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2010年 08月 15日
1.
最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て囃そうという風潮に対する批判など、真っ当な指摘も多い。だが、この一文には疑問である。 単純な話で、日本社会には確かに、植民地主義に基づいた差別的施策や差別行為は存在しているが、イスラエルが行なっているようなアパルトヘイトは存在していない、ということである。確かに両者には同質性があるが、だからといって日本の状況を「アパルトヘイト」とまで言ってしまうのは、「アパルトヘイト」概念の濫用であって、日本の状況の説明として説得力を欠いていると思う。 また、「外国人登録制度」も「アパルトヘイト」と同列に論じているが、その善悪はさておき、国民と外国人に対して異なった処遇を行なうのは、主権国家ならば恐らくどの国でもやっていることであって、これをも「アパルトヘイト」と言ってしまっては、「アパルトヘイト」概念が無意味化するだけだと思う。 前回の記事で書いたように、イスラエルのパレスチナ抑圧と、日本政府の北朝鮮系と見なされている在日朝鮮人への弾圧には完全に同質性があるが、それはあくまでも構造的な同質性であって、日本では殺されたり居住地が奪われたりされているわけではない。だから、吉沢氏のように「アパルトヘイト」の名の下で、同じだと言ってしまえば(普通の読者からすればそう言っていると読まれても仕方ないだろう)、それは端的に説得力がないので、かえって、両者の構造的同質性という指摘までも説得力を失うだろう。そしてそれこそ、私が吉沢氏の文章を読んで、最も危惧するところである。 吉沢氏が危惧しておられるように、日本でイスラエル批判をする人々は、往々にして日本自身は無垢だ、という自意識を持っているだろう。最近では、日本の左派でも、日本の戦前の侵略・虐殺はドイツのホロコーストのような計画性はなかったから、ドイツと日本は比較しようがないという主張が見られるが、それに近いものだ。そうした危惧自体は正当だと思うし、そのような問題意識を持つ人間が増えることは大変よいことだと思うが、だからこそ、逆効果につながりかねない文章は避けるべきではないかと思う。 吉沢氏は、「イスラエルという最悪の侵略国家に対しては、日本はせいぜいその加担者どまりであるが、加担者になるのはよくないから、それは拒否するべきである」という主張を仮定した上で反駁しているが、このカッコ内の主張はそれほど間違ったことを言っていないと思う。もちろん、現状のイスラエル政府への支援や国連でのイスラエル非難決議に対する米国への同調等の行動から、日本政府はイスラエル政府に加担していると言うべきであるし、日本国民もその責任を当然負っていると思うが(私の場合は、イスラエル政府を支援する大韓民国の国民としての責任、だが)、欧米諸国ほど一方的なイスラエル支援はしていないのであって、だからこそ、鈴木宗男や佐藤優といったと人々は、以前紹介したように、日本政府の「弱腰」を批判して、欧米並みに一方的なイスラエル支援をするよう扇動しているのである。日本の加担の度合いをあまり過度に描くことは、鈴木や佐藤のやっていることや<佐藤優現象>の犯罪性を、かえって見えにくくすると思う。 また、吉沢氏は、無印良品(日本)のイスラエルへの進出を「経済侵略」としている。経済学に疎い私が言うのもなんだが、そもそも「経済侵略」という批判は、政治的な支配/従属関係の下で可能になった、海外資本の進出が、現地産業の自立的な発展を阻害する場合に使われる言葉なのではないか。日本がイスラエルに比べて経済規模が大きいがゆえに、無印良品の進出が「経済侵略」と機械的に規定するのは説得性を欠くと思う。もちろんそれは「経済侵略」であるかもしれないが、吉沢氏の挙げる根拠のみではそうは断定できないだろう。これも、「経済侵略」という言葉の濫用と私には映る。 3. もう一人、常野雄次郎氏の所論にも言及しておかねばならない。常野氏は、toledというハンドルネームも用いつつ、各種の言論活動を展開しておられる方で、極論で賛同できない点も多いのだが、鋭い意見も多々述べている。そして、私の論文や記事を高く評価してくださっており、冒頭で述べたように、その点に関しては大変感謝している。 