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2009年 08月 02日
2.
前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓の関係を変えていく。その思いは、やっといま、成果として現れています。」(姜尚中『希望と絆――いま、日本を問う 』岩波ブックレット、2009年7月、40~41頁。強調は引用者、以下同じ) では、姜の転向を示す諸発言を、いくつか具体的に示しておこう。 2-1.姜尚中と「天皇制」 まずは、転向の「象徴」的な例として、姜が天皇制を積極的に肯定するようになっていることを示しておく。中島岳志との対談本『日本――根拠地からの問い』(毎日新聞社、2008年2月刊)の、「「歯止め」としての天皇制」と題された節での姜の発言である。 「姜 今の国家の現実はある意味、天皇よりも右に行っちゃっているじゃない?今の天皇は実際、戦後体制的な日本国憲法第一条的な役割を、自覚的に演じているところがあるでしょう。「朕は地域に心を痛めている。日本の民には格差がないほうがよろしかろう」くらいの本音を持っていらっしゃると思う。あるいは、憲法改正は「大御心」に反するということになるでしょう。」(66頁、対談時期は2007年8月12~13日) とりあえず、「いらっしゃる」などと天皇に敬語まで使っていることをまずは指摘しておこう(注1)。また、ここで姜が想定している天皇の政治的権能は、象徴天皇制下でのそれを明らかに超えている。 「それ(注・天皇制)が国家主義に対してある種の抑制的な役割を担っている。」(同上、66頁、) 「もし、日本が天皇制を廃止して共和制になったら、それでいい国になるかというと、必ずしもそうじゃない。」(同上、66頁) 「たとえ戦前であっても、もし第九条があったら天皇は軍服を着て、軍人のシンボルになったりはできなかったんじゃないかと思う。つまり、単に第九条を平和・戦争だけで捉えず、第一条との関係で議論する必要がある。/つまり、立憲君主制に近い、ある種の国体が歯止めとしてやはり必要だろうと。それは和辻哲郎が構想した、非常に保守的なものであるかもしれません。しかしそれが、かろうじてギリギリのところで、国家主義に対するある種の防波堤になる。第九条がなくなると、戦前の隘路に踏み込んでいく可能性がなくもない。/左翼には「一条は廃棄だ」と天皇制廃止論を唱える人がいるけど、現状では、そんなことをしても「天皇なき国家主義」に行っちゃう可能性があるんですよね。どんなに形骸化したものであれ立憲君主制がなくなると、むしろ野放図な国家主義が膨張する可能性がある。これは敗戦間際に、天皇の重臣たちが最も恐れていたことで、だから色々な人間たちが終戦工作をやりましたよね。」(同上、67~68頁) 「終戦工作」は、「野放図な国家主義が膨張する可能性」を抑えるために行われたそうだ。思想信条以前に、史実として滅茶苦茶である。編集者はチェックしなかったのだろうか。戦時期の天皇制国家こそが「野放図な国家主義」の行き着いたものではなかったのか。姜の両親や親族は、戦時期に朝鮮人に強制されたはずの「皇国臣民の誓詞」を免除されていたに違いない。 姜の発言からは、論理的には、共和主義下の日本国家の方が、戦前の天皇制国家よりもはるかに「野放図な国家主義」になりうるということになる。これはむしろ日本人への冒涜ではないか?君主制が「野放図な国家主義」を促進している例など掃いて捨てるほどあるではないか。イタリアのファシズムは国王の積極的な支持により政権を獲得できたし、何よりも、戦前の日本がその最もよい反証である(注2)。 それにしても、この一節全体が、奥歯に物が挟まっているような言い方である。恐らく姜は、本当はこう言いたいのではないか。「憲法は早晩、変えられるだろう。そのときに、天皇制がないと、「野放図な軍国主義」が膨張するだろう。だから、天皇制は擁護されるべきである」と。姜の中では、改憲されることは大前提なのだと思われる(注3)。 「日本の戦後は、和辻的な保守主義にうまく回帰しつつ国体を護持した。うまい形で保守主義を、あえて保守主義と言いますが、それを使った。」(同上、68頁) 戦後、在日朝鮮人は、そのような「保守主義」の下で抑圧されたのではなかったのか? 