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2010年 03月 04日
1.
久しぶりに爆笑させてもらった。以下の文章である。 「【佐藤優の眼光紙背】外国人地方参政権と高校無償化問題」 http://news.livedoor.com/article/detail/4624878/ 佐藤はここで、外国人地方参政権への反対、朝鮮学校を高校実質無償化の対象にすることへの賛成を述べている。「右」と「左」の主張を同時に打ち出し、ハッタリ的に一般論を述べることで正当化し、それを教養俗物が好きそうな用語や引用で補強するという手法自体は、いつものワンパターンだが、今回の「高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべき」という主張は、よく言うよ、と呆れさせられたのだが、大変興味深いものである。 これが興味深いのは、もちろん、主張それ自体ではない。そうではなくて、かつてはこれと180度異なる主張を精力的に訴えていた佐藤が、なぜこのような主張をするに至ったかが興味深いのである。私の考えでは、これは、リベラル・左派メディアが佐藤を使いやすくするために行なわれている主張である。逆に言えば、佐藤やリベラル・左派メディアは、佐藤にこのような発言をさせる必要性を感じている、ということでもある。 もちろん、これ単独の主張だけでは、「右」から叩かれるから、それは外国人地方参政権反対の主張(こちらの主張は、少し前からなされていたものである)とセットで出される。佐藤の今回の記事へのコメントを見ればわかるように、ネット右翼の屑たちは、「高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべき」と主張しただけで猛反発するのであるから、佐藤にとって、外国人地方参政権反対という「右」の主張は不可欠である。もちろん、『金曜日』の最新号(2月26日号)が「在日外国人参政権には反対です」という見出しで、前田日明へのインタビューが掲載しているように、リベラル・左派メディア周辺で、外国人地方参政権反対論を容認する<空気>があることを佐藤は認識しているはずであり、そのような<空気>があるからこそ、佐藤はこのように主張できるわけである。 2. では、以下、今回の佐藤の記事について見ていこう。 佐藤は外国人地方参政権に反対した上で、以下のように述べている(強調は引用者、以下同じ)。 「これに対して、高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべきと考える。教育は基本的に社会に帰属する機能だ。朝鮮高校が朝鮮総聯(在日朝鮮人総聯合会)と緊密な関係をもつ故に「北朝鮮と関係の深いこんな連中に国民の税金を投入しなくてはならないのか」という反発が右翼、保守派のみならず、国民の間にも根強い。しかし、ここで冷静に考えてみる必要がある。朝鮮総聯は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の利益代表の機能を果たすだけでなく、日本における朝鮮人共同体としての社会的機能も果たしている。日本国籍をもたない朝鮮人も日本国家に対して税金を納めている。このような中間団体として果たす朝鮮総聯の機能を認めなくてはならない。日本の伝統である寛容の精神に立ち、多元的社会を強化することが、結果として日本国家を強化することになる。日本社会が排外主義に傾くと、結果として、日本社会が弱くなり、日本国家も弱くなる。この観点から、朝鮮高校を高校の実質的無償化の対象にすべきと筆者は考える。」 まだ躊躇が感じられる中島岳志や萱野稔人は、「論壇」で生き残るための佐藤のこの破廉恥さに学ばねばなるまい。中井洽拉致問題担当相らによる無償化除外の主張の主要な「狙い」が、産経が指摘するように、「拉致問題で北朝鮮に強い姿勢を示すことにある」のは明らかであるが、「拉致問題で北朝鮮に強い姿勢を示すこと」と、朝鮮総連およびその関係機関への弾圧・抑圧を結びつける主張を行ってきたのは誰だったのか。「朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象>」から、改めて過去の佐藤の主張を抜き出しておこう(詳しくはそちらを参照)。 