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2010年 12月 09日
2.
ここで、言論界における「小沢派」の政治的性格を見ておこう。その重要な一面が、沖縄県知事選での小沢派の諸行動によく現れていると思う。 目取真俊氏は、『週刊金曜日』2010年11月12日号について、以下のように指摘している。 「『週刊金曜日』2010年11月12日号で佐藤優責任編集による「沖縄と差別」という特集が組まれている。その中に佐藤氏と糸数慶子参院議員、佐高信『週刊金曜日』編集委員による座談会がある。冒頭で佐藤氏は10月15日付朝日新聞朝刊が〈仲井眞氏が当選後に再び県内移設容認に軸足を移すことを菅政権は期待している〉と書いたことを取り上げ、〈これは沖縄に対する差別です〉と批判している。そして、佐高氏との間で次のような会話を交わしている。 佐藤 「仲井眞は裏切るかもしれない」という"消耗戦"に巻き込まれてはいけません。それは、沖縄の民主主義を内側から壊すことになります。 佐高 最初から変節を疑うのは良くないということですね。 佐藤 そうです。…… 続けて佐藤氏は菅政権の批判を行っているのだが、引用した会話を一読して呆れてしまった。『週刊金曜日』2010年10月22日号は表紙に〈|11・28 沖縄県知事選|再燃する普天間/仲井眞氏は信じられるか〉と掲げ、ジャーナリストの横田一氏による同題名の評論を掲載している。内容は、仲井眞氏の過去の変節や辺野古の埋め立て利権を追求してきた国場組、東開発との関係の深さなどを挙げ、〈選挙直前に県外移設を表明しても、本音と捉える県民は決して多くはないのではないか〉(17ページ)とした上で、〈二枚舌を駆使しながら公約違反をする〉(同)仲井眞氏を批判している。表紙に掲げるくらいだから同号の中心となる評論だと思うが、佐藤氏と佐高氏の会話はこれを真っ向から否定するものだ。 11月12日号には、自民党沖縄県一区選挙区支部長・國場幸之助氏の「沖縄保守の県外移設論」という文章も載っている。普天間基地の辺野古崎「移設」という〈現行案の実行が如何に非現実的かという点と、沖縄県の保守陣営が、普天間基地の県外移設を主張するに至った理由〉(19ページ)について、①県民の民意、②政治環境、③抑止力への懸念、④安全保障論議の不在、⑤経済(保守)VS.基地(革新)という構図の崩壊、⑥沖縄に対する同胞意識の欠落、差別感、という六つの角度から説明したものである。 國場氏は名前を見て分かるとおり、沖縄の基地利権の中心となってきた國場組の身内だが、昨年の衆議院選挙では一区で立候補し、大米建設の身内である下地幹郎氏に敗れた。次の衆議院選挙でも國場氏と下地氏の対決が行われる可能性が高い。佐藤氏は同号で自ら執筆した評論や先の座談会において、下地氏のことを実名は出さずに繰り返し批判している。國場氏に執筆を依頼したのは、國場氏と下地氏が同一選挙区で競合関係にあることを踏まえてのものだろう。 國場氏からすれば、佐藤氏が指名しなければ『週刊金曜日』に執筆する機会は滅多にないはずだし、加えて、県知事選挙が告示されて選挙運動が行われているただ中で販売される号に、「沖縄保守の県外移設」について書く機会が与えられたのは、とても有り難かったはずだ。 今回の沖縄県知事選挙は、選挙前になって仲井眞氏が「県外移設」を主張したことで、普天間基地問題に対する争点ぼかしが行われている。言うまでもなく、仲井眞氏はこれまで「県外がベスト」と言いつつも、辺野古V字型滑走路計画の沖合移動という「微修正」を日本政府に求め、普天間基地の「県内移設」を推進してきた。昨年の衆議院選挙で政権交代が行われ、鳩山政権に対して「国外・県外移設」という公約の履行を求めて沖縄県民の世論が盛り上がる中でも、「辺野古移設は難しくなった」と状況認識を口にするだけで、自らの意思を明確に表すことはなかった。そういう仲井眞氏だからこそ、横田氏が指摘したとおり、ホンネとタテマエを使い分けているのではないか、と疑う県民は多い。 今回の選挙で、それは仲井眞氏にとって最大の弱点となっている。対立候補の伊波氏は、これまで一貫して普天間基地の「県内移設」に反対してきた。それに対し仲井眞氏は、「県外移設」は主張するようになったが、「県内移設」反対を明確にすることはしないまま選挙に入った。「県外移設」という主張への不信感を払拭できず、自らの意思を曖昧にする優柔不断さ、県民を引っ張るリーダとしての資質の問題に有権者の関心が集まれば集まるほど、仲井真氏は窮地に陥る。結果として、仲井眞氏では普天間基地問題の現状を打開できない、と有権者に見限られることを、仲井眞陣営はもっとも恐れているはずだ。