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2009年 12月 03日
1.
川田龍平参議院議員の「みんなの党」への入党には驚いた。この件は、意外に重要な案件ではないかと思う。 ウェブ上で左派の見解を見ると、予想通り、川田が市民運動を裏切った、といった非難が一般的だ。左派の見解では、「みんなの党」は保守系の新自由主義政党で、自民党や民主党が構造改革路線を一時的に後退させていることに不満を持っている層に支持されている、ということになっており、私もそう思っていた。実際に、新自由主義者の渡辺喜美が党首であり、日本版ネオコンとでも言うべき浅尾慶一郎もいるのだから、保守系の新自由主義政党、という規定は正しいように見える。 ただ、今回、川田の入党をきっかけに、恥ずかしながら初めて「みんなの党」の結党宣言やマニフェストを見るなどしてみると、そうした規定はこの党の性格を十分に捉えておらず、かえって有害な役割を果たしかねないのではないか、と思うようになった。 「みんなの党」のマニフェストの特徴は、新自由主義というよりも、むしろその可塑性である。すなわち、「新自由主義」的に読めるのは勿論のこと、「脱・格差社会」的にも読めるのである。例えば、労働問題で掲げられている施策は、今の格差社会論の政策的な落としどころと思われるものから、そう外れていない。安全保障に関しても、小国主義的な護憲派からすればもちろん「右」であるが、憲法問題に一切触れていない点に象徴されるように、「リベラル」とでも「保守」とでも言えるようなものになっている。 もう一つの特徴は、「政治家や官僚の利権」、「特定の業界や労働組合」の「既得権益」の徹底した排除を強調する姿勢である。後者は明らかに、自民党や民主党を念頭に置いている。この辺が、「新自由主義」政党と言われる大きな要因だろう。 私は、「みんなの党」のことを、政策重視を打ち出していた新自由主義的かつ保守的な小政党、小沢一郎がかつて率いていた自由党のようなものだと思っていたのだが、どうやらそれは外れているように思う。このマニフェストの可塑的性格と、後述する理由から考えると、「みんなの党」は、自由党よりも、むしろかつての「日本新党」に似ていると思う。 2. 細川護熙編『日本新党 責任ある変革』(東洋経済新報社、1993年4月刊)は、「日本新党の政治理念、政治姿勢、政策を理解していただく書」(同書、12頁)であり、同書では、政・財・官の癒着と官僚政治の打破(「日本新党の基本方針は、徹底した現行行政の解体・再編である」30頁)、「地方分権」、「生活者主権」といった主張が、繰り返し説かれている。なお、安全保障については、「世界に類を見ない“平和憲法”こそ第一に世界にアピールすべき」とする「護憲的改憲論」、という主張に見られるように、「活動する平和主義」、自衛隊とは別個の「国連平和協力隊」の創設など、「右」とでも「左」とでもとれる内容である。 同書掲載の「日本新党の位置づけ」(31頁)という図が、日本新党が自己をどうアピールしたかったかをよく示してくれている。 ![]() 同書では、以下のようにまとめられている。 「日本新党が立党宣言で掲げた旗は、「品格ある、教養ある国家」である。基本理念は何よりも「平和主義」であることは言うまでもない。そして、政治的には「民主主義」、経済的には「市場主義」。つまり、外に向けては、自由な通商体制である。内に向けては、政官業の癒着、官僚政治によって働いていたものが正当に報われるという「正しい資本主義の精神」が失われてしまったが、その正義を取り戻すことである。さらに、社会的には「生活者主義――地方分権の確立」によって、豊かさを実感できる社会を実現することである。」(同書、8頁。強調は引用者、以下同じ) ところで、「みんなの党」の結党宣言に掲げられたスローガンを見てみよう。 「「脱官僚」「地域主権」「生活重視」で国民の手に政治を奪還する!」 そのまんまではないか。 ただ、これは「みんなの党」が日本新党の政策に影響を受けているというよりも、むしろ、政党の性格が似ているから、掲げるスローガンも同じになる、と理解すべきだと思う。 日本新党は、同書でわざわざ一章を割いて、「なぜ既成政党はこれほど飽きられているか」(同書PART1第2章タイトル)を説いているが、既成政党への有権者の不満を吸収して、日本新党は、1992年5月の結党から2カ月後の参議院選挙(1992年7月)で4議席、1993年7月の衆議院選挙で35議席を獲得する。 私は、「みんなの党」も、今後、日本新党と同じく、既成政党への不満を吸収していくと思う。川田の入党は、そのことを示唆すると同時に、その傾向を助長すると思う。 川田は入党にあたって、以下のように発言したと報じられている。「みんなの党」のホームページにある記者会見の動画を見ると、確かにこのように発言している。 「川田氏はまた、民主党からも入党の誘いがあったことを明らかにした上で、「議員立法の禁止や議員連盟の加入制限など、一党独裁的な政治が行われている。自由に発言ができない」と入党を拒否した理由を述べた。さらに「薬害問題の温床は政官業の癒着だが、民主党は労組や企業に支えられ、しがらみから抜けきれない。『脱官僚』をできないことも明らかになった」と民主党批判を展開した。」 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091201/stt0912011816007-n1.htm この川田の発言は、完全に正論であろう。川田の「みんなの党」への入党自体は、川田の人脈等の関係かもしれないが、社民党ではこのような形での民主党批判ができないことは明らかである。もちろん「みんなの党」も、民主党政権に対しては「是々非々」路線であるが、要するに、社民党の政権参加や共産党の政権への協力姿勢によって、民主党批判が「みんなの党」に回収される回路が成立している、ということだ。