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2010年 05月 12日
前回、『週刊新潮』による佐藤優への取材記録の全文を掲載したが、今回からそれの検討を行おう。まずは、取材記録の以下の箇所である(強調は引用者、以下同じ)。
「「<佐藤優現象>批判」なる論文は、私が言ってもいないことを、あたかも私の主張であるかのように述べています。例えば「佐藤が言う『人民戦線』とは、『国民戦線』である」なる箇所(P143)がありますが、そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。言ってないことを、さも私の主張であるかのように書かれ、それを元に批判されても、私は責任の取りようがない。この一件を取ってみても、メチャクチャな内容であることは明らかで、言論と言論との対話が成立していない。対等な話し合いが出来ない。言論を超えた私への攻撃であり、絶対に許せません。」 『週刊新潮』の塩見洋デスクは、上の箇所を、実際の記事では以下のようにまとめている。 「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」 逆に言えば、私に関する記事が掲載された『週刊新潮』発売時点(2007年11月29日)において、「私が言ってもいないこと」として佐藤が『週刊新潮』に挙げていた具体的事例は、「例えば「佐藤が言う『人民戦線』とは、『国民戦線』である」なる箇所(P143)がありますが、そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」のみである。 塩見は、この取材記録を基に記事を書いたと主張しているのであるから、実際の記事での「私が言ってもいないこと」という記述の具体的根拠として塩見の念頭にあったのは、「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。」のみ、ということになる。 だが、この取材記録は、実に奇妙な事実を明らかにしているのである。『週刊新潮』および佐藤は、今回の裁判において、「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」などという主張を一切行っていないのである。 こんなことを言うと、面食らう読者が多いかもしれない。この訴訟の争点の一つは、佐藤の「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」という発言の真実性であり、それについて、『週刊新潮』および佐藤はこの訴訟で反論しているはずではないか、と思われるだろう。 これまで私が報告しているように、無論、『週刊新潮』および佐藤は反論している。だが、彼らの反論は、以下のようなものである。「佐藤優、「私が言ってもいないこと」とは何だったかをついに明らかにする」から再引用する。 「原告は、「論文」143上段2,3行目、下段12行目において、《佐藤の提唱する「人民戦線」なるものが、いかなる性質のものであるかを検証しておこう》《佐藤の言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である》との記述を行っている。 しかしながら、被告佐藤は「人民戦線」とは言っておらず、「論文」でもそれに該当する箇所の引用はない。 また、原告は、「論文」6.及び7.において、被告佐藤が言っているとする「人民戦線」についての持論を大々的に展開しているが、佐藤自身が「人民戦線」と言っていないので、そもそもの前提自身が成り立たない。」 「使ったことがな」かった言葉は、「国民戦線」ではなかったのか?ところが、実際の裁判では、佐藤は「人民戦線」とは言っていない、という主張に変わっている。 これまで報告しているように、佐藤は、この「人民戦線」以外に、「曲解していること」として論文「<佐藤優現象>批判」中から9箇所を挙げてきており、それらが全て荒唐無稽な主張であることも既に示したが、この9箇所にも、「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」という主張に該当するものはない。 しかも、佐藤が言っていないことを金が書いた箇所というのは、「人民戦線」云々と9箇所の「曲解していること」で全部か、という私の質問に対して、被告側は、それらで全部である旨を述べている(2010年3月17日、第6回口頭弁論)。だから、被告側は、当初は「言ってもいないこと」に挙げていた唯一の具体的根拠である「国民戦線」を、裁判では主張しないことにしたのである。 では、一体、取材記録における「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」などという主張は一体なんだったのか、ということに当然なるだろう。ところが、佐藤ら被告側は、この当然の疑問に対して、現時点では一切沈黙している。 被告側が沈黙しているので、私が代わりに答えてやろう。 佐藤ら被告が、この「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」などという当初の見解を引っ込めたのは、こんな主張では裁判に勝てず、主張それ自体が恥さらしであることを認識しているためだと思われる。 論文「<佐藤優現象>批判」の読者には明らかだと思うが、「佐藤が言う『人民戦線』とは、『国民戦線』である」なる箇所は、佐藤が「言ってもいないこと」をさも佐藤の主張のように書いた箇所ではない。「<佐藤優現象>批判」から、その箇所に至る部分を引用しよう。 「7.「国民戦線」としての「人民戦線」 ここで、佐藤の提唱する「人民戦線」なるものが、いかなる性質のものであるかを検証しておこう。 佐藤は、このところ、沖縄戦の集団自決に関する高校歴史教科書検定での書換えの件について、書換えを批判する立場から、積極的に発言している。『金曜日』の佐藤の記事を引用しよう。