「念のために付け加えれば、僕は本来、戦略的には天皇制をあまり議論しないようにしているんです。首を突っ込まない。ただし、いわば「国家のオルガン」としての天皇制はもちろん問題だと思う。だからこれに回収されないあり方をパトリの論理と心情でどう組み立てられるか、は考えている。とはいえ、天皇よりも現実が右にある以上、当面は、天皇制批判は緊急の課題ではないとも思っている。」(同上、69頁) カマトトぶるべきではあるまい。姜は積極的に天皇制を肯定しているではないか。 「ここまで僕が言ってしまうと、あまりに意外に思う人がいるかもしれません。自分でも、葛藤のようなものはあるんですよ。でも小学生のころ、今の天皇が皇太子時代、「熊本にご夫妻が来る」ということで、日の丸の旗をみんなが持たされて、炎天下、熊本大の正門前で四~五時間待たされたの。担任の先生が皇族大好きな女性でしてね(笑)。それで、目の前をオープンカーが通って、美智子さんを「ああ、綺麗な人だなあ」と思った。みんなが「万歳、万歳」と言っていて、その光景が妙に鮮明に焼きついている。/だから、どうなんだろう?国家的なシンボルから切り離された、ある種の土俗としての天皇、みたいな可能性がもしありうるとするならば、これには、必ずしも違和感がない。」(同上、81~82頁) 姜の小学生時代の上記の見聞・体験まで、「土俗としての天皇」という概念(この概念自体の是非はさておき)に含まれるならば、「土俗」も「創られた伝統」(もしくは、国家、学校教育、メディア等によって<自然>に植え付けられる、天皇制への肯定的意識)も、区分自体が意味をなさなくなるではないか(姜自身が、「日の丸の旗をみんなが持たされて」と、学校教育の関与を記している)。姜の認識では、天皇制への肯定的感情は全て、<自然>なものということになる。強制さえなければいい、ということだ(注4)。 なお、この記述では、姜自身はこの「土俗としての天皇制」から切り離されているかのようにも読めるが、別の本の以下の記述を読むと、姜自身もこの「土俗」の構成員であるらしいことが分かる。 「姜 京大の高坂正堯さんがご存命の時、あるところでなんと言ったかというと、天皇は掛け軸だと。床の間に掛け軸がないと殺風景でしょ。掛け軸があると、これは、冴えるんですよと。それを聞いたとき僕はびっくりした。これはね、僕のように熊本で育って、やっぱりいまの天皇ご夫妻が僕らの前を通り過ぎるというのを何時間も待って旗を振った、そういうエートスで育った人間からするとね、出てこないわけです。」(寺脇研との対談本『憲法ってこういうものだったのか!』ユビキタス・スタジオ、2008年10月刊、61頁) それにしても、リベラル・左派論壇によく登場する在日朝鮮人で、これだけあからさまに天皇制を肯定している人間はいない。私は、同書でこれらの発言に接したとき、そのあまりの倒錯振りに唖然としてしまった。姜先生、あなたはなぜ日本にいるの?天皇制国家による侵略と植民地支配による、朝鮮農村の崩壊の結果じゃないの?そうした侵略と植民地支配は、天皇制があったにもかかわらず行われてしまったものなの?皇民化政策というのはいったい何だったの? 『日本』刊行後に出版された、上で言及した寺脇研との対談本『憲法ってこういうものだったのか!』で、姜は、この傾向をさらにエスカレートしている。発言をいくつか抜き出しておこう(注5)。 「姜 僕は、天皇制それ自体について発言したことや書いたことはいままでないんです。/最近自分の中で腑に落ちているのは、歴史学者の和田春樹さんがおっしゃったことなんですね。つまり、結局第一条(象徴天皇)と第九条(戦争放棄)はセットなんだと。/それは、憲法制定当時国民がそう理解したということでもあるんです。日本国民統合の象徴としての天皇という形とセットで、平和主義というものが国民のなかに理解されていたと和田さんはおっしゃっている。」(『憲法ってこういうものだったのか!』、52頁) 「姜 僕が西部邁さんとお話したときなどは、彼の議論について僕はいろいろ批判もしたけれども、結局民主主義というものが百パーセント善で、それですべてがうまくいくというのは、幻想以外のなにものでもない、その点では一致した。そうするとね、天皇制廃棄というならば、それに代わるものは何か。これは僕は、ほとんど代案はないんじゃないかと思います。いまのところはね。