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2009年 08月 15日
3.姜尚中の転向と日本のリベラル・左派
3-1. 姜の理論的な次元での転向宣言とも言うべき著作は、2006年10月に刊行された『愛国の作法』(朝日新書)である。この後に刊行された、『日本――根拠地からの問い』や『憲法ってこういうものだったのか!』において、すでに引用したように、姜の発言の奇矯さは、よりエスカレートしていくが、戦後日本社会の全面的肯定、愛郷心の擁護、南原繁・和辻哲郎・矢内原忠雄といった「オールド・リベラリスト」の称揚(三人とも、以前は批判対象)、「国益」中心主義的な国家観の戦死者追悼論(以前は批判対象だった、加藤典洋『敗戦後論』とほぼ同趣旨)等、『愛国の作法』において、本質的な点で転向は成立している。 転向後の姜の発言を笑うのはたやすい。姜に嘲笑的な日本の左派が、笑っている姿も目に浮かぶ。だが、左派も含めた日本人や、(特に北朝鮮批判を率先して行って)日本人に迎合する在日朝鮮人に、姜を安易に笑う資格はないと私は考える。 2002年の小泉訪朝以降の排外主義の熱狂の下、メディア上で、誰よりも排外主義や好戦的な世論と闘ってきたのは、姜であったことは明らかである。私は日朝平壌宣言には極めて否定的であり、日朝平壌宣言を高く評価する姜とは認識を異にするが、姜のメディアでの孤軍奮闘ぶりには敬意を払わざるを得ない。 ところが、日本のリベラル・左派は、日本人自身が取組むべき問題であるにもかかわらず、大まかにいって、排外主義や好戦的な世論と闘う役目を姜に任せ、自らは傍観していた、と言ってよい。それどころか、ウェブ上の記事を読んでいると、一部の新左翼系の人々など(『インパクション』の常連執筆者を含む)は、2003年のイラク戦争前後のアメリカによる北朝鮮への先制攻撃が現実味を帯びている中で、日本社会のそうした動きと戦うどころか、北朝鮮の人権侵害を不問に付しているとして姜を執拗に攻撃していた。 姜の転向とそのエスカレーションは、姜自身の問題であることは勿論であるが(転向の論理それ自体の検討は後日行う)、姜を孤軍奮闘の立場に追い込んだ、日本のリベラル・左派の問題でもあると私は考える。 そのことは、以下の石原慎太郎都知事の姜への「怪しげな外国人」発言(2006年8月30日)に関する、姜の記述の変化が、示唆している。 姜は、2006年9月から2007年4月までと推定される期間(注7参照)では、以下のように述べている。 「(注・石原発言で)はたと思ったことは、そうだったんだ、自分は外国人とみなされているんだ、ということです。意外でした。ショックでした。理屈とか深遠な思想などなくても、簡単な言葉でひっくり返すことができるんだなっていうことを知ったわけです。彼がそこまで戦略的に考えたとは思わないのですが、たった一言「外国人」という言葉で、門戸が閉じられたという気がしたんです。問題はいとも簡単な言葉だったということです。オリジンにかかわる言葉が、簡単で素朴で、だからこそ、釈然としないんだけれど、意外と、影響力を持ってしまうのかなと思った。」(『それぞれの韓国そして朝鮮』、173頁(磯崎新との対談より)) 「残念なことは、石原発言で、僕の周りでひいちゃった人たちもいるということです。僕を見る目は変わらないとは思うんだけれども、それまでは姜という人は自分たちと一緒にやってきた人だと思っていたけれど、やはり朝鮮人、韓国人なんだということになってしまい在日がとれてしまう。すると、何かこれまでより遠い存在になってしまうんでしょう。」(同書、151頁(リービ英雄との対談より)) ところがこの認識が、2007年8月には、以下のように変わっている。 「石原都知事とオリンピックの国内候補地選考でやりあったときに、なぜか体が震えたんです。それは「三国人発言」的なことを言われたからではなく、たとえば、「熊本魂」とか、そういうものに触れることなんです。「在日だから(僕が)そういうふうに言われるし、それに反発するんだ」と見る人が多かったけど、それは違う。