ただ、常野氏の以下の所論は問題だと思うので、問題点を指摘する(私の件に言及してくださっている点には御礼するが)。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20100717 常野氏はここで、イスラエルへのボイコットを提唱している人物(岡真理)が、テルアビブ大学教授を招聘するのは矛盾であると主張している。だが、それを言い出せば、例えば、現実に存在するかは知らないが、イスラエルの国会議員で、イスラエルの占領地からの撤退や人種差別政策の是正や難民の帰還権の擁護などを主張する人物がいた場合、その人物を招聘することもできなくなる。要するに、イスラエル内部で闘争しているイスラエル人とつながる回路が全くなくなるだろう。常野氏の主張は、イスラエル内部でそのような人物が登場する可能性を、はじめから排除する論理になっていると思う。 後述するように私は、このような現状のアカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動に積極的な関心を失っており、このシュロモー・サンドという人物を呼ぶこと自体にも、村上春樹のエルサレム賞受賞並みに大して関心がない。これについては吉沢氏が既に指摘しているように、パレスチナ支援の人々がこのような人物を(しかも、税金で)呼ぶこと自体がおかしいのである。 前から気になっていたのが、アカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動は、近年、インテリや読書人向けの知的消費物のようになっているのであって、海外から人を呼ぶ際にも、最近はパレスチナ人よりもむしろ、シオニスト左派の大学教授のようなインテリを呼ぶ傾向があると思う。サンドは左派ですらないらしいのだが、今回の招致もその傾向の一環であろう。 蛮勇を奮って言うと、日本のアカデミズム/ジャーナリズムを中心とした読書界においては、パレスチナ関係の産業というのがある程度成立していて、パレスチナの現状自体は悲惨に決まっているのだから、パレスチナ人が現状の苦境を訴えるのを聞くのは飽きていて、新しい視点でパレスチナ問題を「考える」(消費する)ために、「画期的」な研究成果を出している研究者を呼ぶ、という傾向が存在していると思う。招致した当人たちは絶対に否定すると思うが。これはブログ「haltanの日記」が的確に指摘していたことであるが、日本の政治的・思想的な主張を行なう流派(最近ではポストコロニアルとか格差社会論とかその他)は、一旦書き手と固定ファンが成立するとそれだけで回転し、自閉化して、社会的影響力を失っていくのであって、現状のアカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動はまさにこのようになっていると思う。そして、サンドの招聘もそのような傾向の現れだと私は思う。 ただし、常野氏のように、それがテルアビブ大学教授だからということで否定してしまっては、それはあからさまに説得力を欠いているので、かえって問題点を見えなくしてしまい、ひいては「ボイコット」自体に否定的な印象を与えることになると思う。後述のように、イスラエル内部の力に期待するしかない、という言説が強いゆえに、より否定的な影響を与える可能性が高いのではないか。 4. 現状のアカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動において、吉沢氏や常野氏がそのように感じたと思われるように、問題であると思わせる傾向は確実にある。だからこそ、そうした傾向への批判が、説得力を欠いたものであると、かえって問題は不可視化され、問題性が助長されることにもつながりかねないだろう。 パレスチナ支援活動とまでいかなくても、アカデミズム/ジャーナリズム的なイスラエル批判の近年の傾向として、最も根底的だと私が思うのは、論調が、国際的圧力によってイスラエルの蛮行を抑制しようという論調(イスラエル人の中では、イラン・パペがこれである)から、イスラエル国内の「良心的」な声が強くなるのを期待しようという論調に移行しつつある、ということである。後者は、「反イスラエル」と表象されて国内の「良心派」が困難に陥るような、イスラエル批判は抑制して、よしマシな政策が採用されるのを気長に待とう、という論調(これは実際に、私が某メーリングリストで見た投稿である)にもなる。