「 なぜ北朝鮮はこのタイミングでシグナルを送ってきたのか。このヒントは「ネナラ」に掲載された3月28日の北朝鮮外務省スポークスマンの声明にある。 〈日本当局は3月23日、警視庁公安部の主導のもとに数十人の大阪府警察機動隊を動員して、在日本朝鮮人大阪府商工会とわが同胞が経営する商店や家宅など六ヵ所に対する強制捜索を強行するなど、総聯の弾圧に平然と国家権力を投入した。のみならず、日本当局はすでに総聯の中央会館や東京都本部の会館、出版会館に対する固定資産税減免措置を取り消して差押処分を下し、ついで「現行法の厳格な適用」という美名の下に、全国のすべての総聯関連施設に対する地方自治体の固定資産税減免措置を完全になくそうとするなど、総聯を崩壊させるための財政的圧迫をさらに強めている〉 日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。 政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制(けんせい)することが拉致問題解決のための環境を整える。」(『地球を斬る』角川学芸出版刊、66頁。初出はインターネットサイト「フジサンケイビジネスアイ」「北朝鮮からのシグナル」2006年4月13日付)) また、漆間巌は警察長官時代、2007年1月18日の記者懇談会で「「北朝鮮の資金源というものについて、『ここまでやられるのか』ということを相手が感じるぐらいにそれを事件化して」、「北朝鮮が困ると言いますか、特に金の問題が一番大きいですから、そのようなものに焦点を当てて、そのような事件を摘発する」、「直接拉致には関係はしない事件を摘発することによっても拉致問題の解決に近づける」と発言し(佐藤の上記発言との共通性は明らかである)、朝鮮総連および関係機関に関し、「直接拉致には関係はしない事件を摘発」したとして知られている。こうした「摘発」の中にはもちろん、電磁的公正証書原本不実記録容疑を理由とした滋賀朝鮮初級学校への強制捜査(2007年1月28日)も含まれるが、これらは上記佐藤発言にもある「現行法の厳格な適用」なる認識に基づいて行なわれたものである。 この「現行法の厳格な適用」に関して、佐藤は以下のように述べている。もちろんここでの「法の適正執行」とは「現行法の厳格な適用」と同義である。 「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」(佐藤優・和田春樹「対談 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題をどう見るか」『情況』2007年1・2月号) 中井や産経などの主張は、佐藤の上の主張を、高校無償化問題に当てはめただけの話である。「朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象>」でも指摘したように、「拉致問題」の解決、「国益」のためには在日朝鮮人に対して差別的に扱ってもよいという論理の鼓吹において、近年、最も貢献した人物である佐藤が、一体どの口で今回のようなことが言えるのか。 笑えることに、佐藤はここで、「日本社会が排外主義に傾くと、結果として、日本社会が弱くなり、日本国家も弱くなる」と述べているから、高校無償化からの朝鮮学校排除が「排外主義」であることを認めている。これは、佐藤が主張してきた同種の主張が「排外主義」だったことを、佐藤自身が認めたことを意味すると言える。 これまで指摘しているように、佐藤は、私の論文「<佐藤優現象>批判」が公表(2007年11月初頭には都内大手書店で発売)された後に発表された著作では、朝鮮総連に対する態度を180度変えて、「いま重要なのは,JR総連のような労働組合,部落解放同盟,そして在日外国人の運動――これは朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)も含みます――です。このような,国家に頼らずに,お互いで助け合っていける団体がある。国家に対する異議申し立て運動をして,国家に圧力を加えられたとしても,自分たちの中で充足して,生き延びていくことができる。そのようなネットワークがないといけません。」「朝鮮総聯の日本社会の民主化を担保する機能もきちんと理解しておく必要があります。」