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2009年 10月 26日
1.
『金曜日』の最新号(2009年10月23日号)に、月1回連載「佐藤優の歴史人物対談」の第10回目が掲載されていた。この連載は、佐藤が、「歴史人物」に架空のインタビューを行なう、という形式で書かれているものである。 そして、今号の「歴史人物」は、和田洋一(1903年―1993年。ドイツ文学者)だった。これは、この連載のこれまでの登場人物からすれば、かなり異例である。これまでの登場人物を並べてみよう。 第1回:マルクス 第2回:エンゲルス 第3回:マルクス 第4回:ムッソリーニ 第5回:ラッサール 第6回:ルクセンブルク 第7回:ベルンシュタイン 第8回:マサリク 第9回:ニーバー そして第10回が和田洋一である。ネームバリューの点でも、唯一の日本人という点でも、唐突感は免れないだろう。普通の読者ならば、なぜ和田なのか、と思うはずである。 一応、今回のこの「対談」には、編集部によるものかもしれないが、「奈落への地すべりを押し返すのは民衆の力」と題して以下のリード文が付されている。 「政権交代で、劇的と言ってよいほどの政策転換が起きている。だが、世界を覆う同時不況の行方は楽観を許さず、私たちは帝国主義やファシズムの危険性から目を背けてはならない。戦前の知識人たちは日本型ファシズムの時代をどのように過ごしたのか。久野収らと『世界文化』を拠点にした和田洋一に登場していただこう。」 まず、佐藤は最近、共著でその名も『日本流ファシズムのススメ』(田原総一朗・宮台真司との共著。ぴあ、2009年10月10日刊)なる本を刊行しており、『WiLL』11月号でも、「民主党全体主義政権が始まった」と題した一文を書いて、「政権交代」を言祝いでいるのだから、このリード文が、いつもながらの佐藤と『金曜日』編集部の合作による、『金曜日』読者を馬鹿にしきったアリバイづくりに他ならないことを指摘しておこう(なお、「佐藤優(現象)とソフト・ファシズム」も参照のこと)。 だが、より重要なことは、このリード文では、なぜ和田なのかがさっぱり分からないことである。「帝国主義やファシズム」は重要な問題だが、なぜ他ならぬ2009年10月において、「帝国主義とファシズムの危険性」を取り上げなければならないか、また、その際に取り上げる人物が、なぜ和田でなければならないかは、本文中でも全く言及されていない。要するに、なぜ佐藤が今回和田を取り上げたかは、リード文からも本文からも読み取ることはできないのである。 2. では、なぜ和田なのか。もちろん私も佐藤自身ではないのだから理由を断言できるわけがないが、私は、佐藤が和田を今回持ち出したのは、佐藤及びリベラル・左派メディアの危機感の表れと見るべきなのではないか、と考えている。 というのも、佐藤が、自伝以外の場所で和田を持ち出す際には、一つの傾向性があるように思われるからである。前から興味深く思っていたのだが、佐藤は、リベラル・左派系(新左翼系は除く)の出版社から本を出す際、必ず冒頭で和田を持ち出しているのである。 『獄中記』(岩波書店、2006年12月)でも『世界認識のための情報術』(金曜日、2008年7月)でも今回の「対談」でも、佐藤が和田から引き継いでいると言いたげな和田の主張は、「人民戦線」の提唱と、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)における国内の人権侵害への批判である。このうち、現在の情勢で「人民戦線」を語ることの愚と問題性については既に「<佐藤優現象>批判」で指摘した。 佐藤は、和田による北朝鮮国内の人権侵害への批判を強調することによって、自らの、少なくとも小泉・安倍政権時の対北朝鮮強硬論の主張は、和田による批判と問題意識を受け継いでいるものだ、とリベラル・左派系の読者に印象づけたいのだと思われる(注)。また、『獄中記』と『世界認識のための情報術』では、佐藤が和田から聞いた話として、「先生の行動が誰を利するかをよく考えてください」と、「朝鮮総連の幹部」が和田の下を訪れたことも記しているから、佐藤による、朝鮮総連への政治的弾圧の擁護もある程度正当化できる、と考えているのかもしれない。 