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2009年 08月 04日
2-3.姜尚中と「愛郷心」
ところで、最近の姜尚中と言えば、二言目には「故郷」の熊本への愛を表明し、「愛郷心」「パトリ」の価値を称揚することで知られる。姜の「愛郷心」の称揚は、今や小林よしのりですら引いてしまう(注8)レベルに到達している。 姜が、こうした立場を強く打ち出してきたのは、管見の範囲では、『愛国の作法』(朝日新書、2006年10月刊)が初めてである。同書から、いくつかの発言を引用しておこう。 「わたしにも自分が生まれ、育った地、熊本への愛着があります。もっとも、ケンタッキーの黒人たちとは較べようもないにしても、やはり差別と賎視に堪えなければならなかったことは言うまでもありません。しかも、父母に連なる世界(韓国・朝鮮)は、劣った否定的なイメージにおおわれていました。直接、そう指摘されなくても、いつもそう刷り込まれていたのです。」(150頁) 「「郷土」への愛着は、わたしの中に身体化された記憶として生き続けています。雑木林や稲刈りの後の広々とした田、夏の光にキラキラと輝く水源が、大人の眼の届かないわたしたちだけの「ワンダー・ワールド」でした。(中略)郷愁を誘う数々の記憶が昨日の出来事のようにわたしを捉えて離さないことがあります。/きっとこの感覚は、たとえナショナリティの違いによる屈折があるにしても、分かち合うことのできる記憶ではないかと思います。そしてすべての人々が、「日本人」や「日本国民」という前に、そのような「郷土」あるいは「故郷」への愛着がどこかに仕舞い込んでいるのではないでしょうか。たとえ、「郷土」と言えるほどの記憶の場所を持たず、絶えず移動を余儀なくされていたとしても、想像の中だけでもそうした「郷土」を持ちたいと思ったことはなかったでしょうか。」(153~154頁) こうして姜は、「より開かれた新しい「郷土」の再建を目指す」「実験的な試み」を擁護し、「わたし個人は、この新たな「パトリア」の再生に、自らの「愛郷心」を重ね合わせたいと考えています。それは、さし当たり、ナショナリティの「屈折率」を縮小していく方向に向かう可能性があるからです」と述べる(以上、156~157頁)。そして、「やや図式的に言えば、地域=郷土(パトリ)の再生とアジアとの結びつきこそ、「愛国」の目指すべき理想なのではないでしょうか」と結論づけている(あとがき、203頁)。 まずは、姜の熊本への愛着なるものについて考えてみよう。森巣博との対談本『ナショナリズムの克服』(集英社新書、2002年11月刊)では、姜は以下のように語っている。 「姜 今から思うと、あの時代(注・高校生時代)には、アイデンティティ以前に、僕の中に人前で語る歴史がありませんでした。在日一世たちは、自分たちの物語を話しましたが、二世の僕は、アイデンティティを持つ持たない以前に、物語を語りえないし、同じ立場の人間同士の共通の歴史を知らなかった。 森巣 ご出身は、確か熊本でしたね。 姜 そうです。僕は、熊本という、日本国内でも非常に保守的で、在日の人も少ないところで育ちましたから、物語不在状況は、在日二世一般には言えないことなのかもしれません。しかし、そういう状況を考えると、あのときはアイデンティティからの自由というよりは、アイデンティティについて考える前提そのものがなかった。」(91~92頁。対談時期は2001年12月7~9日) 熊本という「パトリ」への愛着は「アイデンティティについて考える前提」にならないのか?同書には、姜の大学生時代の回想の記述があるが、前節で引用した、大学生時代の姜が抱いていたという「民族から切り離された「パトリへの情念」」を伺わせる記述は見当たらない。それどころかここでは、上記の引用例からも明らかなように、アイデンティティは民族的なそれと同一視されている。逆に言えば、「民族的自覚」と「パトリへの情念」を対立的なものとし、<在日朝鮮人の(反日)民族主義>を、「虚ろではかない」「パトリなきナショナリズム」とする、前節で挙げた『日本』での主張は、この立場を180度引っくり返したものであることがわかる。 もう少し2人のやりとりを見てみよう。166頁から169頁にかけての箇所(対談時期は2002年4月19日)である。長くなるが、重要な箇所なのでご寛恕願いたい。 「姜 ここで、訊いてみたいことがあるんです。 森巣 はい。何でしょう。 姜 故郷って、あるんでしょうか。 森巣 故郷ですか。私個人には、なかったんじゃなかろうかと思っているのです。でも、そういうのは体験や記憶によって違うものでしょう。第一、私にとっての故郷と姜さんにとっての故郷への思いとが、同じはずがないですよね。」 この後、森巣の故郷である金沢と東京の話、それについての森巣と姜とのやりとりがある。そして、今度は姜の番である。 