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2010年 06月 09日
前回記事「佐藤優および『週刊新潮』、「言ってもいないこと」の当初の具体的根拠を自ら覆す」 の末尾で、私は、以下のように書いた。
「もちろん、既に示したように、佐藤ら被告側が裁判にあたって主張しだした、「人民戦線」とは言っていない、などという主張は成り立たない。しかも、被告側が「人民戦線」云々に固執することによって、被告側の主張は、より荒唐無稽な、抱腹絶倒なものに進化していっているのである。そのことは次回以降に記す。」 多忙で遅くなってしまったが、今回は、被告側の主張が「人民戦線」云々に固執することによって、より荒唐無稽なものに進化していっている姿を見ていこう。佐藤の代理人は安田好弘弁護士なので、以下、この「人民戦線」の件に関しては、安田氏に被告を代表していただく。 簡単におさらいしておくと、佐藤は『週刊新潮』の記事で、私の論文「<佐藤優現象>批判」に関して、「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり,絶対に許せません。」などと発言している。 そして、佐藤が「言ってもいないこと」をさも佐藤の主張のように書いたとする箇所はどこか、という私の質問について、佐藤は長らく無視してきたが、この裁判の中でついに、《佐藤の提唱する「人民戦線」》《佐藤の言う「人民戦線」とは、「国民戦線」である》といった論文内の記述が該当箇所だ、との主張を行うに至った。こうした主張がいかに馬鹿げたものであるかについては、既に「佐藤優、「私が言ってもいないこと」とは何だったかをついに明らかにする」 で記したので、ここでは繰り返さない。 そのことを踏まえたうえで、「被告準備書面(3)」(2010年3月17日陳述)における、安田氏の主張を見てみよう。安田氏は、私が指摘した佐藤発言「反ファッショ統一戦線」というのと,私が理解するところの「国体の護持」というのは全く同じなんです。」について、次のように述べている(強調は引用者、以下同じ)。 「「人民戦線」とは歴史上の概念であって、「1935年のコミンテルン第7回大会で書記長ディミトロフの指導の下に、ファシスト独裁と戦争に反対する労働者階級の統一と、これを中心に反ファシズムの諸階層と諸党派を結びつける共同戦線戦術として採り上げられた政策(である)」(辻清明編・岩波小辞典・政治・第3版・第4刷・123頁)。 佐藤は『反ファッショ統一戦線』という用語を使用したことはあるが、「戦争反対」との主張をしたことはない。「新帝国主義の選択肢」(乙2号証)においても「帝国主義の選択肢に戦争で問題を解決することも含まれる」と主張しているとおりである。 以上の次第で、佐藤の主張を「人民戦線」と同義であるとするのは明らかに誤りである。 」 安田氏によれば、「人民戦線」とは「1935年のコミンテルン第7回大会」で取り上げられた「歴史上の概念」であるから、そこで掲げられている「戦争反対」を唱えたことがない佐藤の主張が、「人民戦線」であるはずもない、とのことである。これは、光市母子殺害事件における、安田氏のかの高名な「ドラえもん」弁護を髣髴とさせる主張であり、私は書面を見た瞬間、こんな馬鹿げた主張を堂々と述べ立てる安田氏(と佐藤)に、唖然とせざるを得なかった。日本の左派や死刑廃止運動は、こういう人物を「天皇」扱いするから、共倒れするわけである(安田氏を「天皇」扱いしている、という表現は、左派の某著名研究者の談による)。 「原告準備書面(4)」(2010年4月28日陳述)から、以下、長くなるが、安田氏のこの主張への反論を引用しておこう。 ------------------------------------------------------- <被告の主張がどれほど実質を欠いているかは、『社会科学総合辞典』(新日本出版社刊行、1992年7月15日発行。甲45号証)の「人民戦線」の見出し項目には、「反ファシズム統一戦線」を見よとあり、「反ファシズム統一戦線」の見出し項目には、「人民戦線ともいう。」とされていることからも容易に窺うことができる。> <原告準備書面(2)15~18頁で指摘したように、被告佐藤の用いた「反ファッショ統一戦線」という語には、「反ファッショ統一戦線 一九三〇年代に、コミンテルンの決議にもとづいて、各国共産党が、ファシズムと戦争に反対する多様な政治勢力の統一戦線戦術を採った。一九三五年のコミンテルン第七回大会のディミトロフ報告で提起され、翌三六年のフランス、スペインでの人民戦線内閣の成立として実を結んだ。」なる注釈が附されており、この注釈については、被告佐藤が承認を与えていると解される。