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2010年 12月 26日
1.
新刊の和田春樹『これだけは知っておきたい 日本と朝鮮の100年史』(平凡社新書)を読んだ。突っ込みどころも多いが、なかなか勉強になった。ただ、この本のテーマが多岐にわたるので、通して読むと、和田による問題の捉え方の特徴がよく見えてくるように思った。和田については、以前書いた「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」の7~10 である程度触れたが、今回は別の角度から見ることにする。 和田は、批判的研究者(多くは朝鮮人)による司馬遼太郎や戦後日本の「平和主義」への批判について、その批判の正当性を認める。また、本書で和田が提示している、日清戦争や日露戦争を「朝鮮戦争」と捉える視点も、姜徳相ら朝鮮人の歴史研究者がそれらを「日本による朝鮮侵略戦争」と捉えているのに似ている。 和田は、そうした批判的研究に正面から反論するのではない。その正当性を認めた上で、ほとんど説得力のない理屈の提示(司馬遼太郎の場合)や、根拠すらまともに示さずに読者の俗情を利用する形(戦後日本の「平和主義」の場合)で、批判的研究の批判対象を救い出す。「たしかに~~といった批判はその通りです。しかし、だからといって全否定するのは行き過ぎだと私は思います。ただし、私たちは、~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」といった具合だ。このような姿勢は、大多数の研究者がそうした批判的研究を黙殺する日本の状況では、特に加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のような駄本がベストセラーになっているような現在では、一見、大変「良心的」に見える。 だが、和田の問題点はむしろそこにこそあると思う。和田が「~~といった問題点があることを忘れてはならないと思います。」という形で取り込もうとする批判は、もともと、和田が救い出そうとしているものの全否定または根本的な再編成を企図して打ち出されたものである。ところが、和田は、批判にも留意するという姿勢を打ち出すことによって、批判と批判対象の理論的な接触(対決)を回避する。ありがちな人間類型として、こちらが言うことについて何でも「うんうん、わかるよ」と答えながら、その実何も考えが変わらない人間というのがある(左派系の知識人に多い)。和田は文章・行動レベルでこれをやっている。 こうした姿勢は、結果としては、批判の効果を無化すると同時に、批判対象の問題性を温存することになる。そのような批判は、従来の立場を根本的に否定もしくは再編成を迫るのではなく、ときどき思い出せば済む対象に格下げされる。それでも、取り上げてくれる人間自体が少ないのだから、批判者は、「あの学会・論壇の大御所である和田先生も取り上げてくれている」ということで、むしろ和田への協力者になる。 こう見てくると、和田の姿勢が、内田樹のような人物のそれと似てきてしまうのである。内田の姿勢については、以下の徐京植と中西新太郎のやりとりが適切に要約している。 「徐 多くの日本の人々はやはり必勝不敗です。その一番典型的なのは内田樹氏です。彼は、最初から自分は負けているのだと頭をかいているけれども絶対に負けないのです(笑)。これほど退嬰した言説がもてはやされる日本社会とは何なのかと思います。 中西 内田樹氏の名前が出ましたが、知的ニヒリズムの問題があると思います。ニヒリズムー般がいい悪いという話ではないと思うのですが、現代日本の知的ニヒリズムの問題というのは、自分から「負けています。すみません」と始めることによって、他者に対しては実は謝らなくて済むという問題です(笑)。 徐 まさにそのとおりです。」(徐京植『秤にかけてはならない』影書房、2003年6月、98頁。対談の初出は2002年。強調は引用者) もちろん内田のような(かつて蓮實重彦が加藤典洋や竹田青嗣らを嘲笑した言葉を使えば)「思考の破壊装置」と和田を同列に置くのは、和田に対して失礼であろう。だが、「良心的」に見える和田の姿勢が、結果としては批判の効果の無化と問題性の温存という性格を持っているがゆえに、一見対極にあるように見える和田と内田が似てきてしまうのである。上の中西の、「自分から「負けています。すみません」と始めることによって、他者に対しては実は謝らなくて済む」という記述は、和田が積極的に関与した「国民基金」の性格を評したものであるかのようにすら読める。 ところで、私は以前、以下のように書いた。 「1980年代後半頃から、日本の侵略と植民地支配の加害責任を追及する声が、日本の周辺諸国で強まり、「戦後民主主義」の一国主義的側面、被害体験ばかりを強調する性格の問題性が、問われることになった。こうした、加害責任、植民地支配責任を追及する声を、「90年代の問いかけ」とするならば、90年代以降、護憲運動・平和運動はほぼ全面的に、こうした「90年代の問いかけ」を避けて通ることができなかったと言える。 ところが、現在、リベラル・左派の論調において観察されるのは、こうした「90年代の問いかけ」が、なかったことになっているという現象であるように、私には思われる。」 