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2010年 02月 19日
1.
現在の言説状況は、要するに、イデオロギー論争の終焉、という言葉でまとめることができると思う。これは、マスコミ・ジャーナリズム・アカデミズムを問わず、そうである。大半のブロガーも、基本的にはマスコミやアカデミズムの言説とあまり変わらないので、大まかにはこのように言えると思う。 何が言いたいかというと、以下の東郷和彦の主張が実現した、ということである。 「日本外交は安保・歴史問題についての戦後60年の国内対立を乗り越えて、国民的コンセンサスを定着させる時期にきていると言わねばならない。」(東郷和彦『歴史と外交』講談社現代新書、2008年12月、18頁。強調は引用者、以下同じ) 「戦後、60年の漂流を続けてきた日本の歴史問題について、いまだに私たちをとらえている猛烈な左右対立を、「もうそろそろ終わりにしなくてはいけない」。 意見の違いは、最後まである。それは、徹底的に議論しなければいけないと思う。しかし、そういう意見の違いを乗り越えて、お互いを尊重し、同じ日本人として、オール・ジャパンとしての大きな方向性を、そろそろ見出さなければいけないのではないか。」(同書、20頁) こうした主張は、こと新しいものではない。実はこれは、表現は異なるが、加藤典洋がかつて述べたことと同じ意味である。 「 わたしの考えをいえば、戦後というこの時代の本質は、そこで日本という社会がいわば人格的に二つに分裂していることにある。 ここで特に人格的な分裂と断わるのは、たとえば米国における民主党と共和党、イギリスにおける保守党と労働党の併立、というような事態を指して、わたし違は国論の二分というが、日本における保守と革新の対立を、これと同様に見ることはできないからである。 わたしはその違いを、比喩的に、前者においては、二つの異なる人格間の対立であるものが、後者においては、一つの人格の分裂になっている、といっておきたい。 簡単にいうなら、日本の社会で改憲派と護憲派、保守と革新という対立をささえているのは、いわばジキル氏とハイド氏といったそれぞれ分裂した人格の片われの表現態にほかならないのである。」(加藤典洋『敗戦後論』講談社、1997年、46~47頁、初出発表は『群像』1995年1月号) この前提から、かの「300万の自国の死者への哀悼をつうじて2000万の死者への謝罪へといたる道が編み出されなければ、わたし達にこの「ねじれ」から回復する方途はない」(同書、86頁)という主張が出てくるわけである。加藤の上記の前提は、一見、東郷の主張と正反対に見えるが、同じことを指している。戦後日本においては、国民が共有できる歴史観が確立できなかったから、「普通の国」としての主体化もできないまま来てしまった。だから、国民的コンセンサスとしての歴史観を確立した上で、アジア諸国との「和解」を目指すべきだ、と。加藤の主張はその後の現実政治を先取りしている。『敗戦後論』の初出発表時は「政治改革」騒動がまだ続いていた時期である。そして、『敗戦後論』で加藤が、現時点では日本では見ることができないとしていた「たとえば米国における民主党と共和党、イギリスにおける保守党と労働党の併立、というような事態」が、まさに成立したのが、「政権交代」後の二大政党下における現在である。 ことは歴史観に限らず、安全保障問題や、経済体制にも関連してくる。東郷らが主張している「国民的コンセンサス」の共有は、「大連立」を可能にするものでもあるが、「大連立」勢力の中心的人物である渡辺恒雄が20数年来言い続けていることでもある。 「 今年の政治課題は、①安保・外交政策についての国民的合意の拡大、②行政改革、③教育改革、④財政再建の4つである。このいずれをも軌道に乗せるためには、現在の自民党と新自由クラブによる小連立政権では十分だとは言えない。(中略) いくつかの有力新聞が、先の総選挙でも与野党伯仲を招来せよと叫んだ。時によっては、伯仲政治の妙味もあるが、国家的重大懸案を解決せねばならぬ今、思い切った施策を可能にする強力な安定多数政権が必要だ。(中略) 前述の四大懸念が解決されたあとなら、伯仲政治による与野党妥協の議会運営の時期の出現を否定するものではない。」(「伯仲政治より安定政治を」1984年2月発表、渡辺恒雄『ポピュリズム批判――直近15年全コラム』博文館新社、1999年、14~15頁) 東郷・加藤・渡辺の主張は、安全保障・歴史問題を中心とした「国家的重大懸案」を解決させ、「同じ日本人として、オール・ジャパンとしての大きな方向性」、「国民的コンセンサス」を見つけ出し、そうした点に関しては基本的な立場を共有した上で、「左」「右」の再編を図ろう、ということである。 東郷は周知のように佐藤優の盟友であるが、東郷は、<佐藤優現象>の背景にあった(ある)論壇の<空気>をよく捉えていると思う。