そして、憲法第一条にこういうかたちでそれが明記されているということを、目を逸らさずに、受けとめるべきではないのか。だから僕個人は、天皇制を否定したことは一度もないんです。」(同上、70~71頁) 「寺脇 かつては、アメリカ以外の国はほとんどみんな王様がいたわけです。だけどロシア革命のとき殺されちゃったりフランス革命でギロチンにあっちゃったりしてるからいまはあんまりいないわけですよね。そして戦後、何か象徴を作ろうとしたときに、たまたま日本にはそれがいたわけですよ。(中略)いまの天皇や次に天皇になろうとしている人などを見たときに、およそこの人が戦争をしたり侵略したりするようなことをしそうには…… 姜 見えないよね。 寺脇 戦争をするようなマインドをもってない。でも、例えば小泉さんにそんなマインドがないとは、まだ私たちにはわからない。/だいたいあの人たちはおそらく日本で一番ストイックに生きてきている人たちで、象徴ということを最大限の努力で担い通そうとして、相撲のひいきさえ慎ましやかに、何が好きかとも言わず暮らすような強い自律というのをもっている人たちだから。」(同上、71~72頁) 「姜 一条と九条はセットだという見方は、戦後的なトラッド(伝統)なんですね。いまの問題はどこにあるかというと、そのトラッドが、浅い観察からは非常に保守的に見えるということ。天皇制に反対しないのは保守なんだと。だから天皇制を変えなきゃいけないんだという立場が、自動的に革新的に見えるようになっていた。そこにはやっぱり戦前の革新官僚的な、ニュアンスがあるよね。」(同上、73頁) 「姜 僕は、いまの一条と九条があればね、情報の大波がなんとか制御できると思うんです。戦前は九条がなかったから、情報の大波のなかで、天皇もまさしく大元帥を演じなきゃいけなかった。」(同上、104頁) 「姜 戦後民主主義と言われているものの中でも、情念的なものの大波が、いつでも起きうる。それに対して、憲法や象徴天皇というかたちでスタビライザー、安定装置を想定したとも言えますね。」(同上、105頁) 歴史学的には抱腹絶倒の発言の数々に驚くほかない。だが、こんな姜(や寺脇)の抱腹絶倒発言を挙げ出しているときりがないし、そろそろ私も(多分、読者も)飽きてきたので、そろそろひっくり返すことにしよう。 姜は少し前までは、以下のように述べていたのである。いくらでも挙げられるが、とりあえず代表例を二つだけ。 「姜 天皇制がぼくにとっていちばん苦痛だったのは、見えない国境をつくるからです。見えないかたちで、日本人と日本人でないものを分ける。そして日本人の内部には絶対的差別がないかのように幻想化する。実際には沖縄、同和、アイヌ差別があり、階級差別があるのにもかかわらず、天皇という名においてすべてがひとくくりにできると……」、「内側の差別を隠蔽するという問題、外に対しては排他的になり見えない国境をつくりだすという問題が天皇制にはあります」(姜尚中・内田雅敏『在日からの手紙』太田出版、2003年10月刊、79頁) 「(注・小渕恵三内閣の下で)ここ数ヵ月(注・1999年)にわたって、周辺事態法から国旗国家法まで、ひとつの内閣が潰れてもいいくらいの法案が立て続けに出てきたということは、やはり79年(注・1979年)の段階から較べると国家の側がかなりピンチに立っているというふうに考えられます。そのひとつが、言うまでもなく日の丸・君が代の法制化です。天皇制は、私の言葉を使えば、「舶来品の国産化」でした。いわば、舶来の国産品をいかにして国体の護持という形で作り出すかが象徴天皇制のひとつの眼目だったわけですが、これはアメリカの覇権のもとに日本がいる限りにおいて初めて存続を許されるものでした。/この象徴天皇制の担保として、第九条がウルトラCとして差し出されました。しかし日本の戦後平和主義は第一条には手を着けず、第九条にのみすべてのアイデンティティを置いてきました。しかし、この第九条の成立過程を見ていくならば、第一条が眼目であることはあきらかです。第一条を認めさせるためには第九条という日本の軍事的な去勢化が必要だったのです。これをしないかぎり、恐らく極東委員会や連合国はマッカーサーが構想したような国体護持を決して許さなかったでしょう。戦後の民主主義は第一条についての論議をほとんどネグレクトしてきました。そのつけが今出てきているわけです。