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2010年 11月 29日
1.
自分が最近更新していないのにこんなことを言うのもなんだが、早めに指摘すべきと思われる件があるので、書いておく。 吉沢樹氏は、ブログ「media debugger」において、このところ精力的に執筆されている。吉沢氏の提示される情報や指摘は、有益なものを含んでおり、私も参考にさせていただくことがある。また、吉沢氏が私のブログや裁判をブログ上で応援して下さっていることにも感謝している。ただ、最近の吉沢氏の文章を読む限り、放置できない発言がいくつかあり、その点は、かねてから吉沢氏のブログを読みながらしばしば感じた違和感にもつながるものだと思うので、これを機会に率直に書いておこうと思う。吉沢氏は、私が前回批判をした際に、ブログを一時期休止されてしまったので(ハンドルネームなのだからそんなに気にしなくていいじゃないですか、と思ったりもするが)、改めて批判をするのは心苦しく、万が一閉鎖されたりすると困惑するのだが、一個人の批判で閉鎖するブログなどどのみち駄目なのではないか、という思いもあるので、ここは率直に苦言を呈させていただく。 2. 吉沢氏は、最新の記事「北朝鮮を非難する前にするべき100のこと」(2010年11月24日付)の「11月25日追記」で、以下のように、目取真俊氏を批判している。 <目取真俊氏は、本日付のブログ記事「北朝鮮の砲撃事件と在沖海兵隊」で、「北朝鮮が行った蛮行は許されるものではなく、徹底した批判が加えられねばならない」と述べられた上で、「在沖海兵隊が」「朝鮮半島情勢において抑止力となってい」ないことを根拠(の一つ)として、沖縄への基地の固定化に反対されている。 私は「尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判――(4)侵略国の「国民の正史」を担う沖縄と「オール・ジャパン」現象(後半)」で、「(たとえ建前上であれ)沖縄の米海兵隊がアジアに対する抑止力になっていないことを主な理由として、「県内移設」に「反対」している人々は、論理上は(米軍の抑止力を担保する)「県内移設」容認派と紙一重のようなものである」と書いたが、ついに目取真氏自身がこうした主張を公言されるようになってしまったようである。(中略) さすがに衝撃が大きくて、すぐには理路整然とした反論ができないが、もしも今回の事件を受けて在沖海兵隊が北朝鮮を攻撃していれば、目取真氏は沖縄への基地固定化に反対する論拠(の一つ)を失っていたのだろうか?つまり、在日米軍が日本人のために朝鮮人を殺せば、在日米軍基地の存在が正当化されるのも止むを得ない(面もある)、と目取真氏は考えておられるのだろうか?そうではないと思いたいが、これではそうとしか読めないのではないか・・・・・・?> 私は目取真氏の該当記事を読んだが、上の解釈は端的に吉沢氏の誤読か思い込みに基づくものとしか思えない。目取真氏は「朝鮮半島や台湾海峡の有事=戦争への対応や抑止力としての役割を強調」する、「在沖海兵隊の存在意義を主張する人たち」の主張に根拠がないと言っているだけであって、なぜこれが吉沢氏のように、「在日米軍が日本人のために朝鮮人を殺せば、在日米軍基地の存在が正当化されるのも止むを得ない(面もある)、と目取真氏は考えておられるのだろうか?」という解釈になるのか理解に苦しむ。なぜこれが「これではそうとしか読めないのではないか」ということになるのだろうか。 吉沢氏の「誤読」が問題としてややこしいのは、目取真氏の主張それ自体にそもそも問題があるからである。目取真氏は恐らく、「在沖海兵隊の存在意義を主張する人たち」の議論を逆手にとって反論しているのであろうが、この論法は、吉沢氏が正しく指摘しているように、かえって「じゃあ、米軍による抑止力をより強化すべきだ」という主張に利用される危険性のあるものである。批判するならば、本来その点を指摘するに留めるべきにもかかわらず、吉沢氏の批判は誤読か思い込みによって、説得力を失うことになっている。 吉沢氏によるもう一つの目取真氏批判にもほぼ同じことが言えると思う。吉沢氏は、「尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判――(4)侵略国の「国民の正史」を担う沖縄と「オール・ジャパン」現象(後半)」(2010年11月4日付)で、目取真氏の尖閣諸島(釣魚島)問題に関する発言について、以下のように批判している。 <目取真氏は、「日本の外交能力と政治的影響力の低下」によって、「中国の強硬姿勢」が「エスカレート」することで、「日本国内のそれに対抗する排外的ナショナリズムの動きが一気に高まりかねない」こと、「中国の脅威に対し、低下する外交能力を軍事力強化で補おうという声が広がる」ことが「最悪の道筋であ」り、「問題を悪化させる中国側の強硬姿勢も強く批判する必要がある」という主張をされている。