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2012年 04月 05日
16.
姜の日本社会認識の変容と連動した在日朝鮮人言説の変化としてまず見ておきたいのは、同じく「在日志向」と表象される主張でありながらも、92年以前と以降のそれでは現状認識とその志向性が本質的に異なっている点である。 前述のように、87年の姜の主張は、在日朝鮮人内部における階層化の進展により、在日朝鮮人としての結集軸が消失しつつあり、だからこそ「民族文化」を軸として、結集しなければならない、というものであった。基本的にこの認識は、91年頃までは継続していたと思われる。 例えば、1990年9月に発表された⑥の「日の丸・君が代と国歌――「在日」からみえてくるもの」で、姜は以下のように述べている。 「「日の丸」「君が代」が歴史的変化の一方のシンボルであるとすれば、その対極にある変動のうねりは、ソビエトを中心とする現存社会主義の倒壊を促した民衆=市民革命であり、それによって触発された夥しい数にのぼるエスニシティーの復権の動きである。・・・・・・自分たちのかけがえのない文化や言語、伝統、生活様式から歴史的に形づくられてきた共同性の意識がもつ凝集力は国家による統合とは違った動きを示しつつあるのである。ソビエト・東欧圏の社会主義の倒壊は、単なる自由主義の勝利といったレベルで片付けられる問題ではなく、そのような民衆世界に根ざす「われわれ意識」から噴き出した巨大なエネルギーの結果に他ならない。そしてこれと同じような事態は、体制や国家のタイプの違いを超えて世界中のいたるところで形を変えて生まれつつあるのではないだろうか。とすれば、今われわれがその渦中にある世界の激変の中から読み取ることのできるメッセージは、現存社会主義の破産ということだけではなく、近代世界の中心に位置してきた「民族国家」の存在、その前提が揺らぎつつあるということではないだろうか。/このように考えてみるとき、世界のここかしこに「在日」があると言えるのではないだろうか。そして「日の丸」「君が代」の義務化は、世界史の流れを変えつつあるそのような世界中の「在日」の、国家に抗する動きに対する反動以外のなにものでもないであろう。」 このように姜は、「エスニシティーの復権の動き」、「自分たちのかけがえのない文化や言語、伝統、生活様式から歴史的に形づくられてきた共同性の意識がもつ凝集力」を基にした運動を全面的に肯定し、それを在日朝鮮人の(あるべき)「国家に抗する動き」と同一視している。これは、87年の姜による在日朝鮮人の結集への提言と同じ意味合いの主張である。 また、姜が1991年5月23日に、在日朝鮮人の運動団体で行なった講演記録である⑦では、以下のように発言している。 「「ポスト91年」の中では自分たちの生き方の結集軸というものを創っていかなければならない局面に、私たちは歴史的に立たされている。その結集軸の中身は、一言で言うと文化運動だと思います。これは政治的・社会的なもの、あるいは自分たちの生活の在り方、ウリマル(朝鮮語)、さまざまな風習など、いろいろなものをひっくるめて、広い意味での文化運動を創っていかなければならない。そういう局面に「ポスト91年」は立たされている。そういうものとして私は、91年というものを考えているわけです。/そうすると、「朝鮮系日本人」という選択肢がさしあたり日本の社会の中では成り立ち得ないとすれば、一体どういう選択肢を私たちは創っていったらいいのか。それは言うまでもなく、 民族的なアイデンティティーを具体的に確保できるような文化運動を力強く展開すること、しかもそれを支える社会、経済、就職、結婚の問題、教育の問題、さまざまなレベルで具体的に制度化し、そして運動化していくことです。」 「民団を見ても総連を見てもどうしようもないんだという議論がありますが、しかし私は、そうでありながらも民団と総連を除いた在日の将来はないと思います。…… 私はこれから在日朝鮮人が具体的な経済的基盤を北と南とを問わず民族財産としてどのように保存していくのかというのは非常に大きな問題だと思います。しかも、それをこれから先、在日の企業人や、あるいは給与所得者に対しても、金融機関が財政的な面でバックアップできる体制作りをとっていかなければなりません。…… 「少なくとも、経済的な基盤のないところで文化運動はないと思います。新しい自営的な企業を興す場合の金融機関のバックアップ体制、そういう 非常に自助的な、本来の権益擁護運動団体としての在日同胞の物質的な基盤作りをすべきだと思います。これがないところでは、私は在日同胞の将来は暗いと思います。これは決して絵に描いた餅ではないし、少なくとも今の政治状況で決して私たち在日の中で創れない構想ではないと思います。