在日云々より、石原氏は何か、「熊本の郷里」、そういうパトリ的なものの対極にいるんです。だから「東京が何だ!」っていうような、すごい反発感。何かこう、震える感じがした。で、しゃべっているときに、なんとなく涙腺が緩んでしまって……。それは何なんだろう、と。結局、東京に収斂してしまう国家、そういうものに対する、すごい反発心があったんです。/もちろん、熊本とか九州を、その前から意識はしていた。でもあの選考の場で、改めて強くそれを感じましたね。」(『日本――根拠地からの問い』、41頁、対談時期は2007年8月12~13日) ……姜先生、何回も聞きますが、あなたは本当に同一の人物なんですか? 認識の相違は明瞭だろう。このことの意味を、『愛国の作法』の以下の文章を材料に考えてみよう。姜は言う。 「都知事のわたしに対する誹謗中傷をあらためてここであげつらうつもりはありません。ただ、「愛国」気取りの彼の言動こそ、実はかつて室原知幸氏(注・熊本県のダム建設予定地に「蜂の巣城」を作り、国の治水事業に徹底抗戦した人物)が終生を賭けて抗い続けた「大の虫」の傲慢さではないかと思うのです。「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピック」、それを国家プロジェクトと言ってはばからない「愛国」とは一体何でしょうか。いささか牽強付会かもしれませんが、「怪しげな外国人」という「パーリア」的状況にあるわたしこそ、実は彼よりもはるかに「パトリオット」ではないかと内心自負しています。」(『愛国の作法』「あとがき」205頁) 姜は、本文中で、「「愛郷心」や「郷土愛」、あるいは「愛国心」や「祖国愛」は、ともに「パトリオティズム」に由来しています。」(145頁)と述べているから、ここでの姜の「パトリオット」という表現は、「パトリオット」という語の持つ二つの意味を利用している。この一節は、石原の差別発言に対し、姜は、レトリックで切り返しているだけのように読める。だが、私が論じている文脈に置けば、この一節の持つ極めて重要な意味が浮かび上がるだろう。 姜はここで、石原の差別発言に対し、<それは外国人差別だ>という主張で反論すること、およびそうした主張での反論を日本人に期待することを放棄し、<自分は石原よりもはるかに「パトリオット」だ>という論理で対抗することを選択している(もしくは、選択せざるを得ない状況に追い込まれている)のである。だからこそ、「熊本魂」云々の発言が出てくるのだ。 姜は恐らく、私が論文「<佐藤優現象>批判」で指摘した、日本のリベラル・左派の変容――「外国人」をメンバーシップから排除した、「国益」を前提とした「社会民主主義」への変容――に気付いたのだ。だが、姜は、リベラル・左派への批判ではなく、<日本的価値観>への同一化を図ることで、メディアでの発言力を確保する道を(無意識的に)選択したように思われる。 姜の転向それ自体は、2002年の小泉訪朝を契機とした、排外主義の蔓延や好戦的な世論の下での、リベラル・左派の傍観による、姜の孤立化に一因があると思われる。そして、『愛国の作法』以降の転向のエスカレーションは、石原の排外主義そのものの発言に対して、日本の左派がまともな反撃をせず、いざという時に姜を守ろうとしなかったことが契機となっていると私は思う(注9)。 3-2. さて、ここで、「2-1」の『AERA』記事の、明治神宮に姜が参拝したと発言した箇所の末尾をもう一度見てみよう。 「一人ひとりの老若男女たちが境内に託してゆく様々な思いが、サンクチュアリとしてこの空間を残しているのではないか。傷をじっと見つめていると、そんな思いすらこみ上げてきて、日本人にとっての神社や初詣でというものに対する僕の先入観も、静かに消えていくようでした。」 姜の「日本人にとっての神社や初詣でというものに対する僕の先入観」とは、一体、何だったのだろうか?そのことについて、姜の著書『愛国の作法』の認識を材料にして考えてみよう。