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2011年 02月 24日
4.
さて、上の引用で姜は、「われわれには祖国があるという事実」を強調している。これは決して、「「祖国」志向でも「帰化」志向でもない、「在日」志向がこれからは必要だ」などと主張する在日朝鮮人がしばしば戯画化するような、「将来の本国への帰国」を前提としたものではない。これに関する当時の姜の考えをもう少し見てみよう。姜は以下のように述べている。 <差別撤廃と人権・市民権獲得の闘いが、「朝鮮系日本市民」としての「在日」を前提とするならば、たとえそれが所期の目標を達成しえたとしても、それは右に指摘したような陥穽にはまりこみかねないであろう。無論、私は指紋押捺拒否を公然と宣言した同胞一人ひとりの決意と良心を大切にしなければならないと思う。そうした草の根の運動から湧き上がりつつある新しい動きを育てていきたいと思うからである。だがそれでもなお、この清冽な流れが、先にみたような「内国民化」と「賤民化」に収束するとすれば、これほど悲劇的な逆説はないであろう。/それを超えてゆくためには、やはりその流れを祖国にむけて定位させなければならないと思う。もちろん、私は既成の民族団体が旧態依然として標榜してきた本国志向を主張するつもりは毛頭ない。また、一世の指導的な知識人のかかげる視点、すなわち「在日」は南北双方の立地条件とは違った位置にいるがゆえに、その主導性が発揮されるならば、分断祖国を全体的な視点において捉え直すことができるとする「前衛的」な立場にくみするわけでもない。/私の思うところは、「在日」と日本、そして分断祖国の双方が共通の歴史的課題としてかかえ込んでいるものを見定め、それに対する態度決定をテコに間接的に祖国へと志向することを意味する。/それでは、その課題とは何であろうか。それは、日本を「先端」とする単系的な発展=進化の移行線上にわが祖国をはじめ、アジアの「低開発=後進」諸国を段階的に配列する文明の梯子段的な信仰である。>(「「在日」の現在と未来の間」) <「『新しい芽』の流れを『祖国にむけて定位させる』というのは、別の種類の“国粋化”を招く危険すら感じさせる。なぜならそれは、祖国というマジョリティヘの転化を暗示しているからである」という(注・梁の)発言は、至当でないばかりか、民族への帰属を標榜して祖国と創造的にかかわろうとした「在日」朝鮮人への冒涜にもなりかねないであろう。>(「方法としての「在日」) <「南北」と日本、そして「在日」の関係の総体を視野に入れつつ、「定住外国人」としての生を民族的価値の再生と統一されるべき民族国家へと方向づけていくことを意味している。/私は「方法としての在日」というシンボリックな表現のなかに、ふたつのモティーフを重畳させようと意図してきた。その第一は、「在日」の微視的な日常生活のレヴェルから、祖国の歴史的課題に創造的に参与しようとする主体的「帰国」の思想までも含む、最大公約数的な生活態度を提唱することである。 言うまでもなく高度に成熟(ないしは爛熟)した日本社会のなかで、「在日」の生も多様化し、さまざまな分解現象に晒されており、硬直したイデオロギーや思想だけでそれらを包摂することは事実上不可能な状態にある。こうしたいわば「価値のアナーキー」の遠心力に晒されながら、あるものは、本名はもちろんのこと、民族性そのものをも殺ぎ落としながら疑似日本人としての生を生き、またあるものは、民族に背を向けることなく「本名言言」の勇気ある決断を通して卑しめられた民族的価値の回復に努力しつつある。また「指紋押捺拒否」によって民族の矜持を身をもって示そうとするものもいるであろうし、さらに進んで創造的な民族文化の再興に努め、そこから「在日」「南北」そして日本の関係の歴史と現状、その根本的問題に目醒めるものもいるであろう。そして国境をまたぐ「在日」の生の一方の側から他方の側に身を移し、祖国の課業に主体的に参与しようとするものもいるであろう。