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2012年 03月 09日
11.
それでは、このような認識上の変化はいつ頃生じたのか、という問題であるが、文献上で確認できるのは、1992年5月頃には既に、日本社会の本質的閉鎖性・特殊性という認識は消失しているという事実である。 第123回参議院法務委員会で、1992年5月12日、姜は、「外国人登録法の一部を改正する法律案」の参考人として意見を陳述している。会議録から、いくつかの発言を引用する。 「○参考人(姜尚中君) まず、私の個人的な経験からお話しいたします。 私は、熊本市のある市内の中学におりまして、中学三年のときに教員からちょっと来てくれということで、それでどうやら市役所に行ってくれということなのですね。忙しいときに、受験を控えて何だろうと思って行きました。そして、そのとき初めて指紋というものにお目にかかったわけですけれども、私にとっては、いわば一言で言うと非常に暗い思い出ですね。 それは、今御案内のとおり、非常に主観的で心理的な判断、しかもそれは極めてマイナーなケースでしょう。マイナーなケースをもって全体を類推するということは非常に私は本末転倒だと思いますし、それから、今指紋制度が日本の慣習及び伝統に近いような御発言でしたけれども、法律というもの、とりわけこの指紋制度あるいは外国人登録法というものは、御案内のとおり、一九四〇年のアメリカにおける戦時立法として成立した外国人登録法が母体になっております。私は、その観点からちょっと意見を述べさせていただいて私の感想にかえさせていただきます。 私は基本的には、先ほど新美先生からお話もありましたとおり、日本の外国人管理からさまざまな制度の全体が三〇年代に大体つくられてきたと思います。私の言葉で言えば、統制経済下でつくられたいわゆる日本的システムと言われているものが戦後、改革の不徹底の中でそのまま生き残り、そして今日まで受け継がれてきた。それは基本的にいいますと、いわゆる旧内務省は崩壊しましたけれども、旧内務省的な発想で行政管理、過剰介入、規制をやろうとする。実はこれが、日本がまだスケールが小さいときはよかったのですけれども、現在のような世界のウルトラ経済大国になってきますといろんな問題点がそこから出てきています。 私は、戦争をてことして進められてきたそのような制度というものが冷戦の崩壊の中でもうにっちもさっちもいかなくなっていると思います。その端的な例が社会主義ソビエトの崩壊で、日本もある意味においては、統制経済下につくられた基本的な発想法、つまり行政国家的な発想法というものが内外の局面の中で金属疲労を起こしていると思います。その一つとしてこの外国人登録法があるわけで、そういうものは早晩私はほころびてくると思います。したがって、これは一九九五年、戦後ちょうど丸半世紀たちます。三年かけて一九九五年までにはこれを全廃し、そして住民基本台帳法に準ずる別個の法体系をつくり、そこにすべて任せ、そして外国人についての住民サービス等々を私はやるべきだと思うのです。」 「○参考人(姜尚中君) 私も新美先生とまるきり同じで、先ほど私は日本の外国人登録法の母体というか参考になったものがアメリカの戦時立法としてつくられた外国人登録法だというふうに申しましたけれども、基本的にはそれは軍事的な色彩の強い、それはやはり総力戦あるいは統制経済下において敵を峻別し、国内においては防諜的な役割を果たすような、ここに御出席の先生方には戦争中どのような状況であったかというのは大体体験をもって知っていらっしゃる先生方が多いと思いますけれども、要するに外国人というものは潜在的ないわば撹乱分子といいましょうか、いわば治安によって取り締まらなければならないというそういう発想が、アメリカにおいてはいわば共産主義者といいましょうか、そういう人々をいわば取り締まるために、日本においては総力戦下の軍事目的に即して、いわば治安、そして日本人の側の国家的な統合手段としてそのような制度というものが私は有効に働く余地があったのだと思います。しかも、戦後において冷戦というそのような思考様式から脱却できずに、そのような制度がいわば形を変えて温存されてきた。それが私は、この指紋制度を初めとする外国人登録法の基本的な沿革ではなかったかと思います。 今、冷戦が終えんし、そして世界の秩序というものは大きく変わろうとしています。