/象徴天皇制は非常によくできたシステムで、国の側からすると、法制化しないことによって、社会の内部と私たちの意識に浸透できるこれほど望ましい象徴政治はありません。(中略)なぜ、あえてそれ(注・象徴天皇制)を法制化(注・日の丸・君が代の法制化)しなければならなかったのか。それは国の側に必然性があるからで、ひとつには、市場のグローバリゼーション化と同時に国家のグローバルスタンダード化をやろうとしているということです。国家のグローバルスタンダード化、すなわち「普通の国家」です。NATOにおけるドイツと同じように、集団安全保障を通じて国外に軍隊も出すし、応分の負担を担えるような国家、それから外からやって来る外国人に対して、アメリカが移民に対して星条旗に誓わせるように、目に見える形でロイヤリティを示すことのできる国家。私はこれは間違いなく国家主義的な象徴天皇制の演出だと思います。憲法の第一条に表されている象徴天皇制は、国家が過剰な介入をせず、いわば国民主義的なかたちで、頭上にプカプカと浮かんでいる、漂流した象徴として、慣習法的に、絶大な影響力を持っていました。露骨な形で、国家主義的に象徴天皇制をオペレートするのではなくて、むしろ下からの平和主義や国民主義に乗るかたちで国民のなかに浸透していたわけです。しかし、今は第九条を変えるために第一条を変質化させなければならないという事態が起きているわけです。(中略)これは単なる戦前の復帰ではない。むしろ、バイゲモニーつまり両頭支配で、アメリカとセットになって、かなり大きい覇権を有するような、今後国連の安保常任理事国になれるようなそういう国家にしていこうということだと思います。」(「溢れ出す国家という<公>――揺さぶられる戦後の秩序感覚」『季刊戦争責任研究』2000年春季号。発言の日付は1999年9月26日) 後者はあまりにも今日的な、2009年の政治を予兆するような見事な文章だったので(しかも、民主党(日本)政権下での「普通の国」化と東北アジアの集団安全保障構築に際しては、姜がイデオローグまたは広告塔の役割を担うように思うのだが)、つい長々と引用してしまった。 姜先生、姜先生、「天皇制それ自体について発言したことや書いたことはいままでない」、「天皇制を否定したことは一度もない」んじゃなかったでしたっけ?「天皇制を変えなきゃいけない」とする主張には「戦前の革新官僚的な、ニュアンスがある」んじゃなかったでしたっけ?天皇制が「見えない国境をつくる」問題、「内側の差別を隠蔽するという問題、外に対しては排他的になり見えない国境をつくりだすという問題」はなくなったんですか?なくなったとしたら、この2003年後半から2007年後半の間のどの時点なのでしょうか? * * * * * ところで、私が、姜がとんでもない方向に行っていることに確信を持ったのは、たまたま読んだ『AERA』の姜の連載記事で、姜の、明治神宮参拝の記事を読んだときである(注6)。 できれば直接全文を読んでほしいのだが、いくつか引用しておこう。姜は、「最近、ある雑誌の取材で初めて明治神宮を訪れました。」とこの記事を書き出し、明治神宮を「原宿に、あれほど静謐な空間があったとは、思いもよりませんでした。」とする。その後、「在日である僕と、神社。このやや奇異な組み合わせ」に緊張していた、姜に同行していた編集者が、原宿でのこの発見に驚く姜の様子を見ると、「喜々として森を案内してくれました。」とした上で、以下のように続ける。 「聞けば明治神宮は、明治天皇の逝去後、全国から集まった青年たちの「奉仕」によって広大な荒れ地を造営し、350種類以上、約15万本の樹木が奉納され、あのような見事な森が形成されたということでした。/その広さたるや東京ドームの約15倍。樹齢1500年を超えるヒノキの巨木を使った大鳥居は、質朴にして重厚。空を樹木が蔽い、しんと静まりかえった境内に海外からの観光客が行き交い、東京とは思えない時間が過ぎていきました。/そして、僕も参拝しました。すると、賽銭箱や周辺の柱に無数の傷が残っていることに気づきました。傷跡は深かったり浅かったりと、色々ですが、老若男女、様々な人が、渾身の力で投げた賽銭の跡なのでしょう。明治神宮は初詣での「メッカ」。柱に賽銭が刺さってしまうほどの人々の切なる思いに、胸がキュンと熱くなりました。