/そうすると、地域社会の中での教育、就職、そして地域社会の中にいかせるような民族学校、さらには地域社会の中で生かされ全国的にオンライン化された金融機関、あるいは経済団体などを作り、そうした中で、例えば奨学金制度、文化運動、学術運動に対する財団というものが現実的にはいろんなレベルで少しずつ出てきました。全国的に見ても、今、学術振興のためのさまざまな基金団体が出てきました。もう少し規模を大きくして全国的なものにしていけば相当のパワーになると思います。/ そうして、初めて在日同胞の民族的なアイデンティティーが作られるでしょう。戦後50年近くたって初めて そういうものを作り出すことができる物質的な基盤を、在日同胞は客観的には作っていると思います。私たちは在日同胞をあまりにも過小評価し過ぎた。それは、政治の壁や分断の壁があってできなかったわけですが、やっとそういうものを作ることができるような時代状況に到達したと思います。/そういう中で私が考えているのは、在日同胞が密集している6大都市に、文化センターをこの10年間で作っていくことです。」 「今のような現状が続く限り、 在日同胞の帰化を食い止め、朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちつつ、そして統一された祖国との関係を持ちながら、そして南北朝鮮をまたぐ、ユニークな存在として生きることのできる可能性を開いていくのは、個別としては可能かもしれませんが、マジョリティーとしてはなかなか難しいだろうと思います。そのための具体的なことを考えなければならない。そういう時期に来ていると思います。そういうことを今まであまりにも考えてこなかったということですね。」 このように、姜はここで、「在日同胞の帰化を食い止め、朝鮮人としてのアイデンティティーを保ちつつ、そして統一された祖国との関係を持」った上での、「在日同胞の民族的なアイデンティティー」のための持続または創出のための場所、そのための物質的な基盤作りの必要性について熱弁している。これも87年の姜の主張に沿ったものである。 だが、92年以降の姜の主張は、同じく「在日志向」と表象されるものであっても、その内実は異なっている。 その変化は、前述のように、日本社会認識の変容と連動して生じていると思われる。第11節で、1992年5月頃には既に、日本社会の本質的閉鎖性・特殊性という認識が消失している点を指摘したが、全く同じ時期に、姜は、在日朝鮮人規定・民族論においても、従来の姜ならば発しなかったと思われる主張を展開するようになる。 その文献が、前出の、1992年5月3日の講演記録である『アジアから読む日本国憲法』(かもがわ出版、1993年5月)である。既に第11節でも引用・指摘したように、ここで姜が在日朝鮮人の日本社会に対する「義務」を強調している点がまずその指標として挙げられるが、その他にも、以下のような主張を行なっている。 「「在日」の人達を外国人というべきかどうか、さらに日本国籍を取得して公務員の一般職に就きたいという人がいるかと思えば、「在日」のアイデンティティを考えている人がいる。どのように日本の方々は考えたらいいのか。非常に難しい問いです。それは、「在日」自体が今、これまでのようにはっきりとした、枠組の中でとらえられなくなったからです。今まで祖国へのアイデンティティとして一世が考えたように、国というものはこういうもんだというものがあった。これは先ほど申しましたように、北でも南でも一民族一国家で長い歴史をもったわが民族というところの素朴なナショナリズムがあったが、それが見えてこなくなった。これは私は一面ではいいことだと思います。/本当に自分達にとって民族とは何か、祖国とは何か、実はこれは今申し上げたように大げさにいえば、世界史的なテーマを私達は考えているわけです。そういう時代に一発主義の答えが出てくることはないわけです。当然それは悩まざるを得ない。ですからアイデンティティというものを今あるものとして私達は考える必要はなくて、将来にあり得るものとして考えていくべきですし、それだからこそ多様な生き方が出てきた。これが逆にいうと、「在日」のある種の可能性だと思うのです。」(55頁) 「「在日」はやっぱり 多様性のるつぼの中であえいでいるわけです。これは本国にとっていい意味での大きなインパクトを与える。それは自分のアイデンティティがゆらいでいる。まさに自分の アイデンティティのゆらぎの中で、あるべきアイデンティティを模索している人々こそ今、好むと好まざるとにかかわらず、もっとも歴史の最前線に立たされていると思う。それを生きることが、実は今問題のもっとも先端に立たされていることだと思います。」