これは私は、化石的な、あるいはそれこそシーラカンス的なある種の法制度として歴史によって葬り去られる可能性もあるのではないかと思っております。私は、それに固執するということが実は長い目で見て日本のいわゆる国益というものに果たして貢献するものなのかどうか、むしろ国益に反するのではないかと思っています。 今内外から、日本のさまざまなシステムのいわば改変といいましょうか、修正を迫られている現状が私はあると思うのです。つまり、経済からさらには文化から、そしてさらには人の問題へと、ある種の構造協議というものが進んでいくでしょう。そういう中で、頑としてその屋塁だけは守りたいという発想は、私はやはり歴史の趨勢の中で結局最終的には葬り去られるというか、何らかの抜本的な改変を迫られていくのではないかと思っています。」 「○参考人(姜尚中君) 少し茫漠としたお答えになるかもしれませんけれども、私は常々今日本は大きな曲がり角にきていることは間違いないと思っています。 これはやはり私の考え方では、どうも日本の戦後をつくってきたさまざまな制度、それは大体三十年代に原形ができ上がって、それが四十五年以降形を変えて、しかも非常にうまくソフトランディングして、そして今日のようなまれに見る経済成長を遂げた国になったのではないかなと思います。しかし、どうもうまくいっていたさまざまな機構や制度や仕組みというものがきしみ出して、逆にうまくいっているものだと考えていたものが実は桎桔になりつつあるというか、つまりこれから先の新しい時代に対応できなくなってきている。これは経済や政治や教育や文化やありとあらゆる面で私は言えるのじゃないかと思います。そのときにさまざまなそのようなある種の制度疲労や改変をもっとトータルに総括して、そしてあるべき姿というものがどうも打ち出せないでいる。むしろ縦割り行政の中で、非常にいわば区切られた範囲の中で重箱の隅をつついていろいろな改正事項をやっているような気がしてなりません。それは恐らく政治というものがうまく働いていないということの一つのあらわれではないかと思います。そういう点ではより高いレベルに立って全体を総括し、そして日本のあるべき姿というものを示していけるような、そのようなオリエンテーションの中で初めてこうした外登法を初めとする外国人に対する法律や行政措置というものも必然的にそこから演繹されて出てくるのではないかと私は思います」 このように、姜は、繰り返し、争点となっている「指紋制度あるいは外国人登録法」の問題、「日本の外国人管理からさまざまな制度の全体」を、1930年代・40年代の「総力戦あるいは経済統制下」の諸政策に淵源するものであるとした上で、冷戦崩壊後の現在、そのような制度は時代遅れとなっているから、抜本的に改革しないと日本の「国益」に(も)反するだろう、と主張している。ここには、姜が言う1930年代・40年代の「総力戦」下の諸政策自体が、その前提としての日本の近代の歴史的必然ではないのか、という疑問は何ら見られず、あたかも簡単に消去可能なものであるかのように見なすよう指示されている。既に見てきた、姜の日本社会認識の変化を明瞭に見てとることができる。 それでは、このような認識状の変化は、どのような主張を付随させているのであろうか。ここでは、発言の相手が、『青丘』その他のように主として在日朝鮮人はなく、日本国民(の代表)であるがゆえに、これまで見てきた姜の在日朝鮮人論には見られない発言を確認することができる。いくつか引用しよう。 「なぜ内外人平等でないのか、つまり、外国人に関しては何らかの形で差別を設けてもいい、あるいは違うという考え方、その根拠は一体どこにあるかということです。これは衆議院の法務委員会で、要するに外国籍を選択しているということは、外国に対してロイヤルティー、忠誠義務を持っているからだという御議論がありました。実定法を云々するような局面において、その忠誠心という非常にわけのわからない、あいまいもことした心理的な要因を持ち出し、それによって外国人と日本人とを区別する根拠にしようという論拠は、これは非常にあやふやな議論です。 例えば、日本の若者の中に、日本が侵略された場合に、国を守りたいという人間よりは早く外国に逃げたいという人がたくさんいるわけです。こういう若者は、じゃ忠誠心がないわけですから、外国人扱いということになります。いかがでしょうか。