|
カテゴリ
以前の記事
2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 11月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 01月 2006年 12月 検索
その他のジャンル
|
2009年 11月 15日
1.
故・上田耕一郎は、「<佐藤優現象>批判」でも名前を挙げたように、山口二郎や和田春樹らによる「平和基本法」への最も初期の批判者であるが、上田の『現代世界と社会主義』(大月書店、1982年)を読んでいたら、以下のような一節があった(強調は引用者、以下同じ)。 「 日本が「西側諸国」――つまり帝国主義陣営のことです――の一員として、資本主義世界の、東西問題と南北問題とがからまりあって生みだされる国際的な政治・経済危機に対処するために、いま、海外における軍事力の発動能力を含む「柔軟な行動能力」を求められているのです。こうして、国際的には、日本にたいして、安保条約の双務化改定と、そのために必要な集団的自衛権をもてるようにする憲法改悪というきびしい要求が、すでに日程にのぼされています。 このように今日、日本は、資本主義世界の経済危機、政治危機に対処するための、「柔軟な、行動能力を待つ」主要五カ国(注・アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・日本)の一つとして、国際的に期待されています。これは別の言葉でいえば、NATOと日米安保条約とを結びつけた共同対応が緊急のものとして要請されているということであり、安保のNATO化が国際的に要請されていることにほかなりません。昨年(注・1981年5月)のレーガン・鈴木(注・鈴木善幸首相(当時))の日米首脳会談の要求も核心はここにありました。 いま、日本国内ですすめられている軍備拡張と日米共同作戦態勢の強化、第二臨調によるニセ行政改革、財政再建、憲法改悪の準備などなどは、国内の政治情況にみあった一進一退や戦術的かけひきにいろどられており、タイム・スケジュールはまだ最終的に確定していないとしても、基本レールは、対米従属の日本軍団主義(注・恐らく「日本軍国主義」の誤記と思われる)の復活完了というこの方向にむけて敷かれており、国民の世論と運動や、野党の動向をみながら、安保のNATO化、憲法改悪をゴールとし、それを可能にする政治的力関係をつくりだすことが企図されていることは疑いありません。こうして、国際的比重の高まった日本の、国内での二つの道をめぐる対決は、国際的な対決と、きわめて緊密に結びつけられつつあります。」(同書、84~85頁) 上田のこの「安保のNATO化」への危惧と批判は、少なくとも1995年までは一貫しており、同年の著作『構造変動の時代』(新日本出版社、1995年9月)では、「日米安保のNATO化」という節見出しを掲げて、その中で以下のように述べている。少し長くなるが、現在のASEAN重視の「東アジア共同体」論の原型とも言える動きを、上田はよく捉えていると思う。 「第二の重要な問題は日米安保条約の多国間条約化、いわばNATO化がめざされてきたことです。ヨーロッパのNATOのような軍事同盟機構をアジアにもつくろう、その中心に日米軍事同盟をすえようというわけです。(中略) アジアに新しい軍事同盟機構をつくろうというねらいについて、ナイ国防次官補は、95年2月19日に毎日新聞(小松記者)との単独会見でそのねらいを次のようにのべています。「我々が今度発表する『東アジア戦略報告』で示すのは、固い礎石としての日米安保体制を維持しながら中国や韓国、他の諸国も含めた信頼醸成の場としての多国間協議体を発展させていきたい、ということとだ。これは日米安保にとって代わるものではない。我々が考えているのはNATOのように強固な日米安保関係と、OSCEのような幅広い多国間協議体だ」(毎日新聞95年2月20付)。 これは非常に重大な表明です。