(佐藤優『国家論』日本放送出版協会、2007年12月25日発行(「あとがき」の日付は「二〇〇七年一一月一八日」)、136~137頁)などと述べるようになっているから、今回の佐藤の記事も、この流れにあると言える。 今回の佐藤の記事末尾には、「(2010年2月25日脱稿)」とあり、この記事は、「2010年02月26日10時00分」に公開されたものらしい。佐藤と直接会った『インパクション』編集長によれば、佐藤は私のブログを読んでいるらしいから、憶測であるが、この記事自体が私が2月24日にアップした「朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象>」を読んだ上で書かれたものかもしれない。そこで述べたように、「今回の排除案こそが、佐藤が主張していたことの現実化であり、<佐藤優現象>の政治的可視化」であるが、今回の排除案に対して佐藤は無関係を必死で装いたいように見える。 今回の記事の、朝鮮総連が「日本における朝鮮人共同体としての社会的機能も果たしている」などという主張は、上で引用した『国家論』での発言よりも一歩進んだものである。これは、朝鮮学校排除問題と自分は無関係だと訴えるために、「自分は朝鮮総連弾圧なんて主張していない」という身振りを、『国家論』の時よりもより強く示す必要に佐藤が迫られていることを意味していると思われる。ついでに言うと、この発言によって、佐藤によるこれまでの総連弾圧の扇動は、在日朝鮮人への弾圧を意味していたことを佐藤自身が認めたことになる。 なお、念のために書いておくが、佐藤の朝鮮総連(系機関)弾圧の扇動発言は、既に2006年内に『世界』編集部内では私は指摘していたのであって、『世界』編集部はこうした扇動を佐藤がまさにリアルタイムで行っていることを知りながら、佐藤を使ってきたわけである。『世界』が、佐藤がこうした発言を行っているのを知らなかった、ということではない。知っていて容認していたのである。 3. ところで、今回の記事で、佐藤は外国人地方参政権反対の主張を打ち出している。その論理を見てみよう。 「主権者である国民が参政権を行使することによって、国家意思が形成される。この原理原則から、外国人の地方参政権について考えるべきだ。国家は究極的に、戦争をする存在だ。日本には現在、徴兵制がないが、国家が国民を徴兵し、「わが国家のために死ね」と命令する権利をもっていることは、国際基準であり、客観的な現実なのだ。こういう問題は、ゲームのルールを単純にする必要がある。参政権については、日本国民に対してのみその行使が認められるべきだ。外国人参政権などという中途半端な権利を認めることで「二級市民」をつくりだすことは、国益に反する。参政権を行使したい外国国籍保持者ならびに無国籍者は、日本に帰化すればよい。それだから、筆者は外国人に地方参政権を付与することに反対する。」 「国家が国民を徴兵し、「わが国家のために死ね」と命令する権利をもっていること」が「国際基準」?初めて聞きましたよ(この佐藤の「国際基準」というハッタリの用い方は、宮台真司のそれによく似ている)。だが、佐藤の論理につきあうとしよう。 国家が国民を徴兵し、国家のために戦争で死にうる存在にするために、最も重要なものは何だろうか?もちろん教育である。「わが国家のために死ね」なる国家の命令に服従しうる存在に仕立てるためには、学校教育等での教育が不可欠であることは、改めて言うまでもない。 ところがこの記事で、佐藤は、「教育は基本的に社会に帰属する機能だ」などとして、「高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべき」という主張を弁明している。 おかしいではないか。戦争をするためには教育の国家管理が不可欠であることは自明である。したがって、「国家が国民を徴兵し、「わが国家のために死ね」と命令する権利をもっていることは、国際基準であり、客観的な現実」という佐藤の立場からすれば、教育における国家と社会の峻別自体が成り立たない。むしろ国家による一元的包摂と言うべきである。そして、戦争国家体制を肯定する佐藤の立場からすれば、国内の(仮想)敵国の関連教育機関へ国家が差別的取り扱いを行なうことは、十分に合理性がある、ということになるだろう。 