姜は同書で、国民国家の構成原理の2類型について、 ①「エトノス」-「(感性的)自然」-「血」-「民族共同体」 ②「デーモス」-「(意志的)作為」-「契約」-「国民共同体」 と記述した上で、現在の日本においては、「愛国」という言葉が前提としている「国」とは、主に①であり、それこそが、現在の日本の非理性的・排外主義的な風潮を支えているのだ、②を愛する「愛国の作法」こそが必要だ、という趣旨を述べている。 そこで、引用文に戻ろう。私は、姜の「日本人にとっての神社や初詣でというものに対する僕の先入観」とは、「日本人にとっての神社や初詣で」が、①への愛着を補強するためのものだ、という認識だと考える。 「日本人にとっての神社や初詣で」とは、①への愛着を補強するための、<大和民族>のためのものというよりも、「一人ひとりの老若男女たち」の「サンクチュアリ」としての「空間」であり、姜自身に対しても開かれたものである、すなわち、②を前提とした「空間」である――引用文を言い換えると、このように言うことができるように思われる。 これは、姜の、「エスニックなものとネーションとの連続が壊れてきている」という日本社会認識と対応している。姜は言う。 「これまでは即自的だった、エスニックなものとネーションとの連続が壊れてきているんじゃないだろうか。むしろ、エスニックなものとネーションとは明確に違うと言ってしまえるようになりつつあるのかもしれない。ある種の多民族ナショナリズムの萌芽があるとでも言うべきか。そこでの統合作用が今後、天皇制の担う大きな役割になる可能性があるかもしれない。」(『日本――根拠地からの問い』、88頁) 「多民族ネーションに移り変わったとき、その統合のロジックはやっぱり天皇制に依拠するのだと思う。そのときは、アメリカ合衆国に移民した人に星条旗とバイブルで宣誓させるように、国旗掲揚と国家を歌うとか、そういった通過儀礼を国が課そうとするでしょう。」(同書、88~89頁) 「2-1」で示したように、転向後の姜が擁護している天皇制とは、こうした「他民族ネーション」を統合する天皇制である。姜の明治神宮参拝、天皇制の肯定といった身振りは、「多民族ネーション」を志向する(または、志向しつつ否定する)「国益」中心主義的に再編されつつあるリベラル・左派論壇への適応としての、「通過儀礼」である。今後、姜は、こうした身振りを一層昂進させていくだろう。 「2-1」で引用した、かつての姜の、「内側の差別を隠蔽するという問題、外に対しては排他的になり見えない国境をつくりだすという問題が天皇制にはあります」という発言や、「アメリカが移民に対して星条旗に誓わせるように、目に見える形でロイヤリティを示すことのできる国家。私はこれは間違いなく国家主義的な象徴天皇制の演出だと思います」という発言と比べれば、こうした姜の転向ぶりには呆れるほかない。というよりも、姜こそが、「国家主義的な象徴天皇制」の演出の役割を務めようとしているように見える。 だが、天皇制や日本社会に関する認識が変わったからこそ、姜が転向した、ということでは恐らくないのである。逆である。「3-1」で検討したように、姜の転向は、認識の変化というよりも、政治的な「賭け」である。 「エスニックなものとネーションとの連続が壊れてきている」等の、日本社会への肯定的な発言は、認識というよりも、姜が日本社会がそうであってほしいと考えている前提である。その前提の下でのみ、(日本の)「国益」の観点から日本の外交政策を論じ、在日朝鮮人の日本社会への参加や貢献を促すことが正当化できると、姜は考えているだろうからである。そして、姜が「国益」を論じるような象徴的行為や在日朝鮮人の日本社会への積極的な貢献が広がれば、実際に、「エスニックなものとネーションとの連続が壊れ」ていき、日本人「同胞」として、アイヌや沖縄の人々と同様の存在として、「反日」ではない在日朝鮮人も受け入れられるかもしれないというのが、姜の戦略のように思われる。だから、姜の日本社会への肯定的は発言は、行為遂行的な命題である。もっと言うと、転向後の姜の状況認識はほぼすべて、行為遂行的なものとして読まれるべきだと思う。 その点においても、転向後の姜は、「内鮮一体」「大東亜共栄圏」といったプロパガンダに賭け(るよう追い込まれ)た、植民地化の朝鮮人知識人たちと酷似している。 