より具体的に見ておくと、『獄中記』(全502頁)では、「序章」の2頁目から、和田に関する説明と和田と佐藤との交流が9頁にわたって記されている。 また、『世界認識のための情報術』(全250頁)に至っては、「『週刊金曜日』への私の想い――序論として」の1頁目から、同じく和田に関する説明と和田と佐藤との交流が9頁にわたって述べられており、しかも、この「序論」の章全体(全31頁)が、佐藤が語るところの和田の姿勢と発言を補強する形で構成されている。そして、『世界認識のための情報術』は、以前にも指摘したように、恐らく、佐藤を『金曜日』が起用することへの批判への対応として出された性格が強いと思われる本である。 佐藤およびリベラル・左派メディアは、読者に対して、本の冒頭で、佐藤の立場は和田の思想を受け継いだものだと印象付けることで、「右翼」「国家主義者」である佐藤が、リベラル・左派系の出版社から本を出すことへの読者の違和感を弱めようとしている、と見てよいだろう。だからこそ、『獄中記』に比べてより弁明的性格が強い『世界認識のための情報術』において、本の中で和田の占める比重はより大きくなっているのである。 ということは、今回の「佐藤優の歴史人物対談」における和田の登場も、佐藤及び『金曜日』編集部が、読者に対して、何らかの弁明の必要性を感じたから、と考えるのが妥当であろう。では、この連載の第9回目が掲載された2009年9月25日号(9月25日売)から、この10月23日の間に、佐藤及び『金曜日』編集部が弁明の必要性を感じるような事件が起こった、と見るべきであろう。 そして、その事件とは、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」が10月1日に発表されたことではないか、と私は思う。 佐藤がこの和田との架空対談をいつ頃から書き始めたのかは知らないが、佐藤及び『金曜日』編集部が、共同声明への着々と増え続ける署名とメッセージ、反響に危機感を抱き、佐藤が『金曜日』に登場することを改めて正当化する必要性に迫られて現れたのが、今回の和田との架空対談ではないかと思う。 佐藤及び佐藤と結託するリベラル・左派系のメディアが、この共同声明に言及したり反論したりすることは、恐らくないだろう。そんなことをして、この共同声明の存在が読者に直接知られるようになっては困るからである。そして、以前にも説明したように、リベラル・左派系の編集者たちが佐藤の起用を反省し、起用を一切止めるという可能性は極めて低いと見ておいた方がよいだろう。だが、今回の、和田の唐突な登場のように、この共同声明への(一時的な)対応策として、佐藤がリベラル・左派メディアに登場することへの新しい正当化、より狡猾な方策を打ち出してくる可能性は大いにありうる。そうした方策に惑わされないことが重要である。 (注)そもそも、和田は、「私はまた「朝鮮は一つ」という立場に立っている。「朝鮮は一つ」というのは「朝鮮は過去においては一つであったが、現在は二つに分断させられている。しかし朝鮮半島に住んでいる圧倒的多数の民衆は、もう一度一つになりたいと願っており、在日朝鮮人・韓国人も同様なので、私自身も隣国に住んでいる人間の一人として、朝鮮が近い将来に一つになることを望んでいる、そういう立場である。朝鮮の南北統一は、冷静に判断すれば、絶望状態ということになるが、万が一実現すれば、アジアの平和を守ることに大きく貢献するであろうとも考えている」(和田洋一・林誠宏『「甘やかされた」朝鮮――全日成主義と日本』三一書房、1982年、44~45頁)と発言しているのであって、「<佐藤優現象>批判」の「注(6)」で指摘したように、「僕(注・佐藤)は、朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより、北が生き残るほうが日本には良いと思う。統一されて強大になった韓国が日本に友好的になることはあり得ないからね」(〈緊急編集部対談VOl.1 佐藤優×河合洋一郎〉雑誌『KING』(講談社)ホームページより)などと語る佐藤とは基本的な立場が異なる。
by kollwitz2000
| 2009-10-26 00:00
| 佐藤優・<佐藤優現象>
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