by kollwitz2000 カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2009年 10月 12日
前回に続いて、『思想地図』創刊号(2008年4月刊)での発言を取り上げる。「鼎談 日本論とナショナリズム」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大。鼎談の日付は2008年2月13日)での、萱野の発言である(279~280頁)。
「萱野 (中略)まあ、個人的には、「愛国心」教育を義務教育のなかに導入したり、国民道徳を復活させようとするようなナショナリズムの再生はまったくナンセンスだと思いますが、たとえば、昨年(2007年)11月に改正入管法の施行にともなって導入されたJ―VISIT(入国時に外国人の顔写真や指紋といった生体情報を採取するシステム)なんかを見ると、ナショナリズムに訴えたい気持ちにかられますね。あれ、「テロの未然防止」という口実のもと、たんにアメリカの公共事業の下請けをしているだけですから。 東 アクセンチュアですね。『権力の読みかた』で触れていました。 萱野 そう。アクセンチュアというアメリカのコンサルタント会社がきて、アメリカのシステムを導入していきました。結局、日本の入管システムの心臓部は、アメリカ政府と一体となった外資の手に握られることになったわけです。問題は、日ごろ「愛国心」が大事だとか唱えている政治家たちによってそれが実現されたということです。こうした国家主義的ナショナリズムとグローバリゼーションのねじれた共犯関係を批判するには、ナショナリズムを逆手にとるのが一番有効なのではないか。お前ら、口先では愛国心とか言っているけど、やってることは売国行為じゃないか、と。」 奇妙な論理である。外資系企業への発注を「売国行為」などと罵るような類の「ナショナリズム」であれば、そもそもJ―VISIT(日本版US-VISIT)に反対するのではなく、積極的に肯定すべきだろう。萱野の日頃の言説からしても、そうした類の「ナショナリズム」こそが「本音」だと思う。さすがにリベラル左派メディアでも、排外的入管政策そのもののJ-VISITは当時は肯定されていなかったから、萱野は建前として反対しているだけのことではないか。 この、萱野における、建前と本音の分裂という事態は、この後さらに悲惨な姿を呈する。萱野のこの発言に対して、東は以下のように疑問を呈している。 「東 詳細に検討する必要があります。外資系企業が目本のセキュリティを担当しているのが本当に問題なのか、問題だとしたらどのように問題なのか。実際には、じゃあ本当に国内資本にすれば国益にかなうのか、それがわかるのは専門家だけだと思うんです。そもそも、そんなことを言ったら、僕たちがみなマイクロソフトのOSを使いグーグルを使っているのはどうなんだ、という話になる。」 これに対して萱野は、以下のように答えている。 「萱野 もちろん、もっと専門的に細かく見ていって、それが実は日本にとって損失よりも利益のほうが大きいということがわかれば、べつにJ-VISITを批判する必要は(プライバシーや管理の問題を除いて)ないです。ただその場合も、われわれにとっての利益になるかどうか、という価値基準のところは変わりませんよね。」 萱野はあっさりとJ-VISITに対する反対を撤回してしまう。「ナショナリズムを逆手にと」るんじゃなかったのかよ。まあ、本音が露呈したと言えるが、ここで注目すべきは、「(プライバシーや管理の問題を除いて)」なる、カッコ内の一節である。これは何なのか。 ここでの「プライバシー」、「管理」は、J-VISITの性格から考えて、外国人の「プライバシー」、外国人の「管理」であると考えられる。J-VISITを擁護するにせよ批判するにせよ、その焦点が、まさに外国人のプライバシー情報の収集、外国人管理にあることは誰も否定しないだろう。だからここでの萱野の発言は、わけのわからないものになってしまう。中心的論点たる「プライバシーや管理の問題を除いて」しまえば、J-VISITの評価など不可能なのだから。 多分、「(プライバシーや管理の問題を除いて)」なるカッコ内の一節は、鼎談後の加筆時に加えられたものではないか。鼎談時の生の発言では、後々叩かれるとまずいと萱野は考えて、「立ち位置」の調整のために後から付け加えたように思われる。仮にそうではなく、鼎談時にこのようなことが発言されていたとしても、このカッコ内の一節の補足の馬鹿馬鹿しさは変わらない。 萱野の登場する場のほとんどはリベラル・左派系のメディアや団体であるから、こうしたせこい「立ち位置」の調整を行いつつ、リベラル・左派の右傾化に即応して、徐々にレイシスト的ナショナリストとしての本音を露わにしていく、というのが萱野の戦略だと思われる。そこまで考えておらず、単に無意識的にやっているだけかもしれないが。萱野の「立ち位置」調整は、あまりにも小心かつ稚拙なので、萱野には佐藤優大先生に学ぶことを勧めたい。 言うまでもないが、問題の本質は萱野ではない。問われるべきは、萱野の下らない「立ち位置」調整を可能にしている、萱野を使うリベラル・左派である。
by kollwitz2000
| 2009-10-12 00:00
| 日本社会
|
ファン申請 |
||