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2009年 08月 02日
1.
「AERAムック」なるシリーズで、姜尚中の『AERA』連載記事を中心にまとめた、『姜流』なるDVDつきの本(ムック)が出た。 http://www.aera-net.jp/editorial/blog/090724_001010.html 書店で書名を見かけたときは、「またやってる」という感想しか持たなかったが、中身を見てみると、佐藤優との対談(『週刊朝日』2006年12月1号)が収録されている。佐藤とのこの対談は既に読んでいたが、私が「<佐藤優現象>批判」を発表して以来、私のものも含めていくつかの佐藤批判が出ているにもかかわらず、同書へのこの対談の収録を了解したことは、姜が佐藤および<佐藤優現象>を擁護するということの意志表示である、と見なしてもよいだろう。 私はこれまで、姜尚中については、折に触れて批判的に言及することはあっても、これまでの功績に鑑みて、まとまった形での批判はしてこなかったのだが、こうなれば、姜に配慮する必要もなさそうである。 以下の論述が明らかにするように、姜は明白に転向している。そして、姜のメディアへの露出は、このところ、ますます増えており、最近ではテレビにも頻繁に現れている。雑誌媒体でも、論壇誌だけではなく、週刊誌や女性誌にも頻繁に登場している。また、マスコミ関係者やリベラル・左派の知識人(例えば小森陽一、佐高信)にも影響力が強い。日本の、極めて多くの人間にとって、姜が、「日本社会に批判的な「在日」知識人」の代表である、と言ってよいだろう。 そして、それゆえに、姜の転向は大変深刻な社会的影響をもたらす(もたらしている)と考える。「あの「在日」の姜さんですらここまで言っているのだから」ということで、日本のリベラル・左派、日本人・日本社会の転向が容認・合理化されてしまうという構図。 転向後の姜は、「玄界灘トンネル構想」という言い方ではあるものの、日韓トンネルの必要性をあちこちで主張している(例えば、加藤紘一・姜尚中『創造するリベラル』新泉社、2008年11月。同書は、「聖学院大学において開催された加藤紘一氏と姜尚中氏の講演と対談、学生との質疑応答(2007年12月)に、後日行われたインタビュー(2008年6・7月)を加えてまとめたもの」(同書、7頁))から、魑魅魍魎の世界に行ってしまったという見方もできるが、転向と呼ばれるべき主張をし出している在日朝鮮人は、姜に限らない。姜だけではなく、在日朝鮮人の「左派」の言論人(ネット右翼や右派論壇からは「反日」だと往々にして称される人々)の、従来では考えられない発言が目立っているのである。私はそれを、「在日朝鮮人の集団転向現象」であって、<佐藤優現象>に象徴される、日本のリベラル・左派の国益中心主義への転向に即応したものだと考えている。 これは、日本のリベラル・左派の転向にとって、大変都合がよい。転向した「左派」の在日朝鮮人は、リベラル・左派の転向を不問に付すし、リベラル・左派がこうした在日朝鮮人を起用することは、自らの「リベラル・左派」としてのアリバイにもなるからである。 現に、日本のリベラル・左派系のメディアや言論人は、「外国人労働者の流入に反対」といった論調を公然と打ち出しつつあるが、同時に、こうした「左派」の在日朝鮮人はこれらメディアに登場し、それら言論人や編集者とつるんでいる。「外国人労働者の流入に反対」という命題と、日本の「外国人労働者」の嚆矢とでも言うべき在日朝鮮人への差別に反対、という命題は、リベラル・左派においてはどうやら何の矛盾もなく共存しているようである。むしろ、後者のようなアリバイがあるからこそ、リベラル・左派は躊躇なく、「外国人労働者の流入に反対」と公然と言えるわけである。 この「在日朝鮮人の集団転向現象」というのは、一言で言えば、「自分たちも沖縄の人たちと同じように、日本人の「同胞」だ」「外国人もしくは旧植民地出身者と見るのではなく、自分たちも日本人の「同胞」に加えて欲しい」という主張を、在日朝鮮人の「左派」の言論人がほぼ一斉に発言し出している、ということである。「私たちが日本社会に厳しいことを言ったとしても、それは「反日」ではなく、沖縄の人々による発言の場合のように、「同胞」の言葉として受け止めてほしい」と。 沖縄と言えば、佐藤優は、「特にいけないのは、今、右派の沖縄に対する見方が、朝鮮や中国に対する見方と同じになっていることです。これはいけません。沖縄は、わが同胞なのだということからまず出発しなければなりません。」(「吉野、賀名生詣でと鎮魂」『月刊日本』2007年12月号)と述べており、同趣旨の、朝鮮や中国に関する歴史認識問題と沖縄に関するそれを分けよう、という呼びかけを、あちこちのメディアで行っている。 もし、ある人物が、「中国に関する歴史認識問題と朝鮮に関するそれは区別する必要がある。中国からの日本の「歴史歪曲」批判に関しては、まともに応じる必要はないが、在日コリアンは人口も多く、日本の国家統合上必要だから、在日コリアンによる歴史に関する主張には配慮すべきだ」などと言えば、私はその人物を心底軽蔑するし、公的に批判するだろう。また、仮にその人物が、在日朝鮮人を自称するかコリア系日本人を自称するかするならば、私はその人物をより一層軽蔑し、社会的に同一のカテゴリーに括られることすら恥じ、より一層強くその人物を公的に批判するだろう。まあ、当たり前の話である。公的に佐藤を批判している目取真俊を除く、大多数の沖縄の左派には、そうした意識は欠片もないどころか、「佐藤さんは同じウチナンチューなのだから、仮に問題があったとしても少しくらい大目に見よう」という<空気>の下にいるかのように見える。 こうした発言は、日本のリベラル・左派の転向を助長するという意味でも大きな問題だが、それに加えて私が強く問題だと思うのは、こうした発言が支配的になれば、在日朝鮮人の諸活動は、<佐藤優現象>を推進する沖縄の左派のように、あたかも単なる「利権運動」「同権運動」であるかのように社会的に表象されるようになり、在日朝鮮人の言葉から(例えば、抑圧されるものの連帯といった)「普遍性」が奪われることである。 「左派」在日朝鮮人の転向は、政治的にも(彼らの主観的な願望に反して)結局は悲惨な結果をもたらすと思うが、それこそ自らの歴史への冒涜であり、在日朝鮮人が本来持つべき(だと私はあえて主張しよう)普遍的な連帯への志向を踏みにじるものである。 今回、姜を取り上げるのも、以下で指摘する姜の転向を、在日朝鮮人の集団転向現象の象徴と私が捉えており、この在日朝鮮人の集団転向現象は、<佐藤優現象>と相互に絡み合いながら、日本の公的言説の右傾化を促進する(している)と考えるからである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-08-02 00:00
| 姜尚中
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