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2009年 09月 05日
4-4.「リベラル保守」の擁護
今となっては「愛郷心」の擁護や「健全な保守」(「リベラル保守」)への期待しか語っていないようにすら見える姜だが、「リベラル保守」への期待を主張として打ち出すように至ったのも、この転向前の1年間の模索期(2005年夏頃~2006年夏頃)からだと思われる。 まず確認しておくべきなのは、姜が「リベラル保守」について肯定的に言及すること自体が奇妙だということある。在日朝鮮人の社会的排除という点において、「リベラル保守」も「排外主義的保守」も何の違いもない。そもそも「リベラル保守」などという不明確なカテゴリーを作ること自体がおかしいのであり、「リベラル保守」を自明な固定的な層として想定し、持ち上げようとすること自体が、ある種の政治的衝動に基づいたものである。そのことは、「リベラル・左派からの私の論文への批判について(3)」で既に述べたので、ここでは繰り返さない。 実際にかつての姜も、戦後日本の「平和主義」とは、冷戦によってもたらされた恩恵を享受しつつ、現状の維持を平和とみなす「保守的な平和主義」、「生活保守主義」であって、それは「冷戦のもとでの近隣アジア諸国の「不幸」から隔絶した平和と繁栄」だと的確に批判している(『ふたつの戦後と日本』三一書房、1995年、頁)。また、戦後の「生活保守主義」に基づいた「国民意識」こそが、在日朝鮮人を社会的に周辺化させてきたことも繰り返し指摘している。こうした戦後史理解においては、わざわざ「リベラル保守」を言挙げする契機すら見られない。 また、姜は、特に90年代においては、南原繁や矢内原忠雄といった現在のリベラル・左派では「リベラル保守」の代表と見なされるであろう人々について、彼らの思想が「国体ナショナリズム」、「「内的国境」のナショナリズム」に基づいたものであると厳しく批判している。 管見の範囲では、姜が、「リベラル保守」について好意的に言及し出すのは、2003年からである。 詳しくは後日述べるが、これは、この頃から姜が、「愛国」主義、ナショナリズムの立ち上げのための理論を検討し出すことと関連していると思う。 さて、『愛国心』の単行本版(講談社、2003年6月刊)では、姜は以下のように述べている。 「姜 (中略)僕はなぜ共産党や旧社会党がそうしたスタンスをとらざるを得なかったかというと、圧倒的に冷戦を形づくる力が強すぎたからだと思うんですよ。逆にいうとちょっと不幸だったのは、日本の中にある意味でのカッコ付きですけれども健全なリベラル保守というのがなかなか育ちにくかったことも作用していたと思います。」(『愛国心』 講談社+α文庫、282~283頁) ここで「リベラル保守」が言及されているわけだが、戦後日本には「リベラル保守」が層として実在したとは言われていないことにまず注目しよう。「リベラル保守」なる概念だけが肯定的に語られているのである。また、今日の姜から見れば、驚くほど遠慮がちに「リベラル保守」について語っていることにまず注目しよう。この時期には、「ある意味でのカッコ付きですけれども」とまで留保をつけなければならなかったのである。 それが、2004年には、以下のような発言に移行する。 「姜 かつては日本の自民党にも、リベラル保守というのがあったと思うんです。宇都宮徳馬さんや、鯨岡兵輔さんとか、園田直さんとか。後藤田正晴氏ですら「憲法改正については、いまはタイミングが悪い。もう少し国際情勢を見極めよう」と言っている。そういう保守の持っているリアリズムさえ、いまは抜け落ちているんです。」(姜尚中・佐高信「対談 日本を論じ、日本を変える」『サンデー毎日』2004年4月11日号) ここでは、「リベラル保守」が肯定的に語られているが、その時点での自民党批判の文脈で用いられている。また、「リベラル保守」への期待自体を表明しているわけではない。後藤田正晴が、「リベラル保守」とはされていないことにも注目しておこう。 「リベラル保守」がそれ自体として賞賛され、期待を表明されるのは、管見の範囲ではやはり模索期になってからである。以下、発言を列挙する。 「姜 (中略)極端な右も極端な左も是正していけるような健全なリベラル保守がビルトインされてないと社会はおかしくなる。互いに極端な部分を相殺しながら、世論も外交もある程度穏健なところに落ち着く。そのようなメカニズムがはたらく必要がありますね。」 「姜 いま日本では、健全なリベラル保守が劣勢なんですよ。靖国問題というのは日本にとって戦後最大のアポリアになってしまい、これから抜け出しきれないと、日本は安保常任理事国にもなれない。東アジア共同体もなかなか全面展開できない。」(姜尚中・田中明彦「対談 「靖国」の土俵から降りなければ展望は開けない」『論座』2005年8月号、2005年7月5日発売) 「日本の外交的な行き詰まりは、少なくとも、軍事化というものを制約したり、歴史問題では、例えば不十分ではあるけれども、宮澤喜一や河野一郎のような、一応外交的に調整するような姿勢がないと克服されないでしょう。また経済的にも、池田内閣の時のような、ケインズ経済学的な、所得の再分配をうまくやるようなことが必要でしょう。とりあえず今の日本では、こういったリベラル保守の健全な復権が必要だと思います。」 「とにかく、このままの状態に進んでいっては日本はどこに行くかわからない。とりあえずの時間稼ぎが重要です。その意味でも、ウイングを広げ、“健全な保守”に期待することも必要かもしれません。」(姜尚中「最悪の道を防ぐには“健全な保守”に期待」『金曜日』2005年8月12日号) こうして打ち出された「リベラル保守」、「健全な保守」の擁護は、転向後により全面化することになる。ただし、ここでもう一つ注目しておくべきなのは、後者の『金曜日』での発言においても、「リベラル保守」「健全な保守」の肯定について姜が相変わらず遠慮がちであることである。「リベラル保守」を肯定することが、左派の大前提(世界観)となっている今日から見れば、隔世の感すらある。 この『金曜日』での発言のすぐ後、2005年の9・11選挙における自民党の圧勝に直面したことによって、護憲派ジャーナリズムは、<佐藤優現象>やポピュリズム化など、言説の大きな転換を迎えることになる。左派において「リベラル保守」を持ち上げることが自明視されるようになるのも、この流れの一環だったと捉えることもできよう。民主党の衆議院選圧勝への左派による肯定的評価も、「リベラル保守」への肯定的認識の自明視化によって支えられている。 そして、今では姜こそが「リベラル保守」の日本人の役割を自覚的に演じているようにすら見える。在日朝鮮人が「リベラル保守」たらんとするこの喜劇の馬鹿馬鹿しさを、どうして誰も指摘しないのだろうか。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-09-05 00:00
| 姜尚中
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