである。 したがって、論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」と同じ結論ではあるのだが、「過去清算をろくに行なわず、また、当面は行なう見込みのない日本が、「普通の国」として軍事活動を行なうことへの、周辺アジア諸国の民衆からの抗議と警戒」という「外部」とどう連帯するかこそが、本質的な政治課題である。もちろんそうした「反日」の声の中には、「沖縄奪還」のような明らかな暴論もあろう。だがそのような極論・暴論が、日本批判の全体を否定する理由にはならない(そんなことを言い出せば、「朝鮮人絶滅」論すら主張する日本のネット右翼の発言を捉えて、拉致問題を取り上げることを否定することも可能になる)。既存のリベラル・左派が自滅して、大衆的な影響力はおろか、道義的に力のある発言すらほぼ不可能になっている現在こそ、好機であると思う。
1.尖閣諸島(釣魚島)問題について
このところの政治・言論上の、一連の大きな動きについて、まとめて書くつもりだったのだが、長くなるので全体を分載することにした。延坪島砲撃事件とその日本への影響や、沖縄知事選についても述べたいのだが、それを論じる前に、尖閣諸島(釣魚島)問題について述べなければならない。 この問題については、浅井基文氏が、日本共産党の主張の支離滅裂さや、安全保障問題との関係、中国側の主張など基本的な点に関して、詳細かつ極めて説得的に論じているので、未読の方はまずはそちらを参照されたい(私は尖閣諸島は中国領だと考えているので、浅井氏とは立場が異なるが)。 今回の一連の尖閣問題に関する日本の言論状況への批評として、メディア上で一番的確だったのは、韓国の保守紙、朝鮮日報(日本語版)の2010年9月27日付の記事ではないかと思われる。記事には以下のようにある(強調は引用者、以下同)。 「今回の中国と日本の衝突で、中国が取ったような分別をわきまえない行動を、日本が独島に対して取った場合でも、 現在のような「静かな外交」を維持できるか、という課題が残る。 /(注・韓国)政府の関係者は、「日本は中国とは違う」との見方を示しているが、日本社会の急激な右傾化の動きに影響される可能性もある。 」(朝鮮日報、2010年9月27日付) この記者は、「日本社会の急激な右傾化の動き」と断定する根拠を記事中で示していないが、それは恐らく言わずとも読者には分かる、ということなのだろう。この記者が、保守紙の記者として中国批判を行ないつつも、日本のメディアと「世論」が中国バッシングを唱和する姿を非常に気持ち悪く眺めていることがよく伝わってくる一節である。 韓国では日本での民主党政権成立は一様に歓迎され、左右問わず、韓日の「和解」と「東アジア共同体」の実現に向けた期待が高まっていた。「政権交代」当初、韓国各紙の論調をインターネットで読み、特に左派系のメディアが歓迎していたことに私は腹を立てていたものだ。 だが、韓国メディアに詳しい友人によれば、そうした「歓迎」ムードはもはやすっかり陰を潜めているようである。その代わりに出てきたのが、上で挙げた「右傾化」認識だ。管見の範囲では、韓国メディアで「日本の右傾化」を指摘したのは安倍政権以来のように思われる。安倍政権末期からここ3年ほどの日本評価が逆転し、正しく「右傾化」していると認識されるようになりつつあるのではないか、と思う。だとすれば、1年以上前に、論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」の中 で「今後、日本の右傾化はよりスムーズに進む」と指摘した私としては、韓国世論が少しは正道に戻ってくれたようで心強いことではある。 この論文の最後の部分で、私は、以下のように述べている。 <「平和国家」という自己認識を持つ「ウヨク」または「サヨク」たちは、一致して、格差社会の惨状を嘆き、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチに涙し、北朝鮮の核実験に対して「唯一の被爆国」としての怒りを表明し、在特会のあからさまかつ行き過ぎた言動・行動に眉をひそめる。みんな、いい人たちで、「平和」を愛する人々なのだ。「一党独裁支配」の中国や北朝鮮、ナショナリズムが「過剰」で徴兵制のある韓国、軍事的緊張化に置かれている台湾など、周辺諸国は「平和」とはほど遠い状態だ、それに比べてわが日本は・・・と彼ら・彼女らは、「戦後日本」とこれからの日本に誇りと自信を持っていることだろう。 