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2011年 02月 17日
1.
このところの、サッカー選手である李忠成や鄭大世の報じられ方、朝鮮学校無償化排除の件、在特会に関する言説などを見るにつけて、問題点を個別に論じる前に、1990年代以降の日本における在日朝鮮人言説・表象の変容とその意味について論じる必要性を感じる。この「変容」が、かつて90年代に批判的に評されたように、「在日朝鮮人(問題)が日本人の消費対象として浮上した」ものであることは見やすいが、その「消費対象化」の性格と具体的な帰結を論じた発言は、管見の範囲では存在しない。私見では、「在日朝鮮人(問題)が消費化されているという危惧を覚えます」といった類の心情または発言と、「「消費」されていることは確かだが、メディア上に取り上げられるということは「消費」の性格を持たざるを得ないのであって、この機会を積極的に活かすべき。昔のように無視・黙殺されるよりははるかにまし」といった開き直りとが、しばしば同一人物の中でも共存しているように見える。 もちろん、90年代以降の在日朝鮮人言説・表象は膨大な数にのぼるから、それらをいちいち取り上げることは物理的に不可能である。また、カルチュラル・スタディーズ周辺では、映画や小説を題材にして、そこでの在日朝鮮人表象について「分析」するという(いくらでも生産可能な)論文が散見されるが、そのような試みはどれほど行われたとしても「点」にしかならず、私はそうした論文に大して関心がない。私がここで検討したいのは、言説・表象それ自体よりも、その「変容」の性格である。 その際の手がかりとして、ここでは、姜尚中による在日朝鮮人に関する発言を歴史的に検証することにする。これは、姜が90年代以降、日本の言論メディアにおいて、もっとも「成功」している在日朝鮮人であり、また、姜が大衆向けジャーナリズムだけでなく、「論壇」と馴れ合う形で存在する文系アカデミズムでも最も「成功」した在日朝鮮人であるがゆえに、姜のパフォーマンスおよび在日朝鮮人言説が、そうした場において欲せられている在日朝鮮人像を考える上で、極めてよい材料となると思われるからである。 姜といえば、私は2009年8月から9月にかけて、このブログ上で、「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」という記事を14回にわたって連載した。当時は、民主党政権への「政権交代」万歳といった馬鹿げた主張が猖獗を極めており、このような主張・言説を批判するためにこの連載は中断せざるを得なかった(それにしても、当時「政権交代」を礼讃した左派の人々は、自己批判するか筆を折るかすべきである)。今回の記事は、ある意味ではその連載の続きである。連載「姜尚中はどこへ向かっているのか」が、姜の所論だけではなく、「在日朝鮮人の転向現象」が主題であったのと同様に、今回の文章の主題も、在日朝鮮人言説・表象の変容である。姜はまだ社会的影響力を強く持っているので(もっとも、1年前に比べれば相当落ちたという印象を持っているが)、もちろん、姜批判の文章として読んでいただいてもよい。 2. 姜は、自伝『在日』(講談社、2004年3月)において、以下のように書いている。 <今でもわたしには(注・昭和天皇の死去の際の「自粛」時の)あのときの光景が忘れられない。新宿で在日一世と食事をすませて外に出ると、あたり一面のネオンがボーッと消えかかるように暗くなり、やがて周りのすべてが重く沈んでいく錯覚にとらわれた。 「姜さん、これがわたしたちの知っている日本なんだよ」。ぽつりとそう語る 一世の眼差しは、まるで遠い時代の記憶を手繰り寄せているようだった。にわかにわたしたちの前に現れた日本は、まるで隔世遺伝のような光景を呈していたのである。 戦後とはなんなんだろう。日本人とはなんなんだろう。そして「在日」とは。その問いかけは今も続く。此処の者(インサイダー)であり、住処の者(アウトサイダー)でもある「在日」の目で、そうしたことをみつめ直してみたい。 そして「在日」の歴史をしっかりと刻みつけておきたいと願うようになったのである。 こうして、大学を「本拠地」とするわたしの社会的な言論活動がはじまることになる。昭和の終焉と平成のはじまりにみなぎっていた「扶桑の泰平」という楽観的な雰囲気が、不安感と虚脱感に変わっていくのにさほどの時間はかからなかった。世界はめまぐるしく変化し、そしてこれまでの常識では計り知ることのできない出来事が日本でも頻発するようになるのである。>(164~165頁) <わたしがメディアを通じて活発に発言をはじめたのは、1990年代に入ってからだった。 巨大な歴史的事件が連続する。旧ソビエト崩壊と、それにさきだつ湾岸戦争である。