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2010年 02月 20日
3.
この「イデオロギーの終焉」という事態においては、従来型の「右」か「左」か、という区分は、全く意味をなさない。ある意味で、全部が「右」になったとも言えるし、「右」と「左」が国益論の枠組みで再編された、という言い方もできるだろう。ここにおいては、従来の左派は、国民レベルではより平等主義的に、対外国人レベルではより排外主義的な傾向を強めると思う。 例えば、外国人労働者問題について考えてみよう。この場合、政策的には、一定流入させて単純労働力は阻止、という方針自体は左右ともに変わらない。だが、財界や保守派においては、対外関係への顧慮という要素があるのに比べて、左派は、「新自由主義」に反対するとの口実で、外国人労働者流入反対を公然と掲げるようになるだろう(既になっている)。 関連して、左派が、閉鎖経済への傾向を持っていることも指摘できよう。例えば、ポピュリズム系の護憲派の典型である『通販生活』を発行するカタログハウスが掲げる「商品憲法」には、「日本が「自給自足国」に近づけるよう、国内製品の販売を心がけています。」とある。「小社は決して国粋主義の小売りではありませんが、できるだけ、メイド・イン・ジャパンの商品をご紹介することで、急増する失業率を少しでも減らしていければと思います。」と。ここにおいては「新興国、途上国」の雇用や経済成長、世界経済への影響といったものが全く考慮されておらず、ただひたすら保護主義的な欲望のみが表れていることが指摘できよう。「自給自足国」に近づけば、実際には却って日本国内の雇用も減ると思うのだが。そして、先進国の経済的特権性という自意識すら皆無な、こうした保護主義的傾向が、「国粋主義」的な傾向を帯びざるを得ないことも明らかである。 4. また、在日朝鮮人への対応についても考えてみよう。リベラル・左派において、近年、「在日朝鮮人に、権利としての日本国籍取得権を与えるべき」という主張が見られる。与えるべき権利として、地方参政権の次には日本国籍、といった議論も同質である。 こうした主張は、善意で言われている(ように見える)がゆえに、より脅威的である。仮にこのような法案が成立すれば、在日朝鮮人が韓国国籍または朝鮮籍で留まることは「反日」を選択したという表象が生まれ、日本国籍を取得しない在日朝鮮人への社会的抑圧はより強まるだろう。単純な話であるが、なぜ在日朝鮮人が侵略国の国籍を取得し、日本国民とならなければならないのか。そのことが精神的苦痛を伴うであろうという発想を持たない点にまず驚く。 この場合、帰化を拒否するのは、日本の帰化制度が排外的だから、または、当該在日朝鮮人が「民族主義」に侵されているから、ということになろうが、「元在日朝鮮人」の浅川晃広が指摘するように、近年の日本の帰化行政は、在日朝鮮人に対して、他の外国人に比べて帰化しやすいよう「配慮」しているのだから、前者は理由にならない。このような理由で帰化しないと主張している人物(例えば辛淑玉)は、「在日」言論人として食べていきたいとか、別の理由があると見なした方がよいのであって、現実に近年、多くの在日朝鮮人が帰化していっている。 したがって、在日朝鮮人が韓国国籍または朝鮮籍を保持し続けるのは、朝鮮民族の一員としての自らの歴史的アイデンティティを位置づけているからと基本的に考えるべきである(念のために書いておくが、私の主張を指して、「自分も在日だが、自分は「朝鮮民族の一員」などといった議論には全く興味がないが、帰化する気もない。金の言うことは、在日の実態を反映していない」という反論が出てきても一向に構わない。私が言っているのは、朝鮮民族の一員という位置づけを持っていなければ、今すぐに帰化しろ、という主張に反論できないということであり、そうした人々はそのうち帰化するだろう(または帰化を迫られるだろう)から、「韓国国籍または朝鮮籍を保持し続ける」人々に数えなくてもよいからである)。 だが、厄介なことに、アカデミズムのポストコロニアル研究をはじめとした日本のリベラル・左派においては、「民族主義」それ自体を抑圧と排外主義の源泉、などと捉える言説が一定の力を持っている。これは、自分たちだけは一般の差別的な「日本人」ではなく、「日本ナショナリズム」に感染しておらず、「良心的」で知性と教養のある人物だ、という自意識を持っている人間のみが共有可能なものであるから、一般大衆レベルではあまり影響力を持っていないが、リベラル・左派の言説としてよく見られるものである。 上野千鶴子を代表とするこうした言説は、民族主義をカルト宗教のようなものと捉え、知性や教養があれば感染しないもの、と位置づけている(異論は認めない)。上野がどれほど馬鹿げた主張を行なっているかは後日指摘するが、近代社会において、「自分は~~人という意識を持っていない」などと言えるのは、国民としての特権を享受して、民族意識を持たなくてもよい環境におかれているからに過ぎないのであって、こうした民族=宗教といった表象は、「民族主義に自分は感染していない」とする亜インテリの自意識を満足させるだけの、悪質な機能を果たしていると言える。