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2010年 01月 11日
1.
最近、以下の記事を知って、唖然としてしまった。朝日新聞2009年12月17日付の記事である。 ---------------------------------------- 運動の論理貫き30年 理論・情報誌「インパクション」 死刑廃止や反基地、反天皇など、大手メディアが伝えない運動を紹介し続けてきた理論・情報誌「インパクション」(隔月刊)が創刊30年を迎えた。 (中略) 創刊時、すでに学生運動のピークは過ぎ、左翼系総合誌の休刊も始まっていた。代わって登場したのが、ウーマンリブや自然保護など、シングルイシューを掲げた雑誌。創刊以来編集長を務める深田卓さん(61)は「それぞれの運動がタコツボに入り、『専門化』しかけていた。各運動をつなぐ総合的なメディアが必要だと考えた」という。 ほぼ一人で編集実務を担い続けてきた深田さんは、86年に独立し、「(株)インパクト出版会」の社長になった。現在の発行部数は数千部、30年前より3割ほど落ちたと言い台所は楽ではないが、DTP化で制作費が30年前の3分の1に下がったこともあり、十分採算はとれていると話す。 07年11月には、金光翔氏の論文「〈佐藤優現象〉批判」が注目された。「反貧困」の特集号では、20~30代の若い読者もつかんだ。しかし、あえて「売れ筋」企画を繰り返すことはしない。商業誌として30年間成り立たせてきたが、根っこにあるのはあくまでも運動の論理だ。 「この手法は総合雑誌としては通用しないかもしれないが、ほかの雑誌がやらないことを運動現場の視点から考えることが特徴。単なる評論をするつもりはありません」(樋口大二) http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200912170233.html ---------------------------------------------------------- この記事が出るにあたっては、当然、深田氏も事前に読んでいるだろう。私が呆れたのは、以前書いたように、深田氏が私に対してあれだけ非常識な対応をとり、佐藤優とも率先して手打ちをしておきながら、「07年11月には、金光翔氏の論文「〈佐藤優現象〉批判」が注目された」などと、あたかも深田氏らの功績であるかのように描かれていることである。どこまで厚顔無恥なのだろうか。 小谷野敦は、この件に関する『インパクション』の対応について「やっぱりダメなバカ左翼雑誌か」と評しているが、その評価の正しさを再確認させられる。 「根っこにあるのはあくまでも運動の論理だ」などとされているが、だとすれば、「<佐藤優現象>批判」も「運動の論理」として掲載されたことになるわけだから、深田氏が佐藤と率先して手打ちをしたことはなんだったのか、ということになる。ひょっとすると、ここでの「運動の論理」とは、党派性の下では原則や正義をねじまげる、という意味で使われているのかもしれない。そのまんまであるが。 『インパクション』の中心メンバーは、反天皇制運動連絡会(反天連)周辺の無党派左翼であるが、この手の「無党派」左翼が、実際には、セクト以上にセクト的に動き、自分たちの利害次第で原則や正義を簡単に踏みにじる、というのは、ごくありふれた事例であろう。『インパクション』は、こういった中心メンバーの周辺に、ポストコロニアル系の研究者がいる、という配置になっている。 板垣竜太氏がなぜ編集委員をやっているのか、とたまに読者から質問されるが、私に聞かれても分からない(笑)。板垣氏には、このブログ内を検索すれば分かるように、いろいろな点でお世話になっているが、もともと私とは基本的なスタンスは異なっており、共闘するところは共闘する、という関係である。 それにしても、上の記事は突っ込みどころ満載で、「「反貧困」の特集号では、20~30代の若い読者もつかんだ」という箇所も笑ったが(そんなものでつかめる読者に何の意味もない)、「十分採算はとれている」という箇所にも驚いた。じゃあ雀の涙でも原稿料を出すべきだろうに(注1)。私が深田氏に驚いたのは、原稿料が出ないこと自体よりも、原稿料が出ないという説明が深田氏から一切なかったことである(「原稿料が出ないんだったらもらえないか」ということで、かわりに、インパクト出版会発行の本1冊か2冊と私の論文が掲載された号の『インパクション』を20部ほどもらった)。