最近の小熊英二(この人物は、上野千鶴子とつるみだしたあたりから、読むに値する文章を書かなく(書けなく)なっている)は、こうした「90年代の問いかけ」を全共闘や新左翼の下らない主張と似たようなものとして矮小化した上で(「1970年パラダイム」論)、低成長下の日本社会では思想的寿命を終えたものだ、と主張している。ここまでアホらしい詭弁を使ってまで「戦後民主主義」は基本的に間違っていなかったと言いたいのかと、唖然とさせられるが、このような小熊の主張や、その小熊の『1968年』が「論壇」で持て囃されたらしいことなどは、上で私が指摘した「現象」の典型例である。 小熊の裏返しの立場がスガ秀実の「1968年革命」論で、これは「90年代の問いかけ」は「1968年革命」によって既に提示されたはずのものだとするものであり、スガはこのような立場から、「90年代の問いかけ」にまともに応答しようとした高橋哲哉を、「68年の思想」の矮小な形で焼き直したに過ぎないとして罵倒していた。これがもちろんスガや同世代の新左翼による自己体験の神聖化に過ぎず、本来まともに取り上げるにすら値しない馬鹿馬鹿しいものであることは見やすいだろう。 小熊やスガの主張は、<外部>からの「90年代の問いかけ」を、<内部>に既にあったものとして、問いかけの意義を矮小化するものである。 私がこんなことを書くのは、「「90年代の問いかけ」が、なかったことになっているという現象」について考える上で、和田および和田のような立場が、実は大きな役割を果たしていたのではないか、と思うからである。 和田は韓国では、最も著名な日本人知識人であり、「日本の良心」ということになっている。和田が実際に「良心的」な人物であるかどうかはどうでもよい。韓国の言論界では恐らく、「国民基金」のような例外はあったが、「90年代の問いかけ」を日本で最も真摯に受け止めている人物、と映っているだろう。 「90年代の問いかけ」は、本来ならば、護憲運動・平和運動や進歩派の価値認識を根本的に再編成する性格のものであった。ところが、こうした問いかけは、和田や『世界』等のリベラル・左派メディアや言論人によって積極的に取り上げられたものの、まさしく上のような和田春樹的な受容をされたのであった。もちろんそれだけが原因ではなかろうが、そのような受容のされ方が、まさにその「問いかけ」の意義を無化させるものだったと私は考える。その後の<佐藤優現象>から考えれば、和田や『世界』その他のリベラル・左派は、90年代にそのような装置として機能したと見ることすらできるように思う。 また、90年代の姜尚中の言論は、「問いかけ」を「日本ナショナリズム批判」として、ナショナリズム一般の問題に還元することで、日本こそが問われている問題にもかかわらず、問題を一般的なものに解消してしまった。姜は例えば、在日朝鮮人も引き受けるべき課題としての「(朝鮮)ナショナリズム批判」という主張を同時に行なうのである。90年代の姜の言論も、<外部>からの声を、意義を消去した上で日本人に受け入れやすいものにする、一つの翻訳装置として機能していたと思う。これは当時の姜だけではなく、ポストコロニアル系の論者全般に当てはまる。 要するに、リベラル・左派において、2005・6年以後に急速に、「90年代の問いかけ」が矮小化または無視され、「戦後社会」が再浮上したのは、もともとの90年代における、和田を典型とした、外部からの問いかけの受容のあり方自体に問題があったのではないか、というのが私の考えである。そして、「90年代の問いかけ」はやり過ごされ、時々思い出せばよいか、全く考えなくてもよいものになってしまった。90年代にはこの問題で最も良質な議論を展開していた高橋哲哉が、2006年あたりから理論的に後退の一途を辿っているのも、こうした現象の典型である。 2. 和田ほどいろいろな人物から批判を受けてきた言論人も珍しいだろう。右派や一部の左派(日本版ネオコン)からは「金正日の手先」、左派からは「国民基金の中心人物」「天皇訪韓の推進者」という批判を浴びている。私も、平和基本法の中心的提唱者、リベラル・左派論壇での佐藤優現象を推し進めた人物(和田自身は、自分は対露関係で佐藤と協力しているだけ、などと弁明している。だが、和田は佐藤と頻繁に雑誌で対談しており、私は『世界』の岡本厚編集長からも佐藤を使う理由の一つは「和田さんも付き合っているから」だと言われたことがある)として、批判してきた。 だが、「金正日の手先」といった下らない批判だけではなく、和田へのまっとうな(必要な)批判も、その前提となっている和田理解がおおむね間違っているのではないか、というのが私の考えである。 和田の行動は、言行不一致に見える。だからこそ、左派からは、「裏切り」として批判される。または、「和田さんは素晴らしい人だけれど、国民基金を推進したり、佐藤優と組んだり、ときどき変なことをする。困ったものだ」という感想になる。だが、上で指摘したように、「良心的」と見える和田の姿勢自体が、「保守的」な性格を有するものである。それは、和田の主観とは無関係である。 私は、90年代以降の和田の行動は基本的に一貫していると考えている。