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2009年 09月 14日
4-7.挫折と転向(中)
4. これまで、模索期の姜が、状況がかなり絶望的であると認識していること、そして、右傾化への対抗策として、戦後の平和主義を対置しようとしてみたが、それにも成功していないことを見てきた。 姜は恐らく、自らの八方塞がりの状況に気づいていたはずである。そのことを示していると思われるのが、管見の範囲では2005年後半の姜の文章から表れ始める、「第三次国民国家」なる概念である。以下、使用例を見てみよう。 「姜 (中略)現在は、言ってみれば、(注・政教分離原則を放棄して)神聖国家になろうとしているわけでしょ。一言で言ってみれば、森が言った神の国ですよ。神の国にいる日本人は神の民なんだというね。僕は最初これを聞いたとき、本当にバカバカしいと思ったけれど、ただ笑い飛ばすだけではすまなくなりつつある。 戦前までを第一次国民国家体制だとすると、戦後は第二次国民国家体制、60年経って第三次国民国家体制へ。そこで日本が考えたカードというか、やっぱりお里が知れているようなところに戻ったとしか思えないんですよ。」(姜尚中・丸川哲史「改憲阻止の新たな戦術」) 「 振り返ってみると、日本の近代国家の成立とその変化が、ちょうど70年ほどの間隔で起こったことに気づきます。 まずは、1860年代から70年代にかけて、明治国家が形成されます。その体制は、1930年代から40年代、いわゆる15年戦争の時期に、ついに破綻します。そして現在、私たちが生きる時代は、そこで形成された第二次国民国家が終焉を迎え、次の、第三次国民国家が立ち上がってくる過渡期の段階なのかもしれません。 「戦後60年」という言い方はされますが、10年後、「戦後70年」という言い方はなくなっているでしょう。おそらく今が、戦後という時代区分の最後の時なのではないでしょうか。 巨視的に眺めれば、その底流には、70年周期で繰り返される国家形成にまつわる反復のリズムが存在するのかもしれません。第二次世界大戦後の戦後国家が、終焉に至ることを予見しているわけでは決してありませんが、一連の改憲論議を、「第三次国民国家の再定義」と捉える視点も可能であるように考えます。」(姜尚中『姜尚中の政治学入門』集英社新書、2006年2月、97頁) では、この「第三次国民国家」という言葉で、姜は何を言わんとしているのだろうか。それについて、実は姜は、前述の「靖国とヒロシマ」で雄弁に語っているのである。見てみよう。 「 今、日本の戦後を作り上げてきた土台とも言うべき経済や社会の仕組みが大きく変わろうとしている。 (中略) このように、戦後を支えていたものが一つ一つ覆されていっている。覆されるだけでなく、違うものになっていっている。それを私は「戦後の終焉」と呼んでいる。これは長い目で見ると日本が第三次国民国家――第一次は明治維新の期の明治国家である。第二次は戦後8月15日から始まった――に移ろうとしているということではないか。それがどんなものになるのか、はっきりした輪郭はまだ見えてきていないが、ただ、戦後の否定の上に成り立っているのは間違いない。 国民と国家の関係、国家と社会の関係が大きく変わっていく。だから憲法も当然変わっていく。そして、国民意識の問題として教育基本法も変わらざるをえない。戦後民主主義国家の中で当然と考えてきた原理原則、価値というものが大きく変わっていくのではないか。憲法の一部が変わるとか教育基本法の一部が変わるとか、部分的な変革だけではなく、国民国家のあり方それ自体が変わっていくのではないか、と私はとらえている。 例えば靖国問題に代表されるような自民党の新憲法草案は、政教分離を事実上否定していると言ってもいい。(中略) しかし、第三次国民国家は戦前の日本への復帰ではない。そうとらえることは問題を単純化しすぎることになる。今、例えばイギリスなどが海外に出てイラクで戦争しているが、だからといってイギリスが反動的な国だとは言われない。