載せてやってありがたく思え、とでも言わんばかりだった。原稿料が出ないことを正式(?)に知ったのは、論文掲載号が出版されてから1カ月ほどして、常連執筆者に確認した時だ。 深田氏といえば、深田氏が佐藤と会うらしい、という話を編集委員から聞き、私が電話で「佐藤と会うそうですが・・・」と聞いたとき、深田氏は「あ、金さんには言うなって言ったのにな・・・。気にするから」と言っていた。深田氏は書き手である私に黙って会おうとしていたのである。まさに談合である。 深田氏は、私が「首都圏労働組合特設ブログ」で『週刊新潮』の記事による攻撃への反論をはじめた際、「ブログなんて意味がない。そんなにブログに価値を認めているのならば、論文も、『インパクション』ではなく、ブログで掲載すればよかったのではないか」とも言っていた。それでいて、佐藤と深田氏を仲介した安田氏をブログで批判すると逆上するのであるから、意味不明である。ブログに意味はないというならば、無視すればいいではないか。 (注1)今号の「編集後記」では逆に、深田氏による、経営が苦しいという読者への訴えが掲載されている。どっちなんだ。朝日の記事を見て、「だったら原稿料を払え」というこれまでの書き手たちからの抗議が来たのかもしれない。 2. それにしても、上の朝日の記事などから、「『インパクション』は<佐藤優現象>に感染していない」と捉える人がいるかもしれないが、事態は全く逆であると考える。 論文「<佐藤優現象>批判」を読めば自明だと思うのだが、論文を支持してくれている方々の中にも誤解しているとしか思えない人々が若干見られるので改めて強調しておくと、私が問題にしているのは、佐藤優というよりも<佐藤優現象>であり、リベラル・左派の「国益」論的なものへの変質である。すでにその変質はほぼ完了してしまっている。 もちろん、佐藤をリベラル・左派メディアが起用しないことは望ましいことではあるが、逆に、佐藤と懇意であったり起用されていたりすれば、その人物やメディアが<佐藤優現象>に巻き込まれていることが分かるので、大変都合がよかったわけである。問題は、佐藤と一見関係がなさそうな人物やメディアですら、<佐藤優現象>として立ち現れる、「国益」論的な変質(転向)の傾向を強く持っているケースが往々にしてあることである。佐藤優のいない<佐藤優現象>だ。奇妙な例としては、私の論文に賛同を示す人の中でも、右翼と共同で雑誌を立ち上げる人々とか、自称「ファシスト」と親しいらしい若手労働運動家とか、変な人たちもいる。残念ながら、雑誌などで書いている文章からそう判断せざるを得ないのだが、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」への署名者にも何人か、当てはまる人々がいる。 この「佐藤優のいない<佐藤優現象>」を構成する人々やメディアには、私が論文やブログで行なってきた、<佐藤優現象>に親和的なリベラル・左派への批判が、大体当てはまる。 この「佐藤優のいない<佐藤優現象>」が問題なのは、<佐藤優現象>と距離をおいている、またはそれを批判しているはずの論者たちの言説が、同じような問題を再生産してしまう、という結果をもたらしかねないことである。もちろん、佐藤をリベラル・左派メディアが起用することは、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」が指摘するように、「人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らか」なのであって、リベラル・左派メディアによる佐藤の起用が終わることが望ましいことは自明であるが、<佐藤優現象>にまともに対抗するには、そこに止まるべきではないと思う。 また、「リベラル・左派が佐藤を使うことをやめてくれさえすればよい」とすることは、従来どおりの、「改憲派対護憲派」または「保守・右翼対リベラル・左派」という図式を再生産することになる。もちろん、現在の左派に見られる、民主党政権(一定)支持という傾向は、この図式に則ったものである。 これでは、『世界』や『金曜日』など、護憲派ジャーナリズムの主要な雑誌や論者たちが、既に「国益」論的なものに変質している、という事態を全く捉えられなくなってしまう。