したがって、被告が言うところの、「人民戦線」という用語はコミンテルン第7回大会で採り上げられた「歴史上の概念」であり、「戦争反対」なる主張を含むものであるとの主張は、上記注釈に従えば、被告佐藤が用いる「反ファッショ統一戦線」にもそのまま該当するものであるから、被告の主張はそもそも支離滅裂である。 また、そもそもコミンテルンは、「ファシスト独裁」によって引き起こされる帝国主義戦争に対しては反対であっても、戦争一般に対して反対しているわけではなく、その母体たる当時のソ連も戦争一般に対して反対しているわけでないことは自明であるから、被告佐藤が「戦争反対」との主張をしたことがないという事実は、被告佐藤の主張を「人民戦線」と解することを何ら妨げない。 また、「人民戦線」という用語は、既に一般的な用語として使用されていることは明白であり、「戦争反対」があるかどうかという点はなんら意味をなさない。 そもそも被告佐藤自身が、その著書『自壊する帝国』(新潮社刊行、2007年5月30日発行。甲46号証)の中で、「ラトビア人民戦線」という用語を用いている。被告佐藤は、「1988年10月8、9日、リガでラトビア人民戦線の創設大会が行なわれた。人民戦線はゴルバチョフが進めるペレストロイカを支持する一種の体制翼賛運動を建前としていたが、そのなかにはソ連からのラトビア独立を真剣に考える民族主義者や、逆にソ連を帝国として維持するためにはマルクス・レーニン主義と絶縁した国家社会主義体制を作るべきであるとする帝国主義者も含まれていた。」(124頁)と述べている。同書で「ラトビア人民戦線」は、「戦争反対」を目的として結成されたものとはされておらず、また、被告佐藤もそのような目的を有しているものとして「ラトビア人民戦線」を描いていない。また、「ラトビア人民戦線」の一員である、「帝国主義者」が「戦争反対」の主張を持っているはずもないことも自明である。被告の主張は、被告佐藤自身の過去の用法とすら矛盾する、荒唐無稽なものである。 また、以下に示すように、「戦争反対」を特に主張するものとしてではなく、一般的用法として「人民戦線」という語句が用いられている用例は、極めて多数にのぼる。 「十一日夜のタス通信によると、アフガニスタン新政権は、与党人民民主党以外の広範な国民各層の協力を得るため「人民戦線」の結成を進め、その手始めとして、新政府閣僚に非党員三人を含めることを決定した。」(「“人民戦線”の結成めざす アフガン新政権」読売新聞夕刊、1980年1月12日付。甲47号証) 「一方、右派は「土井氏の主張を採れば採るほど、土井続投を望む左派主導での現状容認型の改革案づくりになる」(水曜会幹部)と反発。「広く門戸を開き市民代表まで参加させるというのは左派特有の『人民戦線』の発想。左派は改革案で基本政策の見直しは骨抜きにし、代わりに書記局の再編・強化など左派に都合の良い機構改革を打ち出すハラだ」と警戒している。」(「社党改革委 構成めぐり火花 左右両派、主導権確保狙う」日本経済新聞朝刊、1991年5月13日付。甲48号証) 「遠藤 (前略)昔だったら法王は仏教の人たちと対話してくれとは積極的に言わなかったと思うのです。だから今、こうしてお話ししているのも、実は久保さんの仏教、そしてキリスト教徒である私もですね、きっと同じ考えを持っているから成り立っている。お互いの立場を尊敬し、尊重する。これはかつての、いわゆる人民戦線みたいな政策的なことでは全くないわけです。でも、こういう目に見えない、時代の足音。そういうのが確実に到来しつつあるといえるのじゃないでしょうか。」(久保継成・遠藤周作「対話 人生と仏教」毎日新聞朝刊、1993年4月4日付。 甲49号証) 「野田 そのあたりに日本のリベラリズムの問題があるのだろう。どうも日本の場合は、リベラルというものの積極的な価値が弱く、人民戦線的で「左」と提携しているのがリベラルだ、といったイメージがずっと残ってしまった。」(粕谷一希・野田宣雄・坂本多加雄・山口二郎「「戦後論壇と知識人」4氏座談会」(上)読売新聞朝刊、1995年11月27日付。甲50号証) 「丸山眞男氏の急進主義は、一九三〇年代の英国労働党のイデオローグ、H・ラスキに倣って、コミュニズムにもっとも接近した姿勢であり、国内的には社共統一戦線、人民戦線の論理であり、国際的には米ソ両陣営いずれにも属さない中立志向であった。こうした理想主義が可能であったかどうか、後世史家の判断にまつほかはない。」(粕谷一希「丸山眞男氏 追悼」読売新聞夕刊、1996年8月19日付。甲51号証) 「(注・松田道雄は)『日本的育児法』に見られるように、手のはなせない母親にかわって、孫をつれてくる祖母との問答から考えを繰り広げて、昔からの子育ての知恵への評価を試みた。