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2010年 03月 16日
急ぎで書かなければならないテーマが多かったためかなり間隔が空いてしまったが、佐藤優が被告準備書面(2)において、論文「<佐藤優現象>批判」(以下、論文と略)が佐藤の発言を「曲解している」などと主張している件の続きである。続きをお待ち下さっていた読者には、掲載が遅れたことをお詫びする。今回は、この佐藤が挙げている9箇所のうちの5箇所目・6箇所目を紹介しよう(1箇所目、2箇所目、3箇所目、4箇所目については既に述べた)。
ただ、お読みいただければお分かりになると思うが、これまでの4箇所と違い、以下掲載する5~9箇所は、大した論点がない。佐藤側も恐らく「言ってみただけ」というもののようにすら思われる。なるべく読者の関心を引きそうなテーマから掲載するが、むしろここでは佐藤が「曲解している」と主張するその理由のつまらなさを鑑賞していただいた方がよいのかもしれない。 なお、以前報告したように、明日3月17日10時より、東京地裁第708号法廷で第6回口頭弁論が開かれる。恐らく短時間(10数分)で終わってしまうことと早朝ということで、来場をお勧めしにくいが、関心がある方はいらしていただければ幸いである。安田好弘弁護士も見ることができる(笑)。 さて、5箇所目(被告準備書面(2)では8番目に挙げられている)から紹介しよう。佐藤側の主張、被告準備書面(2)の該当箇所を紹介する。 -------------------------------------------------- (8)「論文」150頁註(6) 《なお、『獄中記』では、「北朝鮮人」(一四頁)、「僕は韓国語でなく、朝鮮語を勉強した」(三七八頁)という表現がある。佐藤は、「韓国語とは語彙や敬語の体系が違う「朝鮮語」」(「即興政治論」『東京新聞』二〇〇七年九月一八日)とインタビューで答えているので(恐らく、朝鮮語のカギカッコは記者だろう)、佐藤は本気で「韓国語」と「朝鮮語」を別物としたいのだろう。この規定は、以下のような「国益」上の判断から来ていると思われる。「僕(註・佐藤)は、朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより、北が生き残るほうが日本には良いと思う。統一されて強大になった韓国が日本に友好的になることはあり得ないからね」(く緊急編集部対談VOL.1佐藤優x河合洋一郎〉雑誌『KING』(講談社)ホームページより)。植民地支配・冷戦体制固定化による民族分断への責任を無視する、帝国主義者らしい発言である。》との記述がある。 しかしながら、原告自身が引用している通り、被告佐藤が朝鮮語と韓国語を分けているのは、語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由からである。《朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより、北が生き残るほうが日本には良い》かどうかは、ここでは何の関係もなぐ、原告の単なるこじつけとしか言いようがない。 ------------------------------------------------ この箇所については、佐藤側の主張はこれで全部である。以下は、私の反論(原告準備書面(2))である。 ------------------------------------------------ (8)「論文」150頁註(6) 被告は,原告の「論文」の《なお,『獄中記』では,「北朝鮮人」(一四頁),「僕は韓国語でなく,朝鮮語を勉強した」(三七八頁)という表現がある。佐藤は,「韓国語とは語彙や敬語の体系が違う「朝鮮語」」(「即興政治論」『東京新聞』二〇〇七年九月一八日)とインタビューで答えているので(恐らく,朝鮮語のカギカッコは記者だろう),佐藤は本気で「韓国語」と「朝鮮語」を別物としたいのだろう。この規定は,以下のような「国益」上の判断から来ていると思われる。「僕(註・佐藤)は,朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより,北が生き残るほうが日本には良いと思う。統一されて強大になった韓国が日本に友好的になることはあり得ないからね」(緊急編集部対談VOL.1佐藤優x河合洋一郎〉雑誌『KING』(講談社)ホームページより)。植民地支配・冷戦体制固定化による民族分断への責任を無視する,帝国主義者らしい発言である。》との記述について,「原告自身が引用している通り,被告佐藤が朝鮮語と韓国語を分けているのは,語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由からである。《朝鮮半島が統一されて大韓国ができるシナリオより,北が生き残るほうが日本には良い》かどうかは,ここでは何の関係もなぐ,原告の単なるこじつけとしか言いようがない。」と主張している。 だが,「朝鮮語」と「韓国語」という呼称が,社会通念上,同一言語の呼称上の違いと見なされていることは明白であって,被告佐藤が両者を別の言語とすることを,朝鮮半島の南北分断が日本の国益上は望ましいとする,被告佐藤の政治的見解に起因すると解釈することは,文意解釈上極めて自然であって,「曲解」ではない。ましてや原告は,被告も「原告自身が引用している通り」と認めているように,被告佐藤自身は「語彙や敬語の体系が違うという言語学上の理由から」両者は別だと主張していることを明示しており,また,原告が上記の解釈を述べるにあたっても,「「国益」上の判断から来ていると思われる」と,それが解釈であることを明示している。したがって,この記述が,被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことも明白である。被告の主張は失当である。 -------------------------------------------------- 次は、6箇所目(被告準備書面(2)では7番目に挙げられている)として、佐藤側の主張、被告準備書面(2)の該当箇所を紹介する(下線強調は原文)。 -------------------------------------------------- (7)「論文」149頁上段5行目~12行目 《ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。 日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の防衛、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。》との記述がある。 しかしながら、これも曲解である。 被告佐藤は、フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年7月4日「愛国心について」(乙7号証)において、「日本の現状に対して、怒りや嘆きは当然ある。しかし、愛国心とはそれの別の位相から出てくる感情である。かつてイギリスの作家ジョージ・オーウェルが「右であれ左であれわが祖国」と言ったが、筆者もそう思う。一部の有識者からおしかりを受けることを覚悟した上で書くが、仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べており、右派・左派を問わない、愛国心という感情についで述べた箇所であって、自らの政治信条について述べている訳ではない。 ---------------------------------------------------- この箇所については、佐藤側の主張はこれで全部である。以下は、私の反論(原告準備書面(2))である。 ---------------------------------------------------- (7)「論文」149頁上段5行目~12行目 被告は,原告の「論文」の《ところで,佐藤は,「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても,筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。 日本国家,同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で,自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている。佐藤は,リベラル・左派に対して,戦争に反対の立場であっても,戦争が起こってしまったからには,自国の防衛,「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。》との記述について,被告佐藤は,原告の引用元の文章である「フジサンケイビジネスアイ「地球を斬る」2007年7月4日「愛国心について」(乙7号証)」においては,「右派・左派を問わない,愛国心という感情について述べ」ているにすぎないのであって,「自らの政治信条について述べている訳ではない」のであるから,原告の記述は「曲解」であると主張している。 だが,被告佐藤の主張は,日本国家と日本国民が「正しくない」戦争の道に進んで行っている時に,ある人物が,その戦争に反対であるという「正しい」意見を持っていたとしても,「自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択」をとるのはやめて,「日本国家,同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で,自分が「正しい」と考える事柄の実現を図」るべきだ,という意であるから,その主張を,「佐藤は,リベラル・左派に対して,戦争に反対の立場であっても,戦争が起こってしまったからには,自国の防衛,「国益」を前提にして行動せよと要求している」と解釈することは,文意解釈上極めて自然であって,「曲解」ではない。ましてや,原告は,被告佐藤の発言をそのように解釈するにあたって,その基となる被告佐藤の発言を明示しているのであるから,被告佐藤が「言ってもいないこと」をさも被告佐藤の主張のように言っていることに当たらないことは明白である。被告の主張は失当である。
by kollwitz2000
| 2010-03-16 00:00
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