要するに、現在の東アジア情勢の中で、日本が「普通の国」として政治大国・軍事大国化(これは和田の悲願である「東アジア共同体」構築の大前提である)するためには、本来ならば少なくとも和田程度の「和解」案を日本が周辺アジア諸国に提示し、和田が打ち出しているような水準での歴史認識を日本は政府レベルで持たなければならないのであり、和田はほぼ間違いなくそう考えているであろう、ということである。現在の日本の言論では、「普通の国」路線への異論はほぼ存在しないが、その中で最も現実的なのが和田なのである。 左右を問わず、日本の言論人やマスコミ人は、歴史的根拠に基づく周辺諸国の民衆の反発を全く理解しておらず、過剰な「ナショナリズム」ということにして分かったつもりになって切り捨てるだけであるから、和田のような認識(和田自身も基本的には「ナショナリズム」批判の立場ではあるが、それを理解しなければならない、という立場でもある)を持てない。和田の路線は、大雑把に言えば、戦後ドイツの路線であって、「国益」的に見れば「巧妙」ではあっても、本来賞賛されるべきものではない。 和田は、日本の論壇では「理想主義者」ということになっており、和田に協力する編集者や学者らも、和田のことを理解しておらず、「現実性はないけれども、和田さんのような主張を時には聞くことも大事」というくらいにしか捉えられていない。だが、そうではなくて、日本の政治大国化・軍事大国化の上では、和田の主張こそが相対的に最も現実的なのであって、その他の「現実主義」的な主張こそが、日本国内の言論環境に自閉した妄想なのである。国連の常任理事国入りの件一つとっても、20年近く言われているにもかかわらず、一向に実現しない。 和田は、現在の日本の言論人の中では、政治的主張のレベルでは、相対的に最もまともな主張を行なう人物であり、その点、前にも書いたが、例えば太田昌国のような読む価値のない人物による和田への批判に惑わされてはならない。だが、和田が相対的に最もまともなのは、和田が別に「良心的」だからとかそういったことではない。他が酷すぎるから和田が相対的に最もまともということになってしまうだけである。上で述べたように、和田の姿勢は、「良心的」であるように見えて実は「保守的」な性格を持つものである。 和田以外の大多数の言論人が救いようがないほど酷く、和田以外にほとんど発言しないから、例えば朝鮮総連への政治弾圧や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への好戦的政策など、場合に応じて私は和田と勝手に連帯するだろう(以前に既にそうした)。だが、それと同時に、和田の主張・構想の「現実性」をも見据えておかなければならない。仮に日本の政治家や言論人の多くが、和田の提言を取り入れるほど賢明(狡猾)であれば、今頃日本は国連常任理事国入りして、憲法9条はそのままで、(和田の提唱する)「平和基本法」の下、米国・中国とともに国際的「対テロ戦争」に派兵して、戦死した自衛隊員の「英霊」は(和田の提唱する)国立追悼施設で鎮魂されていたかもしれない。 私は和田が悪人だとか、「帝国主義者」としての意図を隠しているとか言って批判しているのではなく、和田が「東北アジア」の緊張緩和と平和体制の樹立のために目指しているとする「東アジア共同体」(「東北アジア共同の家」)こそが、これまで何度も述べてきているように、アメリカの軍事負担を肩代わりする、「対テロ戦争」を円滑に遂行する軍事同盟(これは1980~90年代においては、「安保のNATO化」として批判されていたものである)であり、アメリカの諸負担は格段に減るから、かえって一層、先進国による中東やアフリカ等への軍事介入は増えるのである。しかも仮に成立したとしても、「対北朝鮮戦争」や「対中戦争」の勃発の可能性を消去するわけでもない。むしろ、形式的・政治的な「和解」を優先することで、却って諸国民間の相互の憎悪と反発は強まり、戦争の可能性を高めるだろう。 したがって、和田が「国民基金」を推進したり佐藤優と公然と提携したりするのは、奇妙には見えるが、和田の構想からすれば実はそれほどおかしいものではない、ということになる。 和田は韓国では右派からも左派からも賞賛される知識人であるが、それは、和田の言論・行動が上のような性格を持っているからである。右派からすれば、対北朝鮮の韓日の軍事的連携(同盟)を進める上では、日本の右派的傾向を抑制させて「和解」に導かなければならないのであるから、和田ほどありがたい人物はいない。また、他に北朝鮮問題その他の朝鮮問題でまともに発言を行う知識人がろくにいない以上、左派が賞賛するのは当然である。 和田については、以上のような位置づけを行うことで、初めて和田の構想や発言・行動を正確に理解し、また、問題性を明確化できると思う。日本では、和田の構想の「現実性」について、恐らく和田自身くらいしか確信を持っていないと思う。「東アジア共同体」論自体は頭打ちになりつつあるが、その骨組みや論理のかなりの部分は今後も生き続ける。私は和田の構想の「現実性」の度合いを、(恐らく和田のリベラル・左派の支持者たちよりも)高く見ているがゆえに、その構想の危険性を検討し、批判しておく必要があると考えている。
by kollwitz2000
| 2010-12-26 00:00
| 日本社会
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