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2009年 09月 15日
4-7.挫折と転向(下)
5. その飛躍の証が、『愛国の作法』(2006年10月)だと思われる。ここで、この企画の経緯について語った、編集者の証言を見ておこう。 「 「愛国心について書いてみたいんです」 編集長と私のほうを見据えて、姜尚中さんが静かに言いました。神田のホテルのロビーで、朝日新書の最初の打ち合わせをしたときのことでした。 テレビでおなじみの姜さんは、朝日カルチャーセンターで不定期の講座を持っています。いつも満員の盛況で、老若男女の幅広い層の方たちが熱心に聴いています。朝日新書もそうした広範な読者を獲得したいと思い、姜さんに執筆をお願いしたのでした。でも、まさか「愛国の作法」というタイトルを、ほかならぬ姜さんから提示されるとは思いもよりませんでした。 その当時、新書業界では藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーを独走中でした。 (中略) 執筆中に、北朝鮮のミサイル発射、首相の靖国神社参拝などのできごとがあり、テレビに生出演している姜さんを見ながら「原稿は……」と気をもんだこともありました。脱稿の直前には、五輪招致活動で福岡市の応援演説をした姜さんのことを石原都知事が「怪しげな外国人」と発言し、急遽、あとがきに加筆してもらいました。」(「朝日新書創刊/編集者から――姜尚中『愛国の作法』」『一冊の本』2006年10月号) 藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)の刊行日は2005年11月20日であるから、「最初の打ち合わせ」の時期は、2005年末から2006年前半と考えてよいだろう。上記の「靖国とヒロシマ」で示したような、絶望的認識の下で、姜は新たな立場(または模索期の「国益」論の発展的主張)を打ち出そうとしたように思われる(注16) 『愛国の作法』以降の姜は、「普通の国」化への拒否感といった残滓は消え去っている。また、その主張は、自民党の支持層を奪回するという政治構想に則ったものとなっており、そのためのイデオロギー次元の再編も行っている。模索期のように、単に自分の主張の方が「国益」的には合理的だと主張し、それがどれほど説得的に提示されたとしても、支持層の奪回は不可能である。したがって、そうした構想の下では、情動を動員しうる形でのイデオロギー次元の再編が不可欠となる。それが、『愛国の作法』での、日本人戦死者追悼論(以前は批判対象だった、加藤典洋『敗戦後論』とほぼ同趣旨)、(小林よしのりすら怯むほどの)愛郷心の擁護であり、『日本――根拠地からの問い』(2008年2月)以降の天皇制の擁護である。すなわち、姜の主張は、敵と同等もしくはそれ以上に「靖国的なもの」に親和的なものにならざるを得ない。その上で、東北アジア共同体の実現の邪魔になる、首相の靖国神社参拝や「従軍慰安婦」問題など、周辺諸国と軋轢になっている点のみを「解決」するという戦略となるだろう。 実際に、姜は「語り下ろし 『愛国の作法』をめぐって」と題された佐高信との対談(佐高信・姜尚中『日本論 増補版』(角川文庫、2007年2月刊)所収。対談の日付は2006年12月8日)で、以下のように述べている。 「姜 (中略)どういうわけか昨年(2005年)から、全国町村議会議長会という全国組織に何回か呼ばれて話をしているんです。先日は、吉野川が流れる川上村に行ってお話を聞いたんだけれども、村の人たちが言うには、「もうこの村はなくなるかもしれない」と。これまでは自民党のグラスルーツだったような村ですよね。でも、それが確実に変わってきている。だから安倍政権に対しても、「我々はよく監視しなければならない」とはっきり村長さんが言うんです。その話を聞いても、リベラル、保守ということだけではなく、保守というものをもう一回掘り起こさなければならないんじゃないかなと思いました。川上村の人たちが、ほんとうに国というものと向き合おうとしたときこそ力に繋がるんじゃないかと。都市のぽっと出のインテリに比べて、彼らはしたたかだし、性根も据わっている。そういう実感が背景にあって、『愛国の作法』を書いたというところもあるんです。」(同書、23~24頁) 「姜 (中略)我々は新しい文法を作らなければと思います。それをパトリアに通じる話で言えば、たとえば地方を回っていると、これまで保守と思っていた人も、ものすごく芯に何か持っているんですよね。パトリアに届く文法を使えば、意外と、今の自民党政権がひっくり返る可能性はあるんじゃないかと。」(同書、29~30頁) 姜のこの「戦略」は、自民党政権を「ひっくり返」すという目的からすれば、かなりの妥当性を持ったものである。そして、この度の「政権交代」も、これと同様の民主党の「戦略」に則って実現したように思われる。