神社の方によると、こうした傷は修復せずに保存しているとのことです。/一人ひとりの老若男女たちが境内に託してゆく様々な思いが、サンクチュアリとしてこの空間を残しているのではないか。傷をじっと見つめていると、そんな思いすらこみ上げてきて、日本人にとっての神社や初詣でというものに対する僕の先入観も、静かに消えていくようでした。」 この箇所については後でコメントする。この箇所の後、戦後、在日朝鮮人でチマ・チョゴリを着て神社に行く人もいたらしい、という話が続き、以下のように続けている。 「思えば僕の父母と寺社との関係でも様々なエピソードがあり、母は、2歳で夭逝した長男を、熊本市内の密教系のお寺にまつったと聞きました。」 「寺社」という名の下で、神社と寺の違いがぼかされている。また、地方の神社を参拝することと、朝鮮植民地化の法的な最高責任者である明治天皇を祀る明治神宮を参拝することとの違いもぼかされている。 姜は、この後、熊本市の藤崎八幡宮の加藤清正ゆかりの例大祭に、子どもの頃の姜を含めた、結構の数の在日朝鮮人が通っていたと書いた上で、 「こうして振り返ると、神社と在日との関係は、複雑なものでした。/日本の神社に参拝を強要され、つらい思いをした人々の歴史も、忘れてはならない史実としてある。その一方で、民俗学者・柳田國男の言葉を借りれば時代を問わず民俗を伝承していく常民的な場としての意味合いも、願いを寄せる人々の姿には確かにあります。」 と続ける。 ここでは、神社参拝という行為が無媒介に「民俗」とされ、そして、「民俗」を営む主体を「常民」という柳田民俗学の概念で規定し、「つらい思いをした人々の歴史」と対比して、肯定されている。姜が、それこそ「常民」イデオロギー批判を含めた、柳田民俗学が孕む植民地主義に関する近年の批判的研究を知らないはずはあるまい。在日朝鮮人の「つらい思い」と、「常民」の営みが、なぜ対比の対象なのか。在日朝鮮人に対する日本の神社への参拝の強要は、地方においては、まさに「常民」たちの地域共同体による圧力の下で行なわれたのではないのか。 また、はじめは緊張していた編集者が、姜の反応を見て、「喜々とし」た様子に変わったことも示唆的である。姜のような在日朝鮮人の<親日的>反応によって、朝鮮人への神社参拝強要という歴史的責任が解除され、この(恐らく)日本人は過去から<解放>されるわけである。 (注1)ただし、姜が天皇に敬語を使ったのはこれが始めてではない。すでに、講談社+α文庫版の『愛国心』(2005年7月刊)の「補章 「愛国心」ふたたび」(文庫化時に加えられた章)において、「首相や、将来、天皇が靖国に行かれるならば」として、天皇に敬語を使っている。文脈上、「行かれる」という敬語は天皇に使用されている。なお、同書で姜は、「僕は個人的に天皇がどうあるべきだとか天皇制がどうあるべきだとか一度も発言したことはない。それは日本の国民が決定すればいい。」と発言しており(64頁。対談時期の記載はないが、単行本は2003年6月刊)、この段階ではまだ天皇制肯定に踏み出していない。 (注2)なお、姜の議論は、佐藤優の「国体」護持のための「護憲」論に非常に似ている。少なくとも論理構成上は、完全に同一である。 (注3)この「改憲は止められない」という認識は、恐らく、リベラル・左派全般の暗黙の了解でもある。奇妙なことに、これは、安倍政権崩壊後の右派・保守派陣営の明文改憲への絶望振りと好対照である。 (注4)こうした認識は、日の丸・君が代の<強制>だけを問題にする、現在の朝日新聞的なリベラルのそれと正確に対応している。 (注5)ただし、同書の目次頁(4頁)には小さな文字で、「本文テープ起こしのうち、姜尚中氏の発言についての文責はユビキタス・スタジオ 堀切和雅にあります」とある。出版常識では考えられない措置で呆れてしまった。そんな本出版するなよ。 (注6)「姜尚中 愛の作法 第20回」『AERA』2007年12月31日-2008年1月7日号。この記事の見出しは、「原宿の杜の静謐に触れ/賽銭箱の傷跡に/「常民」の営みを知る」。前掲『姜流』に収録。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-08-02 00:01
| 姜尚中
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