/このように「在日」における生は、いわばスペクトル状にさまざまな位相を伴って連続しているのである。もちろん、連続とは言っても、そこには各位相聞の軋轢、相克、緊張があるのは事実である。しかしそれにもかかわらず、それぞれの位相における「在日」の生が、「在日」という所与の事実に拝脆せず、その存在の二重性の根拠に目醒め、あるべき祖国との有機的な関連の環を見失わないならば、それは、そうしたベクトルヘと収斂していく方向に向かって自らの位相を克服・昇華していくことができるであろう。日々の生存に必要な活動も、人権・市民権のための闘いも、あるいは「指紋押捺拒否運動」や民族文化活動も、右に述べたようなスペクトルのなかでその全体における意義が評価されていかなければならないのである。そのためには「事実」の漂白作用に対抗しうる生活態度として、日々の生活のなかで生きられる「方法」意識が必要であろう。>(「方法としての「在日」) 言葉遣いはやや生硬であるが、主張は明瞭であろう。論点はいくつかあるが、後の話との関連で言えば、ここで姜が、「「在日」の生も多様化し、さまざまな分解現象に晒されて」いることを前提としつつも、「「在日」という所与の事実に拝脆せず、その存在の二重性の根拠に目醒め、あるべき祖国との有機的な関連の環を見失わない」よう主張していることが注目される。もちろんこれは、前に挙げた、「たとえ個別的には優れた同胞の人材が日本社会の陽の当たる部分に進出しえても、民族としての、集団としての「在日」は、これまで通りアンダー・グラウンドな職種に特化され、その内部にいっそう大きな格差と亀裂をかかえこむことになってしまわざるをえないであろう」という発言とセットで理解されるべきである。姜は、在日朝鮮人の(後に全面肯定することになる)「多様化」現象を、ここでは「大きな格差と亀裂」ととらえ、その克服のために「祖国」を置いている、と見ることができる。 上の姜の立場は、前述したように、後年の徐京植の主張に近いものである。徐は以下のように述べている。 <在日朝鮮人が「民族」や「祖国」に関心をもち、その民主的変革と民族統一の過程に参加しなければならないのは、自らの運命の主人となり、自らにとって望ましい未来をつくるためである。金賛汀氏や文京洙氏が主張するような観念的な「当為論」や「祖国志向」のためではない。>(徐京植『分断を生きる』影書房、1997年、111頁、初出は1996年) <在日朝鮮人について考えてみると、彼らはアンダーソンの言う)「想像上の故郷」としての朝鮮半島に帰属意識をもっているためにではなく、むしろその逆に、「想像」としては帰属意識をあまり持ち得ないにもかかわらず、朝鮮半島の政治的現実(白楽晴のいう「分断矛盾」)によって日常の生を規定されているために、在日朝鮮人は「民族」や「祖国」に関心を持たざるを得ないのである。>(同133~134頁、初出は1996年) 上の姜や徐のような主張は、断片的なものではあれ、実際に指紋押捺拒否運動を行なっていた人物(姜もだが)も含め、80年代の在日朝鮮人の発言にかなり広範に見られるものである。そして、同じく80年代から在日朝鮮人界隈で蔓延しだした(ポストコロニアル系も含めた)「在日論」は、こうした主張を「祖国志向」「観念的」とレッテル貼りし、在日朝鮮人が「祖国」の政治情勢に規定されている面や、日本社会の本質的閉鎖性という現実を無視することで成り立っているものである。 もちろんそのようなレッテル貼りは何ら有効な批判ではないし、実際に、この姜と梁の論争も、磯貝治良(「「在日」の思想・生き方を読む」『三千里』46号、1986年5月)も朴一(「「在日論」論争の成果と課題」『ほるもん文化』3号、1992年10月)も言うように、必ずしもかみあっていない。ただし梁の反論からは、梁が姜の主張に対してどのような反発を持ったかがうかがえる。反差別運動の連帯による日本社会の「民主化」の必要性、という観点からの梁の批判は既に見たが、その他の批判点を見てみよう。 5. 