典型的には、臼杵陽などがそうである。臼杵の最近の著書(『イスラエル』岩波新書、2009年4月)の「あとがき」から引用しよう(強調は引用者、以下同じ)。 「しかし、このような心優しいハト派の人たちがほんとうにイスラエルを動かしてきたのか、という疑問をその頃(注・1990年代前半)から強く感じはじめていた。現在のイスラエルでは和平を達成しようとするハト派の意見は黙殺されてしまっているといっても過言ではないし、もう壊滅してしまったといっていい状況である。それはなぜかを考えることも本書の目的の一つであった。また、イスラエル社会に広く浸透しているパレスチナ人への強硬論を主張する人びとの心情を彼らの理屈を通して理解しなければ、イスラエルを本当に知ったことにはならないのではないか、という気持ちが強まっていった。パレスチナ人に対する戦争すらも「対テロ戦争」で正当化するシオニズムの核心部分を、内在的に理解しなければならないと思ったのである。 しかし、アラブ研究からイスラエル研究に入った中東研究者としては、強面のイスラエルを理解したいという気持ちは当然もってしかるべきものだった。シオニスト強硬派がイスラエルの安全保障という名の下に、パレスチナ人を一方的にテロリストと決めつけ、テロリスト殲滅のために暴力行使も辞さない、というような心情と論理を内側から理解しようという試みがほとんどなされてこなかったからである。」(同書、229頁) 同書を読んでも、イスラエルの「ハト派」がなぜ「壊滅してしまったといっていい状況」になったかは全然分からないのだが、それはさておき、ここで臼杵が述べている「内在的に理解」云々は、非政治的な意見ではない。臼杵は、加藤典洋の「敗戦後論」のようなことを言いたいわけである。そのことは、臼杵による、同書の締めくくりの部分である以下の叙述から分かる。 「 イスラエルがアラブ・イスラエル紛争を乗り切り、ここまで幾多の困難の中を生き延びてきたのは、シオニズムに基づく国家建設を推し進めてきた政治指導者たちの「功績」であったことは言うまでもない。しかし、同時にアメリカ合衆国によるイスラエルヘの突出した軍事的・経済的援助や国連安保理におけるイスラエル関係の議決に対する40回近い拒否権の発動などが、イスラエルを支えてきたともいえる。もちろん、イスラエルによる対米依存は、イスラエルの外交政策の主柱であるので、当然といえば当然である。 ただ、イスラエルは中東地域に存在する以上、将来的にも周辺アラブ諸国との関係の中で生きざるをえず、中東域内での孤立化を避けるための術を模索しなければならない。イスラエルとパレスチナ人の間の紛争は、軍事的・政治的に圧倒的に優位の立場にあるイスラエルの妥協があって初めて解決するものであろう。もちろん、イスラエルにとっては、安全が保障されないかぎり、「対テロ戦争」に関しては妥協できないであろう。しかし、妥協の積み重ねによってしか政治的解決を見出せないというのも、これまでの歴史が示してきたとおりである。その場合にもやはりアメリカしか仲介者としての役割を果たせないのが現状である。 パレスチナ問題の解決は、少なくとも中東地域の権力政治の力学という点からはイスラエルの手に委ねられており、パレスチナ問題の解決の鍵を握るイスラエルという問題は、アメリカ次第である。つまり、イスラエル問題はアメリカ問題でもあるということができる。アメリカこそがイスラエルというユダヤ国家の生殺与奪の力をもっており、その意味でもイスラエルはアメリカと「運命共同体」の関係にあるといっても過言ではない。 イスラエルは二〇〇八年、建国六〇周年を迎えた。イスラエルは市民社会としては成熟しつつあるにもかかわらず、シオニズムを捨てることはないだろうし、「ユダヤ国家」であり続けるだろう。イスラエル社会はグローバリゼーションの流れの中で経済的な自由化を選択しつつ、民主的な市民社会に向かっている。しかし、そのような方向に向かえば向かうほど、イスラエル自身が多文化主義的になっていく。だからこそ逆に、イスラエルの純粋なるユダヤ性をことさらに強調せざるを得ないと考える国民も増えてくる。そこにイスラエルという国民国家の抱える最大のディレンマがある。しかし、このディレンマはイスラエルだけの問題ではない。二一世紀のグローバル化の時代の国民国家すべてが直面している問題であるともいえる。」