姜が民主党にどの程度影響力を持っているかは知らないが、鳩山由紀夫の「私の政治哲学」(『Voice』2009年9月号)における地域共同体の擁護、東アジア共同体の創造といった主張が、現在の姜の中心的主張とほぼ一致していることは留意されるべきだろう。 (注16)ただ、姜が飛躍の必要性を感じていたことは確実だと思うが、実際に出版された『愛国の作法』に見られるような規模での転向は、2006年7月4日の「北朝鮮のミサイル発射」がなければ生じていなかったかもしれない(この辺は跡付けのしようがないので推測にとどまるが)。『愛国の作法』における姜の転向の特徴のいくつかは、南原繁の評価の際に表れてくるが、姜の南原への高評価は、管見の範囲では、2006年8月15日である。この日に東京大学で開かれた「八月十五日と南原繁を語る会」で、姜は南原繁の顕彰講演を行っており、単行本に収録された文章(姜尚中「南原繁と憲法九条」立花隆編『南原繁の言葉――8月15日・憲法・学問の自由』東京大学出版会、2007年2月刊。同書3頁によれば、「本書はその会の配布資料も含めたほぼ忠実な全記録」とのことである)を読む限り、内容的に『愛国の作法』での南原評価と強い連続性を持っている。 既に見たように、姜は、2005年前半の「反日運動」への日本のメディア、特にリベラル・左派メディアの対応に接して、新しい言説状況に即応するために、「国益」論的立場を打ち出すようになったと思われる。私は、あの2006年7月の朝鮮民主主義人民共和国のミサイル実験後の、日本のメディアにおける強硬論の過熱状況において、姜が何らかの対応の必要性を考えなかった、とは考えにくいと思う。ミサイル実験が核実験まで行き着くであろうことは、姜なら容易に推測し得たと思われるし、そうなれば、それまでのスタンスでは姜がメディアで活躍し得なくなるであろうことも、容易に予測し得たと思われるからである。 ただし、仮に北朝鮮のミサイル実験やその後の核実験がなかったとしても、どこかの時点で『愛国の作法』で見られたような規模での転向は行われただろう。 6. 私はこの章の冒頭で、2006年夏より前の約1年間における模索の挫折によって、または帰結として生じたものだと述べた。 この模索期における「国益」論的立場への移行を、日本の右傾化への対抗上、という点に重きを置いて位置づければ、転向は「模索の挫折」ということになるし、姜自身の右傾化、という点に重きを置けば、転向は模索期の延長上で、その「帰結」と認識されることになる。 私は、この模索期の姜の言動には、この両方の見方が同時に成り立つと思う。このように把握することで初めて、「姜さんは戦略的に後退しているだけなのだから、大目に見てあげるべきだ」といった類の議論を無効化できると思う。確かに姜の主観では戦略的に後退しているだけなのかもしれない。だが、これまでの記述で示したように、2005年夏頃以降の姜の基本的な立場は日本の「普通の国」化を前提としたものであるから、日本の「普通の国」化に反対する立場からすれば、そうした「戦略」自体が無意味なのである。特に、2006年夏前後以降の転向においては、前述のように、基本的スタンスは自民党支持層と同等もしくはそれ以上に「靖国的なもの」に親和的なものにならざるを得ない(現になっているし、今後、一層そうなるだろう)のだから、「戦略」云々で姜の発言を弁明しようという試みは、端的に有害であると言わねばなるまい。 『愛国の作法』以降の姜が、その旺盛な発言や執筆、メディアへの登場だけでなく、発言内容から見ても、極めてポジティブであり、希望に溢れているように見える。「何やらわたしはいま、第二の青春を生きているような気がしているのです」とまで言っている(姜尚中『姜尚中の青春読書ノート』朝日新書、2008年4月)。もはや前述の「靖国とヒロシマ」に見られたような絶望感は欠片も見られない。 だがこれは、安倍政権が崩壊するなどして、政治的危機が去ったからではない。姜にとって、日本が「第三次国民国家」に、「普通の国」になるのは既定方針であって(もちろん民主党主導政権もこれである)、姜にとってはそうしたゲームはとっくに終わっているのである。後はその既定方針の上で、自分がどれだけ権力を勝ち取り、「東北アジア共同体」をいかに実現するかが問題であって、どのみち「普通の国」になるのだから、姜が権力を持っているほうが大衆にとってもよいはずだ、と考えているのだと思われる。だから、姜を、日本の「普通の国」化に抗している批判的知識人だと考えているファンやシンパは、現在のゲームにおける姜の優位性を高めるための持ち駒でしかないのであって、姜自身もそう考えていると思う。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-09-15 00:00
| 姜尚中
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