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2012年 04月 29日
3.
kscykscy氏の前回の批判に対する、金明秀の反論も奇妙なものである。2012年1月9日の発言から引用する。 http://twilog.org/han_org/date-120109/asc 「あー、やっぱり来たか。読みたくないなあ。 RT @mujigedari: そもそも「国益」という概念を否定するしか道はないと思う。 / “日朝国交「正常化」と植民地支配責任 : 金明秀「リスク社会における新たな運動課題|」批判” http://htn.to/7hHqCe posted at 12:26:09 いくつかイジワルな読み方もしてはるけど、全体的にオーソドックスな批判。この正論があってはじめてぼくの主張が生きてくる。 http://kscykscy.exblog.jp/17567948/ posted at 13:09:13 ただ、あのエッセイの最も重要な論点は、「認識フレームを転換するような運動が必要だ」ということなのだけど、そこだけはすっぽりと議論から抜け落ちてるな。論点を理解できなかったか、理解したうえで議論を避けたか。 http://kscykscy.exblog.jp/17567948/ posted at 13:13:38 ただ、この正論の中で、ぼくがどうしても好きになれないのは、「福岡安則氏が用いて人口に膾炙して以来、心ある在日朝鮮人を苛立たせ続けている「祖国志向」云々のレッテル貼り」って部分だな。 http://kscykscy.exblog.jp/17567948/ posted at 13:31:05 最終的にこの論争はかならず「在日にとっての(メタ)ナショナリズム」という争点に帰着する。そのとき、「祖国志向」は重要な鍵概念となる。付与されたカテゴリーを否定するのはいいが、自分の立ち位置までボカすのは誠実な態度とは言えないだろう。 http://ow.ly/8mmya posted at 13:37:11 「祖国志向」というカテゴリーを否定しようとする人たちには、こちらにもコメントをいただきたいところだ。 / 「だからと言って北朝鮮支持では無い」をめぐって http://togetter.com/li/141916 posted at 13:41:38 「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」氏は、この問題を論争にするつもりということなんだろうか。刊行から半年もたっての反論ということは、迷った挙句にそう決意したという解釈でいいんだろうか。分断、孤立化の道を選択したということでいいんだろうかね。 posted at 16:25:38 総連問題という切り口であればいくらでもやりあう準備があるけど、朝鮮学校問題では子どもたちがとばっちりを受けるわけでね。ぼくは、容易には論争化に踏み出す気持ちになれないな。 posted at 16:29:14 決めた。少なくとも無償化問題に何らかの回答が出るまで、このケンカは買わない。ただし、「在日の(メタ)ナショナリズム」という論点を避けながら、誤読を修正する努力だけはさせていただこう。 posted at 16:59:48 論点としてはこちらがよく似ている。 / ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ - 2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築 #atwiki http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/30.html posted at 17:17:46 ぼくがあのエッセイで「国益」レトリックを持ち出したのは、2種類の読者に批判を込めてメッセージを届けるため。ネトウヨと共和国ナショナリストです。事実、どちらにも届きましたよ。受け入れられはしなかったけど。 @gurugurian @mujigedari posted at 17:22:51 あのエッセイで最も重要な論点は、認識のフレームを転換するような運動が必要だということ。「朝鮮学校は日本の国益につながる」というのは、その手段となるレトリックの事例として取り上げたもの。 @gurugurian @mujigedari posted at 17:24:58 ぼくが試行錯誤して見つけた中では、「朝鮮学校は日本の国益になる」というレトリックがネトウヨの認識フレームを揺るがす効果を持っているというだけの話。手段として有効な別のレトリックがあるなら、それを使えばいい。 @gurugurian @mujigedari posted at 17:28:52 にもかかわらず、あのエッセイの主たる論点を「国益」論だとみなしたのは、いずれもナショナリストたちですよ。