それは、さかのぼって江戸時代の儒者貝原益軒の『養生訓』への解説への道を開く、日本思想史への読み直しでもあった。先行者をふくむタテの人民戦線の拠点をつくる仕事だった。」(鶴見俊輔「松田道雄氏を悼む――タテとヨコの人民戦線」朝日新聞夕刊、1998年6月4日付。甲52号証) 「自民党の中曽根康弘元首相は二十七日、前橋市内で講演し、「民主党は反自民で一色だ。共産党は人民戦線をやろうとしている。(後略)」」(「自由・公明との連携を求める 中曽根元首相」朝日新聞朝刊、1998年8月28日付。甲53号証) また、久野収・鶴見俊輔「<対談>新しい人民戦線を求めて」(『思想の科学』1970年9月号、思想の科学社発行、1970年9月1日発行。甲54号証)、久野収「新しい創造的人民戦線の可能性」(『新日本文学』1971年6月号、新日本文学会発行。甲55号証)、高木郁郎「プレ・人民戦線と労働組合運動」(『労働経済旬報』1971年4月上旬号、労働経済社発行、1971年4月1日発行。甲56号証)、岩井章・高木郁郎「労働運動の新しい転機と人民戦線への展望」(『労働経済旬報』1971年6月上・中旬号、労働経済社発行、1971年6月1日発行。甲57号証)といった記事では、「人民戦線」がごく当然のように一般的な用語として用いられており、記事内で頻繁に使用されている。 また、読売新聞朝刊1989年10月3日付には、「ミニ時典」なる欄で、「人民戦線」の用語解説が掲載されているが、そこには以下のように書かれている(甲58号証)。 「人民戦線 ソ連の沿バルト海3共和国などで、共和国の主権強化を求めて活動している民族主義団体。昨年秋、まずエストニア、ラトビア、リトアニアの3共和国で相次いで結成された。 ペレストロイカ(立て直し)支持のスローガンを前面に掲げているが、これら3国は第2次世界大戦中のソ連邦加盟に対する不満が根強く、人民戦線の急進派の中にはソ連邦からの分離、独立を主張するメンバーもいる。今年8月には、3国のソ連邦加盟を決めた独ソ不可侵条約付属文書に対する抗議行動を起こし、共産党中央委員会が警告声明を発表するなど緊迫した情勢となった。沿バルト3国のほか、モルダビア、白ロシア、ウクライナの各共和国でも同様の組織が結成されている。いずれも幹部の大半が人民代議員で占められており、沿バルト3共和国では社会団体として認知されている。人民の支持も強く、共産党に対する“対抗政治勢力”になりつつある。」 ここでは上で挙げた、被告佐藤も言及していた「ラトビア人民戦線」にも言及されているが、「戦争反対」なる主張も「コミンテルン第7回大会」も問題にすらなっておらず、被告が主張するものとは全く別の形で「人民戦線」という名称が使用されており、そのようなものとして解説されている。 また、上記の用例でも挙げられているように、「人民戦線」の名称を有する政治団体は、多数にのぼっており、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)、人民戦線ネパール、西部人民戦線(スリランカ)等が有名であるが、いずれも戦争を否定しているわけではなく、パレスチナ解放人民戦線に至ってはテロ活動を肯定している組織である。また、「民主正義人民戦線」(PFDJ、旧称エリトリア人民解放戦線)は、エリトリアで一党独裁体制を敷いている政党であるが、もちろん戦争を否定しているわけではない。 また、朝日新聞夕刊1970年10月31日付では、「サイゴンに人民戦線」という見出しが用いられており、「人民戦線」が普通名詞として使用されている(甲59号証)。朝日新聞夕刊1990年4月23日付では、「ソ連リトアニア共和国の独立運動を主導する人民戦線組織「サユジス」」と、やはり「人民戦線」は普通名詞として使用されており、「サユジスは分離共産党や社会民主党、緑の党、キリスト教民主党など独立に賛成する諸政党やグループを幅広く結集した運動体組織。」と解説されている(甲60号証)。また、朝日新聞夕刊1978年3月20日付でも、「ギュンター・グラス氏 政治を語る」なる記事に、「人民戦線にきびしい警戒心」という見出しが使われており、本文でも、「イタリア共産党については、レーニン主義的体質から比較的遠いとの判断を示したが、とにかく人民戦線にはきびしい警戒心、むしろ敵意すらみせる。」と、「人民戦線」が普通名詞として用いられている(甲61号証)。 また、「人民戦線」の項目で、「戦争反対」の意を明記していない辞典も多数にのぼる。 「じんみんせんせん【人民戦線】《名》ファシズムに反対して民主主義を守ろうとする政党・団体・市民などによる共同戦線。(参)一九三五年のフランスと、一九三六年のスペインのものが名高い。」(『学研国語大辞典』学習研究社刊行、1978年4月1日発行。