(同書、221~222頁) 私はこの箇所を読んで唖然としてしまったのだが、臼杵は、「もちろん、イスラエルにとっては、安全が保障されないかぎり、「対テロ戦争」に関しては妥協できないであろう。」などという一節によって、侵略や虐殺や抑圧体制を既定事実としたまま「安全保障」を唱えるイスラエルの主張をそのまま肯定した上で、その「国益」論的な観点からの「妥協」を望んでいる。ここには、シオニスト左派への希望すらない。もちろんこの論理であれば、ハマス政権は潰すべき、ということになるだろう。臼杵はもちろんそこまで言わないだろうし、臼杵が現在、他でどういう主張をしているかは知らないが、臼杵の展開している論理それ自体は、欧米リベラルと同等もしくはそれ以上に後退している。 臼杵に典型的に現れている傾向は、日本のリベラル・左派内部の、周辺アジア諸国の「反日」の声に連帯するような行為を忌避し、日本社会の「良心派」(自分自身)の力の発展、「健全な保守」や「国益的合理性を有する保守」との連携を重視しようという近年の流れと完全に対応している。 また、末尾の文章を見る限り、臼杵が考えている今後のイスラエル国家については、パレスチナ問題などほとんど存在しないかのようだ。「普通の国」としてのイスラエルである。 臼杵に好意的な人間は、臼杵が状況に絶望しているからこのようなことを言うのだ、と弁明するかもしれないが、私は多分そうではないと思う。佐藤優が臼杵を賞賛しているのはなかなか興味深い。 http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/138.html なお、臼杵は同書の参考文献で、イスラエル/パレスチナ関連の多数の本を掲げているが、イラン・パペの本(日本語訳・原書とも)がないのも示唆的である。 5. また、近年のアカデミズム/ジャーナリズム的なイスラエル批判というのは、これは昔からそうなのかもしれないが、国民の政治的責任という視点が大変弱いように見える。 岡真理は、パレスチナ支援策として、以下のリンク先にあるように、7点を提唱している。 ttp://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/587.html 不思議に思うのは、一般的な社会運動ならば普通では真っ先に来ると思われる、日本政府や政党、政治家への働きかけという方策が、この中では言及すらされていないことである。 これは、岡が上の文章を作る際に参考にしたと思われる、岡自身が抄訳している、「パレスチナに公正な平和を実現するために、あなたにもできる25の行動」(上のリンク先の文章で言及されている「25の行動リスト」)と照らしあわせると、より奇妙さが際立つ。この「25の行動リスト」では、三番目という早い項目で、「あなたの国の政治指導者に、攻撃を止めろとイスラエルに圧力をかけるよう要求しよう。」(岡の訳を使わせていただく)という行動が提唱されている」。これはごく当前のことだと思うが、岡自身の文章には、これが欠けている。 また、言論人や読書人ならば、最大の「支援策」は、イスラエルの侵略行為を肯定するような言論に対して反論することや、そうした発言者の言論を掲載する雑誌等に対して積極的に「ボイコット」することであろう。「25の行動リスト」で言えば、メディアについては、二番目に挙げられている。だから、「国民の政治的責任」という観点からすれば、<佐藤優現象>に対抗することはごく当たり前の行為であるはずなのである。ところが、以前に指摘したように、岡にはそのような観点が欠片すらない。それどころかむしろ積極的に『金曜日』に協力することで、<佐藤優現象>を継続させる働きを行なっている。 なお、上の引用文のように、臼杵はアメリカの「国連安保理におけるイスラエル関係の議決に対する40回近い拒否権の発動」を指摘しているが、日本政府も国連においてアメリカに同調して反対や棄権をしていることには、知らないはずがないのに言及していない。これも同種の傾向の現われだと思う。 この奇妙さは二人に限ったことではない。例えば、東京新聞記者の田原牧は、イスラエル批判の記事や論説を多く書いていることで知られるが、佐藤優と親しいらしく、『情況』その他の佐藤がよく出る雑誌で頻繁に執筆している。