「11」で示したように、日本国家の右傾化は、こうした、日本が「東アジア唯一の平和国家」だという自己認識を持った人々による、日本国内の極右勢力との抗争プロセスを通じて、意図せざる形で、進むことになる。 東アジアの周辺諸国からすれば、これは、かつての自民党右派政権よりもはるかに厄介である。「中東唯一の民主国家」という自己認識を持ったイスラエルのような国が、イスラエルよりもはるかに強大な軍事力・経済力を持って、東アジアに誕生したことになるのだから。ただ、イスラエルほどは、軍事的要素が社会の前面に出てこないとともに、社会の民主化も進まないだろう。 また、仮に「東アジア共同体」といった形で、韓国や中国など周辺の中大国と集団的安全保障を結んだ場合は、より強い脅威を受ける対象が、周辺諸国ではなく、世界レベルに拡大される、というだけの話である。その場合、「対テロ戦争」がますます徹底的に遂行されることになる。 この右傾化の動きは、民主党政権または大連立政権下で、より強くなっていくだろう。 この状況下では、「護憲」も、日本の侵略責任・戦争責任の観点から捉える視点がない限り(そして、近年の「護憲」論は、ほとんどの場合、そうした視点はないのだが)、上記の抗争プロセスに回収されるだろう。そして、<佐藤優現象>や、「1」でも言及した、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後の右傾化においては、まさに、「護憲」論の上記の抗争プロセスへの回収が著しく進んだ、と言ってよいだろう。 もう少し言うと、もはやこの段階においては、「護憲」か「改憲」か自体は本質的な政治的争点ではなくなっている、ということである。もちろん私は、どっちでも同じだから改憲してもいいのではないか、と言っているのでは全くなく、改憲または安全保障基本法の制定が、右傾化の大きな前進であることは言うまでもない。だが、「戦後社会」を肯定する護憲論は、民主党の安全保障基本法には多分ほとんど抵抗できないだろうし、彼ら・彼女らの中では有力な代替案である「平和基本法」も、「<佐藤優現象>批判」で書いたように、論理としては安全保障基本法と大して変わらない。 むしろ、本質的な争点は、過去清算をろくに行なわず、また、当面は行なう見込みのない日本が、「普通の国」として軍事活動を行なうことへの、周辺アジア諸国の民衆からの抗議と警戒の声とどう連帯するか、ということになると思う。要するに、日本の右傾化を規制する実体のある勢力は、当面は外部しかないのであって、その外部とどう連帯するか、ということである。 無論、そうした抗議と警戒の声や、連帯しようという行為は、日本社会においては「反日」だと表象されるだろう。だが、「反日」という非難を意に介さず(もちろん「非難に抗して」でもよいが。念のために書いておくと、以前書いたように、文言としての「反日」を掲げるべき、ということではない)、「10」で言及したような、「正義」を回復するために、または(および)、日本国民の政治的責任を果たすために、過去清算を行うという立場で行かない限り、上記の抗争プロセスに回収されるだけだと思う。そうしたことを主張する人々や運動が、現在ではどれほど微力であっても、本質的な政治的争点はそこにしかない、と思う。> 引用が長くなったが、2010年秋というのは、上で述べている、「戦後社会」の擁護というイデオロギーが中軸に置かれた形での、日本が「東アジア唯一の平和国家」という自己認識の下での右傾化が、言論レベルでは一応の完成の段階に達した時期として位置づけることができると思う。 今回の尖閣問題で特筆すべきなのは、私がこのブログで萱野稔人の議論や村上春樹のエルサレム賞受賞講演等について何度も指摘してきたことではあるが、メディア上での話の読み手・聞き手の対象が、日本側の主張が正しいと考える日本人であることが自明の前提とされており、ジャーナリズムの公正性の原則がなかったのごとく(むしろ、それこそが公正性であるかのごとく)されており、しかも、リベラル・左派とされてきたメディアや人々も、同様な姿勢で中国批判を行なっている点である。そこでは、一連の件が、日本チームを応援するのが自明の前提であるオリンピックの試合のように論じられている。それでいて、ビデオの全時間の全面公開もまだなのだから、海外から見ればほとんど冗談のような状態に見えているだろう。 ここまでの「挙国一致」状態は、2002年の拉致問題の時も、2004年の遺骨「偽造」問題の時も、2005年の「反日」運動の時も、2008年のチベット問題の時もなかった。