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2009年 09月 04日
4-3.国立戦没者追悼施設の擁護
模索期におけるもう一つの特徴として、姜が、国立戦没者追悼施設の擁護の主張を展開し始めたことが挙げられよう。 日本の侵略戦争の戦没者に対する国家的追悼儀式について、姜ならば反対するだろう、と普通は思うだろう。現に、 西部邁も田原総一朗も、以下のように述べている。 「西部 (中略)つまり、明治二年に東京招魂社として創建された昔から、やはり靖国というのは国家儀式の場であり、姜さんのように、そういう国家儀式は有害であるとか不当であるとかという意見もあるが、僕はまったく逆だと思っている。 田原 それは、姜さんだけじゃなくて、高橋哲哉もおんなじことをいってる。」(「補章 「愛国心」ふたたび」姜尚中・田原総一朗・西部邁『愛国心』講談社+α文庫、2005年7月、322~323頁。この章は、文庫化時に加えられた章) ところが、この鼎談の中で、姜は2人に反論するかのように、以下のように述べるのである。 「姜 (中略)だから、僕は百歩譲って、さっき西部さんが国家儀式とおっしゃったけれど、その意味においてふつうの国家に日本がなるという、そのときに、首相や、将来、天皇が靖国に行かれるならば、靖国神社の国家護持がある意味で一番すっきりしている。しかしそうなれば、日本は事実上、祭政一致国家になり、近代国家の基本原理を否定する国家になりますね。そんなことはとうてい無理なはずです。もちろん国内的な法律の整合性を持たせるとして。それができないというのであれば、2003年でしたか、福田康夫前官房長官が中心になって懇談会をつくりましたが、小泉さんが約束したように、そういう場所を新たにつくるかという議論になる。 ただ、A級戦犯を分祀すればいいといっても、国家が一宗教法人の靖国神社に介入することは、憲法の原則に明らかに反するわけですよね。だから、祀られている遺族が自発的にそれをやるならわかりますが、僕個人は、靖国神社の宗教法人としての信教の自由は守らなきゃいけないと考えます。」(「補章 「愛国心」ふたたび」同書、328~329頁) これだけでは、姜が国立戦没者追悼施設の擁護しているとは言えない、とする人もいるかもしれない。だが、これは擁護論である。恐らく上の鼎談とほぼ同時期に行われた、田中明彦との対談の発言を見てみよう。 「姜 周辺国は靖国問題を、日本が今後どういう方向に舵取りをしていくのか、一つのリトマス紙にしたいと考えています。解決策は今のところ、福田康夫前官房長官のときに浮上した無宗教の追悼施設をつくるしかないと思います。今年も小泉首相が「適切に判断して」参拝するのであれば、問題はこじれて尾を引くでしょう。やはり追悼施設建設に重点を移すと明言するべきです。宗教法人である靖国神社に首相が参拝するのは国内法的にもやはり無理ですよ。」 「姜 (中略)先日、金大中・韓国前大統領と話したとき、「小泉首相は追悼施設をつくると約束してくれた。そこに自分は期待を込めていたが、日本国内ではそれが盛り上がらなかった」と言っていました。これは小泉氏の誤算だったと思います。靖国問題は、日本にとっても中国にとってもアイデンティティーがかかっていますから、政策的な手段、外交上の取引材料にはなり得ません。落としどころは、追悼施設の建設しかないでしょう。」(姜尚中・田中明彦「対談 「靖国」の土俵から降りなければ展望は開けない」『論座』2005年8月号、2005年7月5日発売) 姜が、国立戦没者追悼施設を擁護するようになっていることは明らかだろう。多分、金大中の示唆によるものではないか、と思う。 ただし、戦没者に対する国家的追悼儀式について、姜が容認したのはこの時期が初めてではないことも、付言しておく。前述の『愛国心』の単行本版(講談社、2003年6月刊)での田原と西部との鼎談で、姜は以下のように述べている。 「姜 (中略)東京招魂社をつくった過程というのは官軍、つまり国のために殉じた戦死者を弔うことになっていて、そこに近代国家の性格があらわれているわけです。だから、これは極論かもしないけれども、靖国じゃなくて、神社という形式をとらずに祀ってもいいんじゃないかと思う。日本側がどうしても、A級戦犯であれだれであれ自分たちは祀りたいということであれば、それについて中国や韓国の見解とはまた別に、弔いの方法と場を考えてもいいと思う。それは否定しません。ただ、やっぱり神社の形態をとってあそこで祀っていること自体はどう考えたって無理があるんですよ。」(『愛国心』講談社+α文庫、2005年7月、90頁) ただし、鼎談の当の相手であり、「朝まで生テレビ!」での共演等で姜と親しいはずの田原と西部が、上で挙げた同書の文庫版補章での発言のように、姜のこの発言を覚えておらず、姜が戦没者に対する国家的追悼儀式の容認論を打ち出したのは、模索期以前には、管見の範囲ではこれ一例のみである。また、この発言では、国立戦没者追悼施設の擁護は行っていない。したがって、姜が、国立戦没者追悼施設の擁護を打ち出すに至ったのは、やはり模索期以後だと思う。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-09-04 00:00
| 姜尚中
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