>(169頁) このように、姜は自らのメディアでの言論活動は、1990年代に入ってからであると述べている。姜が論壇誌に初めて登場したのは、『世界』1988年12月号の「日本的オリエンタリズム」の現在――「国際化」に潜む歪み」であるが、同誌に頻繁に寄稿しだすのは1991年になってからであり、また、『朝まで生テレビ』への出演も湾岸戦争のテーマの回が最初であったという。だいたい1990年代初頭から、姜は「メディアを通じて活発に発言をはじめた」と見てよいと思う。 姜がメディアで言論活動を開始する1990年代初頭において、姜はすでに、在日朝鮮人知識人の間ではそれなりに知られた存在であった。それは、姜が『季刊三千里』への寄稿者であり、同誌での梁泰昊との論争が、在日朝鮮人知識人の一部で注目を集めていたからである。 この論争に関わる論文を時系列順に並べると、 ・姜尚中「「在日」の現在と未来の間」(『季刊三千里』42号、1985年5月) ・梁泰昊「事実としての「在日」――姜尚中氏への疑問」(『季刊三千里』43号、1985年8月) ・姜尚中「方法としての「在日」――梁泰昊氏の反論に答える」(『季刊三千里』44号、1985年11月) ・梁泰昊「共存・共生・共感――姜尚中氏への疑問」(『季刊三千里』45号、1986年2月) となる(飯沼二郎編『在日韓国・朝鮮人』海風社、1988年に収録)。この論争の全体を紹介することはしないが、この記事と関連のある在日朝鮮人規定の観点から、姜の主な主張を見てみよう。 姜はまず、当時、支持を得つつあった、「定住外国人」論、「共生」論を批判する。ここで重要なのは、これが、流通している「定住外国人」論への批判であって、定住外国人概念そのものへの批判ではない点である。以下、長くなるが、後の私の文章の前提となるものでもあるので、ぜひご一読いただきたい(強調は引用者、以下同じ)。 < 日本社会の一員、住民としての少数民族の「定住化」の発想には、いくつかの隘路があるように思える。まず指摘されるべきは、日本社会にむかって「異質的なるもの」との共存を叫ぶにしても、日本的文化への溶解が着実に進んでゆく現状で、果たして「二世・三世あるいはそれ以後の世代が、「異質的なるもの」を自分たちの存在と意識のなかに生活態度として確保し、発展させてゆけるかどうかということである。そもそも「異質的なるもの」としての自己覚醒が困難な情況のなかで、大前提となるべき「異質的なるもの」が不安定で曖昧な観念であるならば、共生など成りたちえないのではないか、こうした疑念がつきまとわざるをえないのである。しかも、父母両系主義を採用した改正国籍法のもとでは、民族的マイノリティーの存在そのものが根低から覆されかねないであろう。 もちろん、それは国籍を基準にして考えるからであって、国家(国籍)=民族という図式から自由であれば、たとえ日本国籍を取得したとしても、民族的独自性は失われないはずであり、名前においても、「朝鮮系日本人」の特色を活かせる道が開かれている、こうした反論があるかもしれない。また日本人の側にも、日本の国際化と「聞かれた社会」という点で、「異質的なるもの」との共生を主張する「在日」朝鮮人の存在は、その嚆矢となりうるし、またそうなければならないとする擁護論がみられるのも事実である。だが私には、「日本の国際化」が何を意味するのか、この点についてつきつめた論議がこれらの人々には不足しているように思われてならない。 ……少数民族としての自覚のもとに「定住化」の方向を目ざし、民族性の確保が可能であれば日本国籍の取得も不可避であるとする考えは、日本の社会と国家の、精神構造も含めた根源的な転換がない限り、とうてい実現される見込みはないであろう。敗戦という未曾有の犠牲を払ってもなお、「国体」という基層定型の救出を第一義として出発した戦後日本の歩みをみるだけでも、私の見通しが決して一面的な悲観論でないことは明らかであろう。日本社会の周縁や最底辺に組み込まれているアイヌ民族や琉球――沖縄の人々、そして数百年あるいはそれ以上の歴史を閲した部落差別の現状を直視するならば、「朝鮮系日本人」としての「定住化」は、「賤民化」(この差別用語をここではあえて使用する)の道に通じていないという保証はどこにもないのではなかろうか。そうであるならば、たとえ個別的には優れた同胞の人材が日本社会の陽の当たる部分に進出しえても、民族としての、集団としての「在日」は、これまで通りアンダー・グラウンドな職種に特化され、その内部にいっそう大きな格差と亀裂をかかえこむことになってしまわざるをえないであろう。 あえて言えば、日本の国際化とは、少なくとも対アジアに関する限り、こうした日本社会内部の差別を海外にまで投射・拡大してゆくことに他ならない。国際化のかけ声のもとに国粋化か進められつつある奇妙な現象は、そのことを裏書きしているはずである。