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2010年 02月 04日
図書館で時間待ちのために冗漫な床屋政談を読んでいたら、読み捨てできない発言に出くわしたので、思わずコピーをとってしまった。
「木下 この間、民主党の主要な政治家の中で、最も位置づけがはっきりしないのが菅なのですが、鳩山と小沢は菅の何を警戒しているのでしょうか。 渡辺 鳩山にしてみれば、菅が権力を握ると、構造改革停止を求める国民の声と、財界やアメリカの圧力の中で、どちらかというと反構造改革的な声の方をポピュリスティックに政権に反映するだろうという懸念があります。簡単にいえば、支配階級の安定した政治からの逸脱が起こるのではないかという懸念です。一方の小沢は、菅に対して、今は自分のコントロール下に入るように振舞ってはいるけれど、いったん権力を握ったらきっと自分に刃向かうようなやつで信頼できない、という非常に強い不信感があります。」(渡辺治/木下ちがや(聞き手)「鳩山政権100日の攻防とその行方」『現代思想』2010年2月号、対談日付は1月11日、強調は引用者、以下同じ) 「ポピュリスティック」という言葉は使っているものの、いまだに渡辺は菅に幻想を持っているようである。これは、渡辺が民主党に抱いている幻想(「過渡的政権」という規定自体がそうである)と対応している。菅の政治的な無節操は周知のことであり、菅がどれほど口当たりのいいことを言おうが、「支配階級」に背く可能性はない。そのことは大衆には周知のことであって、そのような過剰な期待または不安を持っているのは、リベラル・左派とネット右翼だけである。 渡辺の情勢分析が、なぜ一読する限りはそれなりの説得力を与えるのに、現実にはほとんど当たらないのかというと、渡辺が、政治家や官僚の発言を余りにも真に受けるところに一因があると思う。渡辺は、あらゆるところに支配層内部の路線対立を見出そうとするが、一見対立しているように見えても、そうした対立は往々にして、土地の値段を上げるために「立ち退き反対!」を主張している住民が存在するように、はじめから落としどころは決まっているのである。この、元来の渡辺の欠点が、政権が共産党にも媚を売る中で、悪い形に結果している。渡辺は、民主党を、新自由主義派、開発主義派、新福祉国家派の3つに区分けし、その「分裂」を利用しようとしているが、それは却って自らや追随者を利用される位置に追いやることになる。そして、現にそうなっている。 また、上の発言は、「反構造改革的な声」が大衆的にわき起こっている、という認識の下で発せられているが、私はそれ自体が幻想だと思う。そもそも渡辺のこうした主張の根拠は恐ろしくあやふやである。そのことは、渡辺による、総選挙結果の分析の杜撰さを指摘するだけで足りよう。 渡辺は、「新自由主義転換期の日本と東京――変革の対抗的構造を探る」(『世界』2009年12月号)で、以下のように述べている。 「宮崎県からみてみよう。宮崎県は長年、自民党の利益誘導型政治のために自民党の金城湯池であった地域の一つである。2001年には自民党の得票の全国平均を7.37ポイントも上回る強さを誇った地域であった。それが構造改革、とりわけ小泉政権で強行された「三位一体改革」で交付税交付金や補助金を減らされ、衰退を余儀なくされる中で自民党票は一路減少を続けた。なんと小泉自民党が圧勝した、あの05年総選挙ですら、宮崎では得票率が下がっていたのである。宮崎県のグラフは、民主党勝利の原動力が構造改革の政治に対する国民の批判にあったことを明瞭に示している。」 ![]() なんでこれだけで「宮崎県のグラフは、民主党勝利の原動力が構造改革の政治に対する国民の批判にあったことを明瞭に示している」なんて言えるのよ。グラフが示しているのは、宮崎では自民党の得票率が下がっているという事実だけであって、低下の理由が「構造改革の政治に対する国民の批判」にあるとする根拠は何もない。もちろん、このグラフで示されている事実について、恣意的に、「構造改革の政治に対する国民の批判」だとすることも可能であるが、このグラフからは、同じように、「自民党の腐敗・無能がどうしようもないから有権者が離れていった」という、よく言われる説(そして、この方が渡辺説よりもはるかに妥当性があると私は思う)も成立してしまう。 しかも渡辺は、同じ文章で、少なくとも2003年までの民主党は「自民党より急進的な構造改革路線を掲げていた」と記述しているから、上の渡辺の解釈はより珍妙なものになってしまう。2003年まで民主党が「自民党より急進的な構造改革路線を掲げていた」ならば、自由党の合流があったとは言え、なぜ2001年から2003年にかけて民主党の得票率は大躍進しているのか?渡辺説では説明できないではないか。 もちろん私も、今回の選挙結果について、「構造改革停止を求める国民の声」がある程度は反映したであろうことを否定するわけではない。だが、このグラフのみから選挙結果が「構造改革停止を求める国民の声」だと読み取れるとは到底言えない。ここから読み取れるのは、選挙結果を「構造改革停止を求める国民の声」が繁栄した「歴史的」なものだということにしたい、渡辺の欲望・衝動だけである。 菅の愛人と報じられた人物(本人は否定)の手記本には、政治家としての菅直人への幻想が溢れている。 「一般市民の菅直人。ロイヤリティが大好きで、権威やしがらみに弱いこの国で、大岡越前ではない、いわゆる銭形平次が総理にならんとしている。そして実行者が変わると、確実に変わるのだということを見せようとしている。・・・彼のような人を総理にすることができる国なのかどうか。日本は今、それを試されているのだと思う。彼を重要な公共財と私が思う所以だ。彼のような普通の人間を総理にできる国とは、たとえば身障者の人が年収1000万円稼げる国であり、大学に行っていない人が弁護士になれる国だと思ってみるのもいい。・・・菅直人を総理にすることは、日本がそういう国に脱皮できる早道だと、私は考えている。彼が総理になれば、たぶん日本全体の価値観が変わっていく。」(205~206頁)といった類の文章だ。渡辺やリベラル・左派の幻想も、この人の幻想と同じである。 上の手記本からも推測できるのだが、菅は多分、マスコミによくいる、「この男はすごい!」「この男ならやってくれるに違いない!」というオーラだけは半端ないが、中身は何もない、という人物である。そして、菅は、リベラル・左派系の学者に流し目を送ったり、岩波新書を書いたりするように、そうした「幻想」の利用価値をよく認識しており、「幻想」を活用することに意識的であるように思われる。 「菅直人を総理にすること」が現実味を帯びつつあるが、今後、こうした菅直人幻想もより広範にまき散らされることだろう。リベラル・左派をはじめとしたマスコミやアカデミズムは、渡辺の例から見ても、簡単にひっかかるだろうが、こうした幻想は極めて有害であって、断固として拒否しなければならない。
by kollwitz2000
| 2010-02-04 00:00
| 日本社会
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