確かに、ぼくは日本のナショナリストも共和国のナショナリストも、頭を冷やしてみろというメッセージは込めましたので、正当な反応かも。 @gurugurian @mujigedari posted at 17:33:14 「国益」かどうかはどうでもいいのだけど、ようは「その社会へのマイノリティの貢献」を取り上げることがマイノリティの地位向上に寄与する現実があるというのがあのエッセイの背後にある実証的な背景です。日本だけが例外という根拠はない。 @gurugurian @mujigedari posted at 17:38:55 いい質問です。 RT @unspiritualized: |お気持ちはよく分かるのですが、在日が「国益」になる/ならないという判断の下に置かれるということは、いつでも恣意的に”ならない”に振り捨てられるということでもあり、「認識フレームを転換する」ことにはならないのでは。 posted at 21:20:47 3つの観点からお答えします。一つは、外国籍住民はつねに/すでに「国益になる/ならない」という判断にされされてきたということ。在日の場合、恣意的に「国益にならない」と規定されてきたのはデフォルトです。ならば、それを前提に戦略を立てるべきだという話。 @unspiritualized posted at 21:25:59 もう一つは、短期的な運動課題と中長期的な運動課題とを弁別すべきだということ。ナショナリズムを超克する制度の創出によって問題を根本的に解消するという理想も数十年スパンの課題として考えるべきでしょう。でも、現状でやれることも推進すべきです。 @unspiritualized posted at 21:31:46 最後に、運動のターゲットの問題。「フレームを転換する」というとき、国家による外国人政策のフレームも問題となりますが、個々のマジョリティの認識フレームも同様に重要です。前者は法律を盾に改善を迫ることもできますが、後者は理詰めだけでは動きません。 @unspiritualized posted at 21:38:24 RT @unspiritualized: @han_org 日本史を学べば、外から来てくれたひとびととその学識が、日本を豊かにしてくれたことは明白であり、誇りでもあります。それを得だったか損だったかで割ることはできない。すでにそれは「私」の前提条件なのです。たとえリアリズムであれそこに分割線を引くことに抵抗があるのです。 posted at 22:34:02 抵抗感を覚えたと言っていただけるのは、ありがたく思います。少し迷いましたが、ぼくも正直に返答したいと思います。 @unspiritualized posted at 22:37:16 もともと、日本人読者のうち、「国益」レトリックの適用自体に違和感を覚えるような方や、損得抜きに同じ住民だという実感を持っている方は、あのエッセイの直接の想定読者ではありませんでした。 @unspiritualized posted at 22:39:47 RT @unspiritualized: @han_org もちろん、このように言ったとて、リアリズムとしては在日は差別されている。誠に残念ながら、日本人のパトスは現在、歪んでおり、無効です。これを是正することは私たちの責務。その時の問いが「国益」か否かという二択となっていることが、はたしてどうなのか。そう思ってしまう。 posted at 22:40:28 もう少し待ったほうがいいかな。 posted at 22:40:46 ただし、「国益」レトリックに次のようなメタメッセージは込めました。(1)朝鮮学校の生徒たちは《国家の敵》として人権侵害にあっている。(2)在日は《国家の敵》でないことを主張せざるをえないところに追い込まれている。その不正義を許容できるのか。 @unspiritualized posted at 22:45:08 民族関係について、ナショナリズムを経由しない問題解決のパトス(とエートス)を発見しなければならないという問題意識そのものはぼくも共有しています。一方、戦後の日本においてその可能性を期待させるような事象をぼくは観察したことがありません。 @unspiritualized posted at 22:49:56 RT @unspiritualized: @han_org (1)(2)どちらについても日本国による人権侵害であると考えます。しかし、これらのマターが「国益」にそぐうか否かという問題設定で、マジョリティは変わるのでしょうか? posted at 22:54:25 エッセイにも書いたとおり、「その移民集団が当該社会の利益になっている」という理解は、多くの国で排外意識を引き下げているという証拠があります。また(続く) @unspiritualized posted at 22:56:03 ぼくがあのエッセイに込めたメタメッセージの一つは、「マジョリティである自覚を持て」というものでした。