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2009年 08月 03日
2-2.姜尚中と「民族的自覚」
姜のこうした天皇制(的価値観)の肯定は、姜自身の在日朝鮮人としての「民族的自覚」の否定と対応している。 「かつて作為的に民族的自覚を「ねつ造」せざるをえなかった私は、どこかで「パトリへの情念」を押し殺し、そうすることで民族主義者に脱皮できると思ったことがあった。しかし、身体性を欠いた思想が虚ろなように、パトリなきナショナリズムも虚ろではかない。そこには「根拠地」が欠けているのだ。/確かにその欠落をより積極的な意味へと反転させる回路がないわけではない。ユダヤ的知性に見られるような「意識的パーリア」の道である。だが、私にはどうしてもそれがしっくりとはこなかった。なぜなら、私は余りにもパトリを愛していたからである。/こうして私は、民族を捨て去ることもできず、さりとて、民族から切り離された「パトリへの情念」を手放すこともできないまま、煩悶し、悶々とした日々を送っていた。」(『日本――根拠地からの問い』「あとがき」215~216頁) ここでは「民族的自覚」と「パトリへの情念」が、対立的なものとして認識されている。「虚ろではかない」とされている「パトリなきナショナリズム」とは、<在日朝鮮人の(反日)民族主義>である。 以下の発言も同様の文脈にある。 「(注・北朝鮮について考えると)1968年に起きた金嬉老事件を思い出します。金嬉老は人殺しも、人質をとって立てこもったことも、民族差別のせいにしました。でも、それは独りよがりでしかなく、たとえ差別にあったとしても、だからといって殺人行為が許されるはずはないのですから。今の北朝鮮は、この金嬉老と変わりがないなという思いでいます。」(『それぞれの韓国そして朝鮮――姜尚中対談集』(注7)角川学芸出版、2007年12月刊、249頁(黒田福美との対談より)) 金嬉老が殺人に至った経緯を知ればこの事件に民族差別が深く関与していること、また、金嬉老の日本社会への訴えが、日本社会における在日朝鮮人差別を顕在化させ、そのことへの認識の社会化に大きな役割を果たしたことは明白である。ここでの姜の目線は、在日朝鮮人差別を問題化させまいとする、日本人マジョリティの立場からのものである。 ところが、そもそも、姜はかつて金嬉老事件について、次のように書いているのである。 「この事件(注・金嬉老事件)はわたしの中に二律背反的な感情の波紋を広げた。よくぞ「在日」という存在そのものを知らしめてくれたという気持ち。しかし「在日」はやはり「犯罪者」ではないのかという疑念。そのアンビバレンスを抱えたまま、わたしは大学生になっていたのである。」(姜尚中『在日』講談社、2004年3月刊、74頁)。 「いま「反日無罪」なんて、暴動的な動きが起きていますが(注・中国の「反日」運動のこと)、考えてみれば60年代終わりの金嬉老事件は、言ってみれば暴力を通じて、内側から反日をやってるようなものなわけです。しかし、今回の中国の反日暴動と金嬉老を結びつけた議論は一件もない(笑)。つまり反日は、すでに60年代からいろいろな形であったということで、そういう言わば過去の歴史の「リビング・エヴィデンス」、「生きた証拠」が中国や朝鮮半島系の「在日」だったわけです。それは間違いなく反日だったわけです」(姜尚中・吉田司『そして、憲法九条は。』晶文社、2006年2月刊、129頁。対談時期は不明だが、姜の「はじめに」と吉田の「あとがき」の日付は「2005年12月」)。 後者の発言のすぐ後で、姜は、吉田の「いまテレビ・新聞は反日デモ、反日デモって大騒ぎするけど、その程度、なんなのって。」という発言を受けて、「ぼくもそう思う(笑)」と述べている(同書、130頁)から、金嬉老事件を否定一本槍で捉えているとは言えない。 したがって、少なくとも2005年12月時点までは、姜は、金嬉老事件を「独りよがり」などとして切り捨てるのではなく、「アンビバレンス」をもった行為として、また、重要な問題を提起したものとして認識していたことになる。ここからも、姜の立場に変容が起こっていることが読み取れよう。 (注7)同書は、「2006年6月から2007年4月まで角川学芸Webマガジンで連載された「姜尚中の今日はいい日だ」を再編集したもの」(同書、6頁)である。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-08-03 00:00
| 姜尚中
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