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2010年 04月 11日
『世界』の最新号(5月号。4月8日発売)を見ると、朝鮮学校無償化排除問題に関する論文が2本並び、岡本厚編集長が、何かを思い出したかのように「編集後記」で無償化排除を激しく批判している。
この辺は、「朝鮮学校排除問題をほぼ黙殺する『世界』と『金曜日』」で予想したとおりであり、なぜ最も重要な時節であった前月号段階で言わなかったんですか、という感想しかないのだが、今号で驚いたのは、「「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書」が掲載されていることである。この種の文書は、呼びかけ人の同意がなければ掲載されないと見なすべきだろう。ここでは、要請書の呼びかけ人の名前が掲載された上で、「大学教員有志の声明」として紹介されているが、呼びかけ人のうちの何人かは、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」にも署名している。 佐藤優は、大田昌秀との対談連載を『世界』で掲載しており、今号も登場しているし、前号でも登場している。『世界』が佐藤の起用をやめているという事実はまったく無い。 この「大学教員有志の声明」への「呼びかけ人」ではないが、「賛同者」の一人として署名した何人かの人物から、『世界』掲載に驚いた旨の感想や、「呼びかけ人」によって「勝手に」『世界』に掲載されたことへの不満、私への質問をもらった。ここで答えておくと、私自身はこの声明の掲載に対して何ら関わっていないし、掲載されることについても事前に全く知らなかった。私も驚いている次第である。「賛同者」にしても、『世界』に載ると知ったわけで署名したわけではないのだから、驚くのは当然だろう。 これまで何度も繰り返しているように、無償化排除批判にせよ、<佐藤優現象>批判にせよ、そのような姿勢の公的な表明自体が貴重である現在、私もそうした表明をされる方々には無条件に(一定の)敬意を持っているが、こういう、あからさまにおかしい行動をとられると、私の立場上からも公的に疑問を呈せざるを得ないのである。 私は、「これまでの例を見る限り、『世界』『金曜日』などの左派ジャーナリズムには、左派の著名人が〈佐藤優現象〉に批判的であることを表明した場合、その人物を誌面に登場させて、そうした批判を無化させようとする傾向があるように思われる。」と以前に書いたが、『世界』は、多数の声明文のうち、これと、日弁連の会長声明のみ載せているから、その選択において「批判を無化させようとする」意志が働いた、と見ることは、それほど不自然ではないだろう。 言うまでもないが、もし「雑誌というものは単なる容れ物にすぎないのだから、掲載しても問題はない」ということであれば、佐藤優を掲載することにも問題はもちろんないのである(もちろんその場合、『世界』が「朝鮮問題に関する本誌の報道について」で宣言しているような、特定の「基本姿勢」など存在せず、「戦争、対立、分断ではなく、平和、和解、連帯を。本誌の一貫した姿勢はこれに尽きる」などとも言えないことになる)。また、佐藤を起用し続ける媒体でも問題ないということであれば、佐藤も排除反対を唱えているのだから、佐藤を高校無償化排除反対集会で講師として呼ぶことすら可能になるだろう。呼びかけがあれば、佐藤は、自分(の起用)を批判する人々との「和解」を遂げるために、万難を排して駆けつけるだろう。 呼びかけ人の多くは、「首都圏労働組合特設ブログ」で書いた、岩波書店の小島潔・取締役と付き合いのある人物である。この要請書の『世界』への掲載とも、何らかの関係があるかもしれない。こんなことを言うのも、ポストコロニアリズム系の論者に、編集者や出版社との個人的な結びつきを優先して、公共性や公益性は無視するかあまり意識していないように見える傾向が目立つように思われるからである。例えば、丸川哲史や細見和之は、上記要請書への「賛同者」の一人でもあるが、最近河出書房新社から本を出しており、そのあとがきで、それぞれ、編集者の「阿部晴政」なる人物への賛辞と感謝の意を記している。そして、この阿部という人物は、2009年9月に、「14歳の世渡り術」なるシリーズで、『差別をしよう!』(ホーキング青山著)なる本を出版している。この本は、反語でも逆説でもなく、本当に、「自信を得るために他人が自分より劣っている部分があることを確認」することを肯定した上で、勇気を持って「差別をしよう!」と主張している本である(この本については後日また取り上げる予定である)。こんな本を読んで真に受けるか差別感情を正当化させられた「14歳」前後の子どもが、歪んだ意識を持ったり「自信」を持って「いじめ」を行なうようになったりする事態が生じうるであろうということは、誰でも思うことだと思うのだが、この阿部という人物(および河出書房新社)には、そのことへの社会的責任という意識が欠片すら見られない。丸川や細見にとっては、阿部がこういった本を出版していることは別に問題ではないかのようである。丸川や細見は、阿部によるこの本の出版を知らなかったと言うのだろうか。知らなかったと言うのであれば、知った後にどのように行動するのだろうか。 この「「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の要請書」には、それが「大学教員」という資格での呼びかけであるという点でまず驚かされ(言うまでもないが、これが例えば「教職員の要請書」であれば違和感は生じないのである。大学入学問題の観点を中心として論じるならば、少なくとも「大学教職員の要請書」であろう)、内容を読んで植民地主義の問題が触れられていない点に驚かされ、また、この『世界』への掲載で驚かされた。特に、「大学教員」という資格での呼びかけの件と、『世界』への掲載の件は、いろいろな面で「ズレ」を感じさせるものである。そういえば、上記要請書への「呼びかけ人」の一人は、昨年末に私がメールで送った文章への返事で、私のメールによって『ロスジェネ』なる雑誌の存在を初めて知ったと言っていた。「良心的」な「大学教員」というポジションが、もし、「ロスジェネ」や「超左翼おじさん」といった汚いものを見ずに済み、岩波書店やら朝日新聞やらが媚びてくる存在であるならば、その地位は、ネット右翼のような相対的に無力な社会の屑にどれほど罵倒されようが、なかなかおいしいものである。そういうことでないならば、一市民として(これは、教育問題の観点を中心的に論じるならば「教職員」としての立場、というあり方と矛盾なく両立する)、公共性・公益性という観点から、メディアの社会的効果(悪影響)を、また、「「良心的」な立場とは何か――岡真理氏と『金曜日』」で論じたように、発話者の社会的な位置をこそ十分に考慮して、問題に取り組むべきではないか、と私は考える。
by kollwitz2000
| 2010-04-11 00:00
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