そして、言説レベルでは、歴史認識問題・安全保障問題・経済体制の方向性に関して、従来の左右対立は既に収斂してしまっているのである。 2. 歴史認識問題に関して言えば、従来の左右対立は、大体以下のような認識を落としどころにして、収斂している。 ・・・・・日本の侵略と植民地支配下における残虐行為は、ナチス・ドイツのような比較を絶する一回限りのものではなく、イギリスやアメリカのような通例の戦争犯罪である。したがって(というのもおかしいのだが)、日本が周辺諸国に謝罪し、戦後補償を支援する活発な市民運動も存在するなど日本が「平和国家」として変貌している以上、「和解」がなされないことについては、各国の過剰な反日ナショナリズムとそれに助長される日本の偏狭な歴史修正主義者たちに原因がある。日本の国際的地位の向上(例えば国連常任理事国入り)のためにも、アジア諸国への経済進出と企業提携のためにも、日本国内の歴史修正主義者たちの力を抑制し、未解決の戦後補償問題を一定解決し、アジア諸国の反日的ではない人々と協調して、「和解」を実現していくことが必要だ。 こうした認識が、戦後補償運動に携わる人も含めた左から右の大多数が共有しているものだと思う。新聞で言えば、朝日・読売・日経・毎日・東京がこれだ。産経も枠組みとしてはこれに含まれる。歴史認識問題については、言説上の次元では、東郷が言う「国民的コンセンサス」が既に成立しているのである。 ことは安全保障問題でも同じである。まとめると、安保容認は当たり前であって、北東アジア・東南アジアを中心として、国際秩序の安定のため(対テロ戦争)に自衛隊を海外派遣しなければならない、ただし、そのプロジェクトには、国連決議または国連の関与がなければならない。また、中国の軍備強化という現状では、安易に軍縮すべきでなく、朝鮮半島または台湾有事に備えて、自衛隊が十全に軍事展開できるよう法制整備しておく必要がある。北朝鮮の金正日体制が近い将来に倒れる可能性は少ない以上、拉致問題一辺倒で迫るのは得策でなく、軍事的圧力による抑止を前提として、交渉を行っていかなければならない。北朝鮮の核には、非核三原則を緩和し、核持ち込みを容認して対抗する。中国・北朝鮮の軍事力に対して、韓国との軍事的連携を深めることで対抗する。 安全保障問題に関しても、共産党系を含めた左から右の大多数が共有している認識は、こういったものだと思う。改憲するかどうかということは既に大した問題ではなくなっているのであって、今後、改憲問題は、安全保障のあり方を問う、といったものではなく、実態に条文を合わせるか合わせないか、「平和国家」というイメージづくりのためのカード(憲法第9条)を持っておくか、法治国家としての整合性を優先するか、という問題になるはずである。 こうした、左右の主張の収斂といった事態の基礎を作ったのは、以前にも指摘したが、安倍政権(下での編成)だと思う。安倍政権というのは右派版の村山政権のようなものであって、安倍政権は「戦後レジームの打破」を掲げたにもかかわらず(掲げたからこそ)、中韓との協調という「現実主義」外交や、河野談話・村山談話の踏襲の結果、従来は「戦後レジーム」に否定的だった右派の一部が「戦後レジーム」に取り込むことになった(これが小林よしのりを、右派知識人たちの変節として激怒させた事態である。小林は安倍政権末期には、安倍政権不支持を表明している)のである。また、実態としては「戦後レジームからの脱却」どころではなかったにもかかわらず、リベラル・左派は、安倍政権や「小泉・安部政権の新自由主義」に対して、「戦後社会の肯定」という形で対抗した(これが<佐藤優現象>の基盤である)。こうした流れは、安部政権とのカラーの違いを出さざるを得ない福田政権下で、さらに進んだ。安部政権下あたりから大手紙でも取り上げられるようになった「格差社会論」も、「戦後社会」の擁護に帰結したから、こうした動きをますます強めたと思われる。 要するに、安倍政権において、「戦後レジーム」の擁護という形で、左右が収斂していったのであり、これが現在の「イデオロギーの終焉」という事態に直結している。 これは今後検討しなければならない点だが、政権の政治的性格から見れば、安倍政権から鳩山政権までを連続したものとして捉えるべきであって、断絶はむしろ小泉政権と安倍政権の間にあると思う。「民主党革命」なんてものはない。安倍政権と鳩山政権は、「近隣友好即排外主義」という点においては何ら変わらない(鳩山政権下での、在特会の蛮行の野放し、地方参政権対象者からの朝鮮籍の排除を見よ)。また、官邸主導を打ち出そうとする政治姿勢、格差是正という建前も、両者は共有している。左右を問わず、安倍政権を右翼政権、鳩山政権を左翼政権として描いているから、連続性が見えなくなっているだけではないかと思う。
by kollwitz2000
| 2010-02-19 00:00
| 日本社会
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