3-3. 念のために言っておくが、私は、姜の転向に対して情状酌量してやるべきだ、と言っているわけではない。姜の内面とは無関係に、姜の社会的影響力がもたらす、転向後の行動・発言の社会的悪影響という観点から、姜は積極的に批判されるべきである。 だが、姜の転向問題が、姜個人のレベルで捉えられてしまうと、姜の言行不一致の道義性の問題(それも重要だが)に帰着するか、「姜さんは仕方ないなー、でも、姜さんはメディアで大衆相手に頑張らなきゃいけないから、仕方ないんじゃないかな」といった、「姜尚中は平和と人権の守り手」という大前提から一歩も出ない容認論に帰結するか、同一の大前提からの、「姜さんも追い込まれているみたいだから」といった同情論に帰結することになるだろう。 姜の転向問題――そして在日朝鮮人の集団転向現象も――は、植民地化の皇民化政策期の朝鮮人知識人の転向現象と同様に、日本国家・日本社会との構造的関連性の中で捉えない限り、あまり意味がない。転向する在日朝鮮人も情けないが、そのような在日朝鮮人を(左派も含めた)日本人が求めていることをよく知っているからこそ、彼ら・彼女らは転向していくのであるから。 姜が転向していることは、身近にいる人や昔からの読者であれば、この連載のように具体的に発言を検討しなくても、気づいているはずである。姜の転向問題において、最も問題となるのは、姜の転向を知りつつ、転向後の姜を持ち上げる連中である。メディアで言えば朝日新聞が代表例であり、個人で言えば、転向後の姜の軌跡そのものと言うべき(『AERA』の連載をまとめた)『姜流』で、姜を称揚するメッセージを送っている人々、上野千鶴子、田原総一朗、中島岳志、宮崎学、梁石日のような面々である。 転向後の姜は、いまや、メディアの寵児となり、大衆レベルで人気を持っている、ほぼ唯一の言論人である。そして、姜の一層の右傾化が、リベラル・左派の転向を先導し、ますます姜の転向のエスカレーションが求められる、という循環構図。 注意すべきは、ここに悲劇性を見出すべきではないことである。そうした見方をしてしまうと、姜の転向の指摘や上述の私の検討も、悲愴に戦う男、などといった文脈で姜のイメージを強化することになり、この循環構図をより潤滑に回転させる材料として機能してしまうだろう。また、姜は、ひょっとすると、転向によって自らがリベラル・左派およびメディア一般(政界もか)で、かなりの影響力を行使し得るようになった現在の事態に、大きな手応えを感じており、転向をポジティブに捉えているのかもしれないのである。 したがって、姜の転向問題において、姜の内面がどうか、といったことは本質的な意味を持たない。問われるべきは、姜の転向が、日本社会、特にリベラル・左派の転向との構造的関連性において現れていることであり、とりわけ上記の循環構図が批判されなければならないだろう。姜への批判は重要かつ必要であるが、その批判は、こうした前提(明示されていないものではあれ)の下でのみ、有効性と積極的意味を持つと思う。 (注9)私はここで、石原の発言が『愛国の作法』に見られる姜の転向の原因だ、と言っているわけではない。同書の編集者による以下の記述を読む限り、そうした関係性にはない。 「(注・『愛国の作法』の)執筆中に、北朝鮮のミサイル発射、首相の靖国神社参拝などのできごとがあり、テレビに生出演している姜さんを見ながら「原稿は……」と気をもんだこともありました。脱稿の直前には、五輪招致活動で福岡市の応援演説をした姜さんのことを石原都知事が「怪しげな外国人」と発言し、急遽、あとがきに加筆してもらいました。」(「朝日新書創刊/編集者から――姜尚中『愛国の作法』」『一冊の本』2006年10月号。「(i)」との執筆者署名あり) (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-08-15 00:00
| 姜尚中
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