つまり、ヨーロッパではソ連がなくなった後、米軍の撤退もはじまるという状況があるのに、アジアでは新たに日米軍事同盟を「固い礎石」としてNATOをつくろうというわけです。ナイ次官補は、「『東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム』の機能強化やアジア・太平洋経済協力会議(APEC)を活用した安保対話機構の設立に、前向きに取り組む構えを示した」(同前)とあります。 これに日本側も積極的にとりくみをはじめているのですね。去年(94年)の11月にナイ国防次官補が日本にきて、外務省、防衛庁と話し会ったことは先にのべましたけれど、ナイ次官補がこういう表明をして2月27日に「東アジア戦略」(注・アメリカ国防総省が1995年2月27日に発表した報告書「東アジア・太平洋地域にたいする安全保障戦略」)が公表された後、朝日新聞3月13日付に、防衛庁のアジアと安保対話を促進するという方針がまとまったという大きな記事が載りました。「日米安保体制を基軸としながらも、対話の促進によって(アジア・太平洋)地域の『不安定要因』を減らすとしている」というもので、防衛庁方針(要旨)の最後はこうなっています。「この地域ではASEAN地域フォーラムを中心に今後、安保面での多国間の対話が促進されていくことが見込まれ、関与を強めていくことが必要」。 「東アジア戦略」もこのASEAN地域フォーラムを重視しています。「1993年、ASEANは、アジア最初の安全保障問題にかんする幅広い基盤をもつ協議体としてASEAN地域フォーラム(ARF)の創設を提案し、他の国々もそれに同意した。……その第一の目的は、アジア・太平洋地域における安全保障問題を協議する場を提供することにある」。日本はASEAN加盟国でないにもかかわらず、昨年7月、この地域フォーラムに河野(注・洋平)外務大臣と福田外務審議官が出席しています。アメリカが重視しているASEAN地域フォーラムを日本政府も重視しているのです。それが、この防衛庁方針にも表われています。アメリカのNATOのアジア版づくりの構想に、日本も前向きにとりくむ姿勢をとっているのです。 こうなると、当然、安保条約の見直し、集団自衛権や憲法改悪の問題が登場してきます。NATOのアジア版に日本が中心になって参加しようとなると、これは本格的軍事同盟です。第一のPKOからPKF、そういう形で自衛隊の海外派兵が量的にも質的にもひろがっていくということも集団的自衛権問題と大いにかかわりがありますが、第二にあげたNATOのアジア版づくり構想への参加は、本格的軍事同盟への重大な踏み切りであり、自衛隊と米軍の日米共同作戦の地球規模化の実行ですね。」(同書、272~275頁) 今、鳩山政権が提唱している「東アジア共同体」というものは、上で上田が言う「NATOのアジア版」、「本格的軍事同盟」以外の何者でもない(進藤栄一はこのことを極めてあけすけに語っている。このリンク記事参照)。前から書いているように、姜尚中や和田春樹を含めた、東アジア共同体の主要な論者は、ほぼすべて、アメリカをもその構成国に入れているのであって、その下での「安全保障体制」=「東アジア共同体」は、「安保のNATO化」されたものにならざるを得ないだろう。 このことは、朝日新聞も認めると思う。朝日は、昨日(11月14日)の社説「日米首脳会談―新しい同盟像描く起点に」で、「さまざまな分野で協力を強化する日米同盟の「深化」。半世紀に及んだ自民党政権にとってかわった鳩山民主党政権にとって、日本の安全保障と外交の基本を米国との同盟に置くこと、地球規模の課題でも信頼できる同盟パートナーであり続けること、の2点を米大統領と確認しあった意味は大きい。 /中国の経済的、軍事的台頭が著しいこの地域にあって、日米が同盟を基礎に連携し、結び合うことは双方の国益にかなう。地域の安定を保ち、繁栄を続けるためにもそれが欠かせない。両首脳が語り合った同盟強化の根底には、そんな共通理解があるはずだ。」などとした上で、首脳会談を「21世紀の同盟のあり方を描き出す起点としたい。」と述べている。