「姜 僕の場合、日本の熊本が故郷になるかっていうと、やっぱり、よくわからない部分がありますね。 森巣 聖書に、生まれた土地に行ったキリストが、いじめられる話があるじゃないですか。 姜 吉本隆明が、『マチウ書試論』で書いてましたね。「人はたれでも、故郷とか家とかでは、ひとつの生理的、心理的な単位にすぎない。そこでは、いつも己れを、血のつながる生物のひとりとしてしか視ることのできない肉親や血族がいる」 森巣 姜さんには、故郷から排除されたような思い出はあるんですか。 姜 去年、熊本で、日本名じゃなくて、姜尚中の名前で講演をしました。そうしたら、僕と同じ世代の人が何人か来てくれて、「ああ、あのときのテッちゃんね」って言うのです。でも、僕としてはバツが悪いわけです。だって、仮面をかぶって生きてきたみたいなもんでしょう。なにか、正体見たり、という感じで見られているんじゃないかなあという気持ちもあった。でも、そう言ってくれる人が懐かしくもあり――。 森巣 今、すごいフレーズを思いつきました。「黄色い皮膚・黄色い仮面」っていうのはどうですか(笑)。 姜 フランツ・ファノン(笑)。『黒い皮膚・白い仮面』じゃないけど。でも、逆に外見上あんまり違いがわからない分、かえって差異っていうのはものすごく大きいわけですよね。確かに、僕の70年代は、黄色い仮面を脱いで、もう一つの仮面が出てきた時代と言えますね。 森巣 新しい黄色い仮面が出てきた。金太郎飴ならぬ、金太郎仮面(笑)。 姜 それで、やっとこれが本来の自分だなって思うわけね(笑)。頭の中ではしっかりナショナリスト(注・民族主義者)になってるわけだけど。でも、先ほども話したように、僕は、70年代にイニシエーション(注・姜の大学生時代の民族運動団体での活動)を受けたわけですよ。そうすると、今までの自分は全部ペケ。よく考えたら、故郷の共同体から、結構、排除されてたな、という思いもある。 森巣 やはりそうですか。 姜 故郷は、どうしても人にかかわるでしょ。どんなに美しい場所に生まれても、そこに生きてる人と何か美しい関係がないと、心の底から故郷だと納得できない部分もできてしまう。確か、坂口安吾だったと思うんだけど、自分は好きな女性が住んでいた故郷のことをどこかいとおしく感じるって言うんです。それと同じようなものですね。熊本は自然は美しいし、食べ物はおいしいし、いいとこなんですよ。ところが、人との関係の中で、時々ひどく言われたこともあった。/僕にとって、たぶん、熊本が故郷なんだろうけど、行くたびに懐かしいと同時に違和感もある。だから、ある意味では、僕の一番の理想は博さんだったかもしれない。要するに、博さんは、僕の理想を先取りしてた。自分の好きなように生きて、故郷や、日本人であるということにこだわらない。」 ………姜先生、姜先生。天皇制の件もそうでしたが、2002年から2006年の4年間の間に、一体何があったんですか?姜先生、あなたは本当に同一の人物なんですか? 姜の「愛郷心」の称揚は、姜が思わせたいような、姜自身の「身体化された記憶として生き続けて」きたものの自然な発露、ではなく、作られた一つのイデオロギーであることは、上記の引用から明らかであろう。このイデオロギーの性格について、簡単に触れておこう。 『愛国の作法』における姜の主張は、パトリオティズム(愛郷心)は本来的だが、ナショナリズムは作為的なものであって、パトリオティズムはナショナリズムに回収されないという、それ自体通俗的な認識に基づいている。そして、上記の中島との対談本の刊行後、再び中島と対談した際には(対談:姜尚中・中島岳志「『日本』をめぐって」(『本の時間』2008年5月号)、同書で提起した「根拠地」(パトリ)とは、「脱中心的、脱領域的な主体」である「マルチチュード」的なものだとする。 その姜の発言に対して、中島は以下のように述べている。 「中島 僕は、マルチチュードの議論にかなり惹かれる部分とこれでは無理だと思う部分と両方があるんです。(中略)さまざまな場所で発生した脱中心的な抵抗が、脱領域的にネットワーク化されていくと。これは弱いと思うんです。これだと、なかなか今のグローバル権力には抵抗しきれない。/だからこそ、今後、一番大きく出てくるのが、国家論ではないかと思います。たとえば、格差社会を国家がある程度統制しなければならない、といった国家論が非常に強くなってくるでしょう。おそらく、僕も姜さんも、それだけ、という形は避けたいと思っている。だとすれば、やはり根拠地のようなものを軸に、国家の適正規模を考えるしかない。」 姜は、この中島の発言を否定していない。結局、『愛国の作法』や『日本』で姜が打ち出している、「愛郷心」「パトリ」なる理念は、国家の補完装置の域を出ていないと思われる。実際に、姜は、『憲法ってこういうものだったのか!』では、以下のように発言している。 