もちろん、あらゆる集団や概念は宗教的なもの、という考え方もありうるが、だとすればことさらに民族(または民族主義)を取り出す必要はない。 「民族主義」それ自体を抑圧と排外主義の源泉と位置づける主張は、ほぼ例外なく、民族=宗教としているのだが、どれほど問題を起こそうとも宗教自体が否定されるはずはないように、民族主義を旗印に掲げた運動がもたらした野蛮や愚行は、民族主義それ自体を否定するものではない。こうした主張は何重にも支離滅裂である。私は自分を「民族主義者」だとは特に思わないが、それを否定するような状況では「民族主義者」を名乗る。 こうした民族主義否定の主張は、ポストコロニアリズム系の左派とされる研究者も言っているので往々にして見分けにくいが、民族自決権を否定する傾向を持つという点で、むしろ(当人は絶対に認めないと思うが)排外主義に親和的である。何回も書いてきているが、「日本国民としての責任」という立場(この文脈では「大和民族としての責任」でもよいが)から、在日朝鮮人の民族自決権を尊重する、という観点でない限り、在日朝鮮人問題に関わる日本人は必ず無自覚なままに転向していくのであって、民族主義批判や、「日本国民」といった「主体」を立ち上げること自体が問題、などと主張する日本人は、必ず転向していくだろう。それは、戦後の「日韓連帯」または「日朝友好」運動の無数の例が示している。 在日朝鮮人の民族自決権とは、当たり前であるが在日朝鮮人が独立するとか自治区を作るとか治外法権を持つとかといったものではなく(往々にしてそのような馬鹿げた誤解がウェブ上には散見されるが)、植民地支配の結果日本に居住せざるを得なくなった、朝鮮半島の国家を祖国とする者として、「すべての人民は自決の権利を有する。この権利に基づきすべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」、「この規約の締約国は、国際連合憲章の規定に従い、自決の権利が実現されることを促進し、及び自決の権利を尊重する」(国際人権A規約第1条。国際人権B規約第1条も同趣旨)という前提の下、日本国内において民族教育権や生活権(これは、差別禁止や在留権の安定、居住権の保障といった、権利保障の問題であって、生活保護を優先的に享受させるなどといった社会福祉的な意味ではない。そのような「在日特権」は実態としても存在しない)が保障されることである。そこに、国内の差別問題一般としては(内外人平等原則のみの問題としては)括れない特殊性がある。 日本政府が在日朝鮮人に対して行なうべき諸施策とは、民族自決権に基づいた諸権利を尊重するということだけなのであって、民族教育の保障を全く欠き、人種差別撤廃条約で義務付けられている差別禁止の法的措置(私はマスコミ規制には基本的に賛成だが、インターネット規制には慎重であるべきと考える)も全く行なわないまま、(善意で)日本国籍取得権を与えるとするのは、客観的に見れば帰化推奨策である。 もう少し言うと、大多数のリベラル・左派の一般的認識は、日本国家が侵略と植民地支配について一定の謝罪を行なえば、「普通の国」として他の先進国と同じように制約なく対外派兵してもよい、在日朝鮮人も帰化しない理由は本来ない、というものだと思われるが(リベラル・左派内部の対立は、「一定の謝罪」の程度の問題にすぎない)、そうではなくて、侵略と植民地支配の謝罪の証が、憲法9条の対外的軍事力不行使であり、在日朝鮮人の民族自決権の保障であるべきであるし、論理的にもそうでなければおかしいのである。日本国内に、日本国籍でない在日朝鮮人が存在するという事態を異常と捉え、そうした在日朝鮮人に日本国籍を取得させたいという欲望を、レイシズムまたは排外主義と呼ばれるものである。 若干わき道にそれたが、保守派の方が、日韓関係への顧慮や、「民族主義」に対して左派ほど違和感を持っていないこと、在日朝鮮人に対して対して関心がないことから、在日朝鮮人側としては対処しやすいだろう。だが、民族自決権を認めないリベラル・左派は、溢れんばかりの善意で、日本国籍取得法案の実現を図り、民族主義批判の言説を垂れ流しながら、「在日」との「共生」を可能にする「寛容さ」を持った社会をつくろうと、有難迷惑としかいいようがないおしゃべりをやめないだろう。一部のリベラル・左派は、その排外主義性と、「在日」へのフェティシズム的な関心(何回も言うが、在日朝鮮人問題の核心は、民族自決権という抽象的権利の承認にあるのであって、在日朝鮮人の「友人」がいて親しいとか、在日朝鮮人について詳しいとかいったことは何ら関係ない)において、<嫌韓流>に似てすらいる。
by kollwitz2000
| 2010-02-20 00:00
| 日本社会
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