(59頁) 「祖国へのアイデンティティ」に依拠した「素朴なナショナリズム」ではなく、在日朝鮮人のアイデンティティの「ゆらぎ」「多様性」にこそ可能性があるのだという、90年代以降の在日朝鮮人言説で呆れるほど繰り返された言説――それを鼓吹した中心人物はもちろん姜だが――の、管見の範囲での姜の言論活動における初出である。ここには既に、この種の言説の特徴が現れている。つまり、在日朝鮮人の「ナショナリズム」を、一世中心の「祖国」への同一化を志向したナショナリズムであると決めつけ、それでは駄目だとしてナショナリズム批判を志向する自己の立場を正当化するものである。 第4節で紹介した、姜の86年時点の主張はそのように戯画化されがちな発言の典型であるが、ちゃんと読めば分かるように、そのような戯画化は不適切である。そこで姜は、大雑把に言えば、在日朝鮮人の直面する諸課題と分断「祖国」が直面するそれとの歴史的共通性を重視し、その共通の課題解決の努力を通じて「祖国」を志向するようなあり方に在日朝鮮人の社会的・政治的アイデンティティを置くべきであり、「定住外国人」としての権利についてもその視点から論じられるべき、と主張しているのである。また、第7~9節で見たように、87年から91年にかけての姜は、在日朝鮮人が日本社会で「定住外国人」として生きていくためには在日朝鮮人の政治的・社会的結集、「民族文化」の育成が不可欠であり、それを媒介として祖国との絆が再発見されうる、との主張を展開している。そして、既に見たように、双方の時期において、在日朝鮮人の「多様化」現象は、肯定どころか極めて深刻な問題として懸念されている。 「在日朝鮮人のアイデンティティの「ゆらぎ」「多様性」にこそ可能性がある」といった言説では、91年以前の姜のような主張も、「祖国」への同一化を志向したナショナリズムということになってしまう。だが、これは、ありもしない虚構を捏造して単純な二項対立を作成し、自己正当化を図ろうとする類の言説に過ぎない。 興味深いことに、この『アジアから読む日本国憲法』の講演の約1年前(1991年5月23日)の講演記録である⑦では、「多様な「在日」のあり方」という、恐らく編集者がつけた小見出しの下で、以下のように述べられている。 「問題は、在日朝鮮人というカテゴリーを、これから私たちは一体どう考えるのか。つまり、国籍は日本国籍を取っているけれども、民族としては在日朝鮮人として生きたいというような民族性に目覚める人がいると思うんです。/例えば、名前をもう1度元に戻したい、という裁判訴訟がありますね。現在の帰化制度は基本的に法務省は家族ぐるみでやろうとしてますから、実際に成年に達して、自分は民族的には朝鮮人だ、朝鮮人として生きたい、しかし国籍は日本国籍だという場合も、やはり私たちは在日同胞として考えるべきだと思います。そうすると、 在日朝鮮人の範囲というものをもう少し多様に、そしてもう少し広く考えていくべきではないかと思うんです。それはハーフも入れて。あるいは場合によっては、非常に少ない場合でしょうけど、例えば在日同胞と中国人が結婚するという場合も現実としてあり得るわけです。/つまり、 それほどまで非常に在日同胞のアイデンティティーというものも、単一の尺度ではなくて、もう少し豊かに、広く考えていくべきではないかと思います。これを最後の問題提起として言いたいと思います。そして、 もしそれに成功すれば、まかり間違っても1920年代から30年代の歴史に安定するような現実にはならないと考えます。/そういう点からしても、この10年が、在日同胞が事実上消滅していくのか、あるいは少なくとも何らかの形で21世紀に向けて具体的に継承していけるものを私たちが創り出せるのかにおいて、ひとつの大きなヤマだと思います。」 ここでも確かに在日朝鮮人の「多様」性と、「単一の尺度」ではない「在日同胞のアイデンティティー」について語られている。だが既に見たように、この講演では「在日同胞の民族的なアイデンティティー」のための持続または創出のための場所、そのための物質的な基盤作りの必要性が論じられているのであり、上の主張も、その文脈の下で、包摂する在日朝鮮人の範囲を「多様」に広げることによって、在日朝鮮人のアイデンティティの「多様化」という現象に対処することにより、「1920年代から30年代の歴史に安定(注・「暗転」の誤記か)するような現実」を回避しようという趣旨で述べられている。つまり、 多様化という現実を在日朝鮮人の共同性の下に取り込むために在日朝鮮人の範囲およびアイデンティティの尺度の「多様」化が提唱されているのであって、その1年後の講演のように、「多様化」「ゆらぎ」それ自体に(自己目的的に)「可能性」を見出そうとする姿勢とは方向性が180度逆なのである。 