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2010年 11月 29日
1.尖閣諸島(釣魚島)問題について
このところの政治・言論上の、一連の大きな動きについて、まとめて書くつもりだったのだが、長くなるので全体を分載することにした。延坪島砲撃事件とその日本への影響や、沖縄知事選についても述べたいのだが、それを論じる前に、尖閣諸島(釣魚島)問題について述べなければならない。 この問題については、浅井基文氏が、日本共産党の主張の支離滅裂さや、安全保障問題との関係、中国側の主張など基本的な点に関して、詳細かつ極めて説得的に論じているので、未読の方はまずはそちらを参照されたい(私は尖閣諸島は中国領だと考えているので、浅井氏とは立場が異なるが)。 今回の一連の尖閣問題に関する日本の言論状況への批評として、メディア上で一番的確だったのは、韓国の保守紙、朝鮮日報(日本語版)の2010年9月27日付の記事ではないかと思われる。記事には以下のようにある(強調は引用者、以下同)。 「今回の中国と日本の衝突で、中国が取ったような分別をわきまえない行動を、日本が独島に対して取った場合でも、 現在のような「静かな外交」を維持できるか、という課題が残る。 /(注・韓国)政府の関係者は、「日本は中国とは違う」との見方を示しているが、日本社会の急激な右傾化の動きに影響される可能性もある。 」(朝鮮日報、2010年9月27日付) この記者は、「日本社会の急激な右傾化の動き」と断定する根拠を記事中で示していないが、それは恐らく言わずとも読者には分かる、ということなのだろう。この記者が、保守紙の記者として中国批判を行ないつつも、日本のメディアと「世論」が中国バッシングを唱和する姿を非常に気持ち悪く眺めていることがよく伝わってくる一節である。 韓国では日本での民主党政権成立は一様に歓迎され、左右問わず、韓日の「和解」と「東アジア共同体」の実現に向けた期待が高まっていた。「政権交代」当初、韓国各紙の論調をインターネットで読み、特に左派系のメディアが歓迎していたことに私は腹を立てていたものだ。 だが、韓国メディアに詳しい友人によれば、そうした「歓迎」ムードはもはやすっかり陰を潜めているようである。その代わりに出てきたのが、上で挙げた「右傾化」認識だ。管見の範囲では、韓国メディアで「日本の右傾化」を指摘したのは安倍政権以来のように思われる。安倍政権末期からここ3年ほどの日本評価が逆転し、正しく「右傾化」していると認識されるようになりつつあるのではないか、と思う。だとすれば、1年以上前に、論文「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」の中 で「今後、日本の右傾化はよりスムーズに進む」と指摘した私としては、韓国世論が少しは正道に戻ってくれたようで心強いことではある。 この論文の最後の部分で、私は、以下のように述べている。 <「平和国家」という自己認識を持つ「ウヨク」または「サヨク」たちは、一致して、格差社会の惨状を嘆き、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチに涙し、北朝鮮の核実験に対して「唯一の被爆国」としての怒りを表明し、在特会のあからさまかつ行き過ぎた言動・行動に眉をひそめる。みんな、いい人たちで、「平和」を愛する人々なのだ。「一党独裁支配」の中国や北朝鮮、ナショナリズムが「過剰」で徴兵制のある韓国、軍事的緊張化に置かれている台湾など、周辺諸国は「平和」とはほど遠い状態だ、それに比べてわが日本は・・・と彼ら・彼女らは、「戦後日本」とこれからの日本に誇りと自信を持っていることだろう。 「11」で示したように、日本国家の右傾化は、こうした、日本が「東アジア唯一の平和国家」だという自己認識を持った人々による、日本国内の極右勢力との抗争プロセスを通じて、意図せざる形で、進むことになる。 東アジアの周辺諸国からすれば、これは、かつての自民党右派政権よりもはるかに厄介である。「中東唯一の民主国家」という自己認識を持ったイスラエルのような国が、イスラエルよりもはるかに強大な軍事力・経済力を持って、東アジアに誕生したことになるのだから。ただ、イスラエルほどは、軍事的要素が社会の前面に出てこないとともに、社会の民主化も進まないだろう。 