「姜 小泉的なポピュリズム、窮迫した気分が社会に蔓延しているからこそ、大向こうの受けがいい政策やもの言いで国家の凝集力を動員する、というのとは全く違う意味での、ある種の国家論が必要なんだと思う。これまで、とくに戦後左翼はいかに国家を遠ざけるとか、国家を超えるかとかいう議論をしてきたんだけど、国家を超えるっていうのは、実はいま強者の議論なんですね。だってグローバリゼーションのなかで金融などで成功している人は国家を超えているわけでしょう。/実は、超越的強者ではない僕たちには国家論が必要なんです。国家というのはやはり、全体性を持っているから国家なんですね。国家はそのなかにいる国家のメンバーに対して、少なくとも建前としてはすべて普遍的に対応するわけですね。/ところが、日本を含むその国家が、競争社会の強力メンバーの、ある特定の勢力の利益を推進していくエージェントに成り果てている。そういうことを進めながら、もう一方で国を愛せよと要求している。」(142~143頁) だから、現在の姜においては、前述の天皇制による社会統合(まさに「国を愛せよ」という主張と等しいが)にプラスして、中島が言うところの「格差社会を国家がある程度統制しなければならない、といった国家論」が志向されているのであって、姜が称揚する「新しい「郷土」」はそうした国家の補完装置、せいぜいのところ国家の行きすぎを抑制する機能を持つもの、という形にならざるを得ないだろう。 したがって、この「新しい「郷土」」は、以下のような、まさにかつての姜が憂慮したものとなると思われる。 「姜 小林よしのりの漫画がなぜ売れるのかというと、私というものを支えきれない人間に訴えているからです。私と公をどの具体的な関係のなかで再定義していけるのかをきちんと問題化しないと、シビック・ナショナリズムという形で共和主義と結びつけられ、共同体の一員であることにおいてはじめて一人前の人間として認められるという排他的なナショナリズムが台頭し、それがデモクラシーと結びつくということがあり得る。ナショナル・スペースに限定されたデモクラシーという考え方を、どうやってわれわれが超えられるのか」(石田英敬・鵜飼哲・姜尚中・小森陽一「座談会 国旗・国歌法のあぶり出すもの」『世界』緊急増刊「ストップ!自自公暴走」1999年11月刊、150頁) 姜が出現を憂慮した、この「シビック・ナショナリズムという形で共和主義と結びつけられ、共同体の一員であることにおいてはじめて一人前の人間として認められるという排他的なナショナリズムが台頭し、それがデモクラシーと結びつく」という事態こそ、現在のリベラル・左派における、「ナショナリズム」擁護の合唱という現象として現れているものである。姜は、「ナショナル・スペースに限定されたデモクラシー」を、結局超えられなかったようである。むしろ、「反日」ではない在日朝鮮人を、どうか、「ナショナル・スペース」に入れてほしいという主張が、現在の姜の立場だと思われる。 * * * * * この連載は、姜の転向を暴露することが目的ではないので、転向を示す発言の例示はこのくらいでいいだろう。ここでは、現在の姜が、少し前とは極めて本質的なレベルで立場を変えてしまっていることが確認できればよい。以下、姜の転向の意味と方向性について、検討する。 (注8)転向後の姜のパトリオティズム―ナショナリズムの関係性の把握と立論は、実質的には、小林よしのりのそれに極めて近いものになっている。以下の小林の主張など、現在の姜の発言と言われても何の違和感もない。 「日本にあっても、日本人が無警戒に、果てしなく近代化・市場絶対主義を受け入れる現在にあっては、「郷土」など早晩消滅してしまうだろう。/そのときこそ「故郷喪失者たちのナショナリズム」は、アメリカと同様の排外的なものになるに違いない。」(小林よしのり『ゴーマニズム宣言EXTRA――パトリなきナショナリズム』小学館、2007年6月、149頁。初出は「パトリなきナショナリズムの危険」『わしズム』2007年冬号) ただし小林は一方で、「故郷」が持つ排他性をも指摘している。興味深いことに、小林は、姜の異変に気づいているようである。 「朝日新聞のインタビューで姜尚中が「国家は人に「死ね」と命じるが、郷土は「死ね」と命じない」と言っていたが、馬鹿なことを言っちゃいかん。(中略) 国が召集令状を出して「死ね」と命じただけではない。ナショナリズムに酔った郷土の者らが「世間体」という倫理を振りかざして「死ね」と命じたのだ。/その郷土の倫理観の残滓は今でもある。姜尚中が知らぬはずはあるまい。郷土こそが差別の温床ではないか!」(同書、154~155頁) (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-08-04 00:00
| 姜尚中
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