佐藤は北朝鮮への武力行使を精力的に主張していたのであるから、仮に佐藤の朝鮮総連弾圧への批判がなければ、今回、朝鮮学校排除を最も精力的に主張していたのは佐藤だったかもしれない。 また、「日本の伝統である寛容の精神に立ち、多元的社会を強化することが、結果として日本国家を強化することになる」なる後段の主張は、それ自体としては無内容なものだが(そもそも言論封殺を行なう佐藤が「寛容」などと口にする権利はない)、この論理で行けば、外国人地方参政権は容認した方がよい、ということになろう。地方参政権推進論者は、住民としての地域社会への参加を主に主張しているのであって、国家への政治的参加に関する主張はほとんど見られないのであり、「国家」と「社会」の区別という佐藤の主張を前提とするならば、地方自治体が関与する領域の大部分が「国家」よりも「社会」に属するものであることは自明である。ここでは、佐藤が地方参政権の合憲性云々を無視しているから、私も無視して原理的な問題として述べている。 4. 付言しておけば、今回の朝鮮学校排除問題を、佐藤が言うような「寛容の精神」の問題に還元してはならない。北朝鮮と関係する朝鮮学校以外の外国人学校には「寛容」だが、朝鮮学校は「寛容」の対象外、とする人々は数多く存在するわけであるから、この種の主張はそうした人々に簡単に否定されるだろう。また、マジョリティの恣意的な「寛容」の程度によって在日朝鮮人、外国人の教育権が左右されるということならば、情勢次第で簡単に在日朝鮮人、外国人の教育権は否定されることになる。その点で、「<佐藤優現象>批判」で指摘した、「「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない」という佐藤の主張の特徴は、ここでも基本的には貫徹しているのである。 朝鮮学校排除問題は、在日朝鮮人、外国人の教育権及び人種差別禁止という普遍的権利の問題である。「国益」上の問題、あるいは「寛容」の問題として朝鮮学校排除問題を位置づけることは、中井や橋下の敷く土俵に乗ることを意味するのであって、そのような主張が力を持たないよう、警戒されるべきである。 例えば、ポストコロニアル系の朝鮮史研究者である川瀬貴也の以下の発言などがその典型である。 「朝鮮学校だけ除外、こういうのを「ケツの穴が小さい」というんだよ。こっちから寛容さを示して道徳的な優位性を保つって判断くらいできないのかね、情けねえ。 」 http://twitter.com/t_kawase/status/9647787410 なぜ「寛容さ」を示せば「道徳的な優位性を保つ」ことになるのかは不明だが(植民地支配の過去清算問題はどうなるのだろうか)、こうした「国益」論的な枠組みに基づいた「寛容」の論理--川瀬のブログによれば川瀬が大ファンらしい、内田樹がまさにこれである--は、今のところそれほど目立っていないから放置しておいてよいとしても、リベラル・左派メディアがいかにも好みそうな論理であるため、反対論の主流にならないよう注意しておく必要がある。 今回の佐藤の記事は、佐藤の破廉恥さ、自分の発言への無責任さを改めて示すものである。また、同時に、「寛容」論に基づく朝鮮学校無償化賛成論が、かの佐藤ですら可能な、危険なものであることを示唆するものである。 リベラル・左派メディアが今後、佐藤の過去の発言はもちろん問題とすることなく、朝鮮学校を高校実質無償化対象とすることに賛成、という佐藤の主張を掲載してくる可能性がある。そうなれば、それはリベラル・左派メディアの救いようのない無責任さ、破廉恥さを改めて示すものとなるであろう。 「朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象>」で指摘したが、民主党政権内部・日本社会から発されている朝鮮学校排除論は「拉致問題」の解決、「国益」のためには在日朝鮮人に対して差別的に扱ってもよいという「国民感情」を背景としてなされているのであって、そのような「国民感情」の醸成こそが、<佐藤優現象>によって大きく助長されたものであり、<佐藤優現象>が政治的に可視化されたものが今回の差別措置案であることを改めて強調しておく。
by kollwitz2000
| 2010-03-04 00:00
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