また、仮に「東アジア共同体」といった形で、韓国や中国など周辺の中大国と集団的安全保障を結んだ場合は、より強い脅威を受ける対象が、周辺諸国ではなく、世界レベルに拡大される、というだけの話である。その場合、「対テロ戦争」がますます徹底的に遂行されることになる。 この右傾化の動きは、民主党政権または大連立政権下で、より強くなっていくだろう。 この状況下では、「護憲」も、日本の侵略責任・戦争責任の観点から捉える視点がない限り(そして、近年の「護憲」論は、ほとんどの場合、そうした視点はないのだが)、上記の抗争プロセスに回収されるだろう。そして、<佐藤優現象>や、「1」でも言及した、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後の右傾化においては、まさに、「護憲」論の上記の抗争プロセスへの回収が著しく進んだ、と言ってよいだろう。 もう少し言うと、もはやこの段階においては、「護憲」か「改憲」か自体は本質的な政治的争点ではなくなっている、ということである。もちろん私は、どっちでも同じだから改憲してもいいのではないか、と言っているのでは全くなく、改憲または安全保障基本法の制定が、右傾化の大きな前進であることは言うまでもない。だが、「戦後社会」を肯定する護憲論は、民主党の安全保障基本法には多分ほとんど抵抗できないだろうし、彼ら・彼女らの中では有力な代替案である「平和基本法」も、「<佐藤優現象>批判」で書いたように、論理としては安全保障基本法と大して変わらない。 むしろ、本質的な争点は、過去清算をろくに行なわず、また、当面は行なう見込みのない日本が、「普通の国」として軍事活動を行なうことへの、周辺アジア諸国の民衆からの抗議と警戒の声とどう連帯するか、ということになると思う。要するに、日本の右傾化を規制する実体のある勢力は、当面は外部しかないのであって、その外部とどう連帯するか、ということである。 無論、そうした抗議と警戒の声や、連帯しようという行為は、日本社会においては「反日」だと表象されるだろう。だが、「反日」という非難を意に介さず(もちろん「非難に抗して」でもよいが。念のために書いておくと、以前書いたように、文言としての「反日」を掲げるべき、ということではない)、「10」で言及したような、「正義」を回復するために、または(および)、日本国民の政治的責任を果たすために、過去清算を行うという立場で行かない限り、上記の抗争プロセスに回収されるだけだと思う。そうしたことを主張する人々や運動が、現在ではどれほど微力であっても、本質的な政治的争点はそこにしかない、と思う。> 引用が長くなったが、2010年秋というのは、上で述べている、「戦後社会」の擁護というイデオロギーが中軸に置かれた形での、日本が「東アジア唯一の平和国家」という自己認識の下での右傾化が、言論レベルでは一応の完成の段階に達した時期として位置づけることができると思う。 今回の尖閣問題で特筆すべきなのは、私がこのブログで萱野稔人の議論や村上春樹のエルサレム賞受賞講演等について何度も指摘してきたことではあるが、メディア上での話の読み手・聞き手の対象が、日本側の主張が正しいと考える日本人であることが自明の前提とされており、ジャーナリズムの公正性の原則がなかったのごとく(むしろ、それこそが公正性であるかのごとく)されており、しかも、リベラル・左派とされてきたメディアや人々も、同様な姿勢で中国批判を行なっている点である。そこでは、一連の件が、日本チームを応援するのが自明の前提であるオリンピックの試合のように論じられている。それでいて、ビデオの全時間の全面公開もまだなのだから、海外から見ればほとんど冗談のような状態に見えているだろう。 ここまでの「挙国一致」状態は、2002年の拉致問題の時も、2004年の遺骨「偽造」問題の時も、2005年の「反日」運動の時も、2008年のチベット問題の時もなかった。メディア上は相変わらずプロパガンダをやっているが、ウェブ上や左派系の紙媒体では細々ながら異論があり、言えない人間も沈黙で身を処していたのである。ところが、今回は、左派系の大多数が、自明の前提として自発的に中国非難を行なっている。そして、左派による批判により、右派や中間派がより自信を持って「挙国一致」で中国を非難する、という循環がある程度生まれている。 2.