普天間基地問題の争点ぼかしを行う一方で、仲井眞氏の「県外移設」という主張に信頼性を与えることが、仲井眞陣営にとって重要な課題となっている。 國場氏の文章は、「沖縄保守の県外移設」の理由を説明することで、仲井眞氏の「県外移設」という主張への信頼を作り出そうとするものだ。それは國場氏を起用した佐藤氏の狙いでもあるだろう。自ら書いている評論や座談会で佐藤氏は、仲井眞氏の〈変節〉を狙う菅政権を批判する一方で、仲井眞氏の「県外移設」という主張を検証することはしない。むしろその検証を封じ込めようとする。冒頭に引用した座談会での佐高氏との会話はそれを露骨に示したものだが、評論では菅政権や朝日新聞の「沖縄差別」批判という形で巧みにそれを行っている。 つまり、佐藤氏が責任編集した『週刊金曜日』11月12日号の「特集 沖縄差別」は、仲井眞氏の最大の弱点である普天間基地問題について、仲井眞氏の「県外移設」という主張の信頼性を高め、なおかつそれが有権者に検証されて〈変節〉の可能性が論じられることを封じ込める=争点ぼかしすることを主たる目的として編まれたように、私には見える。それは仲井眞氏を側面から支援するものだ。 佐藤氏は〈筆者は権力闘争からあえて距離を置いている〉(17ページ)と強調しているが、白々しい限りだ。県知事選挙という〈権力闘争〉のただ中で同号を発行しながら〈距離を置いている〉と主張するのは、佐藤氏ならびに『週刊金曜日』編集部のまやかしであり、自らの言論活動の責任を逃れようとするものでしかない。」 http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/36ca9de1f3dd36002cf9a15889182e97 佐藤が沖縄のマスコミで活躍し得ていること、また、沖縄において佐藤の発言が奇妙なものとして排斥されていないらしいことの大きな理由として、岩波書店、特に『世界』が、佐藤を強力に擁護していることが挙げられよう。佐藤もそのことをよく理解しているがゆえに、岩波書店で執筆することに固執していると思われる。恐らくそのために、佐藤は雑誌等さまざまな機会に、岩波書店の刊行物を賞賛している(最近では特に柄谷行人『世界史への構造』である)。 まさに、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」が指摘するように、佐藤をリベラル・左派、とりわけ沖縄戦集団自決訴訟で被告となった岩波書店が起用することが、「佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らか」なのであって、今回の知事選の「基地問題外し」という仲井真側の戦略に、<佐藤優現象>は大きな効果を与えたと思われる。 ところで、ここで目取真氏が挙げている横田一は、以前に指摘したように、佐藤優を持ち上げ、小沢への提灯記事を書く、典型的な小沢派左派である。このように、伊波支持を公言する人物や、伊波支持の論調をとっているメディア(『世界』『金曜日』等)が、同時に、仲井真への応援であることは明らかな活動を行なっている佐藤を擁護している事例は多い。伊波支持の社民党の福島瑞穂党首が、11月24日に佐藤と対談しているのもその一つである。もちろん社民党が、佐藤の知事選に関する一連の発言を知らないはずはない。 こうした事例は、もちろん、<佐藤優現象>に加担するリベラル・左派が、在日朝鮮人の人権やパレスチナ問題について実は大して深刻に考えていなかったことを露呈したのと同じく、リベラル・左派が、沖縄の諸問題について結局のところ大して関心がないことを示している。どのように抗弁しようと、そうである。 私は以前、沖縄の問題に関心があるように振舞っているリベラル・左派のある女性編集者が、沖縄人の書き手による連載記事について、「第1回目は歴史問題で、まず、沖縄のうらみつらみを吐き出させて、第2回目以降に現在について書いてもらうつもりなんですよー」と第三者に電話で話しているのを聞き、仰天したことがある。本当に「うらみつらみを吐き出させて」と発言していたのである。これが本土の日本人の「良心派」の意識なんだ、朝鮮人のさまざまな主張も「うらみつらみ」程度にしか認識されていないんだな、と大きな教訓となった。 そのような倫理的・道徳的な問題も重要であるが、ここで考えたいのはむしろ、その政治的性格である。いかなる理屈で伊波支持と佐藤擁護が結びつくのか、そしてその政治的意味とは何か。 これも、言論界において「小沢派」が成立したという観点から説明できると思う。これらは、矛盾ではないのであり、「小沢派右派」(佐藤)と「小沢派左派」がなれあっているだけの話である。私は以前、以下のように書いた。 