日本の場合も、普通の国になるということだから、ある人はこれを正常化だととらえるだろう。もちろんそれは戦後民主主義の否定だととらえる人もいるだろう。いずれにせよ、これまで60年間経験しなかったようなことがノーマルになる――いい意味でも悪い意味でも。そういう国と国民との関係になっていくだろう。 海外において戦争をすれば、当然、戦没者も出る。その戦没者をどこかに祀ることになる。一番想定されるのは靖国だ。しかし、それができないということになれば、無宗教の施設を作ることになる。それは構造としては、戦前を知らない新しい靖国になる。そこには過去の靖国に飛び回る亡霊のような歴史的な負の遺産はいっさいない。しかし、国家と犠牲という観点からは、同じような構造が出てくるだろう。とはいえ、それは天皇の軍隊ではなく、国家を守るために命をなくす英霊として祀られることになる。 あるいは、ネオ靖国を否定して、靖国をそのまま延長していく――補助線を引いて。そういう考え方の人もいると思う。だからこそこれまで以上に強く靖国参拝を進めていこうという人たちである。 どちらになるにせよ、日本は普通の国家への道を進んでいくのではないか。 10年後、現行憲法が存続しているとは考えられない。存続していたとしても内実は変わっているだろう。 10年後、たぶん、日本は海外で戦争しているだろう。集団的自衛権か、あるいは多国籍軍か。単なる後方支援ではとどまりえないだろう。 日本国内では、この流れを食い止めようという動きは、野党の政治勢力を含めて非常に微弱だ。戦後、これほど微弱になったのは初めてだ。残念ながら、直近で社会運動など新しい動きが出てくるとは思えない。 戦後の第二次国民国家では、戦前と断絶したまったく新しい土台の上に社会や国家が成り立ち、同時に国民の意識がドラスティックに変わったと思う。にもかかわらず、やはり連続している部分がある。靖国はその連続面でもっとも象徴的な聖地であって、第三次国民国家に移っていけば、今までの歴史の問題だけにとどまらず、未来形として靖国が意味を持ってしまう。あるいは「靖国的」なものと言ったほうがいいかもしれない。靖国神社というのは固有名詞だが、「靖国的なもの」が問われているのだ。 靖国神社が抱えている問題は、われわれが考えている以上に深く、広いだろう。どうしても限られた切り口から議論されてしまうが、「靖国的なるもの」は国家と犠牲の問題、国家と戦争の問題、国家と国民との関係等々まで波及していく。対外的には日中関係、日韓関係として話題になったが、第三次国民国家に向けて変革期にある日本のシンボリックな問題だととらえたほうがいい。」 この一節は、現在の姜について考える際に不可欠な、重要な箇所だと思うのだが、管見の範囲では言及されたことがない。 ここでの姜によれば、「第三次国民国家」とは、対外戦争のできる「普通の国」ということである。そして、姜は、日本がその道を避ける可能性はないことを明言している。 そして、姜はここで、戦没者追悼の「無宗教の施設」を、「戦前を知らない新しい靖国」であり、「国家と犠牲という観点からは、同じような構造」になると言っているのだが、「4-3.国立戦没者追悼施設の擁護」で見たように、姜自身が、無宗教の戦没者追悼施設を容認しているのである。 また、「10年後、現行憲法が存続しているとは考えられない。存続していたとしても内実は変わっているだろう」と述べているが、「4-2.護憲的解釈改憲論への移行」で見たように、姜自身が、憲法9条が「存続していたとしても内実は変わっている」状態である、護憲的解釈改憲論の立場を容認している。 ということは、この章で見てきた、模索期における姜の「国益」論的な諸言説が、日本が対外戦争を行う「普通の国」になることを前提としたものだった、ということを意味している、と解釈できよう。 したがって、上の一節を虚心坦懐に読む限り、ここで姜は、来たるべき「第三次国民国家」にとって、「靖国的なもの」のような戦前との連続性を示すものはなくしておくべきだ、と言っていると解釈するのが正しいと思われる。 