メディア上は相変わらずプロパガンダをやっているが、ウェブ上や左派系の紙媒体では細々ながら異論があり、言えない人間も沈黙で身を処していたのである。ところが、今回は、左派系の大多数が、自明の前提として自発的に中国非難を行なっている。そして、左派による批判により、右派や中間派がより自信を持って「挙国一致」で中国を非難する、という循環がある程度生まれている。 2.「日本人同胞の内輪」という空気の成立 このような状況は、特にメディア上の人間やその受け手を「内輪」として感じる感覚または<空気>が不可欠である。 私がかつて、まだ岩波書店労働組合に在籍していたころのことである。私は2005年頃、岩波書店労働組合が食堂に張り出す「壁新聞」の編集委員の役職を受け持っていた。編集委員は全部で8人くらいいたはずである。 それで、掲載予定の原稿が送られてきた際、その中に、「めくら判を押す」という表現があったので、これは書き手に意見し、表現を修正すべきではないかと編集委員会内部で述べたことがあるのだが、私の主張は否定され、結局そのまま掲載されることになった。この際の議論は、なかなか面白いので、また後日紹介することもあろう。 私が非常に興味深く思ったのは、この議論の際に、私が偶然話をした別の組合員の意見である。私がこの「めくら判を押す」という件について私の主張を述べたところ、この、左派系の単行本もよく担当している編集者でもある組合員は、「「壁新聞」は会社内で掲載されているもので、岩波書店には目の見えない人がいるわけではないし、出入りする人にもいないだろうから、「めくら」という表現も別に問題ないと思う。」と反論してきたのである。 世の中には自分とは次元が違う世界で生きている人間がいるものだ、ということを改めて教えられた発言であるが、ここまであけすけでなくても、私以外の編集委員にも「岩波書店には目の見えない人がいるわけではないし、出入りする人にもいないだろうから、「めくら」という表現も別に問題ない」という認識が暗黙のうちに共有されていたのではないかと思う。 今回の尖閣問題に関する一連の言説の特徴は、この組合員の発言の背景にある心性が露呈したものと見ることができる。日本全体が、あたかも一つの「内輪」のサークルのように表象されており、公正性(中国側の見解すらほとんどまともに紹介されない)や、日本人以外の人間が存在することはあらかじめ排除されている。 その意味で、ちょうどこの少し前の時期に、以下のような発言が出ていたのが徴候的であると思う。 「高橋 よく言われることですが、ネット右翼という存在が台頭してきたのも、この二〇〇五年以降は貧困化、格差社会の到来と同時に、ネット社会の到来でもあって、いわばそれまでは裏声で語っていたメッセージが、裏が表になるというか、公に言えるようになったからです。ですから、僕もいくら目にしても、信じられないのは、普通言わないような、あからさまな差別発言のようなもの、つまり「朝鮮人、帰れ」とか、そういう身も蓋もない言い方を平気でする人たちが大量に出現した。おそらく十年前なら、そんなことは陰で思っていたとしても、あるいは言っていたとしても、表に出して言うもんじゃないということぐらいは意識の中にあった。いま、それが大きい声として出るようになってきたということは、僕もひしひしと感じます。」(高橋源一郎・小熊英二対談「1968から2010へ」『文学界』2010年5月号) 「北京オリンピックと上海万博を経て中国は相当に自信をつけただろう。今回の問題で日本に「勝った」と思っている中国人は多いのではないか。夫はそれが「ムカつく」と怒っている。「いい気になりやがって」と、ちょっとした差別主義者が家の中に出現したみたいだ。しかし彼が怒っているのは、それら中国の対応が結局だれを喜ばせることになるのかという点につきる。/しばらくナリをひそめていた右翼政治家たちが大はりきり。すわ有事だの離島防衛だの中国脅威論だの。ナショナリズムに火をつけることになるから上手にやってほしいというわけだ。都知事があからさまに中国を罵倒していたときは、テレビに向かって「バカじゃねーの!? オレと同じじゃねーか!」ときれた。なんだかマヌケな怒り方だが、家の中で悪口言ってるようなレベルの発言を政治家がするなということだ。/「公の場で言えないからみんな苦労するわけでしょ。言っていいならオレだって知事ができる」……ごもっとも。」(石坂啓「外交は勝ち負けではない」『金曜日』2010年10月8日号) ここで重要なのは、高橋や石坂が、「差別意識が悪」という定式ではなく、「差別意識を公に出すことが悪」という定式を打ち出していることである。