けれども、尖閣=釣魚島に限らず、「民主党政府が率先して排外主義を〝国策″としている」以上、「日本国内の」「排外的ナショナリズムの動き」を抑えるためにこそ、「日本の外交能力と政治的影響力の」増大が望まれる、といったような目取真氏の論理には、残念ながらあまり説得力がないのではないか(▼7)。 別の言い方をすれば、目取真氏は、(とりわけ沖縄における)日本の軍事力増強を阻止するためにも、日本政府には尖閣=釣魚島の「実効支配」を巧みに維持する――尖閣=釣魚島の歴史的経緯を問う中国側の抗議を封じ込める――だけの外交能力と政治的影響力が求められる、と解釈し得る主張をされているわけだが、それは端的に正しくない、と私は思う(なぜなら、侵略は悪いことであり、侵略によって奪ったり盗んだりしたものは賠償・返還しなければならないはずだから)。目取真氏のように(沖縄における)<佐藤優現象>を的確に批判されている人物ですら、このように「国益」論的価値観(の一部)を共有し、しかもそれをあっさりと公言していることには、何というか愕然としてしまう。> 今回の尖閣問題で一義的に問題なのは、日清戦争が侵略戦争であるとの認識が存在しないこと、中国(人)に対する過去の歴史に起因する贖罪感が全く払拭されていること、また、中国(人)が理性的な主張を行なっているはずがない、というレイシズムに骨の髄から浸食されていることが露呈されたことであって、私も、目取真氏の該当文章を読んだ際に、そのことを大して問題にもしない氏の主張に強い疑問を感じた。また、目取真氏の口から「問題がここまでこじれてしまったら、エスカレートしている双方の強硬姿勢を軟化させ、話し合いによる問題解決に向けて双方が歩み寄っているという状態にまずは持っていくことが、日中両政府に問われていたはずだ。それがなされないまま、中国が強硬姿勢をエスカレートさせている段階で、日本が唐突に船長を釈放すれば、中国の圧力に屈したとしか国内外で見られないし、日本の外交能力と政治的影響力の低下が印象づけられる。」などという民主党支持層のような言葉がさらりと出たことにも驚いた。少し前の目取真氏ならば考えられなかった発言である。 だが、にもかかわらず、吉沢氏の批判は不当と言わざるを得ない。吉沢氏は、「目取真氏は、(とりわけ沖縄における)日本の軍事力増強を阻止するためにも、日本政府には尖閣=釣魚島の「実効支配」を巧みに維持する――尖閣=釣魚島の歴史的経緯を問う中国側の抗議を封じ込める――だけの外交能力と政治的影響力が求められる、と解釈し得る主張をされている」と主張しているが、目取真氏の該当文章を読んで、そのように解釈する読者が果たして何人いるだろうか。それは読み込みすぎではないのか。 目取真氏の文章が奇妙なのは、少なくとも船長の拘留延長自体(本来は逮捕自体)が日本側の強硬措置であるにもかかわらず、釈放による「日本の外交能力と政治的影響力の低下」を嘆く姿勢である。ところが、吉沢氏の批判は、目取真氏の文章からは直ちには言えない(少なくとも私には理解しがたい)命題を、「解釈し得る主張」だとして、目取真氏を批判している。だが、そのような仮定に基づく批判はおかしいのであって、批判は、特段の事情がないならば、一般読者の普通の注意と読み方にしたがった意味内容に基づいてなされるべきであるし、そうでないならば、書き手である目取真氏に対して不当ではないかと思う。ここでも、本来批判すべき点ではなく、目取真氏の問題を拡大解釈することで、かえって説得力を失うことになっている。 吉沢氏の目取真氏批判の問題点は、目取真氏の主張の誤読および拡大解釈もさることながら、吉沢氏が誤読や拡大解釈を行って目取真氏への批判を行なうことで、批判の説得力が失われる点と同時に、目取真氏とその他の佐藤優とつるむような沖縄の知識人が一緒くたにされてしまう点である。特に、一番最後の点が問題である。この点は後述する。 3. また、吉沢氏は、連載記事「尖閣=釣魚島をめぐる諸言説批判」の第1回目で、浅井基文氏を「浅井氏の主観的意図がどうあれ、結局は朴裕河的な「和解論」に回収されていくのではないか」と批判している。だが、なぜ連載の第1回目でこの問題について最も有益な論説を発表している、ほぼ孤軍奮闘状態の浅井氏を叩くのか、全く理解に苦しむ。浅井氏の著作の読者ならば周知だと思うのだが、もともと浅井氏は中国政府的な「和解論」に日本人は感謝すべき(これはその通りであろうが)、と主張する立場の人である。朴裕河のように、日韓の「左」の日本批判潰しのために「和解論」を主張する人々は非難されるべきだが、そもそも中国問題では、中国政府より「左」の立場の人間など皆無な日本において、しかも中国政府的な「和解論」の支持者もほとんどいない状況で、浅井氏を批判してどうするのか。 