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2011年 07月 20日
少し前の話になるが、有名ブログ「世に倦む日日」が、『世界』による原発推進派の寺島実郎起用を強い調子で批判していた。代表的なのは、下の記事である。
「「世界」は寺島実郎を降板させよ - 原発推進派の詭弁」 http://critic5.exblog.jp/15493863 「世に倦む日日」氏は、『世界』の岡本編集長の読者への言葉は「上から目線」であり、寺島の起用という事実によって、その「反原発」の言葉の真面目さを信じるのは難しい、と批判している。その上で、「反原発」派の言論拠点として、『世界』は寺島の起用をやめるべきだと主張している。 この批判は、そもそも佐藤優の起用を無視している点で奇妙なものだが(同じ「小沢派」だからか)、一見まっとうなことを言っているように見える。だが、この主張は根本的に間違っている。 『世界』が寺島や佐藤のような原発推進派を使うのは、単なる惰性や馴れ合いの継続という説明もできるかもしれないが、根本的には、私が昔に「<佐藤優現象>批判」で書いたことの延長上で考えれば説明できると考える。私はそこで、リベラル・左派が佐藤を使い続ける理由の一つとして、「改憲の流れを止めることはできないから、改憲後に備えてこれまでのリベラル・左派の主張を改編して「現実的」な勢力となっておくために、すなわちリベラル・左派の「生き残り」のために、佐藤を擁護する」を挙げたが、寺島の起用もこれと同じだろう。要するに、今後の原発政策がどうなるかは知らないが、現時点では「反原発」一色ではその辺の市民団体のようになってしまうから、「現実的」な勢力となっておくために、原発推進派の寺島や佐藤を使い続ける必要がある、ということだ。「立ち位置」が問題なのである。佐藤も恐らくその辺を計算して東電擁護派の役を買って出ている。世論が「反原発」一色となればその姿勢も日和見的に変わるかもしれないが、当分それはなさそうだから、こうした姿勢も継続されるだろう。 もちろん寺島起用を批判することはよいことだろう。だがそれは、『世界』が「反原発」派の言論拠点たるべきだからということではなくて、「反原発」派ということになっている『世界』が寺島や佐藤を起用することにより、寺島や佐藤が原発問題で発言している(してきた)ことがあたかも一定の説得力があるかのごとく流通してしまうことが問題なのである。「反原発」派ということになっているという表象が問題であり、また、社会的な影響こそが最重要なのであって、『世界』が本当に反原発派であるかどうかはどうでもよい問題である。<佐藤優現象>と構造は同じだ。「世に倦む日日」氏は、一見正当な批判をしているように見えて、実際には『世界』や岩波書店は本来真っ当な「反原発」派のはず、という(それこそ『世界』や岩波書店が喜ぶような)図式を再生産してしまっている。「<佐藤優現象>批判」が出た2007年ならばまだ分かるが、2011年の現在ではこのような批判は単なる時代錯誤である。 そもそも、現在の「反原発」論議は、良し悪しはさておきネットが完全にリードしていて、出版界全体はそれに便乗しているようなものである。これは、少し前の「格差社会」論や「反貧困」論と違うところである。「論壇」的にみると、これはほとんど初めての現象かもしれない。そのような状況において、紙媒体の一つの雑誌を社会運動の「言論拠点」などととらえること自体が倒錯しており、時代錯誤としか言いようがない。
by kollwitz2000
| 2011-07-20 00:00
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