佐藤は、「歴史教科書検定問題を放置すると日本国内で歴史認識問題が生じ、日本国家、日本国民の一体性にヒビが入り、外国から干渉される口実にもなる」と、右翼が多く出席する会合で発言したところ、会場からは反発はまったくなく、ある右翼理論家も「これは日本国家統合の危機をもたらす深刻な問題だ。教科書の書き換えなどもってのほかだ。右側、保守としても真剣に対処しなくてはならない」と述べたとしている。笑うべきことに、佐藤はこの記事を「過去の日本国家の過ちを率直に認める勇気が今必要とされている」と結んでいる。 佐藤が、日本国家の弱体化の阻止の観点から格差社会化に反対していることは、「5③」で述べた。また、前述の「フォーラム神保町」の「世話人」には、『金曜日』関係者だけではなく、部落解放同盟の関係組織である解放出版社の編集者が名を連ねている。また、佐藤が北海道で活動する新党大地の有力な応援団の一人であることも、よく知られていよう。 私が興味深く思うのは、佐藤の論理においては、「日本国家、日本国民の一体性」を守る観点からの、それらの人々―経済的弱者、地方住民、沖縄県民、被差別部落出身者―の国家への包摂が志向されている点である。「国益」の観点からの、「社会問題」の再編が行われている。この論理は、改憲後、リベラル・左派において支配的になる可能性が高いと思われる。 この包摂には、基本的に、在日朝鮮人は含まれない。ここがポイントである。ただし、「反日」ではない、日本国籍取得論を積極的に主張するような在日朝鮮人は入れてもらえるだろう。佐藤が言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である。」 ここで私が用いている「国民戦線」という語句が、佐藤の諸発言においては「「日本国家、日本国民の一体性」を守る観点からの、それらの人々――経済的弱者、地方住民、沖縄県民、被差別部落出身者――の国家への包摂が志向されている」にもかかわらず、その「包摂には、基本的に、在日朝鮮人は含まれない」という事実に対しての論評として用いられていることは明らかである。当前であるが、佐藤が「国民戦線」という用語を用いたことがあるかどうかは何の関係もない。 私は、佐藤の主張を「人民戦線」と要約した上で、その「人民戦線」なるものが「いかなる性質のものであるか」と言えば、それは「国民戦線」だ、と批判的に論評しているのである。佐藤の「言っていないこと」を、さも佐藤の主張であるかのように書いたものではない。このような論評までも「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いたものだと言えるならば、およそ他人への(批判的)論評など不可能になるだろう。「言論封殺魔」たる佐藤の面目躍如である。 被告側は、この裁判にあたって、「そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。」などという当初の見解では裁判に勝てないことに気づいたはずである。だからこそ、当初の見解を封印し、後から裁判用に「人民戦線」云々や「曲解していること」云々を作り出したのだと思われる。 逆に言えば、これは、『週刊新潮』記事での「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書」いたなどとする佐藤発言自体が、もともと佐藤の誤読か曲解に基づいたものであって、本来何ら根拠がないものだった、ということである。かつての「読書する大衆」の一件のように、単なる思い込みまたは意図的な策略から、佐藤はこのような発言を行い、それに『週刊新潮』が積極的に乗って行ったのではないか。 また、執筆者の塩見が、佐藤の取材記録から「国民戦線」云々を引用しなかったのは、これが佐藤の恣意的な読解または誤読に基づいていることに塩見が気づいていたことを推測させる。「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」などという発言を掲載するにあたっては、常識的であればその一例を挙げるであろうし、その方が、金を貶めるという意味でも効果的なはずである。いずれにせよ、『週刊新潮』の場合、記事掲載時に塩見が認識していた「言ってもいないこと」の具体的根拠はこれで消滅してしまったのであるから、記事がいかにデタラメなものであるかを自ら認めたに等しいだろう。 私は、佐藤および『週刊新潮』に対して、それぞれ、佐藤が「言ってもいないこと」を、さも佐藤の主張のように書いたとする箇所は具体的にどこなのか質問してきたが、両者は一切回答してこなかった。彼らは、裁判で主張する必要に迫られて、はじめてその箇所を明らかにしたのである。これも、単に答えられなかったということなのかもしれない。 もちろん、既に示したように、佐藤ら被告側が裁判にあたって主張しだした、「人民戦線」とは言っていない、などという主張は成り立たない。しかも、被告側が「人民戦線」云々に固執することによって、被告側の主張は、より荒唐無稽な、抱腹絶倒なものに進化していっているのである。そのことは次回以降に記す。 #
by kollwitz2000
| 2010-05-12 00:00
2010年 05月 09日
『週刊新潮』の私に関する記事(2007年12月6日号掲載)について、『週刊新潮』編集部が当時、佐藤優に取材した記録を、被告側は書証(乙11号証)として提出している(第6回口頭弁論期日、2010年3月18日)。今回は、この取材記録の全文を公開する。一読して明らかなように、さまざまに料理可能なものであるが、長くなるので、今回は紹介のみにとどめる。