また、吉沢氏は連載の第4回目で伊波洋一候補も批判している。吉沢氏のこうした批判を読んで、私を含めた恐らく多くの人間が抱くのは、「そんなこと言っても、政治的に戦っている状況なのだからある程度の後退はやむを得ないだろう。その点は配慮してあげるべきではないのか」ということであろう。もちろん、「後退」が、他人の人権を侵害するものであったり、帝国主義や排外主義と手を組むといったものならばそれは許容されるべきでないが、浅井氏にせよ伊波氏にせよ、吉沢氏の引用する発言を見る限り、今の日本のマスコミで発言し(浅井氏はそれを希望しているだろう)、また選挙を戦う上ではやむを得ないと言わざるを得ない「後退」である。 4. 「<佐藤優現象>批判に対抗する共同声明」や私が問題にしているのは、「良心的」または「左派」と一般的に認識されている人々が佐藤を積極的に起用することによって、あたかも佐藤による悪質な諸発言が何か一定の説得力を持っているかのごとく一般人に受け取られてしまうという<社会的効果>である。リベラル・左派によるその他の悪質な言動・行動への私の批判も、いずれもそのような<社会的効果>または<影響力>を問題にしている。この点は、大分前(「リベラル・左派からの私の論文への批判について(1)」)から書いていることである。 吉沢氏の浅井氏・伊波氏への批判は、そのような<社会的効果>の問題よりもむしろ、吉沢氏が抱いている強固な「左派としてあるべき立場」のようなものが存在し、その立場からの批判となっているように思う。少なくともそのような読後感を読者に与えると思う。また、目取真氏への批判も、吉沢氏の批判がそのような立場からのものであるがゆえに、目取真氏とその他の人々が一緒くたにされてしまう結果になっていると思う。 もちろん、「左派としてあるべき立場」を左派の人物が明確に持っていることは、この転向が常態化している現在、よいことだと思う。だが、まともな左派の活動家(とまでいかない左派的な人々でも)ならば、政治的に戦っている人間に対する考慮が働くだろうし、まともな人間をその他の駄目な人々と一緒くたにすることもしないだろう。上で挙げた事例での吉沢氏の場合、政治的判断(「政治判断」ではない)と強固な立場という二つのうち、前者があまりないままで、後者だけが一人歩きしているように思う。しかも、<社会的効果>の観点が著しく弱いように思う。 そして、そうした批判のあり方は、「リベラル・左派からの私の論文への批判について(1)」で書いたように、容易に、「極左・セクト的として戯画化」される危険性があるだろう。リベラル・左派批判がそのようなものであるとされると、<佐藤優現象>を擁護するリベラル・左派による、「佐藤さんを使うのも今の政治状況では仕方がないじゃないか。また、自分たちのような左派は日本の一般大衆よりマシなのだから、批判者は自分たち左派に対して厳しすぎる」といった、そもそも反論にすらならない馬鹿げた弁明が、何ほどかの説得力を持ってしまうことにもなりかねない。実際に、佐高信などは実際にそのような弁明または問題のスリカエをしている。 私は尖閣諸島は中国領であると考えているので、浅井氏と立場は異なるが、それでも浅井氏のこの問題に関する分析はこの間最も有益な内容だった。また、目取真氏の11月24日のブログ記事「『週刊金曜日』11月12日号を読む」は、『週刊金曜日』の「佐藤優責任編集号」の狙いと悪質性を指摘した、必読の文章である。吉沢氏は、浅井氏や目取真氏を批判する理由として、「<佐藤優現象>に疎遠あるいは批判的な人々でさえ、尖閣=釣魚島をめぐる「オール・ジャパン」現象に併呑されつつある」ことを示しているからだとしている。私もかつて、「佐藤優のいない<佐藤優現象>」(上)(下)で、その種の人々を批判したことがあるが、そこで私が批判していたのは、民主党政権への「政権交代」を礼賛していたような『インパクション』周辺の左派である。浅井氏や目取真氏のような、孤軍奮闘している人間とは全然質が違う。目取真氏の発言は確かに問題であるので批判自体はよいことだと思うが、批判するならば、他の駄目なリベラル・左派と一緒くたにせずに、もう少し丁寧に、批判の社会的意義が分かりやすい形でなされるべきではないかと思う。 吉沢氏が最近追及しようとされている、「オールジャパン」現象と沖縄の結託という状況は、問題の重要性にもかかわらず、それこそ吉沢氏一人くらいしか今のところ手をつけておらず、今後、是非研究・批判を深めていただきたいと思う。あえて苦言を呈させていただく次第である。
by kollwitz2000
| 2010-11-29 00:01
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