根拠のない不安によってスケープゴートを不法に排除したり、踏み絵を踏ませたりする特権を持つ立場だと。(続く) @unspiritualized posted at 22:58:56 そのために、使用する用語も、分析視角も、意図的にマジョリティ目線をたどったつもりです。日本人の特権性をマジョリティ目線で可視化するという拙い意図が成功したかどうか、まあ怪しいところではありますが。 @unspiritualized posted at 23:02:20 RT @unspiritualized: @han_org 僕自身の立場を表明しておきます。僕はかなりパトスの強い、日本人を意識した人間です。なればこそ、日本の歴史を背負うべきだと考えます。であれば、戦争から連続した現在も背負う覚悟がある。実際、ともに生きる在日は同じ仲間です。同化せずともいい。違うからなおいい。 posted at 23:02:39 ナショナリズムの枠内での多文化主義ということですよね。それだと、理屈の上ではむしろあのエッセイの問題設定と親和的だと思うのですね。 @unspiritualized posted at 23:07:46 こちらこそ貴重なコメントありがとうございます。 RT @unspiritualized: @han_org 僕もまた「マジョリティ」の一員であり、論の意図は重く受け止めました。自分たちが無意識だった「目線」を可視化していただいたことに感謝します。 posted at 23:10:17 結局、あれかな。あのエッセイもメタメッセージを込めすぎた失敗例だろうか。意外と文脈が共有されないな。 posted at 23:12:08 RT @unspiritualized: @han_org メタにしすぎるとベタな共感を得にくくなると(笑) 冗談はおいて、今後10年〜、日本はいっそう海外の労働力を必要とするでしょう。その時、おのずから排外主義は「益」でなくなっていく。しかし、それでいいのか?ということを、少なくとも思想としては考えねばなりません。 posted at 23:18:31 まさにまさに。 RT @unspiritualized: |おのずから排外主義は「益」でなくなっていく。しかし、それでいいのか?ということを、少なくとも思想としては考えねばなりません。 posted at 23:18:47 「国益」レトリックは、国家の犠牲になっている現実を可視化するためのカウンターとして用いたものですが、「国益につながらなければ排除してよい」という反応は別途、問題化されなければなりません。 @unspiritualized posted at 23:22:27 そういうことですね。正確に理解していただきまして、ありがとうございます。 RT @unspiritualized: @han_org よく理解できました。たしかに、まず改善すべきは「国家の犠牲になっている現実」。それをスルーして理念を優先するのは欺瞞ということになりますね。 posted at 23:27:10」 金明秀はここで、争点となっている文章「リスク社会における新たな運動課題としての《朝鮮学校無償化除外》問題」について、「ぼくがあのエッセイに込めたメタメッセージの一つは、「マジョリティである自覚を持て」というものでした。根拠のない不安によってスケープゴートを不法に排除したり、踏み絵を踏ませたりする特権を持つ立場だと。そのために、使用する用語も、分析視角も、意図的にマジョリティ目線をたどったつもりです。」と発言している。だが、この文章の初出は、在日本朝鮮人人権協会発行の『人権と生活』という雑誌の32号(2011年5月発行)に掲載されたものであり、現物を確認したが、金明秀のブログ上にその後加筆・修正の上で掲載されたという同じ題名の文章とほとんど内容の変更はない。 在日本朝鮮人人権協会というのは朝鮮総連系の団体であり、『人権と生活』の読者層も、朝鮮総連系の人間以外は在日朝鮮人の人権問題に関心がある人間にほぼ限られよう。私ですら、同じ号に論文が掲載されていた板垣竜太氏からこの号を貰う機会がなければ、金明秀が文章を掲載していたこと自体にその時点では気付かなかっただろう。金明秀は「日本人読者のうち、「国益」レトリックの適用自体に違和感を覚えるような方や、損得抜きに同じ住民だという実感を持っている方は、あのエッセイの直接の想定読者ではありませんでした。」と述べているが、それならば、『人権と生活』の日本人読者の圧倒的大多数は「想定読者」ではなかったことになろう。金明秀の『人権と生活』における日本人の「想定読者」はどのような人物だったのだろうか。公安関係者だろうか。金明秀は「共和国ナショナリスト」にも「批判を込めてメッセージを届ける」意図があったと発言しているが、仮に初出の「想定読者」が日本人を一切想定していなかったとすれば、「マジョリティである自覚を持て」という「メタメッセージ」は全く意味不明であり、「使用する用語も、分析視角も、意図的にマジョリティ目線をたどった」理由も不明だということになってしまう。 