アメリカの民主党やイスラエルの左派、日本の民主党がそうであるように、護憲派ジャーナリズムのような、「国益」論的に変質したリベラル・左派の主張は、それ自体としてある種の整合性・体系性を持っている。論文「<佐藤優現象>批判」でも指摘したつもりなのだが、今の『世界』や『金曜日』が佐藤優を起用することは、別に矛盾でもなんでもないのであって、矛盾しているのはいまだにそれらの雑誌が「平和」やら「人権」やらを標榜(する記事を掲載)していることである。このブログでも何度も指摘しているように、『世界』や『金曜日』が佐藤を起用するのは必然であって、一過性のものではない。 逆に言えば、佐藤優の起用には距離をおく、もしくは反対しながらも、「佐藤優のいない<佐藤優現象>」には感染している人々の方が、矛盾しているのである。その矛盾は、遅かれ早かれ、第二・第三の佐藤優が登場するか、同質の問題が登場するかによって「解消」されることになるだろう。これは、赤松克麿らが1932年に日本国家社会党を結成した際には、大部分の無産運動が批判していたにもかかわらず、数年後には似たような主張を展開するようになっていくことと同型的である。 この構図は、以前述べたように、かつて山口二郎を批判していた渡辺治の転向、竹田青嗣を批判していた姜尚中の転向、といった形で完全に反復されている。 そして、『インパクション』が、「佐藤優のいない<佐藤優現象>」と呼ぶべき論調にあることは顕著であると思う。書き手として朴裕河が登場していること(注2)がその象徴である。以前、「仮に私の論文が載らなければ、『インパクション』は佐藤を登場させていたんじゃないですか」とある編集委員に述べたところ、この人物も、「そうかもしれない」と言っていた。私は、最新号(第172号)のいくつかの記事を図書館で読み(注3)、ますますその思いを強くした。 管見の範囲では、こういう紙媒体の左翼雑誌の中で、存在意義のあるものは一誌もないのであって、そうした左翼雑誌への幻想をなくしておくためにも、私の論文が掲載されたことによる読者への誤解を解くためにも、『インパクション』が「佐藤優のいない<佐藤優現象>」に感染していることを指摘しておくことは必要であろう。また、その問題点は、「佐藤優のいない<佐藤優現象>」のよい事例となっている。以下、最新号のいくつかの記事と、同誌および「佐藤優のいない<佐藤優現象>」を規定していると思われる傾向について述べる。 (注2)なお、『インパクション』は毎号、「「運動のメディア」読者会報告」として、『インパクション』読者会参加者による前号の感想会の様子が掲載されている。第171号を評した今号のそれでは、朴裕河の論文が賛否両論だったことが述べられた上で、「大沼保昭や和田春樹など国民基金に関与した人びとの主張も含めて、否定一辺倒ではなくあらためて洗いなおしてみる必要がありそうだ。」とまとめられている。この見解は、「国民基金」的な「和解」論に親和的な、現在の『インパクション』周辺の<空気>をよく表していると思う。 (注3)今号から新しく編集委員に加わった金友子は、呆れることに、『ロスジェネ』の執筆者である。これは、同じく「若手」の在日朝鮮人である、崔真碩(チェ・ジンソク)が、佐藤優と親しげに座談会で話していることとも、同質の問題を孕んでいると思われる。 金友子の今号の文章は、参政権について「問題」の周りでたたずむ自分語りに終始しているものだが、驚いたことに、昨年秋に国会提出を予定していた民主党の外国人参政権案について、「永住者のうちでも「わが国と外交関係のある国の国籍を有する者もしくはこれに準ずる地域を出身地とする者」としている。この限定を設けることで、ある種の人々を排除しようとしている。」と一見批判的に解説した上で、この文末に、「まったく制限を設けるな、と言いたいわけではない。」などと自注を付している。逆に言えば、制限を設けてもよい、ということらしい。これでは、金友子が弱々しく異議を唱えているらしい、朝鮮籍を排除しようとする小沢案に対して、反論できないだろう。
by kollwitz2000
| 2010-01-11 00:00
| 佐藤優・<佐藤優現象>
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