まさしくこれは非常にばかげた議論です。あるいは、例えば多国籍企業が海外に自分たちが進出していく、そうすると日本の雇用状況は非常に悪くなります。そうすると日本の経済を悪くするわけですから、この多国籍企業に勤めている社長さんや重役さんは忠誠心がないことになる。いかがでしょうか。全くばかげた議論によって日本人と外国人を分けている、その忠誠心という根拠が私にはわかりません。 我々は、日本に定住して日本に対しても愛着を持っております。少なくとも社会に対しては。さらに国際化の局面の中で、いわゆるハーフというか、あるいは二重国籍者がたくさん出てきているわけです。これは、現実の問題として人間の動き、資本、技術、さらには労働者等々が国境を越えでいろいろな相互依存関係に立っております。そういう社会において、非常に前近代的というか、そのような発想に従って日本人と外国人を身分法的に分ける考え方、これは私は早晩内外からの批判に遭っていつかは撤廃ないしは是正に向かわざるを得ないと思います。」 「最後に私の個人的な感情を申しますれば、もし日本という国が実に理不尽な理由で他国から侵略された場合、私は、先ほど例に挙げました日本の若者のように、海外に逃げることはまずないと思います。日本国内にとどまって非軍事的手段において徹底的に抗戦すると思います。したがって、私の方がはるかにロイヤルティーがあるということですね、少なくとも国家に対してじゃなくて日本の社会に対して。これは必ずしもアブノーマルではなくして、人々の生活の本拠がそこにある限りにおいてはその社会の構成員であり、そして立派に一つの仲間であるという観点があれば、国籍によるオール・オア・ナッシングという考え方、これがいかに狭い、そして実態のないものであるかということはすぐおわかりになるのじゃないでしょうか。それが私の基本的な感想です。」 姜は、内外人平等を、忠誠心の有無を基に否定する主張に対して、「ばかげた議論」などと否定しつつも、その主張の土俵に自分から乗っかってしまっている。そして、在日朝鮮人には日本(社会)への忠誠が明確に存在する、と事実上主張している。このような主張は、日本社会において、姜が問題にしている否定的側面は本質的なものではないという認識と同時に出現しているのであり、両者は分かち難いものである。 12. これと似た事例を、同時期の姜の発言の中に見ることができる。参議院での参考人意見陳述の9日前である1992年5月3日に、姜は護憲団体主催の講演会で講演を行なっているが、これは約1年後、『アジアから読む日本国憲法』と題されて本(ブックレット)として出版されている(かもがわ出版、1993年5月)。同書には、「本稿は、一九九二年五月三日、末川記念会館(京都市北区)で行われた「市民憲法フォーラム92 平和憲法からアジアと日本を考える」(京都憲法会議・憲法を守る婦人の会主催)の基調講演の内容を整理し、加筆したものである。」と記載があり、加筆はなされているようだが、文脈・記述の流れから、大部分の発言それ自体は講演当時のものと理解してよいと思われる。 姜はこの講演の冒頭で、「今日の話の前に、正直申し上げて日本の憲法の問題で私のような「在日」の人間が話をするという、こういう状況はおそらく一〇年前には考えられなかったことだと思います。それほど時代が、一面においては変わったという一つの表れかもしれません。」と断った上で、「これまで私達は一方においては住民として日本社会の中で「権利と義務」を担っていくという意識が、はっきり申し上げて稀薄だったんです。」と述べている。ここでの「私達」とは、在日朝鮮人のことである。 続けて姜は、以下のように述べている。 「ところが、八〇年代に入りまして定住化が進んでいく中で、やはり自分達も日本の社会の住民として日本の問題に積極的にコメント(注・コミット?)していくべきだ、これを私の言葉を使うと“住民としての在日”そして“民族としての在日”という、この二重性を生きていくということが、自分達の一つの役割ではないか、と。最初、日本の問題について私達が発言することに対して、非常に反発がありました。しかし今は、少しずつそういうものが和らぎ、いわば自分達は住民として共に生きていく、共生ということですね、こういうことが日本の社会の中で本格的に考えらえるようになったんではないかと思います。