その上で、同日の記事(「米、合意履行が前提 日本の先送り論に不満」)でも、恐らく鳩山が「反米」ではないと説明するために、「政権交代した後も、憲法9条の解釈を問う国会の質問主意書の内閣の答弁書に「現時点で、従来の解釈を変えてはいない」と、あえて「現時点」との留保を入れるなど、(注・鳩山首相は)今後の見直しに含みを持たせている。鳩山首相が旗印にかかげる「東アジア共同体構想」にも、日本が東アジアの安全保障環境を率先して整備することで東アジアの米軍依存を減らしていくという発想が根本にあると見られる。」などと説明している。 以前に、「おそらく、いずれの政権になっても米国は国防費を削減し、米軍規模を減らし、海外から米軍を撤退し、米軍再編を進め、国際協調主義を進め、同盟国に貢献を迫ってくるという一般的傾向を示すことになると思います。こうした全体の傾向の中で、(注・米国)民主党政権のほうがむしろ同盟国に具体的な貢献を一層、迫ってくる可能性が高いといえます。」という森本敏の発言を引用したが、そのまんまだ。「安保のNATO化」である。 また、内閣法制局解釈の縛りがなくなり、派兵の一般法・恒久法が成立すれば、実質的には「憲法改悪」と同じことである。 2. 28年前の上田の慧眼は、「日本軍国主義の復活完了」(という言い方はいろいろ語弊があるが)が、「安保のNATO化、憲法改悪」として表れるであろうことを見抜いている。ところが、あろうことかその後、上田自身が共産党の「東アジア共同体論」への傾斜を率先したようである(このリンク記事参照)。 28年前の上田には残念ながら、以下のことは見抜けなかったようだ。現実に、「安保のNATO化、憲法改悪」を実現しようとする政権を、共産党が実質的に支えることを。また、渡辺治のような共産党系の学者が、東アジア共同体構想を宣伝したり、民主党主導政権を(「監視」しながらも)応援しようなどと大衆に率先して勧めたりすることを。 上田の本から、もう一箇所引用しておこう。 「小選挙区制は、日米支配層にとっては、憲法にもとづく民主主義の原理を合法的に破壊できる一石二鳥の絶大な効果を持った反動的政治手段である。なぜなら第一に、小選挙区制は、『自民党一党独裁の三十八年間に終止符を打つ「政権交代」を可能にする制度』という美辞麗句のもとで実際には主権者の意思を反映できる民主的選挙制度を絞殺して、自民党の絶対多数の確保を可能とし、同時に、憲法改悪に反対する社会党の護憲派を解体し、日本共産党をもほぼ完全に封じ込めることを可能とする選挙制度であるからである。(中略)第二に、小選挙区制は、(中略)金権腐敗にたいする国民の怒りを『政治改革』にすりかえる大規模な欺瞞を可能にし、大企業の企業献金と政・官・財の癒着構造という金権腐敗政治の根源はそのまま温存することを可能とするからである。」(上田耕一郎『政界再編と日本の進路』新日本出版社、1993年12月、27~28頁。上田は、小沢一郎や武村正義の政治構想についても、「自民党政治の大枠での引き継ぎ、危機に瀕した自民党「五五年体制」のいきづまりを、再編強化しようという」ものだと捉えている(『構造変動の時代』53頁)。) 日本共産党はこのたびの選挙で実質的に「政権交代」に手を貸したわけだが、結果は、上田が指摘したように、「ほぼ完全に封じ込め」られたままだ。そして、民主党主導政権の下で、「大企業の企業献金と政・官・財の癒着構造という金権腐敗政治の根源」が温存され続けるであろうことは、誰の目にも明らかになっている。ただし、雑誌『世界』や、リベラル・左派の物書きたち(渡辺治や周辺も含む)はそのことを認めないかもしれない。『世界』は、鳩山政権について、こんなことまで言っている。もはやこれでは与党の雑誌である。 「自民党政治からの「大転換」である。こうした転換は、政権交代の意味と意義を一か月足らずで誰の目にも明らかにした。これまでの政治から利権と特権に与ってきた人々からは怨嗟の声と抵抗が起き、発想を変えられないメディアは戸惑い、苛立っている。しかし、国民は全体として、この大転換について好感を持ってみているようだ。