梁は姜の主張をナショナリストのそれととらえ、そこに反発している。ここでの梁の批判は、90年代以降に日本の論壇で一般化した、抑圧/非抑圧、先進国/第三世界といった区分を抜きにして「ナショナリズム」一般を批判する、今日の論壇では「常識」化したものである。 <「賤民化」を拒もうとして「新しい芽」の流れを「祖国にむけて定位させる」というのは、別な種類の“国粋化”を招く危険すら感じさせる。なぜならそれは、祖国というマジョリティへの転化を暗示しているからである。マイノリティの問題を解決するためにマジョリティの側に移ればよいとする発想こそが「同化」であって、具体的には帰化や帰国といった表現となってあらわれるのだが、それはマジョリティであるが故の支配を受認する考え方といわざるをえない。・・・・・・日本社会の単一民族観が正しくないというとき、在日朝鮮人のもっている、あるいはまた「南」「北」がかかえている単一民族観もまた正しくないのである。「エセ文明」ということでも同じことがいえよう。いいかえれば日本社会の差別が問題になるとき、ひるがえっていつも在日朝鮮人の、そして「南」「北」での差別もまた問われなければならないのである。>(「事実としての「在日」――姜尚中氏への疑問」) また、梁は、日本の市民の力(と思われるもの)と戦後日本社会の肯定的変化について、姜が過小評価していると批判している。 <確かにそのように(注・日本が単一民族社会であるという「基礎定型」が不変であると)とらえることは的確なように見える。だが、そのことを自明のこととして前提にしてしまうならば、われわれは自らもまた単一民族社会を是認してしまうことになる。そうではなくて、ていねいに見れば、日本は単一民族社会であると固執する側とそうであっては困るという側が綱引きをしているのである。後者がわずかづつながらも力を増しているとみるのも、あながち欲目とばかりはいえまい。/ここでも圧倒的に勝つのでなければ何もできないというのは、ていのよい敗北主義である。オール・オア・ナッシング的発想はつつしまなければならない。表層観念的にはいくらカッコよくみえても、そんなことは現実社会にはないのである。戦後四十年間、そしてこの十年間、たしかに日本社会は変化してきた。それを本質は変っていないのだ、ソフトな抑圧だということばかり強調するならば、本質が変らなければ将来に希望がもてないということになる。だが国家というものが存在する限り、国家の本質は存続しつづけるのである。とすれば、いかにその構造をソフトなものにするかが課題になるのではないか。>(「事実としての「在日」――姜尚中氏への疑問」) 梁はまた、姜の「祖国」定位論に対して、「在日」定位論とでも言うべき主張を展開する。重要なのは、こうした主張が、在日朝鮮人の日本社会への社会的「義務」の強調を伴っていることである。この点は、後述するように、他の在日朝鮮人の「共生」論者たちにも現れる。 <姜氏が「われわれが『朝鮮人』であることの本源は祖国にある」というのは、かなり根本的な相違点であって、それをいうなら在日朝鮮人の生活史にこそあるといわなくてはならない。われわれは七十余年にわたる在日朝鮮人の歩みを経験してきた。それはもちろん祖国の歴史と無関係ではないが、その歩みの中にわれわれが朝鮮人である意味があるといえよう。もし「祖国にある」とすれば、分断の状況下では在日朝鮮人像もまた分裂するしかないことになる。>(「共存・共生・共感」) <マイノリティがマイノリティとしての立場を侵されることなく(つまり差別されることなく)生きていくために、まず必要なことは、すべての人間は同じ権利と義務を有するということであろう。少なくとも日本国内に住む者として日本社会における義務と権利を共有することは、共生の第一歩である。日本国憲法によれば国民の三大義務は教育と納税と労働である。納税はいうまでもないし、労働も働かなければ食べていけないのだから論外として、教育は「教育を受ける権利」という言葉があるくらい一般的に権利として考えられている。