逆に言えば、公的に出さずに差別意識を保持したり「内輪」で話したりすることは肯定・容認されている。もちろん高橋や石坂は、別に深い考えに基づいて上の発言をしているわけではなく、いつものことではあるが、単なる思い付きを述べたに過ぎないだろう。そして、上の発言が重要なのは、だからこそなのであって、この二人や対談相手の小熊、その掲載誌の編集者らが、自分たちや読者は一つの日本人の「内輪」だと捉えているという<空気>を伝えてくれているのである。そして、その<空気>の下では本来排除の対象たらざるを得ない、在日朝鮮人は、こうした発言および<空気>に反対することなく、その<空気>を察知して却って自分たちにすり寄って来ることを、この連中は恐らく無意識的に理解している。 以下の上野千鶴子の発言も同様である。 「いまもっとも有名な東大教授、「東大のヨンさま」こと、姜尚中さん。生え抜きでもなく、国籍もないマイノリティの学者を「売り」にする天下の東大のマーケッティング戦略に、他大学も見習った方がよい。コロンビア大学の英文学部が、パレスチナの学者、サイードによって活性化したのと似ている。」(毎日新聞2010年1月17日付) 」 姜尚中は少なくとも、上野の発言の直前である2009年12月時点では韓国国籍を保持しており、私の知る限りではそれ以後も帰化したとの情報はない。また、仮に帰化しても、それは「国籍もない」ということではもちろんなく、日本国籍を有するということである。ここでの上野の発言は、韓国国籍を保持する在日朝鮮人を「国籍もないマイノリティ」と位置づけたものと思われる。上野の発言が、「すべての者は、国籍を持つ権利を有する。何人も、その国籍を恣意的に奪われ、又は、国籍を変更する権利を否認されない。」という世界人権宣言第8条の真っ向からの否定であることは言うまでもない。上野の発言についてはこれまで何度か批判してきたし、もはやこの人物をそれなりの言論人として扱うこと自体が問題ではないか、と思っているのだが、それはさておき、この上野の発言も、上野や毎日新聞社が、自分たちや読者を一つの日本人の「内輪」だと捉えており、姜をはじめとした在日朝鮮人が自分たちにすり寄って来ていることを暗黙の了解としている。 また、これは以前にも指摘したが、「マガジン9条」が、「パンにハムをはさむニダ」というあからさまなレイシズム表現をタイトルにつけた連載をしていることも同様である。この人物は、韓国からの留学生で、日本に来て「軍隊がない国があることにびっくりした」などと発言している、どうしようもない人物だが、マガジン9条の編集者は「これは差別表現ではない」と主張している。ところが、これはこの連中の馬鹿さ加減をよく示す話なのだが、キムソンハの親友の安アキなる人物は、自らのツイッターで、「むしろ差別に対する抵抗になる戦略としてあえて使うべきだというのがキムソンハ氏の考え」などと発言している。ここにも、上で述べたのと同様の<空気>を前提にして、マガジン9条がこの連載を掲載していることが分かる。 以上のように、2010年夏頃までに、リベラル・左派メディアにおいては、自分たちや読者を一つの日本人の「内輪」だと捉えている<空気>が成立していたと見ることができると思う。そして保守メディアなどはもともとそういうメディアである。 もちろん、こうした<空気>が、<佐藤優現象>と完全に同型であることは改めて指摘するまでもない。<佐藤優現象>は、佐藤が攻撃している対象の在日朝鮮人その他の人々への迷惑を無視した上で成り立つものであって、その政治的可視化が朝鮮学校の高校無償化からの排除(への「世論」の容認)であることは以前にも指摘した。この<空気>の醸成も政治的可視化と捉えることができる。 以前にも引用したが、<佐藤優現象>を推進する上で、最も大きな役割を果たしている一人と思われる岡本厚『世界』編集長(岩波書店取締役)は、以下のように述べている。 「そもそも日本社会はいま、一人一人がバラバラにされ、自分のことしか考えない私利私欲の時代である。「同胞についての想像力がものすごく狭い範囲にしか及ばない(本号、佐藤優・山口二郎対談)ときに、全体のことを議論することはできない」(『世界』2007年11月号「編集後記」)。 このように、日本人「同胞」の共同体という「内輪」が成立している、という暗黙の前提がメディア上で成立したがゆえに、現在の尖閣問題をめぐる一連の言説が垂れ流されているのである。 < 前のページ次のページ >
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