『世界』や『金曜日』のような、鈴木宗男や佐藤優がたびたび登場する雑誌に執筆することを、イスラエル批判を行なうライターや研究者たちは、何もおかしいことと思っていないようで、そのような人物は大勢いる。まあ、ライターなら生活がかかっているから、私は軽蔑するが情状酌量の余地はあるかもしれないけれど、ああいうところで書くアカデミズムやマスコミの人物というのはいったいなんなのだろうか。 これらのあからさまにおかしい主張・行動は、日本の現状のアカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動では何ら問題とされておらず、むしろ当たり前のように、皆、「良心派知識人」として振舞えている。まるで、相互で問題を存在しないことにしようとしているかのようだ。 ちなみに、佐藤優と極めて親しい『世界』編集部員(女性)は、季刊『前夜』の購読者で、パレスチナ支援運動の支援者でもあった。その団体が送ってくる会報を片手に、「イスラエルの暴虐」について同僚と熱く語ったりしていた。 私は心底意味がわからなかったので、あなたは佐藤氏が主張するイスラエル擁護の言動についてどう思うのか、と聞いた。それに対する回答は、「そのことは確かに問題だと思うし、私も佐藤さんに直接、注意したこともある。でも、佐藤さんには佐藤さんの考えがあって、ああいう主張をしているのだと思う」といったものだった。彼女が思う「佐藤さんの考え」が何かは説明してくれなかった。こうした人物を読者層に含みつつ、パレスチナ問題に関するアカデミズム/ジャーナリズムは回っているのであって、それが産業的に回れてしまうというのは、果たして良いことなのか、と疑問に思う。そういえば、パレスチナ支援運動には、村上春樹のエルサレム賞スピーチに感動する人間すらいた。一部の支援団体は正当にも批判していたが、村上やああいう茶番劇を絶賛するマスコミを批判しない、研究者たちというのは一体なんなんだろう、と疑問を抱いたものだ。 6. 長々と述べてきたが、私は別にイスラエル/パレスチナ問題について専門的な知識はなく、日々のニュース以外では、何冊か本を読み、いくつか論文を読んだ程度の知識しかない。また、寄付活動も、昔、集会でオリーブ石鹸を買ったことがあるくらいだ。多数あるパレスチナ支援団体についても、知らないのであまり区別がついていない。ここで「アカデミズム/ジャーナリズム的」という限定をつけたのは、私の怠惰により、それ以外に存在すると思われる団体や発言者の主張をあまり知らないためである。 アカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動に対して批判がましいことを言うと、「じゃあお前はどうなんだ」という「立場性」を問う声が出てくるように思う。そして、そのような無言の声が、アカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動が、このようになってしまった大きな要因だと思う。そのような「立場性」云々を言い出せば、物理的な問題として、パレスチナ問題は研究者やマスコミ関係者や有閑層しか発言できなくなるのであって、私は一読者として疑問点を述べたまでである。私に他の読者よりも優位性があるとすれば、言論人や研究者やマスコミ人の空虚さを学習してきているので、これも同じような事例だろうと、疑問を抑圧せずに、素直に思える点である。 つくづく思うのだが、イスラエル/パレスチナ問題に関してまともな研究者が現れて欲しいものである。上で言及したような奇妙な振る舞いは、必然的に、彼ら・彼女らによるイスラエル/パレスチナ社会の状況認識にも反映しているのであって、彼ら・彼女らの提示する社会像は恐らく本質を捉えたものではない。関心はあっても私自身は目前のことで追われていて、イスラエル/パレスチナ問題について何かを書いたり調査したりする余裕がないので、とりあえず現状のアカデミズム/ジャーナリズム的なパレスチナ支援活動ならびにその言説が根本的におかしい面が多々あることを指摘し、まともな研究者の登場に、何かの足しになればと思い、この一文を書いた次第である。需要はあると思うのだが、誰かいませんか。私はまともな報道・分析を読みたい。
by kollwitz2000
| 2010-08-15 00:00
| 日本社会
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