甲62号証) 「人民戦線 じんみんせんせん 〈仏〉Front Populaire ファシズムの脅威に対抗して、左翼勢力を中心とする反ファシズム勢力が大同団結して組織した共同戦線のことをいう。フランスの場合、1934年2月6日の右翼による暴動などを契機として、左翼によるファシズム阻止の動きが強まり、35年6月に共産党、社会党、急進党が団結して人民戦線を形成した。さらに翌36年3月には労働運動も統一され、5月の下院総選挙で人民戦線が勝利し、6月にはレオン・ブルム(Blum,Léon)を首班とする人民戦線内閣が成立した(共産党はこの内閣に対して閣外協力の立場をとった)。ブルム内閣は有給休暇制をはじめとする社会改革に着手したが、外ではスペイン市民戦争、内では経済情勢の悪化という困難に直面し、改革半ばにして、37年6月にブルム内閣は退陣する。その後2次にわたるショータン(Chautemps,Camille)内閣ののち、38年3月には第2次ブルム内閣が成立するが、これもすぐに瓦解しダラディエ(Daladier,Édouard)内閣の成立後、入民戦線は崩壊し去ってしまう。(舛添 要一)(『現代政治学事典』大学教育社刊行、1991年4月25日発行。甲63号証) 「[人民戦線]<仏>front populaire 1930年代にファシズム勢力の台頭に対して、各国に高揚した民主主義的運動。その起源は1934年にフランスの共産党と社会党が右翼の諸団体に対抗して共同闘争を組織したことにある。文献的には、フランス共産党書記長トレーズがこの言葉を用いたのが最初とされる。1935年コミンテルン第7回大会は人民戦線を戦術として採用して、すべての反ファシズムに対抗すべきことを提唱した。(以下略)(斉藤孝)」川田侃・大畠英樹編『国際政治経済辞典』東京書籍刊行、1993年3月25日発行。甲64号証) 「じんみん‐せんせん【人民戦線】(Front populaire フランス) 一九三〇年代後半、反ファシズムを共通綱領として組織された統一戦線。一九三五年のコミンテルン第七回大会で戦術として採択され、一九三六年フランスとスペインにおいて政権を獲得。中国では抗日統一戦線へ発展。」(『講談社 カラー版 日本語大辞典 第二版』講談社刊行、1995年7月3日第2版第1刷発行。甲65号証) 「じんみんせんせん【人民戦線】 反ファシズムの政党・団体による広範な共同戦線。1930年代半ばファシスト独裁の危機を前に、フランス・スペインで結実した。」(『大辞林 第二版』三省堂刊行、1995年11月3日第2版第1刷発行。甲66号証) 「【じんみん‐せんせん 人民戦線】 一九三〇年代に、フランス、スペインなどでファシズムに反対して結成された農民、都市小市民などの広範な連合戦線」(『現代国語例解辞典〔第二版〕<二色刷>』小学館、1997年1月1日発行。甲67号証) 「[人民戦線]ファシズムに反対するあらゆる団体・個人の共同戦線。中心勢力は左翼にある。」(『新明解 国語辞典 第五版』三省堂刊行、1997年12月1日第2刷発行。甲68号証) 「じんみん‐せんせん【人民戦線】〔名〕一九三〇年代に、フランス、スペインなどでファシズムに反対して結成された労働者、農民、都市小市民などの広範な連合戦線。」(『小学館 日本語大辞典』小学館刊行、2005年1月1日発行。甲69号証) また、被告は、「人民戦線」を「1935年のコミンテルン第7同大会で書記長ディミトロフの指導の下に、ファシスト独裁と戦争に反対する労働者階級の統一と、これを中心に反ファシズムの諸階層と諸党派を結びつける共同戦線戦術として採り上げられた政策」と限定しているが、上で挙げたように、『国際政治経済事典』斉藤孝執筆の「人民戦線」の項目(甲64号証)によれば、「その起源は1934年にフランスの共産党と社会党が右翼の諸団体に対抗して共同闘争を組織したことにある。文献的には、フランス共産党書記長トレーズがこの言葉を用いたのが最初とされる。」とあるから、歴史的に見ても、「人民戦線」を被告が言うようにコミンテルン第7回大会で採り上げられた政策に限定すべき理由もない。現に、上で挙げた『現代政治学事典』の舛添要一執筆の「人民戦線」の項目(甲63号証)は、コミンテルン第7回大会については全く触れていない。 以上より、「佐藤は『反ファッショ統一戦線』という用語を使用したことはあるが、「戦争反対」との主張をしたことはない」がゆえに、「反ファッショ統一戦線」とは言っているが「人民戦線」とは言っていない、などとする被告の主張は、実質を欠いている単なる形式論であり、言葉遊びであり、噴飯物の主張である。>
by kollwitz2000
| 2010-06-09 00:00
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