被告によれば、『週刊新潮』の当該記事における佐藤の発言部分は、この取材記録に基づいて、塩見洋デスクが執筆したものとのことである。参考までに、当該記事における、佐藤の発言部分を改めて抜き出しておこう。 <佐藤氏は呆れて言う。 「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。そして,『IMPACTION』のみならず,岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては,訴訟に出ることも辞しません」> なお、この取材記録は、取材日付すら明示されていない、記録として不備のあるものであり、『週刊新潮』の取材がいかに杜撰なものであったかを示唆している。 -------------------------------------------------- 佐藤優氏 (起訴休職外務事務官) 「IMPACTION」の論文の件は、11月の初旬だったと思いますが、友人から連絡を受けて知りました。岩波の社員であるということも聞きまして、それを受けて岩波書店側には抗議をしています。 「<佐藤優現象>批判」なる論文は、私が言ってもいないことを、あたかも私の主張であるかのように述べています。例えば「佐藤が言う『人民戦線』とは、『国民戦線』である」なる箇所(P143)がありますが、そもそも私は「国民戦線」なる言葉を使ったことがない。これは不当要約です。言ってないことを、さも私の主張であるかのように書かれ、それを元に批判されても、私は責任の取りようがない。この一件を取ってみても、メチャクチャな内容であることは明らかで、言論と言論との対話が成立していない。対等な話し合いが出来ない。言論を超えた私への攻撃であり、絶対に許せません。そもそも、どの出版社にも雑誌にも、論調はあり、それを好む読者はいる。そのコードに合わせて論文を執筆することに何の問題があるのでしょうか。私は問題ないと考えています。例えば、創価学会系の出版社である「潮」に、牧口初代、戸田二代会長について皇帝(金注:ママ)的に評価する論文は書いても、創価学会に批判的な新潮社の「新潮45」ではそれは書かない。それは当たり前のことで、何ら批判されることではないはず。何より金氏も元編集者であるなら、それはわかっているでしょう。それでも敢えて批判するというのは、私を単に攻撃したいからではないでしょうか。 こんな論文を掲載した「IMPACTION」にも抗議をしていますが、岩波の責任も大きい。岩波のある現役社員によれば、組合の「壁新聞」というのは、外部に公表することを前提にしていない「社外秘」の扱いであるとのこと。内部文書がこんなに容易に外部に出てしまうところとは、安心して仕事が出来ません。例えば、私が編集部に提出した記事化する前の企画が、私の許可も得ずに外部に出てしまう可能性も出てくるのです。金氏は「IMPACTION」の論文で自ら岩波書店社員であることを隠しています。岩波社員という特権的地位を利用して得られる情報を元に、私を批判する社員がいる。単なる批判に留まらず、情報によっては、私の活動に悪影響を与える。そんなところとは仕事が出来ない。会社としての使用者責任も問いたい。今後の対応によっては訴訟に出ることも辞しません。 #
by kollwitz2000
| 2010-05-09 00:00
2010年 04月 29日
対『週刊新潮』・佐藤優裁判の第7回口頭弁論期日が終わった。東京地裁第708号法廷にて、4月28日10時から、約10分間開かれた。
今回は、原告(私)が、被告への反論の準備書面と、陳述書の陳述を行なった。 また、被告側(岡田宰弁護士・杉本博哉弁護士・安田好弘弁護士)から、次回期日では原告への反論と、人証予定者の陳述書の陳述を行なう旨が述べられた。裁判所によれば、次回期日に、人証申請の可否を決定するとのことである。 ところで、被告側が予定している証人は、『週刊新潮』の当該記事を書いた記者と、なんと佐藤優当人とのことであった。これを聞いて私は驚いた。佐藤は、自分は記事には責任はないなどと主張しているので、佐藤をどうやって法廷に引きずり出すかがこちらの一つの課題だったからである。 これまで報じてきているように、裁判が始まるまで佐藤は私による批判・問い合わせについて完全黙殺を貫いてきていた。ところが、ここにきて、積極的に反論していく(姿を見せる)方向にシフトしたようだ。方針転換である。意外にこの裁判の件が佐藤に効いていて、黙殺または消極的な関わり方を放棄する方向に追い込まれた、と見ることができるかもしれない。 次回期日は、6月23日13時15分より、東京地裁第708号法廷で開かれる。 #
by kollwitz2000
| 2010-04-29 00:00
2010年 04月 27日
以前報告したように、明日4月28日10時より、東京地裁第708号法廷で第7回口頭弁論が開かれる。恐らく短時間(10数分。場合によっては数分)で終わってしまうことと早朝ということで、来場をお勧めしにくいが、関心がある方はいらしていただければ幸いである。安田好弘弁護士も見ることができる。
なお、「首都圏労働組合特設ブログ」に記事をアップしたので、是非ご一読いただきたい。 「岩波書店、社員の『週刊新潮』への密告を容認」 http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-25.html #
by kollwitz2000
| 2010-04-27 00:00
2010年 04月 25日
「資料庫」に、4月21日に裁判所に提出した陳述書をアップした。
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-27.html 岩波書店への入社、『世界』編集部への異動、異動願の申請、「<佐藤優現象>批判」執筆に至る経緯、『週刊新潮』記事を契機とした岩波書店と岩波書店労働組合による嫌がらせ、訴訟に至る経緯などを、ほぼ時系列順で述べたものである。このブログや「首都圏労働組合特設ブログ」でこれまで書いてきたことと重なる点も多いが、この陳述書で初めて書いた件も多い。また、この訴訟についてほとんど知らない方でも読めるようにしたつもりである。長い文章ではあるが、是非ご一読いただきたく思う。 #
by kollwitz2000
| 2010-04-25 00:00
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