また、1990年9月に発表された⑥では、当時のソ連・東欧圏の「エスニシティの復権の動き」を極めて肯定的に論じていたことは既に述べたとおりであるが、この『アジアから読む日本国憲法』では、恐らく同じ現象を念頭において、以下のように述べている。 「今、民族問題が噴出しているのは、まさしく国民国家の軛の中からエスニックグループというものが、自己主張をしたいというやむにやまれない現実がまさに今、表れた。これをただアナーキーと見るだけでは私は短絡的だと思う。これは必ず国民国家を超えたもう少し大きなまとまりへと向かっていくと思います。ヨーロッパの中にある国民国家を超える動きと、部族単位にまで分裂していく方向と、これは同時並行的に生まれていきつつあるわけです。今、求心力と拡散力とか、同時的に世界で起きているわけです。」 1991年後半にバルト三国が完全独立を果たす一方、同年6月にはスロベニア、クロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言してユーゴスラビア紛争が始まっている。また、この講演の直前である1992年4月には、3月のボスニア=ヘルツェゴビナの独立宣言を契機として、ボスニア=ヘルツェゴビナ紛争が起こっている。そのような政治的現実の進展により、かつてのように「エスニシティーの復権の動き」を手放しに褒めることをやめ、「これは必ず国民国家を超えたもう少し大きなまとまりへと向かっていく」などと苦しい主張を展開するようになっていると思われる。 92年5月の以上のような認識は、1992年8月刊行の『季刊青丘』13号に発表された「「在日」の新たな基軸を求めて――抵抗と参加のはざまで」(⑧)で、より発展することになる。 ここで姜は以下のように書いている。 「もし住民として地域社会に参加しつつ、しかも 文化的自決権の主体としてその民族性を涵養していく可能性が開かれていくとすれば、「在日」の積極的な参加は結果として日本の国家を内側に向けて開いていくことになるはずであり、そのことは間接的に 日本の民主化に貢献し、ささやかではあっても、その国家主義的な拡大に対する抑割となるのではないか。」 「通常民族問題と言えば、政治的独立権としての民族自決権が想定されていたが、これに対してバウアーは文化的自決権の保障を主張し、行政や教育における言語政策の必要を説いたのである。/「在日」の実体、その歴史的由来を考えるとき、通常の民族問題とはその性格を異にしていることは言うまでもない。しかし日本社会に散在し、しかも 異民族として、住民として居住していこうとする限り、バウアーらが考えた 文化的自決権に基づく異民族との共生という立場は、かなりの普遍的な妥当性を有しているのではないか。/・・・・・・ 「地域」への参加と文化的自決権に基づく民族性の涵養と継承が車の両輪のように噛み合うための条件を整えていくこと、このことこそ、次の世紀に向けた「在日」の最大の課題ではないだろうか。」 このように、「文化的自決権」なる用語を用いており、これが「民族性を涵養していく可能性」を持っていると述べている。これは、それ以前の姜の立場と同一であると一見思われるかもしれないが、そうではないと思われる。なぜならば、姜はこの論文のほぼ同時期に発表したエッセイ「「民族問題の迷宮」とオーストロ・マルクス主義」(『思想』1992年8月号)において、オットー・バウアーの所論に触れつつ、以下のように述べているからである。 「この大著(注・『多民族問題と社会民主党』(1907年))が書かれた段階でバウアーが最も腐心したのは、いわば計画的理性の設計によって諸民族を帝国の中に接近、融合させようとするのではなく、伝統的なもの、歴史的に与えられたものの中に自覚的に政治的意志を吸収し、 民族主義を歴史によって基礎づけられている帝国の中の協同作用を通じて和らげることであった。それはある意味で国民国家のリジッドでハードな同一性原理のオールタナティブを模索する試みであった。そこから導き出された「超-民族的な国家」形態は、 現在のヨーロッパ統合を先取りした構想であると言える。/この学校から何を学ぶことができるのか、大袈裟に言えば、ここに 「民族の逆流」に対応する人類の知恵がかかっているようにも思える。」 このように、「文化的自決権」とは、姜においては、「民族主義を歴史によって基礎づけられている帝国の中の協同作用を通じて和らげること」と不可分のものとして認識されている。言わば、ナショナリズム抑制論である。 このことは、姜が、恐らく旧ソ連・東欧圏の民族運動の隆盛に関して、「民族の逆流」などと、極めて否定的な表現を用いている(⑧にも論評抜きで「現存社会主義の崩壊と民族の逆流」「東欧・ソ連型社会主義の倒壊とそれに続く堰を切ったような民族の奔流」と文言がある)こととも関連している。