このように、金明秀のここでの弁明は支離滅裂なのであって、これも、kscykscy氏が的確に要約しているように、文章の趣旨は「「反日教育をしている朝鮮学校に日本国民の税金を支出するなど国益につながらない」との主張に対しては、「朝鮮学校は日本の国益につながっている」と反論するのが「有効な打撃を与える」リスク・コミュニケーションだ」というものなのであるから、批判に対してもそのような観点から反論すればよいだけであるにもかかわらず、批判は「誤解」だとして、無理矢理自分の立場を正当化しようとするから、このような訳の分からない弁明になるのである。この金明秀の態度は、上で見た、「池田信夫的なものに名前をつけるとしたら?」に関する弁明と酷似している。 また、「総連問題という切り口であればいくらでもやりあう準備があるけど、朝鮮学校問題では子どもたちがとばっちりを受けるわけでね。ぼくは、容易には論争化に踏み出す気持ちになれないな。」「決めた。少なくとも無償化問題に何らかの回答が出るまで、このケンカは買わない。ただし、「在日の(メタ)ナショナリズム」という論点を避けながら、誤読を修正する努力だけはさせていただこう。」などと主張しているが、そもそも金明秀の文章自体が、「「人権」「平等」が分配の正義として通用した時代なら、「在外公民」として理不尽を訴えるだけで一定の改善は得られたであろう。だが、現代はリスク社会である。たとえ、根拠のない、偏見交じりの不安であろうとも、それを解消しないかぎり、理不尽な扱いも解消することはない。民族運動にもイノベーションが必要な時代である。」という末尾の文章から明らかなように、既存の「民族運動」およびそれによる朝鮮学校無償化排除への反対運動の在り方への批判として打ち出されているものであって、「子どもたちがとばっちりを受ける」から「論争」しないということであれば、金明秀はなぜ文章を発表したのか、ということになる。子供をダシにして、論争が拡大することから逃げているとしか思えない。 同様の弁明は、今回の弁明にも現れている。金明秀は4月22日の発言で、以下のように述べている。 「@unspiritualized あの論点だと総連と朝鮮学校の運営を批判する形にならざるをえません。ブログで反論するとなれば、日本語で読める総連と朝鮮学校への批判が数万人の読者の目に触れることになります。ネトウヨ界隈は「金明秀ですら朝鮮学校を批判した」と大騒ぎになるでしょう。 posted at 19:42:29 @unspiritualized 朝鮮学校の支援者だって無条件に支援しているわけでなく、不満や言いたいことはあっても今はそれをあえて争点化せずにサポートする時期だと判断して黙って支援しているということもあるわけですが、それをつぶやいたら「恫喝」だとか呆れて二の句が継げない。 posted at 19:46:23」 ここも呆れた主張である。批判したければすればよいではないか。そもそも金明秀は、2010年4月3日の発言では、kscykscy氏の「何に怒るのか――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑧」という文章に関して、「一から十まで完全同意。」と書いている。だが、kscykscy氏の文章の前提として、「朝鮮学校が高校課程相当の各種学校であることが確認されさえすれば、高校「無償化」の枠内に含」まれるべき、という認識があるのであって(「案の定の『朝日新聞』社説――朝鮮学校と高校「無償化」問題③」)、金明秀がその認識に同意するならば(同意せざるを得ないと思うが)、教育の中身自体が問われているわけではないことは文科省も明言しているのであるから、「総連と朝鮮学校の運営」云々を主張するのは意味が分からない。金明秀がどのように朝鮮学校を「支援」しているのか知らないが、「不満や言いたいことはあっても今はそれをあえて争点化せずにサポートする時期だと判断して黙って支援している」と主張するのは、そもそもこの問題の争点が朝鮮学校(在日朝鮮人の民族教育)の権利性であることを理解しておらず、朝鮮学校の教育の中身は変わった、日本社会に対してもフレンドリーな「日本の学校」だ、といった類の主張で対抗できるかのように考えていることの現れである。権利性の問題であることが強調されていれば、「総連と朝鮮学校の運営」への批判は、かえって運動の風通しのよさを示すものとして、普通は歓迎されるだろう。恐らく誰も、金明秀に「総連と朝鮮学校の運営」を批判することを止めていないと思うのだが。また、金明秀はそもそも「共和国ナショナリスト」「総連系知識人」などと批判しているのであるから、実際には総連を批判しているのであって、ここでも金明秀の主張は根本的に矛盾している。 