「ただ、これは地元の人には自明のことであろうから何かを提言するつもりはないが、共産党系候補に象徴されるような「安保廃棄」の立場はとりあえず引っ込めて、「県外移設」という民主党系の候補の主張に統一し、保守層にも支持を増やしていこう、というあり方が、選挙戦術のみならず、選挙以外の運動レベルにまで貫徹されてしまうと、民主党系候補は、当選しようが、何らかの形で妥協するだろう。民主党系候補が「県外移設」を言い続けるのは、「安保廃棄」といった、「非現実的」に見える声が力を持っているからである。この力が弱体化すれば、割と簡単に妥協すると思う。 候補者一本化が成立していなかった時期に、『金曜日』が、民主党系候補の支持の立場から、共産党系候補を攻撃するデマ記事を垂れ流したことが話題になっていたが、これもこの文脈で考えた方がいいように思う。『金曜日』や『世界』は、今や、実質的には民主党の機関誌のようなものだから、民主党がコントロールできる形で、民主党系候補を勝利させたいのであって、その立場からすれば、「安保廃棄」の声が一つの力として顕在化していることは邪魔なのだろう。あの記事は、単に『金曜日』編集部や記者のミスという一過性のものというよりも、構造的なものとして捉えた方がいいと思う。 そして、現在のリベラル・左派は、「安保容認・県外移設」と「安保廃棄」のどちらかと言えば、ほぼ全てが前者の立場である。共産党は、沖縄問題については比較的原則的であるようだが、どこまでもつかは疑問である。以前にも指摘したように、共産党系の衆議院選候補者の半数近くは朝鮮民主主義人民共和国に「より圧力を」かけることを要求しているのであるが、「より圧力を」かけることが安保なしには不可能であることは明らかである。 したがって、沖縄の基地問題に関しても、その是正のためには、「国民主義」批判ではなく、大江のような「日本国民としての責任」論の立場からの沖縄問題への取り組みが不可欠だと思う。そうした立場に立ってはじめて、集団自決の強制性の件だけではなく、「慰安婦」制度等の東アジアでの日本の加害の問題の教科書への記述の要求への動きも生じてくるだろうし、日本の右傾化に対して、日本国民と(在日朝鮮人を含む)周辺諸国の人間が連帯して対抗する、ということも可能になるだろう。」 「小沢派左派」における伊波支持と佐藤擁護の共存という現象も、上の指摘の延長上で解けると思う。 「小沢派左派」は、口先上での発言は知らないが、総じて「安保容認・県外移設」の立場であると見なしてよい。この立場からすれば、「日米同盟」の基盤を揺るがしかねないような形での「県内移設反対」論は、決して容認しえないものである。もっと有体に言えば、勿論当人たちは絶対に認めないだろうが、そのような反対論に比べれば、県内移設論の方がまだまし、ということである。 そして、全体の観点から見れば、「小沢派左派」がやろうとしていることは、「県内移設反対」運動に介入することで、「県内移設反対」論の中で、「安保容認」派がヘゲモニーを握ることである。代替基地など提案しなくてよいという下からの反対の声を、日米安保容認の枠組みに回収する、ということである。 こんなことを言われれば、小沢派左派の人々は、「下からの運動の声を回収するなど、そんなことは考えたことすらない」などと抗議するか一笑に付すかするだろう。だが、私が問題にしているのは、個々人の主観や「思い」ではなく、構造的なものである。個々の人間が、どれほど善意を持っていようとも、現行の日米同盟の水準を容認した上で「日米合意」の見直しを追求するには、菅政権を打倒した上での、より強権的な政治家による「政治主導」が必要となる。そうすると、「小沢革命」に期待するという道にならざるを得ない。佐藤優や伊勢崎賢治が示唆しているように、「小沢派左派」も含めた「小沢派」の政治的主張は、米軍基地の縮小と引き換えに、政府の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認して海外派兵を常態化し、沖縄県内での自衛隊を増強して中国の「脅威」に備える、ということになろう(それすら単なるブラフで、本音では「県内移設」容認、というのも大いにありうるが)。かくして、「安保反対」「反戦」の下からの県内移設反対の声は、封じ込まれるだけでなく、その180度逆の物に政治的に活用されることになるのである。 こう考えると、伊波支持と佐藤擁護の共存の意味も理解できよう。これまで何度も指摘しているように、<佐藤優現象>は、リベラル・左派が、市民運動などの「下から」社会を変えることに絶望した結果、佐藤を媒介として、政界・有力者との結びつきを作り、言論メディア相互の連携を深める(馴れ合う)ことで、「上から」社会を変える(という幻想を持つ)という道を進んでいる(それは彼ら・彼女らの元々のプチブル的な心性・上昇志向とも本来合致している)ために成立している。