5月時の講演での苦しい弁明すら放棄し、もはや姜は「世界のここかしこに「在日」がある」との発言の根拠であった「エスニシティの復権の動き」を否定的に評価するようになっていると言える。 したがって、ここでの「文化的自決権」云々は、それまでの姜による「民族文化」の育成と民族運動の発展の必要性という主張とは完全に異質の議論であり、むしろ、 在日朝鮮人の民族文化・民族運動を脱政治化し、日本国家(「帝国」)の枠内において統御可能なものとすることが企図されている、と言えよう。そのような民族文化・民族運動は、それ以前の姜が強く強調するような、第三世界との連帯や、「祖国と自分たちとの絆を再発見」することをあらかじめ否定するものにならざるをえないだろう。 もちろん、この時点では姜は、在日朝鮮人の朝鮮半島の「祖国」との結びつきの可能性を否定するわけではない。ただし、これに関する姜の発言は、支離滅裂なものになっている。姜はこの⑧で国民国家論に全面的に依拠しつつ、以下のように述べている。 「ふたつの国家に分断された祖国は、いびつな形で 国民国家の「虚構性」を再現しており、「在日」にとってその民族的な成長に貢献するよりもむしろ 桎梏となる部分が大きかったことは否めない事実である。とくに定住化を自明のものと受け入れている「在日」世代にとって、ふたつの国家はどこかよそよそしい存在でしかない。しかしながら、ここから祖国そのものが「在日」の若い世代にとって単なる記号のような存在と化している、と短絡してはならない。/冷戦の氷解とともに国家の論理ではなく、民族の立場から和解と統一への模索がはじまり、 国家主導のナショナリズムではなく、民族主導のナショナリズムが現実の力を獲得するようになれば、「在日」にとってもそれは大きな転機となるはずである。「在日」が 日本と朝鮮半島の「あいだ」に生きる特異な存在として、独自の意味と役割を果たしうる可能性は完全に摘み取られているわけではない。」 姜は「民族主導のナショナリズム」による「和解と統一」を肯定的に評価しているように見えるが、他方で南北両国家について、「近代国家の形成に挫折し、植民地支配に転落した民族が、フランス革命以来の国民国家の「モジュール」にとりつかれ続けてきたとしても決して不思議ではない」などとも述べている。「民族主導のナショナリズム」によって主導された結果樹立(統一)される国家は、姜が否定的に述べるところの「国民国家」にはならないのだろうか。ここでの姜の主張はほとんど意味をなしていない。 姜は、「祖国」とのつながりという点もとりあえず言及しておかなければならない、という「立ち位置」上の必要性から、十把一絡げに「国民国家」「ナショナリズム」=悪という図式に立つ国民国家論に依拠しながら「祖国」との結びつきを称揚するという、支離滅裂な行為を行っているのであって、これは、それまでの姜による「祖国」と在日朝鮮人の関係性に関する議論とは異質のものである。 ところで、前述のエッセイ「「民族問題の迷宮」とオーストロ・マルクス主義」の上の引用文にあるように、姜は、バウアーの志向する「超-民族的な国家」形態を、「現在のヨーロッパ統合を先取りした構想」であると評価している。これは、極めて示唆的である。 姜は、この文章の約1年前に『世界』に発表した論文「<戦後パラダイム>はよみがえるか」(『世界』1991年5月号)において、「北東アジアにまたがる地域的な共同安全・平和機構の構築」、「最終的にはアジア版CSCE(欧州安全保障協力会議)を射程に入れた、多国間協議の制度化」を提唱している。管見の範囲では、これは、姜が東アジア共同体論に類似した構想を打ち出した、最初の事例である。 そうすると、姜の論理からすれば、 「アジア版CSCE」(≒東アジア共同体)の樹立のためには、在日朝鮮人は「文化的自決権」のレベルにまでナショナリズムを抑制させておかなければならない、ということになる。 ⑧には東アジア共同体論およびその類似構想への言及は全くないが、この解釈が正しければ、同時期に連動して生じている日本社会認識の変容も、東アジア共同体論の構想の結果としても説明できる。東アジア共同体においては、各国の歴史認識の共有が不可欠であるが、従来の姜のような天皇制・日本社会の本質的閉鎖性を強調するような認識に日本社会が進む可能性が、現実にはほとんど存在しない以上、共有される歴史認識は、せめて周辺アジア諸国との「折り合い」が可能であるような、本質的には極めて不十分なレベルの「過去への反省」で決着されるしかないからである。その意味で、東アジア共同体論の構想を抱くようになれば、姜の日本社会認識が変容することはある種の必然であったとも言える。 (つづく)
by kollwitz2000
| 2012-04-05 00:00
| 姜尚中
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