「日本人同胞の内輪」という空気の成立 このような状況は、特にメディア上の人間やその受け手を「内輪」として感じる感覚または<空気>が不可欠である。 私がかつて、まだ岩波書店労働組合に在籍していたころのことである。私は2005年頃、岩波書店労働組合が食堂に張り出す「壁新聞」の編集委員の役職を受け持っていた。編集委員は全部で8人くらいいたはずである。 それで、掲載予定の原稿が送られてきた際、その中に、「めくら判を押す」という表現があったので、これは書き手に意見し、表現を修正すべきではないかと編集委員会内部で述べたことがあるのだが、私の主張は否定され、結局そのまま掲載されることになった。この際の議論は、なかなか面白いので、また後日紹介することもあろう。 私が非常に興味深く思ったのは、この議論の際に、私が偶然話をした別の組合員の意見である。私がこの「めくら判を押す」という件について私の主張を述べたところ、この、左派系の単行本もよく担当している編集者でもある組合員は、「「壁新聞」は会社内で掲載されているもので、岩波書店には目の見えない人がいるわけではないし、出入りする人にもいないだろうから、「めくら」という表現も別に問題ないと思う。」と反論してきたのである。 世の中には自分とは次元が違う世界で生きている人間がいるものだ、ということを改めて教えられた発言であるが、ここまであけすけでなくても、私以外の編集委員にも「岩波書店には目の見えない人がいるわけではないし、出入りする人にもいないだろうから、「めくら」という表現も別に問題ない」という認識が暗黙のうちに共有されていたのではないかと思う。 今回の尖閣問題に関する一連の言説の特徴は、この組合員の発言の背景にある心性が露呈したものと見ることができる。日本全体が、あたかも一つの「内輪」のサークルのように表象されており、公正性(中国側の見解すらほとんどまともに紹介されない)や、日本人以外の人間が存在することはあらかじめ排除されている。 その意味で、ちょうどこの少し前の時期に、以下のような発言が出ていたのが徴候的であると思う。 「高橋 よく言われることですが、ネット右翼という存在が台頭してきたのも、この二〇〇五年以降は貧困化、格差社会の到来と同時に、ネット社会の到来でもあって、いわばそれまでは裏声で語っていたメッセージが、裏が表になるというか、公に言えるようになったからです。ですから、僕もいくら目にしても、信じられないのは、普通言わないような、あからさまな差別発言のようなもの、つまり「朝鮮人、帰れ」とか、そういう身も蓋もない言い方を平気でする人たちが大量に出現した。おそらく十年前なら、そんなことは陰で思っていたとしても、あるいは言っていたとしても、表に出して言うもんじゃないということぐらいは意識の中にあった。いま、それが大きい声として出るようになってきたということは、僕もひしひしと感じます。」(高橋源一郎・小熊英二対談「1968から2010へ」『文学界』2010年5月号) 「北京オリンピックと上海万博を経て中国は相当に自信をつけただろう。今回の問題で日本に「勝った」と思っている中国人は多いのではないか。夫はそれが「ムカつく」と怒っている。「いい気になりやがって」と、ちょっとした差別主義者が家の中に出現したみたいだ。しかし彼が怒っているのは、それら中国の対応が結局だれを喜ばせることになるのかという点につきる。/しばらくナリをひそめていた右翼政治家たちが大はりきり。すわ有事だの離島防衛だの中国脅威論だの。ナショナリズムに火をつけることになるから上手にやってほしいというわけだ。都知事があからさまに中国を罵倒していたときは、テレビに向かって「バカじゃねーの!? オレと同じじゃねーか!」ときれた。なんだかマヌケな怒り方だが、家の中で悪口言ってるようなレベルの発言を政治家がするなということだ。/「公の場で言えないからみんな苦労するわけでしょ。言っていいならオレだって知事ができる」……ごもっとも。」(石坂啓「外交は勝ち負けではない」『金曜日』2010年10月8日号) ここで重要なのは、高橋や石坂が、「差別意識が悪」という定式ではなく、「差別意識を公に出すことが悪」という定式を打ち出していることである。逆に言えば、公的に出さずに差別意識を保持したり「内輪」で話したりすることは肯定・容認されている。もちろん高橋や石坂は、別に深い考えに基づいて上の発言をしているわけではなく、いつものことではあるが、単なる思い付きを述べたに過ぎないだろう。