恐らく、当時の姜の大多数の読者たちは、姜が、日本の「普通の国」化に反対していると認識していただろう(これは現在もだが)。姜は、「憲法行脚の会」その他の市民団体で頻繁に講演したりしているから、尚更である。そうした読者は、仮に姜の無宗教戦没者追悼施設への容認論を読んでも、「姜さんは、「普通の国」として対外戦争を行えるような国にしようという主張に対抗するために、戦略的に後退しているんだ」と考えるだろう。 確かに姜にとっては、それは「戦略的な後退」なのかもしれない。だが、それを「戦略」かどうかと考えること自体が無意味なのである。姜はこの段階で、既に日本が「普通の国」になることを既定路線として認め、自らもその枠組みでの発言を行っているのだから。 では、日本がどのみち「普通の国」になってしまうのならば、姜は、なぜ「靖国的なもの」にこだわるのか、という問題が当然生じよう。姜はその理由を明言していないが、恐らくそれは、「第三次国民国家」における「靖国的なもの」の残存が、姜が提唱する東北アジア共同体の実現にとって邪魔だからだと思われる。逆に言うと、模索期の姜による日本政治・日本社会批判は、基本的に、東北アジア共同体の実現にとって(例えば、首相の靖国神社参拝が)有害だ、という観点からなされていたと言うことができるだろう。言うまでもないが、東北アジア共同体の実現には、日本の「普通の国」化が大前提である。 このように考えれば、上の一節も整合的に解釈できるととりあえずは思えるのだが、ひっかからざるを得ないのは、姜の絶望的な口ぶりである。「残念ながら、直近で社会運動など新しい動きが出てくるとは思えない」などと、「残念」とも言っている。これは奇妙であり、「普通の国」化を実質的に容認し、推進すらしている模索期の言動と矛盾している。仮に、姜が既に無宗教の戦没者追悼施設や護憲的解釈改憲論を容認していることを知らなければ、この文章は、日本の「普通の国」化に抵抗する批判的知識人の絶望の表白、と受け取られるかもしれない。多分、シンポジウムではそのように受け留められたであろう。また、姜が日本の「普通の国」化を全面的に容認してしまっているとするならば、この節の「1」で見たような絶望ぶりも奇妙ではある。 模索期における姜には、日本が「普通の国」化することそれ自体への拒否感――少なくとも90年代はそうした立場から姜の言論活動は展開されていたわけだが――が、にじみ出ているように思われる。これは、「普通の国」化の容認というこの時期の他の発言とは矛盾しているが、奇妙なことに、同時期に並存しているのである。 これは、この時期においては姜自身が未整理のまま、日本政治・日本社会批判を行っていた結果だと思う。姜はこの時期、「国益」論的立場を打ち出すことで、日本の言論状況に即応しようとしていたわけである。そして、上で見たように、姜は日本のリベラル・左派が何らかの抵抗を行えるとは何一つ期待していない。だとすれば、姜が「靖国的なもの」を象徴とする「第三次国民国家」の出現を食い止めるためには、自民党の支持層を奪回しうる政治構想を提出しなければならない、ということになろう。そのためには、まずは、こうした「普通の国」化への拒否感という残滓を消去し、「国益」論に自らの立場を純化せねばなるまい。 また、単に「国益」論的な合理性・有効性を示すだけでは、自民党の支持層の奪回は不可能である。日本社会はそこまで「合理的」ではないのだから。したがって、そうした支持層を奪回するためには、単に「国益」論上の合理性・有効性を示すだけではなく、イデオロギー的次元においての編成も不可欠なものにならざるを得ない。 いずれにせよ、この模索期での姜の「国益」論程度では無意味なのだ。そこで、姜は、もう一歩飛躍することになる。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2009-09-14 00:00
| 姜尚中
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