共産党は、90年代後半、「政治改革」に踊った既成政党への不満票を吸収して、一時的に党勢を拡大したことがあったが、再版「政治改革」である今回の「政権交代」に際しては、そうした風は吹かず、不満票は「みんなの党」に流れるのではないかと思う。 うまくやれば、「みんなの党」は、日本新党と同じくどうとでもとれる方針を掲げることで、民主党政権への不満票を吸収する一方、新自由主義の立場の経済学者(例えば池田信夫)の支持や、左派による「新自由主義政党」とのレッテル貼りを受けて、構造改革の支持者の票も獲得できるだろう。「みんなの党」には、もともとこの2つの顔があって、前回の衆議院選挙では後者の顔で支持されたが、川田の入党をきっかけに、前者の顔が前面に出てくるのではないかと思う。 3. 「みんなの党」が単に、自民党と民主党に次ぐ第三党を目指しているだけならば、それほど大きな問題ではないのである。「みんなの党」の党勢拡大が重要だと考えるのは、多分これは大連立につながるのではないか、と思うからである。 「みんなの党」の結党宣言には、以下のようにある。 「 我々「みんなの党」は、今の「政党政治」は「ニセモノの政党政治」だと考えている。同じ政党内でありながら考え方が違い、議員同士が足を引っ張り合う中で、最後はその間隙を縫って官僚が出てきて、足して二で割る当たり障りのない、さして効果もない政策しか打ち出せない。こうした「寄り合い所帯」化した今の政党政治では、いつまでたっても、この国に「夜明け」は来ない、「官僚の世」を終わらせることはできないと考えるからだ。 したがって、我々「みんなの党」は、政権交代後の更なるステップとして、今の政党政治を整理整頓して、政治理念や基本政策ぐらい一致させた「真っ当な政党政治」の実現、すなわち、「政界再編」を究極の目標とするものである。 我々「みんなの党」は、このため、「脱官僚」「地域主権」という理念、政策の旗印を大きく掲げて、今後、この政界再編の荒波の中で、政党横断的に改革派を糾合する「触媒政党」の役割を果たしていけたらと思う。 そして、真の「脱官僚政権」を樹立し、「官僚国家日本」を変える、国民の手に政治を奪還する。」 ここで言われている「政界再編」とは、恐らく、大連立またはそれと類似のものである。「みんなの党」が蝶つがいの役割を担って、自民党と民主党を合わせる、という形だろう。その際には、両党の一部が脱党して右派新党を作るだろうが、大した数にはならないだろう(多分、「左派」は脱党しないだろう)。 実際に、党首の渡辺喜美は今年1月、「危機管理内閣をつくるべきだが、(自民党と民主党が)水と油みたいな戦争を繰り広げている今の状況では無理だ。私が第3極をつくって橋渡しをやる」と発言している。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090114-OYT1T00705.htm 私は上の発言を、kojitaken氏のブログ記事で知ったのだが、kojitaken氏が指摘するように、渡辺の発言は、平沼赳夫と同じ発想である。平沼は、自身の新党構想について、以下のように述べている。 「小手先の議論ではない、憲法問題のような基幹的な問題に対処できる強力な大連立政権を組み立てたい。私に、そして「平沼グループ」に使命があるとしたら、このために二大政党を結びつける役目を果たすことでしょう。二百六十年つづいた幕藩体制を倒すため、反目しあっていた薩摩と長州が手を結ぶ橋渡しをした坂本龍馬のような役目を果たせないかと考えています。」(平沼赳夫「わが友麻生総理よ、漫画はもうやめておけ」『諸君!』2009年1月号) 最近、田中康夫が「新しい保守」の結集を呼びかけているのも、同じような、第3極→大連立といったものを目指しているのだと思われるが、「みんなの党」は多分これには乗らないと思う。ここで名前が挙がっている国民新党や平沼グループや「田中康夫」は、「みんなの党」が言うところの「しがらみ」が強すぎるので、大衆的支持を得た「第3極」を形成できないと考えるだろうからである。 やや陰謀論的な話になるが、恐らく大連立成立に向けてはいくつかのルートがあって、「みんなの党」の党勢拡大→第三極の形成→大連立といったシナリオは、今のところ、その中でもかなり有力なものではないかと思う。 これはかなり昔、猪瀬直樹が言っていたと思うのだが、「官僚政治の打破」「脱官僚」を至上命題にすれば(例えば佐藤優)、大連立が最も合理的、ということになりやすいのである。大連立擁護者は、「大連立でなければ、与党による改革で官僚が追い詰められた場合、官僚は野党に対して、与党や与党議員の致命傷となる資料を密かに送り、与党を攻撃させる、だから、官僚政治を打破するためには、大連立によって官僚を封じ込まなければならないのだ」と主張するだろう。実際に、猪瀬はそのように主張して、大連立を待望していた。上に挙げた「みんなの党」の結党宣言に見える、ファナティックなまでの「脱官僚」の声は、そのことを示唆していると思う。 なお、『日本新党 責任ある変革』という本は、以下の文章で結ばれている。 「 日本新党は「政権交代」という高い志を持った人たちが集まるための“触媒”であっていい。「小異」を語りながら、さまざまな壁を取り払い、新しい日本をつくるべく“薩長連合”を実現させた坂本龍馬の役割を果たすつもりである。そして、「政権交代」という「責任ある変革」を実現するためにすべての力を結集していく。それがいま、日本新党に課せられた最大の使命であると確信している。」(同書、236頁) 面白いのは、「みんなの党」結党宣言にあった「触媒」という言葉、上記の平沼の引用文にもあった「坂本龍馬」の比喩が、ここにも表れていることだ。この三者は役割を同じくしている。日本新党が、小沢一郎による「政権交代」劇の最大の協力者であったように、「みんなの党」も、より大きな再編劇で、同じ役割を果たすだろう。
by kollwitz2000
| 2009-12-03 00:00
| 日本社会
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