とすれば、日本国籍を取得し、民族的独自性を活かしながら生きてゆこうとする「定住化」志向の「在日」は、その意図とは裏腹に日本を盟主とするアジア国際秩序の国内モデルに転化しかねない危険性を孕んでいるのではあるまいか。>(「「在日」の現在と未来の間」) <抽象的な普遍原則(個別的な体験の重さは別として、梁氏にみられる「人間主義」はこの原則と同根である)から、「在日」朝鮮人を「定住外国人」として平等に処遇していこうとする姿勢は、勢い、「定住性」の傾向だけを過度に強調するあまり、われわれがあくまでも「外国人」であり、祖国をもっているという自明の理をないがしろにしかねないように思われるのである。そしておそらく梁氏と私の決定的な違いは、ここに根ざしているように思える。 梁氏はやや慷慨気味に私の用いた「賤民化」の概念にクレームをつけておられるが、私があえてこの概念を使ったのも、日本国家からみてアイヌ、沖縄出身者、被差別部落民および「在日」朝鮮人の差別された境遇をひとつの範疇に一括し、先の抽象的な原則から差別の不当性を告発しようとする発想が、日本国内の被差別少数民族と「定住外国人」としての朝鮮人との実体的な差異を軽視しかねない危険を孕んでいるからである。それが「善意」から生まれたものであっても、結果としては「在日」朝鮮人を「準日本人」として処遇する、なしくずしの同化・帰化の隘路に迷い込んでいくように思えてならないのである。…… ……われわれが留意すべきは、アイヌ民族や沖縄の住民にも自治州の創建といった独立分離主義の権利はあっても、現状では日本という国家の枠内で改善の方途を模索していかざるをえないのに対して、われわれには祖国があるという事実である。「賤民性」の本来の意味が、「捕囚」を決定的な転換とする異民族支配下の離散状態(ディアスポラ)のもと、国家としての存在形態を喪失し、政治的には他律的でありながらも、ひとつの宗派団体として環境世界から儀礼的に遮断されつつ民族宗教の同一性を保持することになるユダヤ民族に由来するとするならば、この一点においてわれわれの存在はそうした「賤民的存在形態」から区別されるのである。このことは、差別の底意から強調しているのではなく、抱えている問題の本質と課題意識の違いから述べているのである。>(「方法としての「在日」) 詳しくは後に譲るが、一言だけ述べておくと、上での姜の危惧が約25年後の今日、ほぼ完璧なまでに実現してしまっていることは何人も否定しえないだろう。「個別的には優れた同胞の人材が日本社会の陽の当たる部分に進出しえても、民族としての、集団としての「在日」は、これまで通りアンダー・グラウンドな職種に特化され、その内部にいっそう大きな格差と亀裂をかかえこむことになってしまわざるをえないであろう。」という危惧は、私が「マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(上)」で記述した事態をまさに予言しており、また、「日本国籍を取得し、民族的独自性を活かしながら生きてゆこうとする「定住化」志向の「在日」は、その意図とは裏腹に日本を盟主とするアジア国際秩序の国内モデルに転化しかねない危険性を孕んでいる」という危惧は、国論としての「東アジア共同体」のため、「親日」的な在日朝鮮人が「日韓友好」のモデルとして積極的に活用される事態を的確に予言している。もちろん、現在の姜こそが、「日本社会の陽の当たる部分に進出しえ」た、「日本を盟主とするアジア国際秩序の国内モデル」役を務める最も代表的な在日朝鮮人であることは、改めて言うまでもない。 3. さて、姜の上の立論に対して、梁は、反差別運動の連帯による日本社会の「民主化」の必要性を強調する。 <「国際化のかけ声のもとに国粋化が進められつつある奇妙な現象」にあらがうためには、国際化のかけ声とともに民主化が進められなくてはならない。民族差別を含めたあらゆる反差別のとりくみは、そうした民主化運動の一環であるということもできよう。少なくとも国際化のかけ声があるとすれば、その中身を真に国際的なものにすることは人々の知恵と汗にかかっている。>(「事実としての「在日」) ここでの論点は、かつて徐京植が「「エスニック・マイノリティ」か「ネーション」か」という形で定式化したもののように見える(徐京植「「「エスニック・マイノリティ」か「ネーション」か――在日朝鮮人の進む道」『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』影書房、2002年3月、所収。初出は1997年)。徐は同論文で、文化的多元主義的な「共生論」(金賛汀)や、市民社会的在日論(文京沫)を、「エスニック・マイノリティ」を志向するものとして批判し、「在日朝鮮人が「本国」や「民族」に関心をもつ理由は、文氏がいう観念的な「当為」論のゆえではない。