この沖縄の基地問題でもそれが当てはまる。 現在のリベラル・左派(小沢派左派)は、自分たちの考えを聞いてくれるようなジェスチャーを示してくれる権力者との結びつきを不可欠的に必要とするようになっている。したがって、佐藤が仲井真側の宣伝役の役割を果たしてくれることは、仲井真やその周辺の沖縄の有力者と、リベラル・左派(小沢派左派)のパイプ役を佐藤が果たしうることを意味するのであって、実際に今後、佐藤はそのように振舞うだろう。 小沢派左派は、仲井真らとのつながりを担保として、沖縄における自らの影響力を保持しつつ、本土では、仲井真らの主張を「オール沖縄の声」として紹介する。いずれ仲井真が「裏切り」を行なったとしても、「私たち本土の人間が沖縄の人々を追い詰めた」といった論陣を張りつつ、責任は実際には日本の「対米従属派」にのみ負わせる、ということになるのではないか。多分その辺まで織り込み済みなのではないかと思う。 3. 上の例で見たように、言論界における「小沢派」の政治的性格は、その言論活動によって、「下から」の大衆の不満の爆発、緊張状態を緩和し、体制内に回収し、可能ならばそのエネルギーを反転させて体制側の支配ツールとして逆用する点にある。これは近年の「格差社会」論でもさんざん用いられたものであって、結局のところそれは中産階級没落危機論に回収されてしまった。 戦後補償関係もそのようになるだろう。金富子が少し前に、『金曜日』に登場してロングインタビューを受けていたように、最近のVAWW-NET(この人たちは、<佐藤優現象>の問題性を認識しつつ、このようなことをやっている。彼女たちには、岡真理の件と同じく、個人的に大変不愉快な思いをさせられているので、後日改めて書く)は『金曜日』と積極的に提携関係を結びつつあるのがその徴候である。彼女たちが実現しようとしている「慰安婦」特別立法は、「国民基金」の明白な焼き直しである。彼女らは、韓国の挺身隊問題対策協議会を説いて法案への事前の賛成を取り付けるための工作のようなことまでやっている。仮に法案が成立したとしても(そもそもその可能性自体が低いが)、日本の国家責任は否定したままで(法案の性格が「国民基金」と同じくそのようなものであるから)、日韓「和解」が実現した、とのキャンペーンが展開されるだろう。これは、朝鮮半島情勢が緊迫する中で、日韓の軍事的連携を志向する人々にとっては、大きな贈り物となるはずである。広義の「小沢派左派」の活動によって、日本国家の国家責任を追及する立場を封じ込めた上で、近隣国との懸案事項を「解決」し、安全保障に活用するという道である。管見の範囲では、8月15日の「菅談話」に対して、戦後補償運動団体は概ね好意的であったから、他の戦後補償運動も似たようなものだろう。 かくして、言論界における「小沢派」は、体制の不安定な領域において、体制統合を円滑ならしめる機能を果たすことになる。これは「小沢派右派」だけでも「小沢派左派」だけでもできない。両派の協調・一体化によってはじめて可能なのである。そして、そのような装置を持っていることが、政治家小沢の強みであり、こんな装置に頼らざるを得ない点が弱みでもある。 最近「大連立」論議が盛んであるが、「反小沢派」と「小沢派」と自民党という保守3派の中で、恐らく小沢派が最も「大連立」に肯定的である。これは、「小沢派」が最も急進的に「官僚支配の打破」を唱えており、したがって、強い政権を志向するからであるが、もう一つは、小沢が裁判を無罪で勝ち抜かない限り、小沢の政治的復権の前提すら成立しえないからである。そのための時間稼ぎとして、「大連立」政権は小沢派にとって歓迎されるはずである。その体制の下で、支配層内部で得点稼ぎをすることを小沢および「小沢派」は志向するだろう。 私は論文「<佐藤優現象>批判」の最後で、<佐藤優現象>を近衛文麿の「新体制運動」と同じようなものだとした。言論界における「小沢派」の成立もそうである。小沢の政治的定見のなさは、近衛の空虚さに対応している。その小沢やその支持集団に対して、行き詰って展望を失ったリベラル・左派が、「バスに乗り遅れるな」と群がっている構図だ。私は今後も、「左派」や「リベラル・左派」という呼称を使うと思うが、それはもはや実質的には「小沢派左派」と呼ぶべきものに発展していることを、改めて強調しておく。
by kollwitz2000
| 2010-12-09 00:01
| 日本社会
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