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2012年 08月 09日
朴慶植『在日朝鮮人・強制連行・民族問題――古稀を記念して』(三一書房、1992年12月刊)の「はしがき」(日付は「一九九二年九月二〇日」)にある以下の一節は含蓄深い。
「現在、在日朝鮮人・韓国人約六八万人のうち約六〇万人は永住権をもつ定住外国人として生きている。今後この在日同胞がどのように子子孫孫に至るまで民族的主体性をもって生きていくのかがわれわれに与えられた最大の課題ではないかと思う。この頃民族ということに余りこだわる必要はないという意見もあるようであるが、現実日本政府の単一民族国家意識は強固で、民族差別、同化政策は依然として変っていない。日本が他民族と共存、共生する民主主義的市民社会になっていくためにもわれわれは民族的主体性を堅持していかなければならない。私も今後そのために微力を尽したいと思う。」(3頁) 一般に「共生」論というと、日本社会の排外主義批判と同時に、在日朝鮮人自身の「脱ナショナリズム」が積極的に提唱されるケースが多いが、ここでは全く逆の「共生」論が主張されている。つまり、「共生」社会の実現のためには、より強く意識的に「民族的主体性」(ナショナリズム)を堅持しなければならない、というのである。つまり、在日朝鮮人を「定住外国人」として認めさせるためには、「脱ナショナリズム」など論外で、より強固に民族主義を堅持しなければならない、そうでなければ日本政府(日本社会)の「単一民族国家意識」に飲み込まれてしまう、ということである。 こうした主張は、遅くとも1990年代前半までの在日朝鮮人による言説においては珍しくなく、「在日朝鮮人言説の変容について」で書いているように、1991年頃までの姜もほぼ同じ立場である。既に書いたように、姜は、1992年4・5月以降、「脱ナショナリズム」「反ナショナリズム」の方向へと突然転向していく。朴慶植が、上の引用で「この頃民族ということに余りこだわる必要はないという意見もあるようであるが」と書いている点も、姜をはじめとした当時の在日朝鮮人知識人の発言が背景にあると思われる。 「脱ナショナリズム」的「共生」論の前提には、姜がそうであったように、日本社会が「民主化」「市民社会化」されており(またはその可能性が開かれており)、アイデンティティの「多様性」が認められるほどに社会が「成熟」している(またはその可能性が開かれている)、といった類のバラ色の日本社会像がある。90年代にさんざん強調された社会像だ。そして、この種の社会像は、2000年代以降(特に2002年の小泉訪朝以降)の展開を見れば、破綻しているはずである。ところが、いまだにこの種のバラ色の日本社会像が前提でないと理解不能な、「脱ナショナリズム」的「共生」論が氾濫している。 今さら言うまでもないが、朴や1991年頃までの姜が強調していたように、日本国家・社会の「単一民族意識」は極めて強固なものであって、それは在特会やらネット右翼といった矮小な存在の問題ではない。和田春樹が典型なのだが、日本社会の「民主化」(の可能性)を喧伝しているリベラル・左派は、日本国家を「平和国家」だとして描いて周辺諸国の人々の認識を誤らせることと同じことを、在日朝鮮人に対して行なっている(行なってきた)と言える。信じ込もうとする在日朝鮮人も悪いのであるが。
by kollwitz2000
| 2012-08-09 00:00
| 在日朝鮮人
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