在日朝鮮人が自己解放を実現するためには、自己の運命を左右する政治的決定のプロセスに主権者として参与する道を拓く必要があるからなのである」とし、「在日朝鮮人の立場からの「ネーション」構想」を提示している。この見方からすれば、上の姜は「ネーション」論で、梁は「エスニック・マイノリティ」論のように見える。 徐の上記論文は極めて優れたものであり、私も徐の「ネーション」論に全く同意するが、ただ、問題は、上の姜の主張は「ネーション」論と見ることができるとしても、問題は、梁(および金賛汀、文京沫、後の姜尚中)のような主張を「エスニック・マイノリティ」論と位置づけていいのか、という点である。私は、こうした主張――「在日論」と言われるもの――は、実は「エスニック・マイノリティ」論ですらないのではないか、と考えている。つまり、「エスニック・マイノリティ」論であるとの批判によって、「在日論」の特異性・問題性が隠蔽されてしまうのではないか、という疑問を持つ。この点は、この連載の中心的な論点の一つでもあり、後に詳しく述べる。 ところで、梁の議論は、後述するように、姜の「祖国定位」論(これも後述)に対して、在日朝鮮人を日本社会に定位させるものである。日本国内の「マイノリティ」との連帯による「反差別」運動を志向している、と見なすことができる。実際に、当時(現在に到るまで?)、そのような政治的な動きがあったようである。1990年10月20日付のある座談会の中で、金定三は、以下のように指摘している。 <朝鮮人が差別されているというが日本社会にも差別を受けている人がいる、日本人と同じではないか、だから一緒になって闘おう、ということで果たして朝鮮人問題が解決するのでしょうか。 戦前、京阪神地区には多くの朝鮮人労働者が密集していました。たとえば×、×川の上流地域や×川、×などです。そのほとんどの地域で被差別部落の横に朝鮮人部落ができていきました。この朝鮮人たちを統轄したのは被差別部落の人たちでした。その上に警察があったわけです。では、戦後はどうなったのでしょうか。戦後はずっと、被差別部落の日本人と朝鮮人は政治的に距離をおいてきました。 ところが、ここ数年の間にまた接近しようとしています。朝鮮人も日本人も同じ人間ではないか、地域が中心ではないか、という考えのもとにどんどん日本人に帰化させていく方向にあるわけです。戦前も戦後も、朝鮮人を日本人化する担当者は、不思議にも同じ人たちなのです。 ここで問題なのは、被差別部落の方や解放同盟が戦前のことをきっちり見直したうえで、再び朝鮮人に関わりだしているのかどうか、ということです。(中略) 日本人が朝鮮人を征服する場合は、日本社会内部の被差別部落民であろうがそうでなかろうが、一丸となって朝鮮人の上に立つわけです。そのなかのある人たちが朝鮮人と同じく被征服者になることはありえないことです。> (小牧薫・金定三・徳武敏夫・広川禎秀・梁玉順「在日朝鮮人問題にたいする視点<その一>」、在日朝鮮人社会・教育研究所『東北アジアの新しい秩序について Ⅱ 在日朝鮮人』晩聲社、1993年、所収) こうした議論は今日、極めてありふれたものであるし、誰もそれを批判しようとしない。だが、この種の議論は、論理必然的に、在日朝鮮人問題を「人権」一般、または「差別」一般の問題に還元することになる。部落解放運動周辺の人々と密接な関係にある在日朝鮮人言論人といえば、辛淑玉がその典型である。辛は、最近では「私は、国籍を持つ韓国人だという意識を持ったこともないですし、北朝鮮の海外公民という意識もないし、日本人という意識を持ったこともないんですね。」などという発言すら行なっている(辛淑玉・金賛汀「対談 在日百年の歴史はもう一つの日本の姿」『波』2010年6月号)。辛が、特に2002年の9・17以降、在日朝鮮人を日本人「同胞」として位置づけてもらおうと涙ぐましくかつ極めて有害な言動を繰り返している。例えば、辛は、帰還事業で渡った朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)内の元在日朝鮮人について、日本政府は日本国への帰国を北朝鮮に対して要求すべき、と主張しているが(山口二郎編『政治を語る言葉』七つ森書店、2008年6月)、このような主張は在日朝鮮人を日本人「同胞」と位置づけない限り出てこない議論である。しかも、「人道的介入論」に利用されかねない、危険な主張と言わざるを得ない。だが、辛の立場は、梁の上記の主張のある意味での帰結である。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2011-02-17 00:00
| 姜尚中
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