それはやはり、戦後民主主義、あるいは戦後の平和主義というものがつくり出した、少なくとも最良の部分というものが遺産として若い世代の中にも受け継がれていることはまちがいないと思います。そういう自分のスタンスというものを、八〇年代から考えるようになってきたわけです。ですから、今日の話も、私のそういう立場と関連するということです。」 これに続けて姜は、戦後日本の「戦後民主主義」「平和主義」「平和憲法」を称賛する。 「世界史的に見れば、あるいは戦後史的に見ていけば、現実が日本国憲法の精神や理念に近づきつつあるにもかかわらず、なぜこれほどまでに平和主義、あるいは平和憲法というものが、ピンチの状態に立ち至っているのか。」 「冷戦の終焉以来、現実が平和主義あるいは平和憲法の方向に大きく近づきつつあるにもかかわらず、この日本の社会では、平和主義や平和憲法をなぜこれほどまでに邪慳にするような言論が大衆的な広がりを持ちつつあるのか。」 「私は、この戦後民主主義、あるいは戦後の平和憲法を掲げた日本の新しい歴史というものが、何をそこで見失ってきたのか、それを私達は謙虚に反省しておく必要があるんじゃないか。」 「平和憲法というものは、おそらくこれは日本が戦後誇っていい最大の歴史的な遺産であり、また今日を切り拓いていく上で最大の、私達がよりかかるべき精神であることはまちがいありません。」 こうした発言における「私達」とは、在日朝鮮人だけではなく、日本国民も当然含まれている。当時の姜ならば、日本社会の住民、とでも言ったかもしれない。 だが、前述の1991年5月の講演記録⑦では、姜は以下のように発言しているのである。 「今まで在日朝鮮人が日本の人々にとってこれほどにも無視され、軽視され、ほとんど問題にされてこなかったのです。日本の比較的進歩的と言われている憲法学者も、在日の問題については議論さえまともにしてこなかった。戦後補償の問題においてもそうです。これは、戸籍制度や血統主義によって成り立つ日本型の動員体制について疑いの目を持たずに、戦前も戦後もそのまま継承してきたからではないでしょうか。それを基本的なベースにして、日本国憲法という非常に「民主的」な憲法、あくまでも日本人だけに与えられる義務と権利についての、ある種の国の根本的なツールだと思うんです。/従って、在日朝鮮人や台湾人がそこから疎外されていたのも、無理からぬ話です。やはり私は、戦後の約半世紀近くにもわたる状況で、なぜ差別がなくならないのか、場合によっては、むしろ言いすぎなくらいにそれを考え、単に部分的な問題ではなく日本社会の近代史を貫いている基本的な戸籍制度と血統原理とそれに基づく動員体制というものが依然として変わっていないということに問題があるのではないのか、逆に言うと日本の戦後の民主主義の弱さ、戦後民主主義のある種の大きな過渡期というもの、結局そこに行きつくんではないかと思うのです。」 このように、この講演記録⑦での姜は、「平和憲法」も「戦後民主主義」もほとんど評価していない。それでは、その1年後の、上に挙げた歯の浮くような「戦後民主主義」「平和主義」「平和憲法」への賛辞(若干の批判はあるにせよ)は一体なんなのか、ということになる。また、⑦では、地方参政権や公務就任権等の「権利」の獲得・行使の必要性については積極的に説かれているが、「義務」については一言も述べられていない。 参議院の参考人意見陳述での姜が、総力戦体制論に関して、従来の姜とは異なった用法を行なうことで、日本社会の本質的閉鎖性という認識を放棄するに至ると同時に、在日朝鮮人が日本社会に忠誠心を持っているということも実質的に主張されている点は既に見た。この護憲団体主催の講演会でも、姜は同じく、戦後日本の「平和憲法」「平和主義」「戦後民主主義」に対して、従来の姜とは異なり積極的な評価をすることで、日本社会の本質的閉鎖性という認識を放棄すると同時に、在日朝鮮人が日本社会で「住民」としての「義務」を担っていくべきであるとの主張を行ない、また、そのような「住民」としての立場を強調する姿勢が在日朝鮮人の中でも支配的になりつつあることを宣言している。この二つは、ベクトルは異なるが、本質的には姜の同一の姿勢に基づくものである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2012-03-09 00:00
| 姜尚中
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