そして、上の発言が重要なのは、だからこそなのであって、この二人や対談相手の小熊、その掲載誌の編集者らが、自分たちや読者は一つの日本人の「内輪」だと捉えているという<空気>を伝えてくれているのである。そして、その<空気>の下では本来排除の対象たらざるを得ない、在日朝鮮人は、こうした発言および<空気>に反対することなく、その<空気>を察知して却って自分たちにすり寄って来ることを、この連中は恐らく無意識的に理解している。 以下の上野千鶴子の発言も同様である。 「いまもっとも有名な東大教授、「東大のヨンさま」こと、姜尚中さん。生え抜きでもなく、国籍もないマイノリティの学者を「売り」にする天下の東大のマーケッティング戦略に、他大学も見習った方がよい。コロンビア大学の英文学部が、パレスチナの学者、サイードによって活性化したのと似ている。」(毎日新聞2010年1月17日付) 」 姜尚中は少なくとも、上野の発言の直前である2009年12月時点では韓国国籍を保持しており、私の知る限りではそれ以後も帰化したとの情報はない。また、仮に帰化しても、それは「国籍もない」ということではもちろんなく、日本国籍を有するということである。ここでの上野の発言は、韓国国籍を保持する在日朝鮮人を「国籍もないマイノリティ」と位置づけたものと思われる。上野の発言が、「すべての者は、国籍を持つ権利を有する。何人も、その国籍を恣意的に奪われ、又は、国籍を変更する権利を否認されない。」という世界人権宣言第8条の真っ向からの否定であることは言うまでもない。上野の発言についてはこれまで何度か批判してきたし、もはやこの人物をそれなりの言論人として扱うこと自体が問題ではないか、と思っているのだが、それはさておき、この上野の発言も、上野や毎日新聞社が、自分たちや読者を一つの日本人の「内輪」だと捉えており、姜をはじめとした在日朝鮮人が自分たちにすり寄って来ていることを暗黙の了解としている。 また、これは以前にも指摘したが、「マガジン9条」が、「パンにハムをはさむニダ」というあからさまなレイシズム表現をタイトルにつけた連載をしていることも同様である。この人物は、韓国からの留学生で、日本に来て「軍隊がない国があることにびっくりした」などと発言している、どうしようもない人物だが、マガジン9条の編集者は「これは差別表現ではない」と主張している。ところが、これはこの連中の馬鹿さ加減をよく示す話なのだが、キムソンハの親友の安アキなる人物は、自らのツイッターで、「むしろ差別に対する抵抗になる戦略としてあえて使うべきだというのがキムソンハ氏の考え」などと発言している。ここにも、上で述べたのと同様の<空気>を前提にして、マガジン9条がこの連載を掲載していることが分かる。 以上のように、2010年夏頃までに、リベラル・左派メディアにおいては、自分たちや読者を一つの日本人の「内輪」だと捉えている<空気>が成立していたと見ることができると思う。そして保守メディアなどはもともとそういうメディアである。 もちろん、こうした<空気>が、<佐藤優現象>と完全に同型であることは改めて指摘するまでもない。<佐藤優現象>は、佐藤が攻撃している対象の在日朝鮮人その他の人々への迷惑を無視した上で成り立つものであって、その政治的可視化が朝鮮学校の高校無償化からの排除(への「世論」の容認)であることは以前にも指摘した。この<空気>の醸成も政治的可視化と捉えることができる。 以前にも引用したが、<佐藤優現象>を推進する上で、最も大きな役割を果たしている一人と思われる岡本厚『世界』編集長(岩波書店取締役)は、以下のように述べている。 「そもそも日本社会はいま、一人一人がバラバラにされ、自分のことしか考えない私利私欲の時代である。「同胞についての想像力がものすごく狭い範囲にしか及ばない(本号、佐藤優・山口二郎対談)ときに、全体のことを議論することはできない」(『世界』2007年11月号「編集後記」)。 このように、日本人「同胞」の共同体という「内輪」が成立している、という暗黙の前提がメディア上で成立したがゆえに、現在の尖閣問題をめぐる一連の言説が垂れ流されているのである。
by kollwitz2000
| 2010-11-29 00:02
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