ところが在日朝鮮人はこの義務(権利)から除外されていることは案外意識されていない。もし在日朝鮮人が教育を受けることが恩恵ではなく、義務(権利)であるという考え方が確立したならば、もっと在日朝鮮人の実情(要望)にあった教育も無視するわけにいかないという考え方が頭をもたげてくるはずである。もちろんそれを要求するかどうかは、在日朝鮮人の自覚と責任にかかっているのだが。/人間として正しくないということでない限り、義務を共有することは共生していくために避けられないし、またそれが一つの権利であるともいえるのではないか。>(「事実としての「在日」――姜尚中氏への疑問」) また梁は、本来は「日本人」であったにもかかわらず、「外国人」化されたことが問題といった、現在の「権利としての日本国籍取得」論とも近い。 <指紋押なつの問題に関していえば、一九五二年体制をうけて、一九五五年に民団が組織を一本化し、朝鮮総逓が結成されたことが祖国への一元化をあらわしており、日本政府は指紋押なつを強硬することによって「外国人」の烙印を押したのであった。しかし一九八二年体制の中で、在日朝鮮人は「祖国」に直結するのでもなければ、外国人として管理されるのでもないという自我の主張として、外国人であることの象徴としての「指紋」を拒否するにいたったのである。外国人でなければ日本人だ、と短絡すべきではない。われわれは朝鮮人なのだ。>(「共存・共生・共感」) 言うまでもないが、「外国人として管理されるのでもないという自我の主張として、外国人であることの象徴としての「指紋」を拒否するにいたった」という梁の主張は、一部の指紋押捺拒否者の主張を一般化したものに過ぎない。拒否者の中には、日本の朝鮮侵略という歴史的経緯の結果として日本に定住することになった外国人の立場として、また、他の外国人と連帯して、押捺を拒否する人々も大勢いたのであり、ここでの梁の記述は、事実よりもむしろ梁のイデオロギーが表出したものである。 このような梁の立場は、結局、「民族的」と「人間的」を切り離した上で、「人間的」を「入口」とすべきという主張となる。 <二世にとってはたしかに祖国とのつながりの意識の中で「朝鮮人宣言」を通して自己の再生を獲得した。それは頑丈な差別体制からの脱出を意味しており、「朝鮮人」という入口に立つことが「人間的解放」につながっていた。しかし今、三世にとっては必ずしもそうとばかりはいかなくなっている。むしろ発想の入口と出口を逆転させて、「人間的」という入口から入ることによって、歴史的存在としての朝鮮人という自已に向きあうことになるのではないか。>(「共存・共生・共感」) こうした主張は、もちろん抽象的な「人間的」一般などあり得ないから、現実には、「民族的」なものへの批判として機能するのみである。上野千鶴子その他のリベラル・左派ならば自明視するであろう、こうした(言葉の正しい意味で同化主義的な)主張は、「在日論」者のうち、特に文京洙によって展開されることになるのであるが、今日ではあまりにも蔓延し過ぎている言説であるため問題の意味すら分からない読者も多いであろうから、少し長いが姜の批判を引いておこう。 <梁氏の反論を読みながらまず気づいたことのひとつは、「人間」という言葉が頻用されている点てある。仮に梁氏の心情のなかに「人間主義」とでも呼べるものがあるとするならば、おそらくはその出発点からして梁氏と私との間にはスレ違いがあるように見受けられる。梁氏は、かつて「ユダヤ人問題」について語ったJ・P・サルトルの次のような透徹した見識をどのように解されるのであろうか。/ 「ユダヤ人であることに、自覚と誇りをもち、自分をある国家集団に結びつけているきずなを無視することはなくても、同時に、ユダヤの共同体に属することを主張するひとりのユダヤ人にとっては、民主主義者も反ユダヤ主義者と大差なく思われるに違いないのである。後者は、人間としての彼を破壊して、非人としての近寄るべからざるユダヤ人だけを残そうとし、前者は、ユダヤ人としての彼を破壊して、人権と市民権の、抽象的・普遍的主体としての人間しか残そうとしない。」