他にもいろいろあるが、きりがないのでこれくらいにしておく。一点だけ加えておくと、金明秀はネット右翼との論争を在日朝鮮人の人権にとって何か有意義かつ重要なものであると見なしているようだが、ネット右翼などというものは日本の世論形成において何ら寄与していない、無力なものであって、大学教員ならば、ネット右翼と本質的には大差ない同様の主張・メンタリティのアカデミズムや論壇を批判すべきであろう。金明秀(およびその取り巻きの在日朝鮮人や日本人左翼)は、最も容易に叩ける(無力な)相手を批判することで、「反差別」の「在日朝鮮人」という「立ち位置」を確保しているようにしか見えない。本気で「反差別」を考えているならば、アカデミズムや論壇、特にリベラル・左派ということになっている存在の主張の欺瞞性(右派の主張との本質的共通性等)こそを衝くべきである。 4. 以上見てきたように、金明秀の反論は、kscykscy氏へのそれにしても、「池田信夫的なものに名前をつけるとしたら」に関するそれにしても、場当たり的・当座しのぎ的なものの範囲を超えないものであり、それを逆ギレで糊塗するという底の浅いものである。 金明秀の振る舞いを見ていると、ツイッター仲間等の自分の周囲の人間にさえプライドが保たれていればそれでよい、という認識が根底にあるように思われる。議論に関して負けを認めず、無限に「反論」を繰り返して、自分は負けていないという姿勢を崩そうとしない人間が多数存在することを、インターネットが普及して以来、われわれは知るに至っているが、金明秀はその典型例であるように見える。金明秀には、議論の公共性という認識もなければ、公正性に対する意識もない。ディベートのように、その場を切り抜けられればいいという姿勢だ。金明秀のツイッター仲間には、在日朝鮮人ネタ(ネット右翼、在特会など)を消費する日本人左派や在日朝鮮人が何人もいて、下らないおしゃべりをやっている。 金明秀は、kscykscy氏に対して、「「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」氏は、この問題を論争にするつもりということなんだろうか。刊行から半年もたっての反論ということは、迷った挙句にそう決意したという解釈でいいんだろうか。分断、孤立化の道を選択したということでいいんだろうかね。」などと発言しているが、逆に言えば、自分の周囲の界隈の影響力を過大視しているということでもある。その種の連中など、何人集まろうと下らないことしか言っていないのだから影響力も意味も全くないと思うのだが、金明秀の中では大きな意味を持っているように思われる。金明秀にとっては、在日朝鮮人の行く末よりも、在日朝鮮人を含めたその界隈で「お山の大将」であり続けることの方がより大きな問題であるように思われる。 金明秀は、2010年2月15日に、自身のブログで「はてブって面白いね」という記事を書いている。 これを読んだのは金明秀がこの記事をアップした少し後だが、私はこれを見て、危ういな、と思ったものだ。金明秀はその時期以来、「はてな」界隈の人気者だが、いつの間にか、金明秀の文章自体が「はてなサヨク」をはじめとした、「反差別」「ナショナリズム批判」のネット上(に限られないが)の「サヨク」の欲望におもねるような内容になっている。例えば、片山さつきの愚かしい言い間違えを「公人によるヘイトスピーチ」などとあげつらった文章などがその典型である。金明秀からは、自分がこの種の人々を主導しているように見えているかもしれないが、客観的に見れば、金明秀こそがこの種の人々に支配されている。金明秀のその場しのぎの弁明も、元々のこの人物の特性かもしれないが、こうした状況がその酷さを助長しているように思われる。 金明秀とkscykscy氏の発言を読み比べれば、金明秀の主張の不当性は明らかであるから、「金(注・金明秀)による「陰で人格攻撃」「卑劣な対応」「言いがかり」「主張の内容ではなく人格を攻撃する愚論」という筆者への非難が無根拠であることを、公正な読者が認識すること」というkscykscy氏の「期待」も問題なく満たされると考えるが、私が不愉快なのは、金明秀のツイッター仲間の在日朝鮮人たちが、この件に関して沈黙を決め込んでいることである。金明秀は自身のツイッターで繰り返し、kscykscy氏を誹謗中傷しているのだから、「論争」の存在を彼ら・彼女らが知らないはずがない。「論争」の対象の重要性からも、彼ら・彼女らは、この問題に関して公的に態度表明すべきである。そうしないならば、それらの人物は、公共的な重要性よりも馴れ合いを重視する、日本的「ムラ社会」に骨の髄まで浸かった「在日朝鮮人」であって、そんな連中の日本社会批判など何ら耳を貸す必要はない、ということになろう。
by kollwitz2000
| 2012-04-29 00:01
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