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2012年 03月 12日
14.
姜の日本社会認識の変化を、端的に示してくれる資料をもう一つあげておく。 姜は、1995年12月、「一九八九年の昭和の終焉と冷戦の終わりから戦後五〇年の現在に及ぶ間の、折々の事件や出来事に触発されていくつかの雑誌に発表したもの」(「はじめに」より)から成り立っている単行本『ふたつの戦後と日本――アジアから問う戦後五〇年』(三一書房)を刊行する。単行本収録に際して、いくつかの論文には注釈が書き加えられている。そのうちの一つを見てみよう。 同書には、既に挙げた、「昭和の終焉と現代日本の『心象地理=歴史』」(第7節の⑤)が収録されている。原文(本文)は、以下のとおりである。 「『オリエンタリズム』の著者エドワード・サイードが指摘しているように、「東洋人」(オリエンタル)の表象が、嘆かわしい異邦人という表現にふさわしいようなアイデンティティを共有する、西欧社会のなかの諸要素(犯罪者、狂人、女、貧乏人)と結びつけられていたとすれば、日本の社会でこうした「内なる他者」としての役割をあてがわれ、「遅れたアジア」というイメージの媒介者となったのは、在日韓国・朝鮮人であった。「暗い、陰鬱、卑屈、汚い、田舎臭い、貧しい、みじめ、あわれ、恐い、恐ろしい、劣る、遅れている、野蛮、非文明国」、これらの朝鮮についてのイメージは、決して植民地時代のそれではない。それは戦後教育を受け、発達したメディアの恩恵に日々浴している日本の平均的な高校生の、一九七七年の意識調査の結果である。/その後の韓国の経済成長とオリンピック開催、一定の民主化の進展などによってイメージの変容がみられたが、国民意識の深層に根をはった朝鮮観のステレオタイプは依然としてしぶとく残留している。この点はとくに、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の場合にあてはまるはずである。」(同書、21~22頁) この一節について、姜は、以下のような注釈を加えている。 「この論稿が発表されたのは、一九八九年の末であったが、その五年後、いわゆる「核疑惑」を契機に民族学校に通う学生に対するいやがらせや排斥が相次いだことは、ここでの私見を裏書きする結果になった。ただ、これらの事件をとらえて過去の記憶を呼び覚まし、民族排外主義の「先祖返り」が繰り返されていると断定することはできない。記憶の想起が、現在の対立や相克を和らげるのではなく、逆に抜き差しならない民族的アイデンティティの二項対立的な図式をより強化するように作用するとすれば、それは不幸な事態である。「やはり日本は変わっていない」「共生など言葉の遊びにすぎない。やはり民族的な違いは超えられない」、こうした「やはり……」というところに落ちついてしまう思考こそ、問題にしなければならない危険な「アイデンティティ・ゲーム」ではないか。冷戦の終結以後、ナショナリズムやエスニシティなどにまつわる文化の「政治化」が急速に浮上するなか、そのような対立図式のなかにはまり込んでしまいやすい条件にあると言えよう。それは必然的に民族や国民のアイデンティティについて多分に「原理主義」(ファンダメンタリズム)的な傾向をよみがえらせることになり、「われわれ」対「彼ら」の二分法を決定的なものにしてしまうことになりかねない。重要なことは、そうした対立の図式そのものを廃棄する可能性をさぐることにある。このようなコンテクストのなかで、日本の差別的な朝鮮観が問題となるのである。そこには後にも触れているとおり、アジアのなかの日本の位置についての自己意識や、それとのかかわりを求める日本国民の自意識が反映されているからである。それは明らかに歴史的につくられた、もっと極端に言えば、「ねつ造」されたものにほかならない。したがって、決して文化的なアイデンティティに還元することで説明される性質のものではないのである。その批判的な再構成が、一九八九年の昭和の終焉に触発された本稿の目的であった。少なくとも現在から振り返ってみれば、そのように評価されうるはずである」(同書、22~23頁) 「少なくとも現在から振り返ってみれば、そのように評価されうるはずである」などという言い訳じみた弁明が、その前の「その批判的な再構成が、一九八九年の昭和の終焉に触発された本稿の目的であった。」などという主張が虚偽であることを自ずから示唆しているように思われる。 言うまでもないが、姜が言及している1994年以後の「民族学校に通う学生に対するいやがらせや排斥」は、かつての姜が的確に指摘していたように、北朝鮮系と見なされる在日朝鮮人に特に排外的にはたらく、「国民意識の深層に根をはった朝鮮観のステレオタイプ」が土台となって行われたものである。普通に考えれば、「やはり日本は変わっていない」「共生など言葉の遊びにすぎない」としか結論づけられないものであり、当然これに対しては、かつての姜のように、祖国定位論であれ在日結集論であれ、民族(主義)的抵抗が対置されなければならない。 ところが姜はこの注釈において、上のように、そうした認識と抵抗こそが「危険な「アイデンティティ・ゲーム」」だと主張している。そして、恐らく書いている本人も何が言いたいかよくわからないような文章をそのまま写せば、「「われわれ」対「彼ら」の二分法」の「対立の図式そのものを廃棄する」ことこそが必要だ、と述べている。どうやって?襲ってくる日本人に「ナショナリズムというのは幻想です」と説教するのか?それとも「対立の図式そのものを廃棄」するために帰化した上で身も心も日本人(地球市民)になるべきというのか?また、「このようなコンテクストのなかで、日本の差別的な朝鮮観が問題となるのである」などと言っているが、ここでの姜のような立場を共有しない人物(朝鮮人)による、日本人の朝鮮観批判は、「危険な「アイデンティティ・ゲーム」」で不当だとでも言うのであろうか?こうした疑問はさておくとして、このような認識が、論文の初出発表時の姜とは180度異なっていることは明らかであろう。この本文と注釈は、おおよそ92年以降の姜が、それ以前の姜とは立論の前提を根本的に変えてしまっていることを、非常に鮮明に照らし出している。 また、姜は、1996年2月刊行の『青丘』第25号に収録された「対談 二十一世紀に向けて」(文京洙との対談)では、以下のように発言している。 「清算したと思われていた戦前のものが表出したのが八九年の昭和天皇が亡くなった前後だったと思う。この年は私の父親が亡くなった時でもあるわけですが。ようするに明治維新をハッピーなビギニングにして、昭和の終わりをハッピーエンドとする、そして一貫した国民としての日本人のサクセスストーリーとして明らかに一つの物語が出来てしまった。しかしそういう形で日本人としてのアイデンティティを確かめ合った時期は、昭和天皇の死とともに終わったと思います。」 こうした発言が、前に引用した、昭和天皇の死去のすぐ後(1989年5月)に発表された発言、特に④の「われわれにとって日本とはなにか(1)「昭和」の終焉とわれわれ」の発言と180度食い違うものであることは言うまでもない。そして、今日から振り返れば、どちらの認識が正しかったかもまた明らかである。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2012-03-12 00:00
| 姜尚中
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