/もとより、国際人権規約などの内外人平等主義の原則に即して制度的差別の撤廃を遣る運動が、人権・市民権が「食べ飽きた黒パン」のようにありふれたものとはなっていない日本社会の風土のなかではきわめて重要な意義をもっている点を否定するものではない。そうした草の根から澎湃として湧き起こりつつある運動が、日本の閉鎖的な排外性と単一民族神話に風穴をあけ、異民族との共生から成る開かれた多元的社会の構築を目ざし、目ざましい成果を獲得しつつある現実に、私も将来の曙光を見る思いがしている。目下、巷間の話題となっている「指紋押捺問題」にしても、拒否者の囲りに数多くの心ある日本人支後者が蝟集し、その問題を自らの問題として引き受けようとしている姿勢に感動をおぼえるしだいである。戦後民主主義が、内発性の契機を欠いた、いわばIt cannot be helped democracy(仕方なく民主主義)であるにしても、そうした底辺への視線に裏づけられた生活民主主義が台頭しつつある限り、われわれとしてもそのような運動と隊列を組むことを躊躇してはならないであろう。/しかしながら他方において、先のサルトルの指摘にもあった通り、抽象的な普遍原則(個別的な体験の重さは別として、梁氏にみられる「人間主義」はこの原則と同根である)から、「在日」朝鮮人を「定住外国人」として平等に処遇していこうとする姿勢は、勢い、「定住性」の側面だけを過度に強調するあまり、われわれがあくまでも「外国人」であり、祖国をもっているという自明の理をないがしろにしかねないように思われるのである。そしておそらく梁氏と私の決定的な違いは、ここに根ざしているように思える。>(「方法としての「在日」」) 6. さて、姜と梁の論争を比較的詳しく紹介したのは、実は、ここでの梁の主張が、後述するように、90年代以降の姜のそれとほぼ同じだからである。逆に言えば、この姜と梁の論争から、90年代以後の姜が捨てたもの、また、90年代以後に(姜の活躍も大いに貢献して)一般化する「在日論」、「在日」言説がまず根本的に否定したものとは何であったかを、見ることができるのである。 姜がこの論争において提示した認識――日本社会の本質的閉鎖性、日本社会による在日朝鮮人エリート層の取り込み、東アジア共同体論の親日派在日朝鮮人の需要、民族問題における「人間主義」の危険性、「祖国」を有する在日朝鮮人を日本国内マイノリティ一般に還元することの問題性と危険性、在日朝鮮人間の格差の拡大と分裂など――の正しさは、2002年9・17以降、完全なまでに証明されたと言える。 日本社会においては、朝鮮半島の政治情勢という「現実」が、在日朝鮮人を強力に規定していることが、9・17以降、これだけ明らかになったにもかかわらず――むしろそれゆえに――、姜の上のような主張はますます放棄され、姜をはじめとする在日朝鮮人言論人たちやその周辺の「在日」言説は、日本人に迎合して恩恵を与えてもらおうとする姿勢をますます強めている。そしてそうした姿勢をリベラル・左派が歓迎し、例えば「在特会」への反対署名を書いてあげる(それ以上は何もしない)という構図ができている。 姜がこの論争時のような姿勢を堅持していれば、その後の在日朝鮮人に関する言説状況はある程度は変わっていたかもしれない。ところが、私見によれば、在日朝鮮人規定に関する姜のこの姿勢はほぼ1986年いっぱいで終わるようであり、1987年から90年前後まで続く、別の内的論理に移行(転向)するように思われる。姜の90年代以降の言論の性格、「在日論」「在日言説」一般の性格を考える上では、この87年から90年前後までの在日朝鮮人規定を見ることが重要なのである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2011-02-24 00:00
| 姜尚中
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