「予想以上」というのが大方の評価なのではないか。」(『世界』臨時増刊号「大転換 新政権で何が変わるか、何を変えるか」巻頭言より。2009年11月8日売) 上田は、『構造変動の時代』で、高畠通敏の言葉を引用しつつ、村山内閣の成立について、「「世界の大勢」への順応という名のもとに、戦前の大政翼賛会つくりに社会大衆党がのみこまれていった経過と同じような事態」だとし、「社会党は、もっぱら、自民党政治を国民に押し付けるための欺瞞の道具、社会党という名で多少いいことをやるんじゃないかという幻想をかきたてて自民党政治を美化する、アメリカ帝国主義と日本の反動勢力を美化する、きわめて醜悪な役割しか演じない党に完全に変質したといわなければなりません。」(同書、62頁)と述べている(なお、上田は村山内閣を「戦後最悪の内閣」としている(同書、133頁))。今の社民党がまさにそれだが、共産党も、似たような道を辿らないという保証はあるまい。実質的にはそうなりつつある。 興味深いことに、上田は、当時の社会党について、以下のように述べている。 「第一次大戦当時の歴史が明らかにしているように、社会党と共産党との違いは帝国主義者のように行動するのかどうかです。帝国主義戦争にたいする態度の問題で別れたんです。いまの社会党の委員長、村山首相をみてごらんなさい、社会帝国主義者です。口先は社会主義で(口でもいわなくなったけれど)、行動では安保も堅持でしょう、自衛隊も合憲でしょう、なんでもアメリカ賛成ですよ。あれも社会帝国主義者です。」(同書、173頁) 私は社会主義者でも共産主義者でもないが、「社会帝国主義」という社会科学上の概念は有効かつ妥当性があると考える。上の上田の指摘は、その通りとしかいいようがないだろう。では、渡辺治らが主張している、民主党主導政権の下での「福祉国家」の成立は、「社会帝国主義」ではないのだろうか。社会主義者たちが自国の第一次世界大戦への参戦を擁護し、レーニンらの激しい批判を招いたことは、高校の世界史でも習うから、渡辺がそのことに無自覚であるはずはない、と普通は思うだろう。では、最近の、渡辺によるこのあたりの叙述について、見てみよう。湯浅誠との対談からの一節である。 「湯浅 (前略)実は戦前から、軍隊にいくのは農家の二男坊、三男坊と決まっていて、野宿している人の中にも自衛隊出身者は多かったのです。だから貧困と自衛隊は切っても切れないのですが語られてこなかった。高度経済成長の中で日本が貧困問題を忘れた。それがいま裏側から問題になってきているのではないでしょうか。 赤木智弘さんの、「『丸山真男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)もそういう話だと思っていて、結局、現状から脱却できるルートはほかに何もないではないか。だから戦争でも起こらない限り流動化しない、何もないことの不在に対するアイロニーとして戦争を持ち出したのであって、彼の言っているところの良質的な部分を読めば、別に若者の右傾化というような話ではないだろうと思っています。 渡辺 いまの話を歴史的に考えると、資本主義の歴史で、「戦争」と「貧困」がセットになるのは19世紀末からの福祉国家と帝国主義の時代です。 それ以前の、古典的な自由主義の時代に、資本の野放図な活動により貧困や格差が深刻化し、社会問題となった。それに反対し貧困の抑止をめざす二つの大きな動きが起こった。労働組合・労働者政党と、もう一つはまったく逆の帝国主義です。 帝国主義間の市場競争の中で、植民地の獲得戦争に国民を総動員するには、帝国主義戦争への同意と引き換えに選挙権・社会権と福祉を与えざるをえなくなったのです。さらに、戦後の「冷戦」の中で、社会主義との対抗の意味でも、福祉国家的な政策が実現していく。「貧困の抑止」と「戦争・冷戦」がセットになった。 「戦争」と「貧困の抑止」というセットが大きく崩れたのが第三の新自由主義の時代です。冷戦が終わって社会主義がつぶれてなくなった。グローバルな競争が激化する中で、今までのように福祉供与のための重い税金とか、労働者に対する保護、国民の安全とか労働者の保護のための規制をやっていたら競争に勝てない。資本の競争力強化のために福祉を切り捨てるドラスティックな新自由主義の改革が強行された。しかも、旧社会主義体制も吸収して拡大したグローバル企業の市場を維持するには、それを守っていくための警察官が必要だし、秩序に刃向かうイラクとかイラン、北朝鮮などの「ならず者国家」は、場合によっては力によってでもつぶさないと、日本やアメリカなどの大企業が安心して活動する世界はつくれない。アメリカを中心として、世界の警察官のための軍事化、冷戦期にもないような戦争の時代が始まった。戦争と貧困の新たなセットが出現したのです。 特に日本の場合には旧福祉国家であるイギリスとかフランス、ドイツには見られないような、非常に深刻なかたちでの戦争と貧困のセットが登場しています。」(湯浅誠・渡辺治「対談 戦争と貧困」『金曜日』2008年9月12日号) 赤木を大して問題だと思っていないらしい、「国家戦略室参与」の発言も興味深いのだが、ここで見ておきたいのは渡辺の叙述である。上の叙述は極めて奇妙なのである。 奇妙なのは、上田が指摘した周知の史実、第一次大戦での参戦肯定に典型的な、「帝国主義」を擁護する「労働組合・労働者政党」である、「社会帝国主義」が独自のカテゴリーとして存在していない点である。あくまでも、「労働組合・労働者政党」と、「まったく逆の帝国主義」という二項対立である。 かつての渡辺(や共産党系の学者)ならば、「社会帝国主義」(ヨーロッパ型の社会民主主義政党)というカテゴリーが自明のごとく存在したから、「帝国主義戦争への同意と引き換え」に、福祉を享受し、戦後の冷戦体制を擁護しつつ「福祉国家的な政策」を実現させてきた「社会帝国主義」への批判は自明のものだった。ところが、上の渡辺の叙述では、そのようなカテゴリーが存在せず、「帝国主義」と「労働組合・労働者政党」の二項対立しかないから、「第三の新自由主義の時代」が来て、新自由主義が、安定装置としての「社会帝国主義」政党や御用組合すら切り捨てようとする動きも、労働者全般への攻撃ということになり、それに反撃してもう一度「福祉国家」を立ち上げること自体も正当化されることになる。かくして、共産党や共産党系の渡辺のような学者は、「福祉国家」の建設という建前で、民主党主導政権に協力できるわけである。 「口先は社会主義で(口でもいわなくなったけれど)、行動では安保も堅持でしょう、自衛隊も合憲でしょう、なんでもアメリカ賛成ですよ。あれも社会帝国主義者です」というのは、臨検特措法にすらまともに反対せず、対北朝鮮政策でも衆議院選候補者の半数近くが「より圧力を」かけることを要求する、今の共産党を表すにふさわしい言葉かもしれない。共産党の幹部らしい(2003年6月時点で共産党政策委員会安保・外交部長)、『ロスジェネ』の出版にも関わっている松竹伸幸は、城内実をすら擁護している人物である。典型的な「社会帝国主義者」である。こんな人物が幹部なのだ。 上田は、『構造変動の時代』で、クリントン政権が、「アメリカ帝国主義の新しい「拡張戦略」のもとで、「冷戦が終わった」という大宣伝にかくれて、実際に彼らは戦時動員態勢をつづけ、作戦を展開してい」ることに触れ、「とにかくみなさん、アメリカ帝国主義を甘くみたらいけないですよ。核拡散防止のために核兵器を使うなどという許せない態度で、マスコミを動員して、日本の反動勢力を動員して、アメリカの方針が当然のことであるかのようなキャンペーンをやっているのですから。ここをしっかり見ぬかなければなりません。」と警告している(193頁)。もちろん、同質の「キャンペーン」に疑問を持たず、「核兵器廃絶」(核拡散防止条約でも謳われているのだが)を訴えたオバマ大統領のプラハ演説に感動し、オバマから手紙の返事を貰って喜んでいる共産党に、そのことを期待するというのは愚かというものだろう。
by kollwitz2000
| 2009-11-15 00:00
| 日本社会
|
ファン申請 |
||